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【備忘録】「古都浪漫こころ寺巡り:當麻寺」

2015-09-30 23:42:21 | tv

【備忘録】「古都浪漫こころ寺巡り:當麻寺」

 

當麻寺。不思議のあつまる寺 本尊弥勒菩薩→當麻曼荼羅に変化。五重塔の位置が通常とは異なる。2つの宗派が共存など。

 

當麻寺(當麻寺 中之坊と伽藍堂塔 -奈良県 葛城市-)は名前は知っていたけど、あまりよく知らなかった。不思議のあつまる寺と呼ばれているんだね?

 

 

二上山のふもと。役行者の最初の修行場? 塔頭を中心とした13の小さな寺のあつまりを當麻寺と呼ぶ。當麻氏の領地。不思議な寺=不思議な伽藍配置。奈良時代に建てられた本堂の左隣、小さなお堂の向こう側に三重塔=西塔。そこから30m離れてさらに三重塔=東塔。大日如来を祀る。


 

二上山(Wikipedia)は奈良と大阪の間にある山なのね? 當麻氏(Wikipedia)について詳しいことは分からなかったけど、当麻皇子(Wikipedia)に関係ありかしら? 

 

双塔式伽藍。創建当時から双塔が残るのは當麻寺のみ。通常は南に本堂、両脇を挟むように西塔と東塔が並ぶ配置。元々は別の寺だった? 金堂が本来の本堂だった? 金堂を挟んで西塔東塔。金堂には弥勒菩薩。本来の本尊はこの弥勒菩薩であった。


 

ちょっとtweetが分かれてしまったけれど、双塔式伽藍というのは西塔と東塔を配した伽藍。そもそもは本堂を挟んで左に西塔、右に東塔という形。元々は別の寺だった?と書いちゃっているけど、これは間違い。後に出て来るけど、もともとは本堂が違っていたということ。tweetにも書いてあるけど、金堂を挟んで双塔式になっているわけだし、本尊であった弥勒菩薩が安置されているのだから、本来はこの金堂が本堂だったということ。

 

當麻寺の本尊は當麻曼荼羅。複製。本来の曼荼羅は痛みが激しく別に保管されている。阿弥陀如来。右:観音菩薩、左:勢至菩薩を配した阿弥陀三尊図。當麻曼荼羅はかん無量じゅ教(←漢字出ない)をもとに描かれている。

 

當麻曼荼羅(Wikipedia)については後に詳しく出て来るけど、かなり大きな曼荼羅。かん無量じゅ教とは、観無量寿経(Wikipedia)のこと。大乗仏教の経典の1つなのね?

 

何故、弥勒菩薩から當麻曼荼羅へ? 中将姫が一晩で織り上げた? 4歳で経文を読んだ? 実母と死別、義理の母にいじめられる。命も狙われる。義母の心の救済を阿弥陀如来に祈り、極楽の入り口とされた二上山入場を希望、当時女人禁制だった當麻寺の門前で読経。姫の熱意により禁制を解き髪を下す。


 

何故、本尊が弥勒菩薩から當麻曼荼羅に変わったかということは、當麻寺が不思議の寺と呼ばれる理由の1つでもある、中将姫(Wikipedia)の伝説がある。中将姫って藤原鎌足に繋がりのある方なのね? 才色兼備の方だったようで、淳仁天皇(Wikipedia)に後宮に入るように望まれたほどだったとか。これを辞退して仏門に入られたということは、信仰の厚さもあるけれど、お辛い人生だったからかも? 命を狙われるって相当だものね・・・

 

毛髪で織った梵字で表した阿弥陀三尊、剃髪した剃刀、門前に立った際の足跡などが寺に残る。尼となった姫は人々の導きになればと當麻曼荼羅を織り上げる。

 

中将姫は29歳で極楽浄土へ往生。当時女性は一度男性に生まれ変わらないと往生できないと考えられていた。姫が女性として往生したということは、女性の信仰の支えともなった。念願が叶う時、夕日の向こうから阿弥陀三尊を始めとする二十五菩薩が迎えに来た。往生の仕方として最上級。

 

17歳の時に當麻寺で剃髪され、仏門に入られた中将姫。29歳の若さで亡くなってしまったのね でも、阿弥陀信仰に厚い姫にとって、往生は念願だったそうで、待ち望んだ瞬間だったのだそう。そうか、そう考えると死は再生であって、怖くはないのかもしれない。

 

この女性は一度男性に生まれ変わらないと往生できないという説は知ってたけど、女性としては本当にムカツク((*`ェ´)) 失礼しちゃう! でも、中将姫は女性として往生したと考えられたということは、姫はよほど徳の高い方だったのでしょう。

 

tweetでは阿弥陀如来も含めちゃってるけど、二十五菩薩(二十五菩薩(にじゅうごぼさつ)とは|コトバンク)には阿弥陀如来は含まれない。楽器を手にして来迎してくださる。その姿を浮かべながら死んで行けたら怖くないかもしれない

 
 

中将姫が往生した後も當麻曼荼羅への信仰が厚く、金堂から當麻堂が本堂へと変わった。

 

ということで、これが弥勒菩薩から當麻曼荼羅へ本尊が変わった理由であり、本堂が変わった理由でもある。

 

異なる宗派が存在。長野善光寺などがあるが、一般的には交わりにくい真言宗と浄土宗が混在しているのが特徴。寺の歴史の流れを考えると自然な形。

 

そして、もう一つ當麻寺の不思議が、異なる宗教の混在。とはいえ、そういうお寺自体は他にも存在するらしいけど、真言宗と浄土宗が混在するのが珍しいらしい。

 

600年代前半の創建。600年代後半には當麻氏の寺として栄える。800年代に弘法大師空海の教えを受け真言宗のお寺へ。西南院は真言宗の寺。西南院庭園は回遊式庭園。平安末期に勢いを失う。鎌倉時代に浄土宗の証空が寺に入り、當麻曼荼羅を用いて布教を行ったことにより、再び當麻曼荼羅に注目

 

當麻っていう字が中々でなくて、コピペしながらtweetしてたから、年代を列挙しての歴史部分とか正確に書かなきゃならない部分って、どうしても聞き取りできなくてちゃんと書けない

 

そもそもは別の宗派のお寺だったようだけれど、800年代に真言宗のお寺になった後、平安時代にの混乱期に衰退してしまい、鎌倉時代に浄土宗の証空(Wikipedia)が當麻寺に入り、當麻曼荼羅を用いて布教を行ったことにより、再び當麻曼荼羅に注目が集まり盛り返したそうで、要するにこれが浄土宗も信仰される理由となったというとらしい。

 

当時は宗派の違いが今ほどはっきりしておらず、大学の同じ学部で専攻が異なる程度の感覚だった。

 

奥院。浄土庭園。この地から真言宗と浄土宗の共存が始まる。それぞれ7つの寺を持つ。月3回の朝の勤行は真言宗の後、浄土宗のお勤めが行われる。

 

一つ上のtweetにもあるとおり、当時は宗教の違いがハッキリしていず、そんなに禁断のことではなかったらしい。現在でも、月3回の朝の勤行では交互に行われるなど、上手く共存しているらしいけれど、當麻寺の僧侶の方々の区別はどうなっているのだろう? お寺がそれぞれ分かれているそうなので、その辺りも個々に分かれているのかな?

 

當麻寺って練供養のお寺だ!!

 

 

MJことみうらじゅん氏が"とんまつり"と称しているうちの1つ。練供養。この後に、釈迦の面を被ったちびっ子たちが、老人たちに連れられて歩く姿がDS(どうかしている)と思っているんだよね?(笑) 

 

練供養の様子はYouTubeにいくつか動画があったけれど、個人の方の動画らしいので貼るのは止めておく

 

中将姫が往生した5月14日に行われる練供養は、中将姫の人生を表す。阿弥陀如来が中将姫を掲げて練り歩く。阿弥陀如来と観音菩薩、勢至菩薩。僧侶ではなく菩薩講が行う。所作は代々口伝えにより伝えられてきた。国指定の無形文化財。千年以上一度も途絶えていない。

 

Wikipediaによると姫の命日は4月22日となっていたんだけど・・・ 四十九日でもないし、旧暦だからかな? とりあえず、毎年5月14日に行われているらしい。阿弥陀如来を先頭として、勢至菩薩、観音菩薩の3菩薩が練り歩く。これは、菩薩講に属した方々が行っているのだとか。阿弥陀如来が主役ではあるけれど、後を行く勢至菩薩は阿弥陀如来の動きに合わせる必要があるので、かなり大変なのだとか。

 

国指定の無形文化財というのは知らなかった。でも、これ一度見てみたい! 中腰になって腕を大きく回したりするので、これはかなり大変だと思う。踊りそのものもそうだけれど、千年守り続けているということこそ宝。これからも大切に守って欲しい。 

 

古都浪漫こころ寺巡り:毎週日曜 22:00~@BSフジ

古都浪漫こころ寺巡り|BSフジ

 

 【備忘メモ】「古都浪漫こころ寺巡り」10月から毎週日曜22:00~! 初回は10月4日! φ(・ェ・o)メモメモ

 

10月から放送日変更です!!\_(o゜ェ゜o)注目


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