飾釦

飾釦(かざりぼたん)とは意匠を施されたお洒落な釦。生活に飾釦をと、もがきつつも綴るブログです。

「家畜人ヤプー」(沼正三)を読む

2010-09-06 | Weblog
「家畜人ヤプー」なる小説の存在は10代の前半の頃に知ったように思います。ただその時は、小説ではなく石ノ森章太郎の漫画を友人の家なのか、空地に落ちていた雑誌なのか、場所は覚えていないのですが、どこかでちらりとみた記憶があります。大人が読むエッチな漫画、いけないものを見てしまったというような記憶があります。幼心に石ノ森章太郎が描く色っぽい女性と近未来の社会、そんなイメージのみが強く残ったのです。それからかなり年月が経って「家畜人ヤプー」というのがその時の漫画で、原作の小説があること、そしてそれは伝説の奇書として存在しているということを大学に入った頃に知ったと記憶しています。最近その石ノ森章太郎の漫画の復刻版が出てそれを書店で見かけたときタイムスリップしたように、子供の時の感覚を思い出しました。同じく、劇団の「月蝕歌劇団」が「家畜人ヤプー」を上演すると知り、ボクの眠っていた好奇心がむくむくと起き上がり原作の小説を読んでみようと思いたったのであります。
家畜人ヤプー〈第1巻〉 (幻冬舎アウトロー文庫)
沼 正三
幻冬舎

このアイテムの詳細を見る

沼正三の「家畜人ヤプー」、とんでもない小説でありました。もしかしたら獄中作家のマルキ・ド・サドの「悪徳の栄え」を凌駕しかねないほどの偏執的な世界観を読むものに提示しているように感じます。その作品が連載された当時、三島由紀夫や澁澤龍彦が絶賛したという逸話があるようなのですが、彼ら才能ある文学人でもこの「家畜人ヤプー」のような世界は描けなかったのじゃないかと思います。なんせ、とてつもなく細密にその世界観が組み立てられていて、ひとつひとつの事例が事細かくそして論理的に説明されている(あるいは説明しようと試みている)。しかも大長編小説のとしてペンを走らせる文字数は膨大である。極めつけとしてそこに流れているベースはマゾヒズムの感性。
家畜人ヤプー〈第2巻〉 (幻冬舎アウトロー文庫)
沼 正三
幻冬舎

このアイテムの詳細を見る

小説は未来、40世紀の地球の話で、そこでは白人女性による支配された社会・イースが形成され絶対的な立場=神の地位にいます。白人男性は白人女性に傅き、女性の性的放縦は認められるが男性は貞操を守らねばならぬ。黒人は絶対的な奴隷の立場にあり、ルールを破れば死が待っている。そして日本人は人間ではなく家畜としての立場にあるのです。日本人はヤプーと呼ばれ、家畜のため人間性などは無視され、人間とは認識されていない、むしろ犬畜生以下の存在とされている。彼らは肉体を改造され、白人女性の排泄の道具として肉便器(セッチン⇒便器として排泄物を口で受け、それが最大の御馳走に感じるよう飼育されている)に、白人女性の自慰用の愛玩具として舌人形(クニリガ⇒舌が男根の役割を果たすように改造されて奉仕する)、あるいは椅子に乗り物に、小人化され玩具としての楽団にされたり、はたまた顔自体を女性性器そっくりに整形され顔面ダッチワイフにされたりと、家具や道具として使用されているのです。この辺りは徹底的に自虐的に日本人が扱われており、そこまで落としめ卑しめなくてもいいのにと思えるほどに描かれています。その自虐性と自虐される方法が性的なものに結び付いている部分もあるので、この小説はマゾヒズム的であるとの評価があるのでしょう。実際、この小説にでてくるヤプー=未来の日本人は<モノ化>されているので、(ボクはマゾの気はないのでよくはわからないところもあるのですが、)小説を読んでいるとマゾヒズムとは徹底した<モノ化>への極みの過程の有様をさしているのだろうと思います。その際、<モノ化>の極みの過程においては、事前に肉体的のみならず、精神的、環境的にもすべてに整合性がとれている世界があって、そこへ投げ出された身体はそれまでの価値観が違えども半ば強制的にせよ、身も心もその世界へ絶対的に帰依していくことになるということになるのです。
家畜人ヤプー〈第3巻〉 (幻冬舎アウトロー文庫)
沼 正三
幻冬舎

このアイテムの詳細を見る

「家畜人ヤプー」は描かれている未来の白人女性が支配する世界の根拠や歴史などが、あらゆる側面において整合性がとれているようにこれでもかこれでもかと博学な知識を導入し築き上げているのです。作者の沼正三とは理系の出身か?と想像されるくらいに科学的な知識が散りばめられています。また、この沼正三が作りあげた社会は、ヤプー完全支配のために驚くことに、未来の住人が過去の日本に遡り日本神話を作りあげて精神の奥深い部分から支配しているということ(未来の技術は発達しタイムマシンのように過去へと旅ができるのです。我々がUFOといっているのは未来の人間が過去へと旅行した乗り物を見ているということになる)になっているのです。たとえば天照大神はアンナ・テラスという白人女性であるという。ここまでの徹底ぶりにはフェチの感性も感じなくもありません。
家畜人ヤプー〈第4巻〉 (幻冬舎アウトロー文庫)
沼 正三
幻冬舎

このアイテムの詳細を見る

最初にこの本を読みはじめたときは、その逆転の発想がとてもユニークに思えました。しかし、だんだんと読むのが苦痛になってくるのも正直な感想です。付き合ってられないといったような感覚になってくるのです。作者の沼正三が膨大な文字数で構築している世界は、誰が一番楽しいのか?それはありとあらゆる自身の知識(それを構築するためにものすごい量の勉強をしていると思われる)を導入し一種のユートピアに近い世界を作り上げんとしている作者そのものではないのだろうかと?このマゾっ気タップリで徹底的なフェチな感性で構築されていく「家畜人ヤプー」の世界は、性的な表現ではなくイースという未来の社会のルールを記述しているときでさえ、作者はもしかして勃起あるいは射精していたのではないかと思えるからだ。付き合うのが苦しくなってくる悪夢のような小説であった…。
家畜人ヤプー〈第5巻〉 (幻冬舎アウトロー文庫)
沼 正三
幻冬舎

このアイテムの詳細を見る

《(ヤプー)は階級とか身分とかいう言葉に値しない家畜なのだ。牛や豚より卑賎しいものとされているきらいなのである。ただ単なる家畜でなく、一方に器物であり動力であり、各種各様の使用形態のすべてがヤプーyapooの名に総称されている。知性ある家畜、知能を持った家具……一度電気を使うことを知った人間が二度と電気以前の状態にもどることはないように、既にヤプー使用の便利を経験し、生活体系にヤプーの肉体と精神を織り込んでしまったイース社会がヤプーを枝葉末節しなくなることは考えられない。否、現状では既に不足するといわれ、銀河系中心部への帝国の発展に伴うヤプー大増産は刻下の急務と叫ばれているくらいだった。かくてヤプーの将来には唯一の道が続いている。これまでと同じく今後も永久に人間(白人)社会の維持と発展のための材料や道具となること、これであった。白人の楽園イースの文明に栄華の花を咲かせるための肥料として生産され愛用されてゆくのが、今後のヤプーの運命なのである。ーヤプー人間観からすれば、この解放のない永久的隷属、救済のない永劫の地獄はやり切れないことだが、仕方がない。》※《》部分、「家畜人ヤプー」第一巻(角川文庫)より引用

◆クリック、お願いします。 ⇒



◆関連書籍DVDはこちら↓↓
劇画家畜人ヤプー【復刻版】
石ノ森 章太郎,沼 正三
ポット出版

このアイテムの詳細を見る

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ワンダースポットへ Go!2... | トップ | 漫画「家畜人ヤプー」(石ノ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事