白隠和尚のブログ

今日より明日が幸せでありますように。好奇心旺盛な70代のブログ。

母の "温もり"

2016-05-08 19:36:56 | 日記
母は40年ほど前に亡くなった。私の思い出の中に輪郭を結ぶのは小学校1年生の頃の記憶だ。父は身勝手な遊び人でかせぎを家に入れなかったので母は結婚した当初から金策に走り回ったらしい。

終戦の年、昭和20年に我が家は疎開先から下山した。この選択が苦難の始まりだったと兄は言った。父が病弱だったので母は働くことになった。母は「買い出し」と「担ぎ屋」によって生計に家計を支えるため
一旦家を出るといつ帰ってくるのか誰にも、母自身にも分からなかった。その間、病身の父と5人の子供は何も食べずただ母の持ってくる筈の食料を待った。父は「彼奴は俺たちを日干しにする気だ」と時々呟いた。母が検札で食料を没収されて手ぶらで帰宅した時は悲惨だった。
皆壁に凭れて空腹に耐えた。時々、母も大きな桑折(こおり)を背中に背負い両手に大きな手荷物を持って満面笑みを浮かべて凱旋することもあった。そんなときはいつもすき焼きだった。

終戦の年に父は亡くなった。その死を待っていたかのように我が家の離散が始まった。兄姉は其々親戚に身を寄せたり丁稚に出されて末っ子
の私と母が家に残った。日々の生活は更に困窮を極めて先ず電気が止められた。薪を買えないので雨戸や天井板を剥がして燃やした。
御不浄(母は便所をそう呼んだ)も汲み取りが頼めぬまま糞尿が一時路上に溢れたがそのままだった。それが許される時代だった。

文字通りの赤貧時代だったが、私は少しも辛くはなかった。
こうした状況を理解するには私はあまりに幼すぎたこともあるが、
何より母が周囲の雑音から私を遠ざけて呉れていたのだろう。
母は私と居るときいつも笑顔だった。母と私はいつも煎餅布団に
一緒に寝た。足の冷たい時、母の足がそっと私の足を包んで呉れた
あの暖かさ、温もりを60年を経た今も思い出す。

私が社会人になって社宅に入居して漸く私と母は転居生活に終止符
を打てた。母は勤めを辞めて和裁の仕立てと和裁の個人指導を始めた。
その最初の生徒さんが後の我が女房に納まった。
母は私の結婚を期に兄夫婦の所に帰っていった。

ありがとう お母ちゃん 今日生まれて初めて感謝の気持ちを
言葉にしたよ





農家の「やツさん」

2016-05-06 09:24:53 | 日記

「やツさんは」専業農家である。朝8時を過ぎる頃に決まって「やツさん」のトラックは庭の前を通る。西側のビニールハウスの通気孔を開きに行くのだ。
「やツさん」は70才位か、年中日差しで黒くなった手と顔を持ち目が
合えば挨拶を交わす地元の数少ない知人である。
彼は前屈みになって歩くので年より老けて見える。遺伝だと言って気にしていないが私は農業のせいだと思う。一日中あちらの畑こちらの田圃と「やツさん」は動き回り休むことを知らない。一度「耕作地を減らして楽を考えてみたら」と愚問を投げたら言下に「ワシは奴隷だ」と返された。
「やツさん」は情報通である。地域の時事ニュースはもとより近所の姻戚関係、誰かさんのとこの離婚問題、財産の係争問題、オレオレ詐欺の
被害にあった人の話、何でも知っている。私が倒れて救急車で運ばれたこと、最近追突されたことまで知られているのにはさすがに驚いた。
情報ネットワークは完璧で何でも筒抜け、しかも早耳である。

「やツさん」は三代目だという。近くに小学校時代の同級生も多いらしい。生まれてこの方ずーと同じ家に暮らして土に耕し作物を収穫する生活を代々受け継いできたのだ。「ワシは奴隷だ」と言う言葉には先祖に対する畏敬の念が込められているように私は思っている。



私にも G・W

2016-05-03 17:35:01 | 旅行

息子が京都に宿を取ったというので愛車で出かける事にした。
運転するのは私、5年間ハンドルを握っていないという息子より後期高齢者の私のほうがまだましという頼りない者同士のドライブである。
[もみじマーク]のご利益か無事に京都に着いた。車を預けて観光開始
◇三十三間堂

◇国立博物館 [臨済禅師、白隱禅師250年遠起]なるテーマに惹かれ
入館したもののお目当ての達磨図は2点だけ、期待していたのに残念

◇清水寺 [清水道]バス停下車、徒歩で仁王門を目指す
参道は芋を洗うがごとき賑わい。


◇伏見稲荷

本日の観光はここで御仕舞い、万歩計は12000歩を示すがからだの芯
までクタクタに疲れた。

翌日
◇南禅寺 インクラインと庭園と水道橋を回る。
帰路
◇安土城跡

◇彦根城美しさにかげりなし、天守閣は30分待ちだった。

帰りは国道1号線をのんびり走り夕方帰宅、走行距離360km/2日

好天に感謝、強行に耐えたからだに感謝、息子に感謝、
改めて体力の衰えを思い知らされた二日間でした。

おわり