思いがけず50年前の職場仲間から誘いがあって私は快諾した。
確か数年前にゴルフ場で通りすがる際にヤアヤアと声を交わして以来である。
そして今日再会、一目で彼と分かった。熱い握手を交わした。足は少し不自由に見えたが手は昔と少しも変わらず大きくて力強かった。
彼と私は職場が同じで共に土木作業員だった。仕事といえば素手で大ハンマーを振り道路に穴を開けることが主だった。
キツイ仕事で食事の時には手が震えて箸の先でものが挟めなかったことを今も思い出している。
この重労働が私達の絆を作った。彼は職場の戦友だった。お互いに転職は考えなかったが、その当時の社会常識が転職者は怠け者の代名詞だという風潮だったからだと思う。
その後私は転勤になって重労働から開放されたが、彼は居残り組に入り以来音信が切れた。
1時間ほど私達は大いに笑い多いに語った。辛かった仕事は話題に上らず専ら若さに任せて遊び回った話に盛り上がった。
聞けば彼は間もなく80歳なるらしい。彼の余生の平穏を心から願ってやまない。
確か数年前にゴルフ場で通りすがる際にヤアヤアと声を交わして以来である。
そして今日再会、一目で彼と分かった。熱い握手を交わした。足は少し不自由に見えたが手は昔と少しも変わらず大きくて力強かった。
彼と私は職場が同じで共に土木作業員だった。仕事といえば素手で大ハンマーを振り道路に穴を開けることが主だった。
キツイ仕事で食事の時には手が震えて箸の先でものが挟めなかったことを今も思い出している。
この重労働が私達の絆を作った。彼は職場の戦友だった。お互いに転職は考えなかったが、その当時の社会常識が転職者は怠け者の代名詞だという風潮だったからだと思う。
その後私は転勤になって重労働から開放されたが、彼は居残り組に入り以来音信が切れた。
1時間ほど私達は大いに笑い多いに語った。辛かった仕事は話題に上らず専ら若さに任せて遊び回った話に盛り上がった。
聞けば彼は間もなく80歳なるらしい。彼の余生の平穏を心から願ってやまない。
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