'09.08.23 『色即ぜねれいしょん』@吉祥寺バウスシアター
これは絶対見なくてはならない作品。なぜならMJことみうらじゅんの青春時代を描いた自伝的小説が原作の映画だから。私の誕生日プレゼントということで、baruから前売券+MJイラスト入りビーサンを頂いた。しかも前売券はMJ達が映画の見どころを語ったカセットテープ付き。チケットの半券はそのままカセットレーベルになるというもの。かわいい。他の映画館でもこの前売券があったのか不明だけど、baruのプレゼントは吉祥寺バウスシアター限定。ということで吉祥寺TOURを兼ねて行ってきた。
*ネタバレあり! 下ネタあり そして長編・・・
「京都の仏教高校に通う純はROCKな人生に憧れつつ、優しすぎる両親のもと、不良にも優等生にもなれずにいる。小学生の頃から片思いしている相手にも告白できず、当然モテない。ある日、親友の池山と伊部から夏休みに隠岐島のユースホステルに行こうと誘われる。そこはフリーセックスの島だという・・・」という、これは文系男子の青春の話。純に劇的な変化もドラマも起こらない。結局DT(童貞)のままだし(笑) でも、切なくて、そしてかわいい。MJが高校1年生だった1974年を舞台にしているけれど、これは現役高校生にも共感できると思う。特に文系DT男子。
イケてない文系男子だからといって、何も考えてないわけでも、何もしてないわけでもなくて、純は純なりに妄想しつつ、その妄想のはけ口として曲を作ったり、ラジオのDJ青春兄貴宛に悩みを投稿したりしている。その曲自体は当時の狭い世界観で書かれたものだから、今となってはDS(どーかしてる)ってことで、それをネタに番組「みうらじゅんDS」が出来るほど。だから体育会系でスポーツに汗を流している子達ほど評価されないとは思う(笑) むしろ将来の妨げになると思われてしまうに違いない。でも、純の両親は絶対に純を否定しない。吉田拓郎の"人間なんてララララララララ・・・"(タイトルが分からない
)をパクッたと思われる節回しで"セックスだけが全てじゃない"と、部屋の天井から吊るしたマイクに向かいギターを弾きながら歌っていても「あんたはすごいなぁ~」と大絶賛。それは多分"ほめて育てる"というのとは違うと思う。純のことを本当に信じているんだと思うし、ホントにスゴイと思っているんだと思う。これはスゴイことだと思う。でも、だから純は反抗できない。別にどうしても反抗する必要はないし、友達の伊部のようにいきなりヤンキーになってしまうのもどうかと思うけれど、変わることってエネルギーがいる。「僕の悩みは幸せ過ぎること」という純のセリフがあるけれど、確かにそうなのかもしれない。もちろんMJのご両親を否定しているわけじゃない。だって、このご両親あってのMJなのだから!
そんなモヤモヤとした高校1年の夏休み。純達は隠岐島のユースホステルに行く計画をする。ユースホステルに来る人達はフリーセックス主義だという。ユースホステル世代ではないので、どういうシステムなのかよく知らないし、フリーセックス主義っていうのがちょっとよく分からない。スウェーデン=フリーセックスというのはMJがよく言っているけれど、真相は不明。一応Wikiなどで調べてみたけどよく分からず。でも、多分純たちが考えているようなセックスし放題っていうことではないんじゃないかと・・・。純たちが泊まったユースホステルのお世話係りヒゲゴジラが違うと説明しようとしていたし。まぁ、本人達がどこまで理解して、どこまで信じてたのか謎だけど、それを信じて突き進んじゃう感じはバカでいい!
とにかく文系男子のモヤモヤ感が切ないし、かわいい。私自身は文系女子なので、思春期男子のヤリたいってだけで頭が一杯という感覚は分からないけど、ROCKな生き方をしたいのに出来ないって感じは分かる。この映画では分かりやすくヤンキー=ROCKとしているけれど、それは単純に比較対象としてなわけで、別に純もヤンキーになりたいわけではない。彼らがやりたい事をし、言いたい事を言えてるように思っているだけ。朝礼中に校長先生に向かって「話長いんじゃ!」と叫ぶことや、文系男子をからかうことが本当にやりたい事かは別として・・・。最近人気の『ROOKIES』や『クローズZERO』は見ていないけど、ヤンキー映画が作られ続けているということは、ヤンキーにはヤンキーなりのモヤモヤや悩みはあるのでしょう。当たり前だけど(笑) 仮に長い話に文句を言うのがヤンキーで、言えずに飲み込むのが文系なのだとしても、イライラするのはどちらも同じ。それにそもそもROCKって社会とか体制とかへの反発やモヤモヤに対するイラ立ちを歌っているんだと思うし。多分、純はモヤモヤをもっとかっこよく表現したかったのだし、自分の中にあるものをもう少し自由に出したかったのでしょう。そういう意味ではラストで少しROCKな感じになる。
この映画の重要アイテムであるユースホステル。そもそもはドイツ発祥。若者に安い宿を提供するのが目的で、基本的に相部屋。多分、いろいろセルフなんでしょう。ユースホステルに泊まったことのあるbaruによると、お皿を洗ったりするそうで、この映画でも描かれているとおり、宿泊者参加のキャンプファイヤーは必須。知らない人と友達になろうというコンセプトらしい。・・・苦手かも(笑) ちなみにユースホステルは現在、国内で280あるそうで、相部屋はイヤなどのニーズに応えてくれるところもあるらしい。相部屋はイヤというならユースホステルに行くのは違うような気がしないでもないけど(笑) と、ちょっとユースホステルの説明が長引いてしまった
とにかく、この旅に向かう3人がホントにいい。土地勘がないので、京都から隠岐島までどのくらい時間がかかるのか分からないけれど、電車やら船やらを乗り継いで行く。地元駅での待ち合わせから、オリーブに会うまではほとんどセリフもなく、はしゃぐ3人をちょっと引いた画で見せる。そのはしゃぎっぷりがかわいくて、3人の胸の高鳴りが伝わってくる。もちろんフリーセックスへの期待感ではなくて(笑) 初めて学校行事でもなく、友達と自分達だけで旅しているということに対してのワクワク感とか、特別なことをしているのが楽しくて仕方がないって感じが伝わってきて、見ている側も楽しくなってくる。このシーンは好き。結局、予想通り純達はDTのまま夏を終えるので、ユースホステルに行った本来の目的は達せられなかったわけだけど、これは自分達だけで旅をしたということが重要なんだと思う。大人になると何でもないことが、本当に新鮮でいちいち楽しいって感覚は確かにあった。
この旅で純はヒゲゴジラとオリーブに出会う。ヒゲゴジラはユースホステルのお世話係。お世話係というのがイマヒトツ分からないのだけど、まぁお世話するのでしょう(笑) 学生運動で仲間を亡くしたという彼は20代半ば~後半くらいなのかな。ヒゲゴジラは純たちにデカ過ぎる夢の話をする。彼より大人になってしまった身としては、それはムリだろうと思ってしまうけど、青春とお酒に酔った純にはヒゲゴジラが青春リーダーに見える。その感じがいい。ヒゲゴジラも含めてかわいいなと思う。多分、純も友達もヒゲゴジラの夢がデカ過ぎることは分かっている。だから、夢の実現のためにと出された自主制作レコードを、池山と伊部は買わない。シングル・レコードが1,000円以下だった当時、3,000円というビックリプライスだったせいだけではない。でも、純は買う。ヒゲゴジラを気遣う感じが、バカだなぁと思いつつ、いいなぁと思う。「ヒゲゴジラにならダマされてもいいと思った」と語る気持ちも分かる気がする。純が誰からもかわいがられるのは、こういうところにあるんだろうと思う。島を去る朝、輪になって歌う。ヒゲゴジラは純にギターを一緒に弾いてくれと言う。その時の純の笑顔がいい。認められた感じ。純たちを見送るヒゲゴジラとの熱いお別れは笑ってしまうけれど、本人達にとってすごくドラマチックだったことは分かる。上手く言えないけれど、人生には後から考えると恥ずかしくなってしまうような熱い瞬間があってもいいと思う。
純にはもう1人青春兄貴がいる。正確には2人。家庭教師のヒッピーが登場するまでは、ラジオのパーソナリティーが青春兄貴だった。このDJ青春兄貴はある人がカメオ出演してます。小学生の頃から片思いしている足立恭子への想いを綴って番組に投稿。採用され青春兄貴からの助言どおり、ハガキに一言「好きだ」と書いてポストに出し見事玉砕。このシーンはいい。ハガキがメールに代わっても、好きだという気持ちを相手に伝えるドキドキ感は同じだと思う。ポストにハガキを投函する際の出す、出さないは、ケータイの送信ボタンを押す瞬間にも感じてるはず。だからきっと誰でも共感するし、キュンとなるんじゃないかと思う。古い住宅街の赤いポストの画ごと、このシーンは好き。
もう1人の青春兄貴は家庭教師のヒッピー。あまりにストレートな役名が笑える。純を心配して家庭教師を雇うことにしたわりに、長髪に絞り染め柄のシャツを着た男を採用してしまうのはどうかと思う(笑) でも、このヒッピーから純は勉強ではなく、生活していくには特に必要なくても、生きていくにはあった方がいい、余白みたいな部分を学ぶことになる。一人っ子の純にはホントに兄貴みたいな存在なんだと思う。ヒゲゴジラのように熱くはないヒッピーは、無理なく自由に生きているように見えたのかも。ダラッと純のベッドに横になり、タバコを吸いながら「ぼん、音楽は武器やで」などと言う。上から押し付けるのではなく、あくまでサラリと自分の考えを言う。だから重過ぎない。この感じはいいと思った。彼女がデキちゃったかもなんてDTの純には刺激的過ぎる事を言ったりするのも、純を生徒だとか少年だとか全く考えてないらしいのがいい。対等に扱ってくれてる感じ。2人がロックバーへ行くシーンがすごく好き。そんなに多くは語らず「ディランはいい」みたいな話をしている感じがすごくいい。男同士っていいなと思った。純がヒッピーに憧れていたのか分からないけれど、純にとってヒッピーの存在は大きかったように思う。純にしてみれば一大決心である学園祭のライブ出演も「ええやん」と言われると気が楽になる気がする。そいう感じがすごくいいし、うらやましかった。豆知識として、2人が次にロックバーに行くと潰れてしまっているシーンで、壁に貼ってあるフライヤーの中にヒッピーを演じた岸田繁のくるりと、純役渡辺大知の黒猫チェルシーのフライヤーがあるのだそう。前売特典のテープで渡辺大知くんが見どころとして語っていたので、がんばって見たけど確認できず・・・
そしてもう1人、重要人物がユースホステルで出会ったオリーブ。1人でやって来た女子大生。ちょっと年上。そしてノーブラ(笑) 男子校に通う純達には刺激的。3~5歳くらいの年の差は大人になってしまえば大したことはないけれど、この頃はずいぶん大人に見えた。オリーブの年齢をとっくに過ぎている身からすれば、実はそんなに大人でもないのだけれど。確かに彼女は奔放なところはあるけれど、見せているほどじゃない。ヒゲゴジラに片思いしている彼女は奔放な女の子に見られたいんだと思うし、彼の気を惹きたくて別の男の人にベタベタしてしまうんだと思う。女子がよく使ってしまうその作戦は、実は逆効果なんだけど(笑) でも、純に対しては余裕があるので、素直になれたんだと思う。キャンプファイヤーでオリーブのために曲を作る約束をする時の指切りシーンがいい。オリーブは多分ドキドキさせてやろうという気持ちがあったと思う。そして、まんまとドキドキする純がおずおず小指を出すのがいい。キャンプファイヤー越しのこの画はいい。そして、オリーブが島を去る日、必死で走る純。何とか出航に間に合い、手を振るオリーブに向かい「叫べ! オレ!」と心の中で言うのがいい。この感覚分かるなぁと思う(笑) そういう事が何の迷いも屈託もなくできる人っていると思うけど、1歩踏み出すことが苦手なタイプの人間としては、この気持ちスゴイ分かる。そしてカワイイ! 純が叫んだのは「オリーブ!」だけだけど、その結果得たものはオリーブの連絡先だけじゃない(笑) この時の一歩が、また次の一歩に繋がる。
数ヵ月後、オリーブと純は京都で再会する。このエピソードは少し切ない。そして丸ごと好き。部屋にやって来たオリーブとのぎこちない会話と、ドキドキした空気感がいい。きっと純はずっと心臓がバクバクしてて、地に足がついてないと思う(笑) オリーブが純をもて遊んでいるように感じる人もいるかもしれないけれど、彼女の気持ちは良く分かる。自分が辛いから誰かに頼りたい気持ちも、恋愛で開いた穴は恋愛で埋めたくなる気持ちも、そして純みたいなタイプにすがっちゃう気持ちも・・・。でも、それは違う。このオリーブの強がり方とかは少し痛々しい。「食事してからラブホテルにでも行ったらええやん」とか言ってしまう。たぶん純とそうなってもいいと思っている。でも、本当にそれをしてしまうと2人とも傷つく気がする。この時の両親の対応もいい。オトンは黙って1万円を差し出し「これで食事して彼女をちゃんと帰せ」とだけ言う。食事と家に帰す間に何かが起こるかもしれない。でも、こう言われてしまったら何もできない(笑) これはスゴイ。この時のリリー・フランキーは良かったと思う。渡辺大知くんのぎこちなさはいいとして、オリーブ役の臼田あさ美はもう少し大胆に抱きつけと思ったりもするけれど、逆にそれが見せているより純情である感じが伝わっていいかも。鴨川沿いのデートコースもいいし、伊部と会う街並みの感じも好き。そしてこの時のオリーブのワンピースがスゴイかわいい! これ今着ても全然かわいい。
体はDTのままだけど、心は少し成長した純。でも、その変化は他人から見れば小さなこと。相変わらずイケてない日常。そんな中、仏教の授業で色即是空の意味を習う。その真意は難しくて教師自身も理解しきれないとのことだけど、「確かなものは何もない。だから今を生きろ」と教えられる。そして純は学祭でのライブ出演を決意する。もちろん、ここで純が熱唱するのは当時MJが作った「エロチシズム・ブルー」 名曲です(笑) このライブ・シーンからラストにかけてはキレイにまとめすぎな気がしないでもないし、実際のMJの体験とは違うのだけど、映画的には良かったと思う。映画としてはやっぱり純がヒーローになる瞬間がないと(笑)
この映画の中で純より年上の人達は、誰も純を否定しない。これはスゴイと思う。だから純はとっても素直。だから憎めない。まぁ、別に悪いことをしたわけでもないんだから、憎まれる覚えはないけど(笑) でも、人に好かれるというか、かわいがられるというか、どこか人の中にするりと入り込める才能があるんだと思う。それは純の悩みでもあるけれど、素直で屈託がないということ。育ちがいい。それはセレブとかいうことではなく、ちゃんと育ったということ。そして、この誰も純を否定しないってことが、重要なんだと思う。ヒゲゴジラ役の峯田和伸のブログで、「惨めだったあの頃の自分を肯定できた」という、記者会見でのリリー・フランキーの言葉が紹介されていた。全編通して感じるのはこの感覚。多分、かつて青春時代に自分を惨めだと思った人も、今現在感じている青春ノイローゼ達も、きっと同じ感覚を持つと思う。多分、田口トモロヲ監督も同じ気持ちだったに違いない。だから純たちに対する視線が優しい。
キャストはトモロヲ監督がとっても悩んだそうで、皆モデルとなった実在の人達に似ているのだそう。ヒゲゴジラの峯田和伸やヒッピーの岸田繁など、役者ではない人を使うことによって演技自体は多少拙い感じになってしまったかもしれないけれど、文系男子の感覚を知っていること、そしてミュージシャンであることが、前作『アイデン&ティティ』ほどではないけれど、音楽が重要アイテムの一つである作品に説得力があったかも。くるりはほとんど聴いたことないけど、岸田は「タモリ倶楽部」の電車特集で見たことがあった。メガネかけてないせいか全く別人に見えてビックリ。役柄的にはこっちのルックスがあってると思うけど、個人的には鉄の時の方がいいと思う。私の好みはどうでもいいけど(笑)
純役の渡辺大知が自然で良かったと思う。演技経験もないし、当時バンド黒猫チェルシーのヴォーカルとして「音燃え!」に出演していたとはいえ、全く素人の高校生だった。トモロヲ監督には君のままでいいと言われたそうで、本人も純=MJを演じるというよりも、自分として出演していたのだそう。その感じはすごく良かったんじゃないかと思う。純の頭の中ではぐるぐる考えが巡っているのに、それを上手く出せないばっかりに、少し遅れて反応が返ってくる感じとか、何となくおかしくないのに笑ってしまう感じとか、とっても分かる気がした。何よりMJ本人が言っているとおり、当時のMJにそっくり(笑)
街並みとか喫茶店とか、純の部屋とかレトロな感じがしたりもするけれど、その昭和な感じは確かに自分の中にもあって、懐かしいと同時になんだか自然で古くない。ケータイもパソコンもないし、音楽聴くのもレコードやラジカセ。でも、多分狙いなんだと思うけど、ノスタルジックというよりも、確かに'70年代なんだけど、どことなく現代っぽい。だからこれは、現在青春ノイローゼの人達にも入りやすいと思うし、純のこのモヤモヤ感はとっても共感できると思う。
とにかく、MJ好きにはMJの原点なので見なくてはならない作品だと思う! MJはこの両親に見守られて素直に育ったんだなと思うし、素直ゆえに周囲の人達に受け入れられて、否定されず生きてきたことにより、今でも自分の好きなことに迷いなく進んでいけてるんだなと納得。そして、同じく50歳を過ぎてもやりたい事があり過ぎる田口トモロヲ監督だから、この原作とっても好きなんだろうなぁと思う。大切に撮られた感じが伝わってくる。まぁでも、MJも実際は否定されたり、悔しかったり、悲しかったり、惨めだったことはたくさんあったと思う。そういう部分を温かい目線で描いているから、MJファンじゃなくても"普通"の人の青春映画として、とっても良い作品だと思う。ちょっと切なくて、ちょっと恥ずかしいあの頃が、とっても愛おしくなると思う。
青春ノイローゼだった人、今患っている人に見てほしい。
『色即ぜねれいしょん』Official site

baruのプレゼント

カセットとチケ

チケ
これは絶対見なくてはならない作品。なぜならMJことみうらじゅんの青春時代を描いた自伝的小説が原作の映画だから。私の誕生日プレゼントということで、baruから前売券+MJイラスト入りビーサンを頂いた。しかも前売券はMJ達が映画の見どころを語ったカセットテープ付き。チケットの半券はそのままカセットレーベルになるというもの。かわいい。他の映画館でもこの前売券があったのか不明だけど、baruのプレゼントは吉祥寺バウスシアター限定。ということで吉祥寺TOURを兼ねて行ってきた。
*ネタバレあり! 下ネタあり そして長編・・・


イケてない文系男子だからといって、何も考えてないわけでも、何もしてないわけでもなくて、純は純なりに妄想しつつ、その妄想のはけ口として曲を作ったり、ラジオのDJ青春兄貴宛に悩みを投稿したりしている。その曲自体は当時の狭い世界観で書かれたものだから、今となってはDS(どーかしてる)ってことで、それをネタに番組「みうらじゅんDS」が出来るほど。だから体育会系でスポーツに汗を流している子達ほど評価されないとは思う(笑) むしろ将来の妨げになると思われてしまうに違いない。でも、純の両親は絶対に純を否定しない。吉田拓郎の"人間なんてララララララララ・・・"(タイトルが分からない

そんなモヤモヤとした高校1年の夏休み。純達は隠岐島のユースホステルに行く計画をする。ユースホステルに来る人達はフリーセックス主義だという。ユースホステル世代ではないので、どういうシステムなのかよく知らないし、フリーセックス主義っていうのがちょっとよく分からない。スウェーデン=フリーセックスというのはMJがよく言っているけれど、真相は不明。一応Wikiなどで調べてみたけどよく分からず。でも、多分純たちが考えているようなセックスし放題っていうことではないんじゃないかと・・・。純たちが泊まったユースホステルのお世話係りヒゲゴジラが違うと説明しようとしていたし。まぁ、本人達がどこまで理解して、どこまで信じてたのか謎だけど、それを信じて突き進んじゃう感じはバカでいい!
とにかく文系男子のモヤモヤ感が切ないし、かわいい。私自身は文系女子なので、思春期男子のヤリたいってだけで頭が一杯という感覚は分からないけど、ROCKな生き方をしたいのに出来ないって感じは分かる。この映画では分かりやすくヤンキー=ROCKとしているけれど、それは単純に比較対象としてなわけで、別に純もヤンキーになりたいわけではない。彼らがやりたい事をし、言いたい事を言えてるように思っているだけ。朝礼中に校長先生に向かって「話長いんじゃ!」と叫ぶことや、文系男子をからかうことが本当にやりたい事かは別として・・・。最近人気の『ROOKIES』や『クローズZERO』は見ていないけど、ヤンキー映画が作られ続けているということは、ヤンキーにはヤンキーなりのモヤモヤや悩みはあるのでしょう。当たり前だけど(笑) 仮に長い話に文句を言うのがヤンキーで、言えずに飲み込むのが文系なのだとしても、イライラするのはどちらも同じ。それにそもそもROCKって社会とか体制とかへの反発やモヤモヤに対するイラ立ちを歌っているんだと思うし。多分、純はモヤモヤをもっとかっこよく表現したかったのだし、自分の中にあるものをもう少し自由に出したかったのでしょう。そういう意味ではラストで少しROCKな感じになる。
この映画の重要アイテムであるユースホステル。そもそもはドイツ発祥。若者に安い宿を提供するのが目的で、基本的に相部屋。多分、いろいろセルフなんでしょう。ユースホステルに泊まったことのあるbaruによると、お皿を洗ったりするそうで、この映画でも描かれているとおり、宿泊者参加のキャンプファイヤーは必須。知らない人と友達になろうというコンセプトらしい。・・・苦手かも(笑) ちなみにユースホステルは現在、国内で280あるそうで、相部屋はイヤなどのニーズに応えてくれるところもあるらしい。相部屋はイヤというならユースホステルに行くのは違うような気がしないでもないけど(笑) と、ちょっとユースホステルの説明が長引いてしまった

この旅で純はヒゲゴジラとオリーブに出会う。ヒゲゴジラはユースホステルのお世話係。お世話係というのがイマヒトツ分からないのだけど、まぁお世話するのでしょう(笑) 学生運動で仲間を亡くしたという彼は20代半ば~後半くらいなのかな。ヒゲゴジラは純たちにデカ過ぎる夢の話をする。彼より大人になってしまった身としては、それはムリだろうと思ってしまうけど、青春とお酒に酔った純にはヒゲゴジラが青春リーダーに見える。その感じがいい。ヒゲゴジラも含めてかわいいなと思う。多分、純も友達もヒゲゴジラの夢がデカ過ぎることは分かっている。だから、夢の実現のためにと出された自主制作レコードを、池山と伊部は買わない。シングル・レコードが1,000円以下だった当時、3,000円というビックリプライスだったせいだけではない。でも、純は買う。ヒゲゴジラを気遣う感じが、バカだなぁと思いつつ、いいなぁと思う。「ヒゲゴジラにならダマされてもいいと思った」と語る気持ちも分かる気がする。純が誰からもかわいがられるのは、こういうところにあるんだろうと思う。島を去る朝、輪になって歌う。ヒゲゴジラは純にギターを一緒に弾いてくれと言う。その時の純の笑顔がいい。認められた感じ。純たちを見送るヒゲゴジラとの熱いお別れは笑ってしまうけれど、本人達にとってすごくドラマチックだったことは分かる。上手く言えないけれど、人生には後から考えると恥ずかしくなってしまうような熱い瞬間があってもいいと思う。

もう1人の青春兄貴は家庭教師のヒッピー。あまりにストレートな役名が笑える。純を心配して家庭教師を雇うことにしたわりに、長髪に絞り染め柄のシャツを着た男を採用してしまうのはどうかと思う(笑) でも、このヒッピーから純は勉強ではなく、生活していくには特に必要なくても、生きていくにはあった方がいい、余白みたいな部分を学ぶことになる。一人っ子の純にはホントに兄貴みたいな存在なんだと思う。ヒゲゴジラのように熱くはないヒッピーは、無理なく自由に生きているように見えたのかも。ダラッと純のベッドに横になり、タバコを吸いながら「ぼん、音楽は武器やで」などと言う。上から押し付けるのではなく、あくまでサラリと自分の考えを言う。だから重過ぎない。この感じはいいと思った。彼女がデキちゃったかもなんてDTの純には刺激的過ぎる事を言ったりするのも、純を生徒だとか少年だとか全く考えてないらしいのがいい。対等に扱ってくれてる感じ。2人がロックバーへ行くシーンがすごく好き。そんなに多くは語らず「ディランはいい」みたいな話をしている感じがすごくいい。男同士っていいなと思った。純がヒッピーに憧れていたのか分からないけれど、純にとってヒッピーの存在は大きかったように思う。純にしてみれば一大決心である学園祭のライブ出演も「ええやん」と言われると気が楽になる気がする。そいう感じがすごくいいし、うらやましかった。豆知識として、2人が次にロックバーに行くと潰れてしまっているシーンで、壁に貼ってあるフライヤーの中にヒッピーを演じた岸田繁のくるりと、純役渡辺大知の黒猫チェルシーのフライヤーがあるのだそう。前売特典のテープで渡辺大知くんが見どころとして語っていたので、がんばって見たけど確認できず・・・

そしてもう1人、重要人物がユースホステルで出会ったオリーブ。1人でやって来た女子大生。ちょっと年上。そしてノーブラ(笑) 男子校に通う純達には刺激的。3~5歳くらいの年の差は大人になってしまえば大したことはないけれど、この頃はずいぶん大人に見えた。オリーブの年齢をとっくに過ぎている身からすれば、実はそんなに大人でもないのだけれど。確かに彼女は奔放なところはあるけれど、見せているほどじゃない。ヒゲゴジラに片思いしている彼女は奔放な女の子に見られたいんだと思うし、彼の気を惹きたくて別の男の人にベタベタしてしまうんだと思う。女子がよく使ってしまうその作戦は、実は逆効果なんだけど(笑) でも、純に対しては余裕があるので、素直になれたんだと思う。キャンプファイヤーでオリーブのために曲を作る約束をする時の指切りシーンがいい。オリーブは多分ドキドキさせてやろうという気持ちがあったと思う。そして、まんまとドキドキする純がおずおず小指を出すのがいい。キャンプファイヤー越しのこの画はいい。そして、オリーブが島を去る日、必死で走る純。何とか出航に間に合い、手を振るオリーブに向かい「叫べ! オレ!」と心の中で言うのがいい。この感覚分かるなぁと思う(笑) そういう事が何の迷いも屈託もなくできる人っていると思うけど、1歩踏み出すことが苦手なタイプの人間としては、この気持ちスゴイ分かる。そしてカワイイ! 純が叫んだのは「オリーブ!」だけだけど、その結果得たものはオリーブの連絡先だけじゃない(笑) この時の一歩が、また次の一歩に繋がる。
数ヵ月後、オリーブと純は京都で再会する。このエピソードは少し切ない。そして丸ごと好き。部屋にやって来たオリーブとのぎこちない会話と、ドキドキした空気感がいい。きっと純はずっと心臓がバクバクしてて、地に足がついてないと思う(笑) オリーブが純をもて遊んでいるように感じる人もいるかもしれないけれど、彼女の気持ちは良く分かる。自分が辛いから誰かに頼りたい気持ちも、恋愛で開いた穴は恋愛で埋めたくなる気持ちも、そして純みたいなタイプにすがっちゃう気持ちも・・・。でも、それは違う。このオリーブの強がり方とかは少し痛々しい。「食事してからラブホテルにでも行ったらええやん」とか言ってしまう。たぶん純とそうなってもいいと思っている。でも、本当にそれをしてしまうと2人とも傷つく気がする。この時の両親の対応もいい。オトンは黙って1万円を差し出し「これで食事して彼女をちゃんと帰せ」とだけ言う。食事と家に帰す間に何かが起こるかもしれない。でも、こう言われてしまったら何もできない(笑) これはスゴイ。この時のリリー・フランキーは良かったと思う。渡辺大知くんのぎこちなさはいいとして、オリーブ役の臼田あさ美はもう少し大胆に抱きつけと思ったりもするけれど、逆にそれが見せているより純情である感じが伝わっていいかも。鴨川沿いのデートコースもいいし、伊部と会う街並みの感じも好き。そしてこの時のオリーブのワンピースがスゴイかわいい! これ今着ても全然かわいい。
体はDTのままだけど、心は少し成長した純。でも、その変化は他人から見れば小さなこと。相変わらずイケてない日常。そんな中、仏教の授業で色即是空の意味を習う。その真意は難しくて教師自身も理解しきれないとのことだけど、「確かなものは何もない。だから今を生きろ」と教えられる。そして純は学祭でのライブ出演を決意する。もちろん、ここで純が熱唱するのは当時MJが作った「エロチシズム・ブルー」 名曲です(笑) このライブ・シーンからラストにかけてはキレイにまとめすぎな気がしないでもないし、実際のMJの体験とは違うのだけど、映画的には良かったと思う。映画としてはやっぱり純がヒーローになる瞬間がないと(笑)
この映画の中で純より年上の人達は、誰も純を否定しない。これはスゴイと思う。だから純はとっても素直。だから憎めない。まぁ、別に悪いことをしたわけでもないんだから、憎まれる覚えはないけど(笑) でも、人に好かれるというか、かわいがられるというか、どこか人の中にするりと入り込める才能があるんだと思う。それは純の悩みでもあるけれど、素直で屈託がないということ。育ちがいい。それはセレブとかいうことではなく、ちゃんと育ったということ。そして、この誰も純を否定しないってことが、重要なんだと思う。ヒゲゴジラ役の峯田和伸のブログで、「惨めだったあの頃の自分を肯定できた」という、記者会見でのリリー・フランキーの言葉が紹介されていた。全編通して感じるのはこの感覚。多分、かつて青春時代に自分を惨めだと思った人も、今現在感じている青春ノイローゼ達も、きっと同じ感覚を持つと思う。多分、田口トモロヲ監督も同じ気持ちだったに違いない。だから純たちに対する視線が優しい。
キャストはトモロヲ監督がとっても悩んだそうで、皆モデルとなった実在の人達に似ているのだそう。ヒゲゴジラの峯田和伸やヒッピーの岸田繁など、役者ではない人を使うことによって演技自体は多少拙い感じになってしまったかもしれないけれど、文系男子の感覚を知っていること、そしてミュージシャンであることが、前作『アイデン&ティティ』ほどではないけれど、音楽が重要アイテムの一つである作品に説得力があったかも。くるりはほとんど聴いたことないけど、岸田は「タモリ倶楽部」の電車特集で見たことがあった。メガネかけてないせいか全く別人に見えてビックリ。役柄的にはこっちのルックスがあってると思うけど、個人的には鉄の時の方がいいと思う。私の好みはどうでもいいけど(笑)
純役の渡辺大知が自然で良かったと思う。演技経験もないし、当時バンド黒猫チェルシーのヴォーカルとして「音燃え!」に出演していたとはいえ、全く素人の高校生だった。トモロヲ監督には君のままでいいと言われたそうで、本人も純=MJを演じるというよりも、自分として出演していたのだそう。その感じはすごく良かったんじゃないかと思う。純の頭の中ではぐるぐる考えが巡っているのに、それを上手く出せないばっかりに、少し遅れて反応が返ってくる感じとか、何となくおかしくないのに笑ってしまう感じとか、とっても分かる気がした。何よりMJ本人が言っているとおり、当時のMJにそっくり(笑)
街並みとか喫茶店とか、純の部屋とかレトロな感じがしたりもするけれど、その昭和な感じは確かに自分の中にもあって、懐かしいと同時になんだか自然で古くない。ケータイもパソコンもないし、音楽聴くのもレコードやラジカセ。でも、多分狙いなんだと思うけど、ノスタルジックというよりも、確かに'70年代なんだけど、どことなく現代っぽい。だからこれは、現在青春ノイローゼの人達にも入りやすいと思うし、純のこのモヤモヤ感はとっても共感できると思う。
とにかく、MJ好きにはMJの原点なので見なくてはならない作品だと思う! MJはこの両親に見守られて素直に育ったんだなと思うし、素直ゆえに周囲の人達に受け入れられて、否定されず生きてきたことにより、今でも自分の好きなことに迷いなく進んでいけてるんだなと納得。そして、同じく50歳を過ぎてもやりたい事があり過ぎる田口トモロヲ監督だから、この原作とっても好きなんだろうなぁと思う。大切に撮られた感じが伝わってくる。まぁでも、MJも実際は否定されたり、悔しかったり、悲しかったり、惨めだったことはたくさんあったと思う。そういう部分を温かい目線で描いているから、MJファンじゃなくても"普通"の人の青春映画として、とっても良い作品だと思う。ちょっと切なくて、ちょっと恥ずかしいあの頃が、とっても愛おしくなると思う。
青春ノイローゼだった人、今患っている人に見てほしい。




カセットとチケ



力作ですね。
でも、好きな映画ということもあり、
飽きることなく一気に読んでしまいました。
この映画については、語りたいことがいっぱいです。
たとえば「吉祥寺バウスシアター」
たとえば「ユースホステル」、
たとえば「吉田拓郎」(これは「人間なんて」です。)。
ぼくも、このリリー・フランキーはよかったと思います。
彼は自分の息子だけでなく、
相手の女性のことも考えての、あの行動だったんですね。
しかし、maruさんの書かれたものには目から鱗。
これは女性ならではの視点。
ぼくから見たら、小悪魔にしか見えないオリーブを
あのように書ける人って…。
いやあ、改めて自分には女性が分かっていないと痛感しました。
今度『アバンチュールはパリで』という韓国映画が来るのですが、
この女性につてのmaruさん評も読みたいです。
あっ、その前に『女の子ものがたり』。こちらも。
残念ながらこちらからはyaplogさんにTBが届かないようなので、コメントだけ失礼します。
みうらさん、お好きなんですね。彼をMJと呼ぶの、知りませんでした。
私も文科系インドアタイプなので、スポ根ものやヤンキーものより、ずっとリアルな物語でした。
で、あの郵便ポストのシーンなのですが。。
ポストが四角くて、そのことにガッカリしてしまいました。
昔の、あの丸いポストだったらな~、って。
でも、いいシーンだったと思います。
みうらさんのご両親って、本当にあんなに「優し過ぎる」方々だったんでしょうか。。
うらやましいですー。
いつもにもまして長文になってしまいました・・・{涙}
後日、自分で読み返してビックリしました(笑)
あの曲「人間なんて」ってそのままのタイトルなのですね!
教えていただいて、ありがとうございました。
吉祥寺バウスシアターは私も好きです。
とっても昭和な感じがします。劇場内だけじゃなく、その周りも含めて。
でも、やっぱりオリーブは小悪魔なんだと思います。
見せてるよりほどではないと思うのですが・・・
女子は気を引こうと、他の男性と仲良くしてみせたりするんですよね。
でも、それって全然逆効果なんですよね(笑)
『女の子ものがたり』は試写会応募したのにハズレてしまったんです{涙}
劇評もいいので見たいと思っていました。
連休中に行けたら見に行ってきます!
『アバンチュールはパリで』も気になります!
こんばんわ♪
コメントありがとうございました。
そうなんです。みうらじゅんのことをファンはMJと呼びます(笑)
MJは大好きです!
50歳過ぎても自分のやりたい事に突き進む感じが素晴らしいです(笑)
たしかにポストは四角いタイプでしたね。
ところどころコレってこの時代あったのかな?と思う場面がありました。
それが狙いなのかどうなのか・・・
ご両親は優しすぎたみたいです(笑)
お父上の三浦明さんはMJのマンガが初めて雑誌に載った時、
ファンを装い「連載を続けて欲しい」という手紙を送ってくれたそうです。
中2というわりに達筆過ぎたため、編集部で話題になってしまい、
MJは少し切ない思いをしたというエピソードがあります。
素敵なお父様だと思いました{スマイル}