飾釦

飾釦(かざりぼたん)とは意匠を施されたお洒落な釦。生活に飾釦をと、もがきつつも綴るブログです。

映画「バビロンの陽光」(監督:モハメド・アルダラジー)を見た

2011-07-05 | Weblog

シネスイッチ銀座にて

 

■製作年:2010年

■監督:モハメド・アルダラジー

■ヤッセル・タリーブ、シャザード・フセイン、パシール・アルマジド、他

 

何処までも続く黄色い砂の砂漠とゴツゴツとした岩が転がり砂埃が舞う荒涼とした大地、街は街で戦禍の後を物語るように建物は破壊され瓦礫の山と所々で炎上している場所もある。空ではイラクを支配するかのようにヘリコプターの旋回音がする。そこに父を未だ見ぬ12歳の少年と母である祖母が行方不明の彼を探して放浪している。交通手段としての乗合バスはボロボロに傷んでおりすぐに故障してしまう。砂漠の真ん中に放り出されてもヒッチハイクで前に進むしかない。勿論トイレなどあろうはずがなくそこらで済ませるしかない。まだ見ぬ父を探すあてどもない旅なのだ。※以下、ネタバレ注意!

 

映画はサダム・フセイン政権崩壊後間もないイラクが舞台。中東を舞台にした戦争や迫りくる死の恐怖を描いた兵士が主役となるアメリカ映画ではない。まさにその現場の国の国民が自国の一般庶民を描いた映画なのである。その視点からの映像なのが興味深い。そこで見ることができるのは人としての普遍的な感情であり、人種や国境を越えた世界中のどこも変わることのない素朴で当たり前の行動なのだ。息子は母親にとって体の一部、その感覚に世界の中でどこに違いがあるのだろう。フセイン政権下における反体制派の弾圧。映画の中ででてきたアンファルとはフセインがクルドの村に行った科学兵器攻撃、そこで女、子供までも惨殺されたという。クルド語を話す祖母は、集団墓地の白骨化した骸骨に涙を流して語りかける。彼女は絶望の果てに息子と勘違いしているのだ…。

 

祖母を演じた女性は素人で自らも2度に渡り収監され、その間、子供も夫も失ったそうだ。まるで映画の役がそのまま彼女の人生と被ってくる。イラクゆえのキャスティングなのか、口数少ない祖母の姿にこれ以上の説得力があろうか。主人公の少年を演じた子供も同様素人という。彼もとてもいい味を出していた。時に笑い、時に怒られ、時に泣く。なんと自然でひきつけられる演技をしていただろう。そうした少年の行動を自然に描いた監督の力量も光る。ラスト、息子を捜すことに疲れ果ててしまった祖母は孫に息子の幻影を見てそのまま他界してしまう。泣きわめく少年。流す涙の悲しいこと。しかしその涙を振り切り、少年は父親の形見の笛を吹く。力強いラストの少年の姿に心が強く動かされた。深く感動しました。イラクという馴染みのない国の一端を隙間みることができる秀作、オススメです。

 

 

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