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【備忘録】「古都浪漫こころ寺巡り:飛鳥寺・元興寺」

2015-12-06 22:01:33 | tv

【備忘録】「古都浪漫こころ寺巡り:飛鳥寺・元興寺」

飛鳥寺

飛鳥寺 蘇我馬子ゆかりの寺 国に管理された官寺となった


 

今回のお寺は飛鳥寺(Wikipedia)と元興寺。もとは1つのお寺だった? 元興寺は行ったことあるし、飛鳥寺も飛鳥大仏のお寺として知っていたけど、2つのお寺にそんなゆかりがあったとは しかも蘇我馬子(Wikipedia)の発願で建てられたとは!! 国に管理される寺のことを官寺(Wikipedia)というのは知らなかった。

 

1400年前 飛鳥に都がおかれていた 蘇我馬子は仏教を日本に広めようとしていた 物部氏はこれに反対 丁未の変に発展 6世紀後半蘇我氏の勝利で終わる 20年間蘇我氏が権力を握るが、大化の改新で衰退

 

蘇我入鹿(Wikipedia)のイメージが強くて、蘇我氏というと悪役な感じがしてしまうのだけど、蘇我馬子は日本に仏教を広めようとしていたのね? まぁ、これも考え方の違いで、渡来文化が日本にとって良いと思わない人々もいたわけで、その代表が物部氏(Wikipedia)ということになるらしい。

 

丁未の変(Wikipedia)のことは習ったのかもしれないけど覚えてなかった でも、この蘇我氏と物部氏に代表される仏教推進派と反対派の呼称には覚えがあったのだけど、書き忘れたため失念 もうホントに頭に入ってこないなぁ(´・ω・`)

 

飛鳥寺は仏教の中心であったため、蘇我氏が滅びた後でも朝廷の庇護を受けた 平城京へ都が遷ると、飛鳥に残す寺と、平城京へ移る寺と別れた 残す方を元元興寺、移す方を元興寺とした

 

ということで、飛鳥寺を残す方と移す方に分けたということで、飛鳥寺と元興寺が生まれたということかな? そもそも、現在は飛鳥寺となっているけれど、創建時は法興寺というお寺だったそうで、飛鳥寺というのは地名から来る呼び名だったらしい。

 

588年飛鳥寺建設開始 日本初の本格的寺院 仏教が百済から伝来し約50年 596年飛鳥寺建立 飛鳥≒朝鮮語のアンスク? 五重塔と3つの金堂を持つ飛鳥式伽藍 瓦ぶき第一号 百済様式 大火などで伽藍の多くを焼失

 

 

3つの金堂と書いているけど、お堂の聞き間違えな気がする 仏教が伝来してから50年後にようやく本格的なお堂が建った背景には、やはりそれだけ浸透するのに時間がかかったということなのでしょうかね・・・ 奈良のお寺は現在では小さなお寺でも、もとは大伽藍であったことが多いけれど、権力者蘇我馬子の発願であったならば、間違いなく大伽藍だったのでしょう。日本初の瓦葺きなど力が入っていて、蘇我馬子の熱意が伝わって来る。

 

本尊 釈迦如来坐像 飛鳥時代 現存する日本最古の仏像 飛鳥大仏 鞍作とり←漢字出ない! 高い鼻、アーモンド形の目は日本に仏像が伝来した当時の姿 花会式には本堂の扉が開き、人々の前に姿を現す

 

 

飛鳥大仏は撮影OKだった気がする。本当に珍しいこと。鞍作とりは鞍作止利(Wikipedia)で、日本で初めて仏像を造った止利仏師のこと。この方の代表作は法隆寺の釈迦三尊像。アーモンド形の目が特徴。丸くぽっちゃりした平安型、写実的な鎌倉型と比べると、かなりエキゾチック。でも、いいお顔をされている。

 

八雲琴を復活させようとした うほう住職←漢字分からない

 

山本雨寶住職 八雲琴は飛鳥市の無形文化財

 

山本雨寶住職についてはWikipediaなどはなかったので詳しいことは分からないのだけど、この方は昭和のご住職。飛鳥寺が荒廃していることを憂い、八雲琴(八雲琴とは -国指定文化財等データベース weblio辞書)の復興に尽力されたとのことで、これは現在飛鳥市の無形文化財となっているとのこと。

 

四月 飛鳥寺 花会式 飛鳥大仏が姿を現す 4月8日釈迦誕生 釈迦が生まれた時、龍が甘露な雨を降らせ誕生を祝ったという言い伝えから、誕生仏に甘茶をかける 八雲琴を奉納する

 

飛鳥大仏のtweetでチラリと書いていたけど、4月8日のお釈迦様の誕生日に営まれる花会式では、本堂の扉が開き、釈迦如来坐像のお姿を境内から拝見することが出来る。甘茶をかける風習も、甘い雨が降ったからだという由来も知っていたけど、龍が降らせたとは知らなかった!

 

元興寺

元興寺 蘇我馬子と聖徳太子を起源とする 平城京遷都の際、飛鳥寺から移された 仏法の元祖を表す 南都七大寺の1つ ならまち一帯は元興寺の敷地内 創建時は国から手厚く守られてた


ということで、平城京遷都の際に都に移す方の飛鳥寺として建立されたのが元興寺(元興寺あんない・みどころ・歴史・行事・アクセス|元興寺公式サイト)ということなのね? そういう理由であればもちろん大伽藍であったのでしょう。大好きなならまちは、細い路地に町家が並ぶ一帯で、今ではその中にこじんまりと佇む元興寺。ちょっと感慨深い。

 

南都七大寺(Wikipedia)を調べてみたら、東大寺・興福寺・西大寺・薬師寺・大安寺・法隆寺と大寺院ばかり。自分の中の印象ではあの元興寺が?と思うけれど、そもそもの起源を考えればそうなのでしょうし、当時の伽藍の大きさもしのばれる。

 

禅室 学僧が多く学ぶ もとは飛鳥の飛鳥寺にあったものを移築 丸瓦=行基葺き 日本最古の瓦 平安時代後期朝廷の力の衰えとともに元興寺も衰退 明治時代に真言律宗にもとづく西大寺の末寺となった


 

行基葺き(行基葺き(ギョウキブキ)とは|コトバンク)のことは全く知らなったけど、あの行基(Wikipedia)に由来しているということだよね? 番組内ではその理由も言っていたのだけど聞き逃し 

 

 日本最古の飛鳥時代の瓦

 

行基葺き 

 

元興寺はその起こりから特定の宗派に属していなかったそうだけれど、時代の流れと共に衰退し、明治時代に真言律宗の寺となり、西大寺の末寺になったということらしい。

 

庶民信仰の寺 智光法師奈良時代の学僧 浄土教=阿弥陀仏の浄土に往生することを説く教え 智光曼荼羅 原本は焼失江戸時代に描かれたもの 曼荼羅=仏の境地、悟りの世界 浄土変相図 浄土三曼荼羅の内、最も古い曼荼羅

 

智光法師についてはWikipediaなどがなかったので詳しくは分からない ここで重要なのは智光曼荼羅(Wikipedia) その描き方に特徴があり、それが智光法師の思いを伝えていたのだけど、聞き逃し・・・ ゴメンネ・゜・(PД`q。)・゜・

 

浄土三曼荼羅(Wikipedia)は、當麻曼荼羅・智光曼荼羅・清海曼荼羅のことで、智光曼荼羅が一番古いのだそう。

 

平安時代 庶民の間で浄土信仰が高まる 社会情勢の不安定、疫病の蔓延によるもの 元興寺=浄土信仰の寺として庶民の信仰を集める

 

平安時代に浄土信仰(Wikipedia)が高まったことと、その理由についてはたびたび出て来るので割愛。っていうかtweetどおり(笑)

 

元興神 元興寺にのみ納めるお菓子

 

番組内では毎回お寺にゆかりの食べ物や土産物などが紹介される。自分の書いておきたい内容とは主旨が違うのでいつも割愛しているのだけど、今回は由来がおもしろかったのでtweetしておいた。のだけど・・・ ちゃんと聞いていなかったのでお店の名前も、由来も書き留められなかった 後で調べてみようと思ったのに、出てこない・・・ どうやら節分に食べるらしい?

 

収蔵庫 寺宝 五重小塔 光明皇后の発願で奈良時代に造られた 奈良時代の仏教建築を伝える国宝 阿弥陀如来像 平安時代作 智光法師が身に着けた袈裟も

 

 

この五重小塔は見たことある! 本当に精工に造られていて、分解して持ち運びができるんじゃなかったかな? 分解して持ち運び、五重塔の作り方を伝える目的で造られたのではないか?ってことじゃなかったっけ? あれでも、光明皇后の発願なら違うか? 別の小塔と勘違いしてるかな?

 

三月春分の日 彼岸法要が行われる 彼岸=悟りの世界 春分の日と秋分の日を合わせた彼岸の期間によい行いをすると浄土へ行けると考えられてる

 

この彼岸(Wikipedia)の考え方というか、春分の日と秋分の日を合わせた彼岸の期間という意味が分からなかったのだけど、要するに春の彼岸と、秋の彼岸の間に善い行いをすればいいということ? 彼岸と彼岸の間の数月にすればいいということ? 前者のようなきがするけれど??ント・・σ( ・´_`・ )。oO(悩)

 

古都浪漫こころ寺巡り:毎週日曜 22:00~@BSフジ

古都浪漫こころ寺巡り|BSフジ

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