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【備忘録】「古都浪漫こころ寺巡り:泉涌寺山内寺院」

2015-08-12 21:32:25 | tv

【備忘録】「古都浪漫こころ寺巡り:泉涌寺山内寺院」

  

泉湧寺 1226年月輪大師が開山 四条天皇が葬られてから皇室ゆかりの御寺となったが、50年前に一般にも門戸が開かれた。山内寺院は9つある。 


泉湧寺(御寺 泉湧寺|公式サイト)も皇室ゆかりのお寺だったのね。皇室ゆかりのお寺を御寺というのね? 月輪とかいて"がちりん"と読む。月輪大師についてはWikipediaで!

 

下馬の札があることから戒光寺は泉湧寺の入口付近にあったことが分かる。塔頭=小さな房 後水尾天皇が塔頭として建立。 釈迦如来像丈六(=4.85m釈迦の身長)と言われているが、実際はもう少し高い。運慶と父の合作と言われる。美しい仏像!喉元から流れるのは血の跡? 


下馬というのは身分の高い者も低い者も、皆ここで馬を降りろという意味で、その文字が書かれた札は本来お寺の入口にあるものなのだそう。戒光寺(真言宗・準別格本山|丈六 戒光寺)は塔頭(Wikipedia)というのはお寺というよりも、小さな庵のようなもののことで、房と呼ばれる僧侶や家族の住むところだそう。

 

後水尾天皇が夢で寝首をかかれてしまった。目覚めると釈迦如来が血を流していた。身代わりのお釈迦さまと呼ばれ多くの信仰を集める。


一つ上のtweetにある丈六(丈六(じょうろく)とは|コトバンク)というのは、仏像を語る上でよく出てくる言葉で、仏像の理想的な大きさ。この釈迦如来は丈六とされているけれど、それ以上あるそうで、なんと運慶(Wikipedia)と父康慶(Wikipedia)の合作であると言われているのだそう! これ本当に美しいお釈迦さまだった! 



喉元から流れる血の跡については、tweetにあるとおり。後水尾天皇が幼少の頃、権力争いが絶えなかったそうで、命の危険を常に感じていたのだそう。そんな時夢で首を切られてしまい、目覚めたら釈迦如来が首から血を流してた。このことから身代わりのお釈迦さまとして信仰を集めているとのこと。スゴイ話だね

 

本堂 鎌倉時代の不動明王像 足の裏をコチラに向けている=足下安平像 


これ書き取れなかったので足下安平像って書いちゃってるけど、本当は足下安平立相で、これは仏の体に備わっている三十二相八十種好(Wikipedia)の内の一つ。いわゆる偏平足ってことで、こちらに足の裏を向けている様を言っているわけではないらしい。要するに偏平足を見せていることが珍しい不動明王像ということ。

 

煎茶=皇室・貴族社会 抹茶=武家 戒光寺では小川流煎茶が楽しめる 小川可進(医師)が考案した煎茶道 医者らしい心配り 滴々のお茶と呼ばれる数滴のお茶 喉の渇きを潤すためのものではなく、お茶の香りや味を楽しむものである ご利益は仏様が与える、お寺は安心を与える 


煎茶=皇室や貴族社会、抹茶=武家社会っていうのは知らなったので面白い! 小川可進(Wikipedia)という人物も、小川流(Wikipedia)も全く知らなかったけど、医師らしく湯で清めた椀をふきんで拭くなどが作法に組み込まれていたりするのはおもしろいのだけど、滴々のお茶とはいえ本当に数滴でビックリ! イヤ、いくら喉の渇きを潤すためではないとはいえ、これで分かるのか?というくらい数滴。奥が深いわ・・・

 

即成院 恵心僧都によって開山 廃仏毀釈となったが、明治期に塔頭となった。本尊阿弥陀如来と二十五菩薩は定朝と弟子たちの手によるものと言われている。阿弥陀如来5.5mは、勢至菩薩・観音菩薩が脇侍。鼓を奏でる大自在菩薩など楽器を奏でている。獅子吼菩薩は歌舞伎役者の信仰を集める


恵心僧都(Wikipedia)が開山した即成院(現世極楽浄土 即成院)は、一度衰退したが後に塔頭となったそうで、阿弥陀如来と二十五菩薩が有名。これは西方浄土から来迎する際のお姿。仏像は単体で安置されることもあるけど、本来はフォーメーションが決まっていて、阿弥陀如来の脇侍は勢至菩薩と観音菩薩。二十五菩薩すべてにきっちり名前がついているのは知らなかった! まぁあるよね(o´ェ`o)ゞ 笙を奏でている菩薩様も紹介していたのだけど書き取れず

 

平安時代は末法思想が流行 藤原頼通が人々が思い描く極楽浄土を再現したのが平等院鳳凰堂 息子としつな(漢字が・・・)が父の思いを引き継いだのが、阿弥陀如来と二十五菩薩像。でも、26体ある。本来は二十五菩薩に含まれない如意輪観音も安置されている。



末法思想(Wikipedia)については難しいのでWikipediaを読んでいただくとして、平安期に流行したというのがちょっと興味深い。平安の世の方々は、今現在が末法だと思っていたのか、次に末法が来ると恐れていたのかどちらなのだろう? 現世が末法であるから極楽浄土を夢見たということなのかな? 藤原頼通(Wikipedia)が平等院鳳凰堂(世界遺産平等院 京都宇治)を建てたのはそういう背景があったのね・・・


息子のとしつなとは橘俊綱(Wikipedia)のことだったらしい。苗字が違うと思ったら正妻の嫉妬から養子に出されてしまったためらしい 笙や琵琶などに優れてたそうで下のtweetにもあるとおり、踊りや音楽を奉納したそうで雅なことですな 如意輪観音を加えて26体にしたのは25体だと奇数で、両側に配置した時にバランスが悪いからということだったらしい。何故、如意輪だったかはハッキリ説明してたかな? 如意輪のポーズはどうやって人々を救おうか考えている姿だそうなので、その辺りが関係ありか?


二十五菩薩の前で踊りや演奏を奉納。そのため音響を良くするため、菩薩たちは薄く作られており、反響するようになっている。


これはかなり画期的でビックリ! 25菩薩+1菩薩は通常より薄く作られて、中の空洞部分が大きい。そのため良く音が響く作りになっているのだそう。スピーカー的な? さすが音楽を愛する橘俊綱!

 

境内には那須与一の墓がある。源義経と京都へ向かう途中病に倒れ、即成院で療養。戦が終わったら僧となると誓い、屋島の戦い後即成院に戻り出家し、亡くなるまで信仰に励んだ。へ~!そんなことがあったんだ?! 

 

これはビックリ! あの那須与一(Wikipedia)が出家していたとは?! っていうか、勝手に屋島の戦い(Wikipedia)で戦死したのだと思っていた 亡くなるまで信仰に励んだって変な日本語だけど、よい言い回しが思いつかなかった でも、Wikipediaによると20歳くらいで亡くなってるのね? あらま・・・

 

別格本山雲龍院 山門の横に勅使門がある。皇室専用の門。南北朝時代の後光厳天皇の発願で建てられた。本堂龍華院 本尊薬師三尊像 薬師如来は浄瑠璃世界にいると考えられている。日光菩薩(=太陽のように照らす)・月光菩薩(=煩悩を消す)が脇侍。


別格本山雲龍院(御寺泉湧寺別院 雲龍院)に勅使門があるということが、皇室ゆかりの寺であるということだそうで、後光厳天皇(Wikipedia)って初めて聞いたし読み方も分からないけど、ちゃんとWikipediaがあるってスゴイな! 天皇ご本人も、Wikipedia職人の方々も! 


上の方でも触れたけれど、薬師如来のフォーメーションは脇侍に日光菩薩と月光菩薩。ここに十二神将や四天王が加わると完璧。浄瑠璃世界って書いちゃってるけど、浄瑠璃浄土だったかも?

 

悟りの窓=丸窓 苦の窓=四角い窓 仏教でいう苦とは、思い通りにならないこと。四苦八苦から来ている?


これはお寺の窓についての説明。雲龍院の窓が特別な形をしているわけではないけれど、何故丸窓なのかってことが分かって面白かったのでtweetしておいた

 

が写経道場を開く 応仁の乱で衰退してしまうが、江戸時代に入り後水尾天皇が机など100点余りを寄進。写経道場として復活させた。現在も誰でも写経が出来る。 


後円融天皇(Wikipedia)も初めて聞いたし読み方も分からないけど、ちゃんとWikipediaあったよ! スゴイ 何故、写経道場を開こうと思われたのかは説明してたっけ? してたとしても書きもれ こちらも後水尾天皇が何故復活させたのかも不明。ただ、現在も後水尾天皇が寄進された机で写経することが出来るのだそう。それはスゴイね そういうのが歴史のロマンだと思う。日常の中に入り込んでいる歴史。まぁ、写経するなんて非日常だけど(o´ェ`o)ゞ 

 

御朱印帖は本来、納経帖。写経を収めた人がもらえる印だった。


御朱印ってそもそもはそういう意味だったのね? 自分はやってないけど、ちょっとスタンプラリー的な感じで捉えていたのだけど、まぁある意味そうか(笑)


泉湧寺自体ではなくて、その山内寺院を取り上げるというのも面白かった! ホントお寺は奥が深い!

  

古都浪漫こころ寺巡り:毎週水曜 22:00~@BSフジ

古都浪漫こころ寺巡り|BSフジ

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