【備忘録】「古都浪漫こころ寺巡り:妙心寺」
七堂伽藍:寺院の主要な7つの建物。三門・仏殿・法堂が一直線に並ぶのは典型的な禅宗の伽藍配置。禅宗では仏殿前の門を三門と呼ぶ。妙心寺の三門は桃山時代に建てられた。東福寺、大徳寺に続く古さ。三門=三解脱門、迷いや悩みから解き放たれて到達すべき3つの心 空・無相・無作 #こころ寺巡り
後ほど追記!
三門には空の教えを広める観音菩薩が祀られている。脇侍は善財童子と月蓋長者、その両脇に十六羅漢。天井には迦陵頻伽などの仏画。外気に触れないため当時の色彩が残っている。 #こころ寺巡り
仏殿には本尊釈迦如来。脇侍に阿難尊者と迦葉尊者を従えるのは禅宗の配置。釈迦如来の左手に金波羅華を持ち、右手を添える形は蓮華微笑(れんげみしょう)と呼ばれる禅宗の根幹に関わる話を表したもの。 #こころ寺巡り
修行に集まった者たちに何も言わず花を差し出した。迦葉尊者のみが意味を理解した。大切な教えを迦葉尊者に不立文字・教外別伝で伝えた。 #こころ寺巡り
言葉は危ういもの。禅宗=仏心宗 言葉や文字に頼らない釈迦の心そのものを伝える教え。師から弟子への直接的な導き=以心伝心が重要。 #こころ寺巡り
玉鳳院は第95代天皇花園法皇が宗峰妙超(大燈国師)に帰依し、離宮を禅寺へ改めた名残の建物。妙心寺発祥の地。妙心寺から臨済宗の流れが生まれた。1337年宗峰妙超は病に倒れる。法皇に関山慧玄を推挙。玉鳳院と渡り廊下で結ぶ開山堂(微笑院)に関山慧玄が眠る。 #こころ寺巡り
法堂の天井画は狩野探幽による雲龍図。龍は仏法を守護する存在のため、説法の場である法堂に描かれる。また水をつかさどるため、伽藍を火災から守る願いも込められている。探幽が構想3年、描くのに5年かけた傑作。←これ素晴らしい!さすが探幽!見たい!! #こころ寺巡り
禅宗は日常生活も修行。大庫裏は室町時代末に建てられ江戸時代に改装。庫裏とは寺院の台所。仏事法要の際大人数の食事を整える場所。数十年前まで使用されていた。浴室は昭和2年まで使用。6~7人並んで入れる。明智風呂と呼ばれる。叔父密宗和尚が光秀の菩提を弔うために建てた。汚名洗い流す?
応永の乱。当時の住持が大内義弘と関係あり、足利義満の怒りを買い妙心寺は全てを没収されてしまう。変換されたのは33年後。日峰宗舜は塔頭養源院を建て、これを基盤に妙心寺を立て直した。#こころ寺巡り
室町時代禅宗では京都五山(天龍寺、相国寺、建仁寺、東福寺、万寿寺)が力を持っており、五山は叢林と呼ばれ、これに対し幕府の保護を受けない禅宗寺院を林下と呼んだ。妙心寺は山隣派と呼ばれ地方の戦国大名と結びつきを強めた。戦国時代に入ると戦国大名と共に力を持った。 #こころ寺巡り
織田信長や武田信玄の供養塔があり、江戸時代には塔頭は100を超え、末寺は5000を超え、京都五山をしのぐ巨大な禅寺となった。 #こころ寺巡り
塔頭=寺から出た高僧の墓。その傍に弟子たちが小庵を立てて、墓を守っていたものが寺となった。塔頭が多いということは、弟子に慕われた高僧が多いということ。 #こころ寺巡り
国宝「瓢鮎図」 公案=禅問答 ぬるぬるしたナマズを、どうやって瓢箪に入れるか? 答えが大切なのではなく、そこに至るまでの自分の考えが重要。 #こころ寺巡り
世界遺産 臨済宗妙心寺派龍安寺。有名な庭園は庫裏に繋がる方丈にある。日常に楽しむにはあまりに厳格だと志賀直哉が評した。自分自身と向き合う場所。 #こころ寺巡り
毎年4月15日法堂で入制上堂が行われる。3ヶ月間にわたる修行の始まりの儀式。住持が説法を行う。インド4~7月が雨季で、釈迦の弟子たちは一カ所に集まり修行した。これが由来となり夏と冬の180日間修行に入る。入制上堂後仏殿に移り楞厳会を行う。楞厳呪は陀羅尼の一種。 #こころ寺巡り
古都浪漫こころ寺巡り:毎週水曜 22:00~@BSフジ
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