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【cinema】『黄金のアデーレ 名画の帰還』

2015-12-27 02:02:14 | cinema

2015.12.5 『黄金のアデーレ 名画の帰還』鑑賞@TOHOシネマズ日本橋

 

これは是非見たいと思ってた。東京国際映画祭でヘレン・ミレン登壇上映もあったんだけど行けず 試写会も応募しまくったけどハズレ。ってことで、公開翌週、見に行ってきた~

 

ネタバレありです! 結末にも触れています!

 

「L.Aに住むマリア・アルトマンは姉の遺品を処理する中、ある手紙を発見する。そこには、現在ウィーンのベルベデーレ宮殿に展示されている名画"黄金のアデーレ"は、伯母であるアデーレ・ブロッホ=バウアーを描いたもので、これはナチスによって略奪されたものであると書かれていた。マリアはこれを取り戻そうと考え、友人の息子で弁護士のランドル・シェーンベルクに相談するが・・・」という話で実話ベース。これはおもしろかった! 実話なので結末は知っていたけれど、あの名画にそんな物語が隠されていたとは知らなった。1枚の名画がたどった数奇な運命と、時代に翻弄されたある家族の物語。それに絡めて戦争の恐ろしさ、人の浅ましさも暴く。それでいて押し付けがましくなく、エンターテイメントに仕上がっていて見事。

 

『マリリン 7日間の恋』(感想はコチラ)のサイモン・カーティス監督作品。公式サイトによりますと、カーティス監督がBBCで放送された、今作の主人公マリア・アルトマンのドキュメンタリー番組を見たことが映画化のきっかけらしい。監督自らBBCフィルムズのトップであるクリスティ・ランガンに映画化を提案、ランガンが劇作家アレクシ・ケイ・キャンベルに脚本を依頼したとのこと。なるほど、だから場面展開などが演劇的でもあったのか。この脚本はとっても良かったと思う。

 

今作の主役マリア・アルトマンと、「黄金のアデーレ」、そしてアデーレ・ブロッホ=バウアーについても少し記載しておく。まずは、マリア・アルトマンから。公式サイト等によりますと・・・ 1916年ウィーン生まれ。マリアの母と伯母アデーレ・バウアーは姉妹で、ブロッホ家の兄弟フェルディナンドとグスタフと結婚したそうで、ブロッホ=バウアーと名乗ることにしたらしい。製糖工場を経営するフェルディナンドとアデーレ夫婦は大変裕福で、一家は彼らのアパートで共に暮らしていた。マリアは1937年21歳でオペラ歌手のフリッツ・アルトマンと結婚。フリッツは一時的にダッハウ収容所に拘束されたそうで、なぜ解放されたのかは不明。1938年ナチスがオーストリアを占領。同年マリアはフリッツと共にスイスを経由、イギリスからアメリカに亡命した。一家の財産は没収され、映画にも描かれているけれど、マリアに譲られたアデーレのネックレスはゲーリングの妻の所有となった。フリッツは1994年に亡くなった。1998年マリアは友人の息子ランディ・シェーンベルクに、伯母の肖像画をはじめとする絵画の返還を求めたいと依頼。一度は却下されるものの「米国民は国内において他国政府に対し訴訟を起こす権利を有す」という法律を利用し訴訟を起こし、数年かけて裁判で勝訴。オーストリア人裁判官3名で構成された仲裁委員会で示談に応じることに合意し、2006年1月17日マリアへ返還することに決定。5枚の絵画はオークションにより、個人の収集家などに売却。「黄金のアデーレ」は"誰もが鑑賞できるよう、常時展示すること"を条件に、コスメ界の大物ロナルド・ローダーに1億3500万ドルで売却され、現在でもNew Yorkのノイエ・ギャラリーに展示されている。マリアは2011年94歳で死去。

 

毎度のWikipediaによりますと、アデーレ・ブロッホ=バウアーは、ユダヤ系銀行家モーリッツ・バウアーの娘として生まれ、1899年にユダヤ系製糖工場経営者のフェルディナンド・ブロッホと結婚。2人はブロッホ=バウアーの姓を名乗ることにする。アデーレのサロンにはユダヤ系上流市民が集い、芸術家、文筆家、政治家などが出入りした。夫妻はウィーン分離派の芸術家たちを支援。特にグスタフ・クリムトはアデーレの肖像画を2枚描いている。マリアによると、「病がちで、特に偏頭痛に苦しめられており、ヘビースモーカーで、非常に華奢で、憂鬱症だった。顔立ちは理知的で、細長く、洗練されていた。傲岸不遜な性格で、常に観念的な思念を追求していた」とのこと。1925年髄膜炎で死去。

 

同じくWikipediaによりますと、「黄金のアデーレ」こと「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像Ⅰ」はオーストリアの実業家フェルディナンド・ブロッホ=バウアーが、1907年にグスタフ・クリムトに依頼した作品。ウィーンのユーゲント・シュティールを代表する芸術作品の1つとされている。訴訟の件についてはマリアの紹介部分に書いたので割愛するけれど、今作内でも描かれているけれど、論点となったのは"アデーレの遺言"。アデーレ自身はベルヴェデーレ宮殿へ寄贈することを希望していたようで、裁判ではオーストリア政府がこの遺言を盾に所有権を主張した。

 

さて、映画の感想へ! 冒頭はお葬式。マリア・アルトマン(ヘレン・ミレン)の姉が亡くなったのだった。この葬儀で声を掛けてきた友人と話したことで、彼女の息子で弁護士のランドル・シェーンベルク(ライアン・レイノルズ)の近況を知る。独立したものの経営が上手く行かず、事務所をたたみ、現在就活中とのこと。後日、ランディは訪ねてくるが、この名画のこともよく知らない彼は、オーストリア政府相手に訴訟を起こすことの無謀さに、全くやる気がない様子。実はランディは独立して弁護士事務所を開いたものの、経営が上手く行かず、現在は妻子を抱えて求職中の身。勝ち目のない裁判に関わっている場合ではなかったのだった。これは仕方がないかな。無事再就職したランディは、ある時ネットで「黄金のアデーレ」のことを調べてみる。するとスゴイ価値のある絵であることが分かる。急にやる気になる。気持ちは分かる(笑) 逆にやる気を失ったマリアをたきつけ、訴訟を起こす気満々。上司からも数日の期限でウィーン行の許可を貰う。この上司がチャールズ・ダンス


マリアはウィーン行を拒否。あの街には絶対に戻りたくないという。本人が来た方がインパクトがあることは間違いないが、1人で行くことを決意すると、マリアも気持ちを変える。母と息子のように仲良く飛行機でウィーンに向かう2人。この時点ではマリアの過去は知らされていないけれど、冒頭の姉の葬儀で棺のダビデの星で、マリアがユダヤ人であることが分かっているし、ナチスに奪われた絵画を取り戻す話なのだから、出身地であるウィーンに辛い思い出があることは分かる。そういう説明過多ではない見せ方が好きだった。


親子のように仲良くウィーンに乗り込んだマリアとランディ。裁判の申請(?)に行くと対応した係官は、丁寧な応対ながらイヤミたっぷり。早速、自分たちの状況を思い知らされることに。そんなことでへこたれる2人ではなかったけれど(笑) この係官役は「刑事フォイル」のミルナー巡査部長こと、アンソニー・ハウエル。ヒゲ生えてたけど直ぐ分かった


マリアの起訴はセンセーショナルなニュースとなるけれど、当然市民の中には快く思わない人もいるわけで、わざわざ親しげに声をかけて、アメリカへ帰れ的なことを言ってくる人も・・・ ショックを受けてくじけそうになったりもするけれど、ジャーナリストのフベルトゥス・チェルニン(ダニエル・ブリュール)の協力を得て、裁判を続けていく。どうしてもマリア側に感情移入しているから、オーストリア政府側を悪役のように感じてしまうけれど、本来悪であったのはユダヤ人から不当に美術品を奪ったナチスであって、政府の役人としては、国の宝である「黄金のアデーレ」をなんとしても守りたいという気持ちは分かる。それを強欲であると考えてしまうのは違うのかなと・・・ 特別、強欲に見えるように描いていたとも思わないけれど、やはり"敵"に見える演出ではあったかなと思う。「恥を知りなさい!」とマリアが啖呵を切るシーンもあったりするので・・・


実はオーストリアでは、オーストリア人が悪者として描かれていると、作品に対して否定的な意見が多いとのこと。ドキュメンタリー作品ではないので、演出や多少の盛りや創作はあるのだろうとは思う。ただ、そう思えるのは、第三者であり、自分が映画慣れしているからかなとも思う。普段あまり映画を見ない人が、実話だと聞いて見たら、全てそのまま描かれていると考えてしまうかも? そういう自分も、実際どこまで本当なのか分かっているわけでもないし・・・ 個人的には今作を見て、ナチスに対する嫌悪感はあったし、それに組するオーストリア人に対して複雑な気持ちもあったものの、言われているように現在のオーストリア人に対しては、悪者だという感情はなかった。例えチェルニンの「この国の人達は全く変わっていない」という主旨のセリフがあったとしても・・・ と、ちょっと気になったので書いておく。


さて、この裁判の論点となったのは、アデーレの遺言。マリアとランディはチェルニンの助言に従い、機密書庫からある文書を発見する。(この辺り実際とは違うらしい) その結果、ベルヴェデーレ宮殿に寄贈することがアデーレの意志であったことが分かる。肩を落とすマリアとランディ。しかし、チェルニンが絵画の所有者は依頼主である夫のフェルディナンドだから、アデーレの遺言はあくまで本人の希望であって、遺言とは言えないというのだった。このシークエンスも演出が加えられているわけだから、実際とはいろいろ違っているのでしょうけれど、やっぱり見ていて盛り上がる。そういう意味では実話ベースのエンターテインメントとして優れていると思う。


結局、これらは認められず「黄金のアデーレ」はマリアの元には戻らなかった。実際もこういう流れだったのかは不明だけど、後に触れるけれどマリアはアメリカで裁判をすることになるので、実際もそうだったのでしょう。2人は失意のまま帰国することになるけど、ここまでの流れでもマリアが常に毅然として、明るさを失わない。一緒にいると厳しい言葉を浴びることもあるけれど、間違ってはいないし、そこにイヤミが一切ないので、嫌な感じはしない。その辺りをヘレン・ミレンがさすがの演技で表現している。


帰国し、仕事に戻っても「黄金のアデーレ」のことが気になって仕方がないランディ。絵画自体のことというよりも、やっぱりそこは職業柄なのでしょうし、彼自身のルーツも関係しているのだと思う。名前しか聞いたことないけれど、作曲家のアルノルト・シェーンベルク(Wikipedia)が祖父。この時点で、マリアが自身の過去について、どの程度ランディに話していたのかは不明だけど、何か思うところはあったのかなと・・・ そんなランディが調べてみたところ、「米国民は国内において他国政府に対し訴訟を起こす権利を有す」という条項があることを発見! 早速、上司に相談するもあえなく却下。まぁ、それはそうかも。もう一度訴訟を起こそうとマリアに持ち掛けるも、マリアにはその気はない。でも、ランディにはなんとしても訴訟を起こしてもらわないと困る事情があった。なんと彼は法律事務所を辞めてしまったのだった。実際のランディがこの件で退職してしまったのかは不明だけど、それだけこの件に熱心であるということは伝わった。


ランディの熱意に押されて、アメリカで訴訟を起こすことを決意したマリア。オーストリア政府代表としては、さらなる裁判は困るとばかり、これが却下されるように画策。画策と書くと悪だくみみたいだけど(笑) 実際のマリアさんがどう考えていたのか不明だけど、映画ではマリアは自分に権利が戻れば、現状通りベルヴェデーレ宮殿で展示することについて問題ないと考えていたらしい。ただ、その辺りの細かなことについて、オーストリア政府がちょっと欲を出してしまったように描かれていた。実際はどうだったのか不明。ただ結果的に"誰もが鑑賞できるよう、常時展示すること"を条件に売却しているので、マリアさんとしては、展示場所は場所はベルヴェデーレでも構わないと考えていたのではないかな? アデーレの希望でもあったのだし。オーストリア政府の対応は欲を出して損したなと思いながら見ていたけど、特別嫌な人たちだとは思わなかった。


アメリカの法廷では、マリアの訴えを取り上げるかどうかが論点。アメリカの法廷がどういう感じになっているのか全く詳しくないので、日本のように家庭裁判所、地方裁判所、最高裁判所という区分けなのか分からない。でも、最初に訴えたのは少し小さめの裁判所だったのだと思う。判事役で「ダウントン・アビー」の伯爵夫人役エリザベス・マクガヴァンが! この判事の英断により、マリアの訴訟は認められるが、結果は最高裁判(?)に持ち込まれることになる。ここで論点となったのが、この案件が第二次世界大戦中の古い事案であること。これを認めてしまえば、日本が訴訟を起こしてくるというセリフがあったのはビックリ。原爆のこととか、日系人のことに関してかな? ここでも判事の英断により、訴訟は認められることになる。この判事役が「ミス・サイゴン」オリジナル・エンジニアのジョナサン・プライス! 映画好きの間では『未来世紀ブラジル』のと言った方が有名かな? 結構、英国人や英国に関係する俳優さんがたくさん出ていて( ̄ー ̄)ニヤリ

 

さて、再びオーストリア政府を相手に訴訟を起こすこととなったマリアとランディ。再度ウィーンへ行くことになるけれど、マリアは頑なに拒否。またあの街に戻るのは絶対に嫌だというのだった。実は、マリアの過去については、早い段階から現在の話と交互に描かれている。なので見ている側も、辛い過去を思い出したくないのだなということは分かる。ただ、マリアがアメリカに渡るまでに、あの街で体験した全てを知らされているわけではない。ここで、彼女に起きた決定的な出来事が描かれる。その件とまとめて、過去の回想部分を書いておこうと思う。

 

最初にマリアが登場するのは少女の頃。写真を撮るというのに硬い表情を崩さないマリアは、意思の強い少女であることが分かる。そんな、生き方が下手そうなマリアを伯母であるアデーレはかわいがっていた。ブロッホ=バウアー家は裕福で、父はチェロを弾くことを日課としているような、芸術を愛する家庭で育った。豊かな時間。好奇心旺盛で意志の強い女性に成長したマリアは、21歳でオペラ歌手のフリッツ・アルトマン(マックス・アイアンズ)と結婚。その華やかな結婚式のシーンが印象的。豪奢なブロッホ=バウアー家に集う美しく着飾った人々。新郎は新婦のためにオペラを歌い、新婚夫婦を中心に皆で歌い踊る。華やかで優雅で、気品あふれる世界。伯父はアデーレが大切にしていたチョーカーをマリアに贈る。そして父にスイスに逃げるべきだと告げる。しかし、紳士然とした父は、ナチスが侵攻してきたら撃退してやると言って笑う。結果を知っているだけに切ない このやりとりが本当にあったのかは不明だけど、実際伯父はスイスに逃げたらしい。思えばこの日がウィーンでのマリアの最高に幸せな日だったのかもしれない。

 

ナチスが侵攻し、ウィーンを占拠。ユダヤ人は次々強制収容所に送られている。ブロッホ=バウアー一家は自宅に軟禁。必要以外の外出は制限されており、常に見張りがついている状態。次々に美術品や宝飾品が奪われて行く。せめてもの慰めに毎日弾いていた父親のチェロまで奪われてしまう。もちろんアデーレのチョーカーも。このチョーカーなんとゲーリング夫人の首を飾ったのだとか この急展開は辛い。ただし、ブロッホ=バウアー家は裕福で、ナチス侵攻前に優雅な生活をしていたわけで、より緩急が激しい側面はある。でも、人の幸せはそれぞだから、貧しいけれど幸せに暮らしていた人々にとっても、世界が一変したことは間違いない。ただ、これはマリアの人生だから、マリアの世界の崩壊を描いているけれど、その緩急が大きいほど見ている側に伝わるものがあるのは事実。

 

ある日、夫のフリッツが逃亡の手配を整えて戻って来る。駅に父(伯父だったかも?)の友人が待っているので、その車で空港に向かい、飛行機に乗って国外に出る、スイスを経由して最終的にアメリカに向かう予定。ただし、チケットは2枚しかない。要するに両親を見捨てなければならないということ。これは辛い。でも、マリアは生きる決心をする。そして、その決心を知り両親も彼女を送り出す。娘に生きて欲しいと望まない親はいないでしょう。この逃避行については、外出許可が下りない、何とか嘘をついて抜け出そうとするも見張りが着いて来る、行く先だと偽った薬局で逃走を図るも、店主に見つかって危機一髪、その後ウィーンの街を駆け抜ける。裏庭で洗濯をしている女性が逃がしてくれる場面もあるけど、彼らが逃走中のユダヤ人であることを察して密告する女性もいたりする。複雑な思い。もちろん、洗濯女性の方が正しいに決まっているけど、あの時代のウィーンでは密告者の方が正義だった側面はあったわけで・・・


そんな演出もあり、ここのチェイスはかなりの緊迫感。なんとか空港へ到着するも、偽造パスポートがバレないかヒヤヒヤ。夫はオペラ歌手でスイスで公演に出演するのだと話すも、何故手ぶらなのかと怪しまれる。着の身着のままで出てきたのだから当然だけど、確かに上着も荷物もないのは不自然。急に出演することになったからだという言い訳が認められたのは、ちょっとご都合主義な気もしたけど、まぁOK。この後も偽装がばれてしまう男性がいたり、飛行機が飛ばず雪の中何時間も待たされたりと、ハラハラ場面は続く。まぁ、脱出できたから今のマリアがいるわけだから、成功することは分かっているのだけど、やっぱりドキドキする。


さて、裁判に戻る。ランディは1人でウィーンにやって来た。裁判は陪審員制。ランディが答弁をしている時、入って来たのはマリア。彼女の登場で一気に有利か? まぁ結果は分かっているので書いてしまうけれど、陪審員の下した判決はマリアに返却すること。ここは分かっていてもヤタ───v(-∀-)v───♪となった。客観的に見た場合、何が正解なのか難しい問題だけど、映画として見れば、やっぱり正義が下されたと思ってしまう。そう考えると、オーストリアの方々の気持ちも分からないでもない。裁判後、そのままベルヴェデーレ宮殿に展示させてもらえないかと申し出るオーストリア政府関係者に対し、散々譲歩したのに受け入れなかったのはそちらだとピシャリとはねつけるのは、映画としては胸がスカッとするけれど、少々演出過多かもしれない。でも、実際この判決が出たわけで、これはスゴイ判断だなと思う。「黄金のアデーレ」を手放すのはなかなか勇気がいると思うので。


ランディとハグしたマリアが泣き出してしまう。いつも明るく、そして毅然としていたマリアが、取り乱している。「私は両親を見捨てたのだ」と号泣する。脱出する計画があることを両親に打ち明けている場面は既に見ていた。2人はマリアに自分たちのことは気にせず逃げて欲しいという主旨のセリフもあった。再度映し出されたその場面は、両親との別れがより詳しく描かれていた。父親の「私たちを忘れないで欲しい」というセリフで号泣。・゜・(ノД`)・゜・。 もちろん忘れるはずないけれど、何も娘に残すことのできない両親にとって、せめて自分たちとの思い出が形見ということになる。こんな切ない別れってない 娘の命が助かるためには、自分たちを見捨てるしかないなんて・・・ どうやら実際のマリアの脱出時には、父親は亡くなっていたそうなので、実際とは違うらしいのだけど、映画としてはこれでいい。


映画は、その後の顛末が字幕で流れて終了。「黄金のアデーレ」はエスティ・ローダーの社長に売却され、New Yorkのノイエ・ギャラリーに展示されている。売却により得たお金は全額寄付したのだそう。ランディはその後、美術品返還専門の弁護士になったとのこと。


キャストはみな良かった。父親がナチスだったというセリフがあるので、実際のフベルトゥス・チェルニンはもう少し年上なのかな?と思うけれど、ダニエル・ブリュールは良かったと思う。もしかしたら裏切るのでは?と思わせて、まさかの父親のことをマリアに告白するシーンは良かった。いつも、もう少し何とかならないか?と思っていたケイティ・ホームズの演技。ランディの妻役だったけど、今回良かった! 2人の子供を抱えながら、無職となる夫を明るく支える妻を好演していたと思う。マリアの夫役のマックス・ライアンズはジェレミー・アイアンズの息子なのね 似てないね(笑) 若マリア役のタチアナ・マズラニーも良かった。ちょっとヘレン・ミレンに似ている気がするけど、そういう部分もキャスティングに関係してたのかな?


ランディ役のライアン・レイノルズは『グリーン・ランタン』(感想はコチラ)しか見たことなくて、弁護士役なんて知的な役できるのか?と思っていた。大変失礼しました┏○ペコ とっても良かったと思う。ランディは弁護士として優秀だけれど、とっても人間臭い役なので、その辺りイケメンだけど、どこか親しみやすい感じが合っていたと思う。←ホメてます! そして、何と言ってもヘレン・ミレン。今作を見た理由の1つは主演がヘレン・ミレンだから。実年齢より少し上の役だったと思うけれど、裕福な家庭に育った品の良さと、辛い時代を生き抜いた強さ、毅然とした中にも茶目っ気を感じさせて見事。ブティックを経営している役だけに、品の良い服の着こなしも完璧。ドイツ語訛りの英語もスゴイ。ロシア貴族だったお父様は、ロシア革命でイギリスに亡命したそうなので、その辺り何か重なる部分はあったのかも?


公式サイトによると、撮影はロンドン、L.A、ウィーンで行われたそうで、ブロッホ=バウアー家の内装は、アウエルスペルク宮殿が使われたのだそう。マリアとフリッツの結婚式で踊っていたのは、ユダヤ人が一番下の子の結婚式で披露する伝統的なダンスMezinke(メジンケ)だそうで、監督は「マリアの結婚式は、ナチが到着する前に行われた最後のユダヤ人の社交行事だったから、一つの時代の終焉を描く意味で、このシーンが必要だった」と語ったのだそう。カーティス監督は正確なリサーチを重ねて、ウィーンの群衆が歓待した、ナチスのオーストリア併合の際の侵攻を再現した。ウィーン市庁舎から、ナチスの象徴である赤い卍の旗を垂らす許可を得て、細部まで徹底的にこだわったとのこと。確かに、当時のウィーンにいるような生々しさを感じた。


そうそう! 「黄金のアデーレ」を描いているシーンから始まる。ポーズを取るアデーレが不安そうな表情であることをクリムトが指摘すると、将来に対して漠然とした不安があると語るアデーレ。自身の命が短いこと、そしてナチス侵攻により一家が辿る運命を暗示しつつ、とても幻想的で美しい導入部だったと思う。アデーレ役の女優さんが絵のように美しかった。そしてなんと、このチラリとしか映らないクリムト役モーリッツ・ブライブトロイだったのね? エンドクレジットで名前を見かけて、どこで出てたっけ?と思っていたら、まさかのクリムト役(笑)


それぞれの思いもあると思うけど、物議をかもしてしまうのも名画の証かも? 「黄金のアデーレ」やアデーレ本人についての映画だと思うと肩すかしかもしれないけれど、個人的にはとっても楽しめた。


法廷劇好きな方は楽しめると思う。ライアン・レイノルズ好きな方是非! ヘレン・ミレン好きな方必見です


『黄金のアデーレ』Official site

コメント
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