○○272の2『自然と人間の歴史・日本篇』第一次産業革命(紡績)

2020-06-14 10:32:42 | Weblog

272の2『自然と人間の歴史・日本篇』第一次産業革命(紡績)

 1888年(明治22年)3月9日、孝四郎を初代社長とする「有限責任倉敷紡績所」(略称はクラボウ)が発足した。社長には、大原孝四郎が就任する。これを遡れば、20代の青年3人が計画を立て、倉敷随一の金持ちの大原孝四郎に話を持ち込み賛同、出資が成立。これをきっかけに新しい事業の設立を知った多くの県民から多数の株式引受の申込みがあり、設立資金が整ったのだという。

 翌1889年(明治23年)には、英国式最新鋭の紡績設備を備えた倉敷本社工場(現在の倉敷アイビースクエア)が竣工された。当時、日本の精紡機はミュール精紡機と呼ばれる旧式設備が主体となっていたところへ、最新鋭のリング精紡機を導入するという思い切りの良さで操業を開始する。 
 その原理とは、
粗糸からはドラフトローラへ供給し、細く引き伸ばす、その次にリングとトラベラによって撚りをかけ、完成した糸をボビンに巻き取るのが一連の工程となっていて、製品化までの人手がより少なくて済むという。自動化が進む分、従来機よりコストも相当抑えられたらしい。


 これより前の段取りとしては、県内児島の下村紡績所に伝習生を派遣して、当該機械の操作などの技術を習得させてもらったと伝わる。
 操業に入ってからは、労働者の寄宿舎も整えたりで、概ね順調に推移国していったようだ。国内のみならず、中国へ「三馬」というブランド名で綿糸の輸出を行うなど、海外への販路拡大にも取り組む。
 全国的にも大手企業に名前を連ねるようになっての1893年(明治27年)には、商法の施行のため会社名を「倉敷紡績株式会社」に改めた。


(続く)


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆