・*・ etoile ・*・

🎬映画 🎨美術展 ⛸フィギュアスケート 🎵ミュージカル 🐈猫

【cinema】『HACHI 約束の犬』(試写会)

2009-07-20 02:06:21 | cinema
'09.07.13 『HACHI 約束の犬』(試写会)@九段会館

yaplogで当選。動物ならたいてい好き。ハチ公のことは待ち合わせ場所というだけでなく、主人を待つ忠犬として知ってた。ハチ公のことを考えただけで健気で泣けてしまう。それだけに映画化されるという話には少々不安を感じた。ネタギレになったハリウッドが安い感動モノみたいな作品にしてたらどうしようかと・・・。応募したのはラッセ・ハレストレム監督だったことと、母親が見たいと言っていたので(笑)

「大学で音楽を教えるパーカー・ウィルソン教授は、ある冬の夜駅に置き去りにされた秋田犬の子犬を拾う。飼主は現れず、初めは飼うことに反対していた妻も、子犬と楽しそうに戯れるパーカーの姿に飼うことを認める。成長したハチは毎朝駅までパーカーを送り、夕方5時になると駅へ向かい彼の帰りを待つようになる。ハチは家族の一員として幸せな時間を過ごしていたが・・・」という話。と、今更説明する必要もないくらい日本人なら誰もが知っている話。これはもう号泣。かなりツッコミどころ満載ではあるけれど、それでもハチのかわいさに泣けてしまう。人間ドラマは一切省いて、ハチを主役にしたことにより、少々ムリのある設定になったり粗い感じがするけれど、安っぽい感動モノにはなっていないし、押し付けがましくもなかったと思う。

冒頭、パーカーの孫が小学校の教室でハチとパーカーの物語を発表するシーンから始まる。そして、映画は彼が語り終えて終了。正直、この演出が余計な感じがしたけれど、これはこの映画を見るであろう子供たちに、おじいさん(リチャード・ギアかわいそうかな・・・)と犬の話であるという説明なのかな。そして、本当の物語の冒頭へ。

日本の山奥のお寺から1匹の子犬が送り出される。何故、お寺なのか不明だし、後のシーンでこの地が山梨とか山の付く土地であるらしいことが分かるけれど、ハチは秋田犬なのでは? まぁ、山梨で秋田犬を飼っている人もいるだろうけど・・・。ハチは木製の檻に入れられて送り出される。この檻が虫かごを大きくしたようなもので、いくらなんでもこれはないだろうと思うけれど、これは後々意味があるので仕方なし。その後、どんどん大きな駅へ移動していくハチの不安そうな表情を見せるには、この虫かご檻は確かに効果的ではある。でも、アメリカへこの虫かごみたいな檻で航空便で送られたのか? とか、検疫はどうなっているのか? というツッコミは言ってはダメなんでしょう(笑) アメリカに到着した早々、届け先のタグが切れてしまう。そしてパーカーの家のあるベッドリッジ駅へ運ばれてくるハチ。その荷台からハチの虫かごみたいな檻が落ちてしまう。気付かずそのままいってしまうポーター。そして壊れた虫かご檻から出たハチはパーカーと出会う。と、とにかくハチの旅立ちからパーカーとの出会いまでは、あまりにずさんな管理で、これでは動物虐待じゃないのか? と思うけれど、ハレストレム監督のおとぎばなし的な演出と、ハチのかわいらしさでここは絵本でも読んでいるかのような感じに思える。そう考えると、彼の孫が語ってるという視点はアリなのかもしれないけれど、ラスト彼が出てくるまで忘れていたので、果たしてどうか(笑)

紆余曲折あってパーカーはハチを家に連れて帰るけれど、犬を飼うことに反対するであろう妻に言い出せない。あまりきちんとした説明はないけれど、どうやら最近犬を亡くしてしまった様子。案の定反対する妻に遠慮しつつも、実はハチに情が移ってしまい飼いたくてしかたがないパーカー。まぁ、ありがちな感じではあるけれど、ここはハチとパーカーが愛情を育んでいくという部分での導入であるから、パーカーがハチにボールを取ってくる芸を仕込もうと、自らボールをくわえてお手本を見せるというような大袈裟演技も、リチャード・ギアお得意の微笑みを湛えてのお茶目アピールと、子犬のハチのかわいらしさが、いい感じで作用して微笑ましく思ってしまう。妻役のジョーン・アレンの顔がちょっと怖いのも効果的。って失礼かな(笑) 決して怖い役ではないし、ミシェル・ファイファー似のきれいな人だと思うけど、ちょっと怖い・・・。あの顔で反対されたら諦めちゃうかも(笑) でも、舞台美術(だったかな?)の仕事をしてる知的な妻と、美しくしっかり者の娘が、裏庭でボールをくわえて四つんばいになり、そ知らぬ顔の子犬に芸を教えるという、どうかしてる行動を見守ることで、逆に微笑ましい場面となっている。

秋田犬の事は良く知らなかったのだけど、映画によると「人間と犬のパートナー関係」というのは秋田犬から始まったのだそうで、秋田犬が気に入らなければ飼主になることは出来ないというくらい、対等な立場なのだそう。だから、ハチはボールを取ってこないのだそうで、彼には芸をして主人を喜ばそうという発想はないらしい。もし、彼がボールを持ってくることがあるとすれば、それは彼が必要だと思った時だと、教授仲間のケンから教えられているのは、後の伏線となるけれど、結局この伏線は生かされない(涙) そして成長した秋田犬はかなりデカイ。パーカーと後ろ足で立ち上がってじゃれ合うけれど、リチャード・ギアの胸の辺りまで届く。リチャード・ギアはあまり大きそうではないけれど、多分120~130くらいはあるんじゃないのかな? そんな犬がプラプラしてたら、良く知らない人は怖いんじゃないか? というツッコミもなし(笑)

とにかく、あくまで主人公はハチであるという描き方をしている。そのため、何度も書いているように、かなり設定や描き方などにムリがあったりする。でも、とにかくハチがかわいい! 子犬、成犬そして晩年と3世代のハチが描かれるけれど、それぞれの世代を3匹の犬が演じたそうで、先にも書いたとおり秋田犬に気に入られなければ、撮影もできないということで、リチャード・ギアを初め出演者たちは、かなり神経を使ったそうだけれど、リチャード・ギアとハチ役の犬達は良い関係が築けたのだそう。その感じは、パーカーとハチが並んで駅へ向かうシーンや、出迎えたハチとじゃれ合って、そして帰っていく姿なんかに表れている気がする。犬がパーカーをすごく好きなんだなという感じが、とってもよく伝わってくる。「そんなに先生のこと好きなのか」と思っただけで泣いてしまう(涙) パーカーを駅まで出迎えるっていうのは、確かにちょっと珍しいことかもしれないけれど、犬や猫などペットを飼っている人は、玄関まで出迎えてもらったことがあるはず。その姿が重なって泣けてしまう。

有名な話しだし、予告などでも流れているので、ネタバレではないと思うけれど、パーカーは映画の途中で死んでしまう。亡くなってしまった主人をずっと待ち続けたから"忠犬ハチ公"なので、この作品も本当の物語は実はここから。本当のハチ公は上野教授が亡くなってから、どんな生活ぶりだったのか良く知らない。仲代達矢主演の『ハチ公物語』を見たことあると思うのだけど、全く覚えていない。雪の中ハチが眠るように亡くなるシーンでは号泣したと思うのだけど・・・。この作品では紆余曲折あってハチは野良犬になる。もちろんパーカーが生きていた頃からハチを見守っていた駅のコーヒースタンドの主人とか、いろんな人が温かく見守ってはいるのだけど・・・。エサ問題などについては、とってつけたようなエピソードで説明されるので一安心(笑) だけど、パーカーの妻がいくら辛かったからといって10年後ベッドリッジを訪ねて、ハチと再会し「まだ待っていたの?」と感動するわりに、また置いて行ってしまうのは、元飼主として無責任なんじゃとか、そもそもどこに行ってたんだ? というツッコミは野暮なんでしょう(笑)

ハチは毎日主人を迎えに行っていた習慣に従っていただけかもしれない。もちろん、それは主人公のことが大好きだったからだし、今日は帰ってくるかもと思う気持ちはあったかも。でも、「何故帰ってこないんだろう」とか「いつかきっと帰ってくる」と思っているんだろうな、というのは人間の想像なのかもしれない。だけど、ハチがそうしたかったのは間違いなくて、ハチのその物言わぬ表情からは、彼の意思が確かに感じられる。だからパーカーの妻や娘が「あなたがそうしたいならそうしなさい」とハチを自由にさせた気持ちは分かる。飼主としてそれが正しいのかは別として、ハチの佇まいには彼を尊重してあげることが、一番彼のためになるのだと思わせる雰囲気がある。それは多分、時々モノクロになって映し出されるハチ目線が効いているんだと思う。こういう演出はあざとくなってしまう場合があるけれど、そうなっていなかったように思う。ハチの気持ちを想像するには良かったと思う。

役者さん達はリチャード・ギア以外ほとんど知らなかったけど、良かったのではないかと思う。あくまで主役はハチであるというスタンスで描かれているので、パーカー役のリチャード・ギアですら脇役に徹していたのは好感が持てる。MJは『Shall We Dance?』をバカ映画として見ていて、リチャード・ギアをバカ役者だと思っているらしいけど(もちろんMJなりに褒めている)、そういう意味でも期待を裏切っていない。それはボールをくわえるというDS(どーかしてる)行為ではなく、妻とワインを飲みながらバスルームへ消える・・・ という色男ぶりアピールシーンで発揮(笑) このシーンいるかな? と思っていたら・・・(涙) まぁ、そんなわけで特別リチャード・ギアじゃなくてもいい気もするけれど、ハチへの過剰とも言える愛情表現も「しかたないなぁ(笑)」と思わせるお得意のはにかみ笑顔は健在で、さすがという感じ。ほめてます!

怖い顔が有効だった妻役ジョーン・アレンも、優しくてしっかり者の娘も、いい人だけどちょっと間抜けな娘婿も、コーヒースタンドの主人も、ちゃっかりした駅員も、嫌な人物は出てこない。それぞれキャラは立っているけれど、やっぱりあくまでハチを見守る人達という描き方。なので、娘の結婚、孫の誕生など、普通の人の人生では、かなり大きなイベントと思われる出来事があるにもかかわらず、人間ドラマ部分は希薄。でも、何度も言うけどあくまで主役はハチであり、描きたいのはハチのドラマであるという姿勢には好感が持てた。

とにかくハチがいい。子犬の頃は愛らしくて、庭の納屋に置いていかれて不安げな姿は、パーカーでなくてももう少し居てあげたいと思うし、嵐の日には心配で思わず様子を見に行ってしまう気持ちはホント良く分かる。成犬になったハチがほとんどこの映画を引っ張ったと言っていいと思うけれど、彼には確かな意志を感じた。パーカーが好きだから一緒にいる、好きだから帰りを待つという自らの意志。後ろ足で立ち上がって帰ってきたパーカーに抱きつく姿が、ウチのアガサ(ロシアンブルー♀6歳)が抱っこしてと前足でよじ登ってくる姿を思い出し涙。体は大きくなっても、まだまだ甘えたい感じがかわいい。そして、あの日何かを一生懸命訴えるハチの演技がいい。彼(彼女?)の好演が、晩年のハチの姿をより引き立たせた。老犬になったハチの姿は悲しい。軽やかな足取りで通った道を、弱々しい足つきでやって来るハチ。あえての汚しメイクだけれど、それがリアルでハチの老いを感じる。もう老犬のハチの姿を見るだけで泣けてしまう。老いてもなお通い続ける姿に号泣。

ハチを演じた犬達の演技もさることながら、それを引き出したスタッフや役者達はすごいかも。ホントにどのシーンでもいい表情をしている。子犬の頃の不安そうなあどけない表情。成犬になって意志を感じさせる顔。そして老犬の悟りを啓いたかのような最期の顔。正直、この作品は教授と犬の物語というよりも、ハチのこれらの表情を見る映画なんだと思う。って、それじゃ本末転倒だけど・・・。

人間ドラマや人間と犬の愛情みたいな部分については、ちょっと物足りなさを感じたりする。パーカーとハチについてはちゃんと描いてはいるものの、ツッコミどころの多さが足を引っ張っている気がしないでもない。でも、何度も何度もしつこいけれど、これはあくまでハチの映画であって、ハチがいかに教授を愛していて、自分の意志を貫いたかということが伝わればいいんだと思う。ハチは帰らぬ主人を待ち焦がれたのではなく、あくまでパーカーが好きだから待ったのだし、そうしたいから続けた。そこには何の迷いもない。その混じり気のなさが愛おしくて人はペットを飼うんじゃないだろうか。そして、彼らのその意志を尊重できるなら、他の人の意志や意見が自分の意に染まなくても、尊重できるハズ!

アメリカを舞台にするのであれば、冒頭のツッコミ満載の無理矢理な運搬シーンを入れてまで、秋田犬にこだわる理由もない気がしたのだけど、最後に本物のハチ公が紹介されて、製作者達が本物のハチ公に敬意を払ったのだと納得。とにかくハチを見守る目線がやさしい。

動物好きな人や、ペット(特に犬)を飼っている人は、きっと泣いてしまうことでしょう

追記:本当のハチは主人の上野教授と2年間しか暮らせなかったのだそう。その後、9年間渋谷駅へ通い、教授を待ち続けたのだそう。そう考えると、気軽に待ち合わせできないかも(笑)


『HACHI 約束の犬』Official site

コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする