スピンオフ銭明日編集長

モットーは"年を重ねる毎に幸せになる"銭明日編集長の日記

誕生月の想い その1

2016年05月21日 | Weblog
今月で自分も71回目の歳をかさねた、何とか無事ここまで辿り着いたことに感謝している、最近は毎日スマホアプリで心拍をチェックしている、体調が良い時は60/分、体調不良時は80/分と出ることを最近知った、自分のベストな60であれば85歳くらいまで生きると潜在寿命予測値が出る。
どこまでの寿命かは"神のみぞ知る"のだが、この辺でここまでの自分を素直に振り返ってみることにした。

(我が家の藤 誕生日に満開)

昭和20年5月に岩手県江刺郡岩谷堂の増沢地区にある、萬松寺山の中腹にある寺の三男坊として生まれた。父親は住職で教員であった、小学2年までは街の中心部岩谷堂には遠かった為分教場に通った、分教場での先生は父親であり厳しく育てられた、自分の中には優しかった記憶はない。
通学路は、田んぼのあぜ道を這うような往復一里(4km)の登下校であった、寺近くの参道は両側に木々が生い茂覆いかぶさる道で、門前の家からの500mは真っ暗で、闇夜には提灯がなければ歩けない山道であった。その頃、我が家に電気設備がまだ来ていなく、埋葬は土葬であり、葬式の夜は兎に角怖かったが、同居していた祖母の「死んだ人より、生きている人の方が怖いのだよ」の一言で救われた。この言葉は自分の中の人生訓になっている。

(フルコースで連れ合いと祝う)

母親は父と17歳ほどの年齢差があり、結婚後三人の男の子を設けた、物心ついてから知ったが父は再婚で先妻に女の姉が一人いた、姉の母親は病死と聞いた。末っ子の自分が両親の愛情を一身に受けたのだろうが、父は自分が結婚前27歳で、母は天寿を全うしたが自分が58歳の頃、87歳で旅立った、父との想い出が薄いのが悔しい。

生まれたこの地は、野うさぎ、狐、狸、イタチ、笹グマ、野鳥類などは身近にいて、野山には山菜や茸や木の実が豊富にあり、四季折々野山を駆け巡ってそれ等を物色し、山や川でのザッコ釣りや水遊び、時には貴重なタンパク源のウナギや鯉を取ったり、の環境で一部は料理して食べた訳で、今思えば贅沢な大自然の中で育った。
熊や山猿のような生活の元で自分が生まれ芽を出し、育ち始めた。
(=~10歳編 おわり=)


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