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■製作年:1978年
■脚本:寺山修司
■監督:東陽一
■出演:永島敏行、森下愛子、吉田次昭、島倉千代子、他
永島敏行と森下愛子が主演、寺山修司が脚本を、東陽一が監督をした映画を見ました。この映画については学生時代に映画館で見ている記憶がある。内容は忘却の彼方に消えかかっているものの、走っている永島敏行の姿だけはなぜか鮮烈に覚えています。ところで、寺山修司はあくまで実験的で象徴的な記号を画面のなかにほおり込んだカオス的な映像を作るのですが、東陽一はどちらかというと、昔持っていたイメージですが都会風なまるでファッション写真を切り取ってきたような映像を作っています。たとえば「もう頬づえはつかない」とか「四季・奈津子」よか「ラブレター」といったような女性映画で、おしゃれで洗練された映像をつくるイメージがある作家。このどちらかというとテイストが水と油のような2人がよく組んで映画を作るきっかけがあったなと思います。
この「サード」には当時の天井桟敷のメンバーも出演していますが、東陽一の映像によって前衛劇団の役者としての毒はぬかれてしまっているような気がしました。過激なのは?むしろ森下愛子です。当時はあまり好きではなかったのですが、今見るとカワイイ!その彼女が永島敏行と組んで売春をするという話ですから、そうした場面が出てくるんですが、彼女は実は処女という設定。処女喪失の場面からやくざなチンピラ相手に売春するところまでを演じているのです。つまり、何がいいたいかというと脱ぎっぷりもよく堂々としたもんだということ。裸になるとはそれ自体で武器のようなもの、森下愛子のヌードは少年院に入っている悪ガキどもを駆逐するくらいのインパクトがあったてことだ。
また同じく少年院を慰問するボランティア団体のお姉さん。その役を当時の日活ロマンポルノの女優・片桐夕子が演じているのですが、赤いセーターを着ながら少年院の悪ガキらとソフトボールをする場面がありました。大きく胸を揺らしながら走るシーンは、やはりそれも武器だなあと…。こちらは塀の中の事なので、そんなものを見せられた彼らは当然、10代なわけですから、精力も有り余っている一番盛んな時期なので、その夜は一斉にその揺れる胸をおかずに大オナニー大会となるわけです。これも一種の視覚的な暴力かなと。
堀の中にいる主人公の「サード」とあだ名がついている役の永島敏行は目標を喪失している少年で自身のホームベースを踏もうとグラウンドを走ります。一塁から二塁へ、そして三塁へと走り続ける彼をカメラはそれをローアングルでとらえ、彼の疾走し焦る気持ちを表しているかのようでした。走れど走れどホームベースは見つからない。出口を居場所を探す精神の旅、人はなかなか都合よくそうしたことを見つけることができないと思う。あがき続けるのが人生なんじゃないか。はたして自分自身を振り返りホームベースは踏めたのか、というと甚だ疑問に思うし。まずもって10代の非行少年の彼らにはこうした感覚は実はわからないんじゃないのではないだろうか?なぜならこの世代はまだエッチがしたいことと愛というのを混同してしまうから。ホームベースと言われてもしっくりこないに違いない。それは40歳を過ぎてからじゃないかな…。
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■脚本:寺山修司
■監督:東陽一
■出演:永島敏行、森下愛子、吉田次昭、島倉千代子、他
永島敏行と森下愛子が主演、寺山修司が脚本を、東陽一が監督をした映画を見ました。この映画については学生時代に映画館で見ている記憶がある。内容は忘却の彼方に消えかかっているものの、走っている永島敏行の姿だけはなぜか鮮烈に覚えています。ところで、寺山修司はあくまで実験的で象徴的な記号を画面のなかにほおり込んだカオス的な映像を作るのですが、東陽一はどちらかというと、昔持っていたイメージですが都会風なまるでファッション写真を切り取ってきたような映像を作っています。たとえば「もう頬づえはつかない」とか「四季・奈津子」よか「ラブレター」といったような女性映画で、おしゃれで洗練された映像をつくるイメージがある作家。このどちらかというとテイストが水と油のような2人がよく組んで映画を作るきっかけがあったなと思います。
この「サード」には当時の天井桟敷のメンバーも出演していますが、東陽一の映像によって前衛劇団の役者としての毒はぬかれてしまっているような気がしました。過激なのは?むしろ森下愛子です。当時はあまり好きではなかったのですが、今見るとカワイイ!その彼女が永島敏行と組んで売春をするという話ですから、そうした場面が出てくるんですが、彼女は実は処女という設定。処女喪失の場面からやくざなチンピラ相手に売春するところまでを演じているのです。つまり、何がいいたいかというと脱ぎっぷりもよく堂々としたもんだということ。裸になるとはそれ自体で武器のようなもの、森下愛子のヌードは少年院に入っている悪ガキどもを駆逐するくらいのインパクトがあったてことだ。
また同じく少年院を慰問するボランティア団体のお姉さん。その役を当時の日活ロマンポルノの女優・片桐夕子が演じているのですが、赤いセーターを着ながら少年院の悪ガキらとソフトボールをする場面がありました。大きく胸を揺らしながら走るシーンは、やはりそれも武器だなあと…。こちらは塀の中の事なので、そんなものを見せられた彼らは当然、10代なわけですから、精力も有り余っている一番盛んな時期なので、その夜は一斉にその揺れる胸をおかずに大オナニー大会となるわけです。これも一種の視覚的な暴力かなと。
堀の中にいる主人公の「サード」とあだ名がついている役の永島敏行は目標を喪失している少年で自身のホームベースを踏もうとグラウンドを走ります。一塁から二塁へ、そして三塁へと走り続ける彼をカメラはそれをローアングルでとらえ、彼の疾走し焦る気持ちを表しているかのようでした。走れど走れどホームベースは見つからない。出口を居場所を探す精神の旅、人はなかなか都合よくそうしたことを見つけることができないと思う。あがき続けるのが人生なんじゃないか。はたして自分自身を振り返りホームベースは踏めたのか、というと甚だ疑問に思うし。まずもって10代の非行少年の彼らにはこうした感覚は実はわからないんじゃないのではないだろうか?なぜならこの世代はまだエッチがしたいことと愛というのを混同してしまうから。ホームベースと言われてもしっくりこないに違いない。それは40歳を過ぎてからじゃないかな…。
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まだ20代前半
友人と町田で観た記憶があります。
僕が印象に残っているのは
桜の並木の中を少年院に入っていくシーン。車の窓ガラスに写る桜が少本当にキレイだった。そしてその桜を見る永島敏行の表情が良かった。あそこにいろいろな感情が渦巻いていて、いいシーンでした。それと、森下愛子を売春させ相手がヤクザだったシーン。永島敏行ドアを開けた時、恍惚とした森下愛子の滑らかな肌に流れた一筋の汗…。未だ忘れ得ぬエロティック名シーンです。エロチシズムとはああいうものだと、いまでも僕の中のベストシーンです。森下愛子かわいかったなあ、好きだったです。
ついでですが、中学の時、同級生の女の子2人と男2人で見た、関根恵子(当時)主演の「高校生ブルース」が、僕の大人になった(笑)映画です。見ました?
その家の息子がわざとゴミを床に落とし、お手伝いさんんp関根恵子が四つん這いで拾う、という。それだけなんですけどね、高水準のエロスでした(笑)。関根恵子は本当に色気があって、よかったですねえ。まさに、青春の甘酸っぱい思い出です。
その思い出はいい歳のおじさんになっても憶えている。戻りたいけど戻れない、切ないですね。
Hさんの原体験を知りました!