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日本人にとっての人権とは、受刑者にみる日米の違い

2013-01-22 | Weblog

 

米国ABG放送のNIGHTLINEによると、米メリーランド州ジェサップにある刑務所では、毎週木曜日に編み物教室が開かれるという。

先生はボランティアの二人の白人女性だ。名前はズウェリング(Zwerling)とロブスティド(Rovelstad)。共に編み物が趣味だったが、60の定年を過ぎたころ、何か社会のために役立ちたいと考えるようになったという。

そこで刑務所の囚人に編み物を教えることを思いつき、刑務所長に話を持ちかけたところ、編み物の棒針が凶器になる恐れがあるとの理由で当初は断られたという。

それでもなお交渉し続けたところ許しがでて、2年ほど前からボランティアで教えはじめた。はじめると人気となり、いまでは100人以上の受刑者が編み物を楽しんでいる。そしてさらに参加希望者が順番待ちしている状態という。

受刑者からは、編み物をしている時がとても気持ちが落ち着くと好評だ。編んだ毛糸の帽子は小学校の子供たちにプレゼントされている。

誘拐や殺人未遂の重犯罪で服役している囚人達だが、いまでは心の落ち着きを取り戻しており、刑務所内の暴力も減り、なによりも、囚人たちにとって、ボランティアの二人は自分たちのお袋(母親)のような存在になってきているという。

 


[教育] 学べることは幸せなこと、日米の比較(日本の場合)

2013-01-22 | Weblog

 桃山学院大学(大阪府和泉市まなび野)で、98歳になっても学び続けている学生がいる。

 社会人聴講生として、5年前から国際政治史などを受講する村川信勝さん(大阪市東成区)だ。関東大震災や太平洋戦争をくぐり抜け、戦後は工場などで働きづめだったという村川さんは、「若い頃に学べなかった分、思い切り勉強したい」と、教室で背筋をピンと伸ばし、若者を圧倒する熱心さで授業に耳を傾けている。

 24日午後、国際政治史の授業。教壇の真正面でノートを広げ、持参した座布団をいすに敷いて腰掛ける村川さんがいた。授業が終わるまでの90分間、姿勢を崩さず担当教員を見つめ続ける。この日は朝鮮半島を巡る国際情勢に聞き入った。

 東京・浅草出身。小学4年の時に関東大震災に遭い、自宅が焼けた。家は裕福ではなく、高校や大学に通う余裕はなかったという。太平洋戦争では、衛生兵として旧ビルマ戦線に投入され、多くの仲間が砲撃を受けて命を落とす瞬間を目撃した。

 戦後は大阪で縫製工場を営むなど精力的に仕事をこなし、85歳まで働いた。妻はすでに亡くなり、現在は自宅に一人で暮らす。

 仕事をやり遂げた充実感の一方で、自身の戦争体験を振り返り、「なぜあの戦争は起きたのか。今からでも学問をやりたい」との思いが募った。そんな時、桃山学院大が聴講生を募集していると知り、2007年秋から受講を開始。現在は国際政治史と国際法の授業を選び、週2回、自宅から電車とバスを乗り継いで2時間かけてキャンパスに足を運ぶ。

 若者に交じって、真摯に授業を受ける村川さんの姿は、大学内でも有名だ。大正、昭和、平成の時代を知る生き証人として、戦争体験などを他の学生の前で話すこともある。「イギリス人の捕虜と話したら、残してきた家族を思う同じ人間だった。鬼畜米英って教えられていたのに、違うじゃないかってね」。知らないことは恐ろしいという思いを、率直に明かした。

 村川さん自身は、講義を通じて各国の利害がぶつかる戦争の実態や旧日本軍の無謀さが改めて分かってきたという。「でもね、どんな理由でも戦争はいけない。時間をかけても話し合いで解決するべきだ」と語る。

 そんな村川さんが今、気になるのは、机を並べる若い学生が授業で質問せず、おとなしいこと。「卒業したら嫌でも働かなければならない。学べることは幸せ。私もまだまだ視野を広げたいし、死ぬまで大学に通うつもりです」。若い世代への励ましを込めて、こう言い切った。

(YOMIURI)

授業に聞き入る村川さん


[教育] 学べることは幸せなこと、日米の比較(米国の場合)

2013-01-22 | Weblog

米東部の世界屈指の名門私大8校で成るアイビー・リーグの1つ、コロンビア大学で19年間、構内の清掃員をしながら、大学職員に適用される授業料の免除制度を利用して勉強を続けた旧ユーゴスラビア出身の男性が5月13日、学士号を取得して無事、卒業を果たした。ニューヨーク在住のガッツ・フィリーパイさん(52)で、多くの米メディアは「仕事と学業の両立に新たな意味を与えた」などと称えた。

 ■旧ユーゴから移住

 フィリーパイさんが属したコロンビア大学スクール・オブ・ゼネラルスタディーズのピーターオーン学長は卒業式で「清掃員としても大学生としても、崇高なプライドを持った人物である」とフィリーパイさんを紹介し、「大変謙虚に感謝の意を示しながら、自分自身で自らの未来を切り開いた」と称賛を贈った。

 フィリーパイさんは旧ユーゴの首都ベオグラードのロースクールで法律を学んでいたが、1992年、32歳の時、前年に始まった激しい内戦から逃れるため難民として米国に移住した。英語は全く話せなかったため、叔父が暮らすニューヨークのブロンクスに。叔父が世話したシェルター(避難所)に住み、近くのレストランで食器の片付けなどを担当するバスボーイとして働いた。そして行動した。「いろんな人に『ニューヨークで最高の大学はどこ?』と尋ねたら『コロンビア大学だ』と言われたので、そこで仕事を探すことにしたんだ」

 ■午前授業、午後仕事

 時給22ドル(約1700円)で清掃員の仕事に就き、英語を学びながら午前中は授業に出席。その後、昼の2時から夜の11時までは清掃業務を続けた。試験前などは勉強に必要な時間が増えるため業務が徹夜になったが、翌朝はそのまま授業に出た。さらに、薄給の中から、旧ユーゴ構成国のモンテネグロに暮らす2人の子供や兄弟に仕送りを続けた。節約のため携帯電話もパソコンも持っていない。

 そんな苦労の日々を乗り越え、古代ラテン語とギリシャ語など古典学の学士号を優秀な成績で取得。卒業式に臨んだフィリーパイさんは、自身が傾倒する古代ローマ帝国の有名な政治家兼詩人、ルキウス・アンナエウス・セネカの手紙を引用し「富や名声を求めれば、シンプルで誠実で尊敬される人生は送れない」と語った。

 今後も清掃員として大学に残るフィリーパイさんは「古代ローマやギリシャ古典学の修士号と博士号を取得し、教師となってアルバニア人のために自分の好きな古典を翻訳したい」と夢を語る。「豊かさとはポケットの中じゃなく、心の中にあるんだ」。卒業式後、メディアの取材に対してこう話すと、ほうきとちりとりを持って清掃業務に戻った。

(AP通信)

 


私がみた日本、「難しい話」避けないで

2013-01-22 | Weblog

  

先日、私は小松空港で東京への便を待ちながら、日本やフランスの新聞を読んでいました。フランスの政治に幻滅を感じながら、日本のニュースに目を移すと……こちらもかなりの混迷状態。溜息をついていると、ある知人女性に声をかけられました。

 東京の女性実業家です。美しくエレガントで世界を駆け回る知的なキャリアウーマン。そんな彼女だから、読んでいた記事に触発されて、フランスの大統領選挙のこと、日本で始まる選挙のこと、さらには経済や環境問題などについての話題を持ち出したのです。ところが、彼女の笑顔のリアクションは……。

 「わたし、政治や社会のこととか、難しい話は頭が痛くなるんですぅ。出来るだけ、考えないようにしているのですよ~」

 私は慌てて、お天気や金沢のカニの話をして、彼女はマニキュアなど美容の話。

 なんて残念なこと……私は心の中でつぶやいていました。立派な大人で、世界を駆け巡り、ビジネスの才もある、そんな立場だからこそ私たちの社会や日本の未来を考えてほしいのに。

 私にとって、そうした関心は避けて通れないものです。特に、経済危機、子どもや女性が犠牲になる中東紛争、失業や自殺の増加……そんな「今」だからこそ。

 でも、世界中の選挙の結果を見ていると、デモクラシーというシステム自体にも困惑を覚えます。アメリカではオバマ、フランスではオランドが大統領に選ばれましたが、接戦の結果、完全に二分されてしまった国をどのようにして運営していけるのでしょうか?

 敵対陣営は新大統領の決断にはノーばかりで、次期の選挙に期待することでしょう。国内での権力の奪い合いによって、民主国家が今やマヒ状態です。

 言いにくいことですが、フランスの230年、アメリカの150年、日本の60年……民主主義の歴史はネガティブな到達点にたどりついてしまったのでは?

 さらにポリティカル・コレクトネス(政治的に正しいこと)の波及で、誰もはっきりした言葉を話せなくなり、フランスでも日本でも、わかりやすい話の極右的政治家に人気が集まります。

 話は戻りますが、「難しい話はイヤ」という空港で出会った女性の肌つやはよくて、シワもなし。美しさの秘訣はそれなのでしょうか?

 

(文)フランソワーズ・モレシャンFrançoise Moréchand

1936年3月29日生。外国人タレントの走りとされる。現在、エッセイスト。ユネスコ日本協会スペシャルアドバイザー。父は、亡命ポーランド人技師、母は、フランス人。ナチスのパリ占領からトゥールーズに疎開。パリ解放直前にパリに戻る。 中国語かロシア語の通訳を目指したが、敗戦国・日本の将来性に賭けソルボンヌ大学日本語学科卒業後の1958年に来日。自宅でフランス語教室を開きながら、JALや外務省でフランス語を教える。 その後、NHKフランス語会話で講師を務め人気を集め、テレビ朝日の「フォックス名画座」など、多数の番組に出演。1964年に一旦フランスに帰国。クリスチャン・ディオール、レブロンを経て1974年にシャネル美容部長として再来日。2004年、母国フランスの最高勲章である、レジオンドヌール勲章を授与された。2009年には、国家功労勲章を授与された。今から37年ほど前、ギイ・モレシャン(社会学者)と仏で離婚。娘と共に再来日し、現在の10歳年下の夫、永瀧達治フランス映画評論家、音楽評論家)と再婚。娘のアガタ・モレシャンもフランス語会話の講師を務めた。


橋下の横暴、その決定に意義アリ(体罰と入試は別問題)

2013-01-22 | Weblog

本ブログ管理人の一言:

橋下が市長としての立場でこの体罰問題に首をつこむのであれば、まず生徒の声にミミを傾けることだ。21日に桜宮高校に出向いた際に、自分の考えをお披露目することは自由だが、学校関係者を排除し、生徒達と対話集会をもって現場の声を拾うべきだった。入試中止を拒んだら、予算を凍結するなどと脅すのは、小心者がするおきまりごとで、職権乱用の横暴だ。この男がいまだに成長できていない証拠でもある。反対されると、それだけですぐにカット怒りだし、ガンとして人の話に聞くミミをもたなくなるエコジの性格のようだ。やはりヒトとまともな会話ができない欠陥人間の相棒、石原慎太郎とますます似てきているようだ。引用した記事にあるように、桜宮高校の有志らがたちあがり、マスコミのまえで、自分達の意見や考えを語ることは勇気のいることだ。大人がその若者の勇気を尊重してあげることこそ大切なことだ。

--------以下に時事からの記事を引用。

「結論覆す」、決意の反論=高校生8人、入試中止で会見―大阪市

  大阪市教育委員会が橋下徹市長の要求通り、市立桜宮高校の体育系2科の入試中止を決定した21日夜、同校3年の男子生徒2人と女子生徒6人が記者会見に臨んだ。「私たちは納得いかない」「学校を守りたい」。8人は「まだ結論を覆せるかも」と、橋下市長と市教委に対し、決意の反論を展開した。

 市役所5階の記者クラブで午後7時半から1時間余にわたった会見。8人はいずれも運動部の元キャプテン。制服のブレザー姿で横一列に並んだ。

 「体育科に魅力を感じて受験したいと思う生徒がほとんど。普通科に回されるのは、私たちは納得がいかない」。女子生徒が口火を切った。橋下市長が同日朝、全校生徒を前に説明したが、「具体的な理由がなく、私たちの声も十分に聞いてくれなかった。思いは1時間で話せるわけがない。『生徒、受験生のことを考えて』と何度も繰り返したが、在校生と受験生のことを考えたらもっと違う結果があったんじゃないか」と訴えた。

 橋下市長が体罰の背景に「生徒たちも容認していた」「勝利至上主義」などと発言していたのに対し、女子生徒は「容認していないし、勝つことだけが目標ではなく、礼儀など人として一番大切なことを教えてもらっている」と反論。自殺問題について「心の傷は深く、重く受け止めている。傷を癒せるのは先生」として教諭の総入れ替えにも反対し、「多くの生徒が学校を守りたいと思っている」と強調した。

 男子生徒は「今回の結果が覆せるんじゃないかと、強い思いを持ってきた」と会見の動機を語った。別の女子生徒も「今まで続いている伝統は今でも正しいと思っている」と力説した。 

 

桜宮高体育系の入試中止決定=高2体罰自殺、橋下市長要請-大阪市教委

大阪市立桜宮高校2年の男子生徒(17)が顧問から体罰を受けた後に自殺した問題で、市教育委員会は21日、臨時会議を開き、同校体育系2科の入試中止を決定した。橋下徹市長が中止を強く求めていた。受験科目や試験日程、学区はこれまでの体育系2科と同じにし、受験生に配慮した措置も取った。

 会議では5人の教育委員のうち1人が反対を表明したが、賛成多数で中止を決定した。

 中止となるのは同校の体育科(定員80人)とスポーツ健康科学科(同40人)で、計120人分を普通科に振り替える。

 ただし、新たに普通科となる120人は、従来ある普通科(同160人)と分け、スポーツに特色あるカリキュラムを組んでいく。受験科目や学区など募集要項についても、体育系2科のものを引き継がせた。

 唯一反対した長谷川恵一教育委員長は、体罰経験についての同校生徒へのアンケート結果で、普通科でも体罰があったことを指摘。「看板の掛け替えにすぎない」と主張した。しかし、他の委員からの「これまでの科目で受験できるのは中3の負担が軽減される」などの意見で、中止が決まった。

 また、同アンケートでは、これまで体罰が判明していたバスケットボール部とバレーボール部以外での部活動でも、体罰を受けたとの回答があったという。

 入試実施の場合、市教委にかかる予算の凍結を辞さない構えを示していた橋下市長は、入試中止について「素晴らしい決定」と歓迎。加えて、看板の掛け替えとの指摘について、「今までの体育科として募集するのではないから、決定的な違いだ」と否定した。