飾釦

飾釦(かざりぼたん)とは意匠を施されたお洒落な釦。生活に飾釦をと、もがきつつも綴るブログです。

映画「彼女が消えた浜辺」(監督:アスガー・ファルディ)を見た

2010-09-20 | Weblog
■製作年:2009年/イラン映画
■監督:アスガー・ファルディ
■主演:ゴルシフチェ・ファラハニー、タラネ・アリシェスティ、他

イラン映画を見るのははじめてだったのですが、こんなにも緻密で文学的、映画的な面白さも加味されているとは驚きでした。正直、その細部まで及ぶ演出力の高さは、もしかしたら日本の監督もかなわないくらい高いのでは?と考えさせられてしまうほど完成度が高い映画でした。ある意味、知的スリリングに満ち、飽きさせない展開で地味ながらも衝撃的な度合いは強い面白い作品でした。ボクは今年になって映画館で映画を見るという楽しさに気づき、ミニシアター系の映画を見ることが増えていて、この間もアルゼンチン映画「瞳の奥の秘密」を見たのですが、それも、そして今回のこれもとても面白く、世界の各地で話題になって各種の賞をとっている作品は期待を裏切らないという感覚を持ちはじめています。



さてこの「彼女が消えた浜辺」なのですが2009年のベルリン国際映画祭最優秀監督賞をはじめ各種の映画賞を受賞したり、イラン国内で興行収益が2位という肩書に恥じないとても面白い作品でした。ボクは海外勤務の経験はなくちょこっと旅行に行ったことがある程度なので国際化度のレベルは低いので、イランなる国もイスラム圏の国でつい最近まで戦争もしていた国程度の知識しかなく、あるいは一時日本へ出稼ぎに来ていた国?(違いましたっけ)くらいの文字にしてほんの数行程度のことしかしらないため、ボクは相当偏見的な思い込みで作られた勝手なイメージを持っていることに、まず気づかされます。逆に見ていると日本と非常に感覚が近いのです。(同じ人間なので当たり前といえば当たり前でなのですが)映画の画面を見ていると日本のどこか地方の…と言ってもわからないくらい似ている所もあってとても親近感が湧いてきます。



アスガー・ファルハディ監督は、非常に微細な部分にまで演出をこだわっていて、その何気ない仕種や行為などの演出がイランの文化的慣習を表したのものではないとき、先に書いたように、なんだボク達と同じじゃんと小さな感動と共感で目の前のその画面を味わうことができるのです。この映画では、そうした小さな感動や共感が何度もありました。というよりも矢継ぎ早にそうしたことが続き、とっても多くあるなあという印象を持ちました。過去においてこんなに微細なことで心を動かされ共感した映画作品はなかったように思います。それだけでもこの映画を見る価値は充分あるんじゃないかと思います。そしてそれは映像のみならず音響効果の部分においても同じことが言えるのです。海の音が何よりもまして効果的で感動すらおぼえるほど素晴らしいのです。音の映画といってもいいくらいに微細な部分の表現がいいのです。だいたい、話はすごくシンプルにもかかわらず、2時間見飽きさせず画面に釘付けになるのは、そうした演出の微細さと緻密な脚本が素晴らしい出来栄えであるということの証明なのです。



微細な表現はエリという女性が行方不明になっても、それぞれの人間模様がきっちり描かれているので、どんどん研ぎ澄まされていくって感じになります。おそらくこの映画に出てくることを(宗教的行為や食事など除いて)ほとんどの台詞をそのまま日本という舞台に置き換えても充分通用する濃厚な人間劇となるのではないでしょうか。そこには確かな人間描写とともに、哲学的ともいえる視点と海という揺るぎのない自然が忘れずに濃厚に描かれているからと思います。

オススメの映画です!

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