飾釦

飾釦(かざりぼたん)とは意匠を施されたお洒落な釦。生活に飾釦をと、もがきつつも綴るブログです。

「僕は知らない寺山修司NO.195⇒演劇「地球☆空洞説」(豊島公会堂)を見た

2012-11-26 | 寺山修司

■日時:2012年11月23日(金)、18:50~

■劇場:豊島公会堂

■原作:寺山修司

■構成・脚色・演出:天野天街、村井雄、流山児祥

■音楽:J・A・シーザー

■出演:塩野谷正幸、伊藤弘子、さとうこうじ、関谷春子、青木砂織、他

 

芝居を見るために劇場に入る前、その正面にある公園に集合しろと指示があった。私が到着すると既に黒山の人だかり。公園の公衆便所の屋根に二人の男と自転車の空気入れをシコシコ圧している男。これから始まるお芝居の前口上が始まった。空気入れをシコシコ圧している男は地球の中味はからっぽだから空気を入れているんだとか。5分の口上が終わると観客は劇場に入ることになる。劇場から大音量で流れるJ・A・シーザーの呪術ロックのメロディに乗って歌われるは、♪地球はもうじきおしまいだ~♪大音量その音楽に吸い込まれるように大勢の観客が劇場に入っていく。それを見ていると変な宗教団体の集会か?カルト宗教、池袋に出現?一種異様な風景だった。ワクワク感が踊る。こんな始まり方をする芝居は久しぶりだ。最高の始まりではないか。

 

劇場の豊島公会堂は昭和の匂いがする古い小屋、そこに寺山修司が率いた「天井桟敷」に欠かせなかったJ・A・シーザーの音楽をバンドが生演奏する。このレトロ感がたまらなくいい感じだ。その後は、寺山の私探しのテキストに役者らのゲーム感覚な集団演舞とともに過去のシーザーの音楽作品が、まるでおもちゃ箱をひっくり返したようにお芝居は展開していく(これは少年王者館の天野天街の演出の要素が強いと思われる)。実際のテキストを読んでいないのでどこまでがオリジナルで、どこからが引用のテキストで、どれが加筆したものかわからないけれど、相当大胆に変形しているのだと思う。地球内側のはからっぽ、空洞。気球の中には<無>が一杯詰まっている。地球はもうすぐおしまいだ。といった台詞の数々を聞いていると、地球と私という存在を意識する自己をかけあわせているように思えてきた。いずれもその実体を見ることはできない、おそらく感じることもできないだろう。地球は生きていて、人間と同じように寿命がある。ヤバいよ、地球。ヤバいよ、私。明るくポップな終末論が舞台で展開される。終わりは寺山演劇の最後の歌(「レミング」)となった「カム・ダウン・モーゼ」が歌われた。その終わり方は滅ぶでなく、壊れるでなく、皆去っていくのだった。残され一人で吸うタバコはきっと最高に美味しい一服に違いない。この絶望の中の清々しさに揺らぐ煙。タバコ吸わない人にはわからないだろうな。

 

♪みんなが行ってしまったら

 私は一人で 手紙を書こう

 みんなが行ってしまったら

 この世で最後の 煙草を喫おう

 Come down Moses ろくでなし

 Come down Moses ろくでなし♪

 

 

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