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アルジェリア人質事件、 現地日本大使館は何をやっていたのか(ボンクラ大使の年収は3000万円)

2013-01-24 | Weblog

本ブログ管理人の一言:昨年9月11日、リビア東部ベンガジで、駐リビア米国大使ほか4名がテロリストに殺される米領事館襲撃事件が起こった。今月23日、病み上がりの米国務長官クリントンは上院外交委員会の公聴会に呼ばれ、本件での国務省の隠蔽疑惑を追及された。どうだろうか、アルジェリアの日本大使館の大使を一時帰国させ、国会で追及してみるのは。

---------------以下に現代ビジネスの記事を引用、

 

最終的な犠牲者は何人に上るのか――。アルジェリアの天然ガス施設の人質事件は、日本人7人の死亡が確認されたものの、残る2人の安否確認は依然として手探り状態だ。疑問に思うのは、日本の大使館は一体何をしているのかということだ。

 イナメナスは首都アルジェから1300キロも離れているうえ、事件発生後は、外国人記者へのビザ発給が厳格化された。そのため、記者も近づけないのだが、こういう緊急時こそ、邦人救護の情報収集に尽力するのが大使館の役目だ。ところが、アルジェリアの日本大使館は、軍の攻撃情報を事前に掴めなかったばかりか、その後の動きも伝わってこない。情報収集からして、他国に頼りっ放しなのである。そんなグータラ大使館のトップには、川田司・特命全権大使(57)が就いている。

「一橋大経済学部を経て、77年に外務省に入省。在イタリア参事官や駐フランス公使などを歴任し、一昨年9月にアルジェリア大使に就きました。2001年に発覚した外務省の裏金プール事件で『厳重訓戒』を受けたほか、国連行政課長時代には国連出向職員に対する給与の二重払いの問題も起きています」(事情通)

 不祥事で処分された揚げ句のアフリカ行き……となると、「ハハン」と思う人事だ。外務省のアフリカ軽視が透けて見える。それが今度の事件の背景にある。とはいえ、特命全権大使の給与は月額およそ93万~119万円。これに月額55万円の在勤手当や配偶者手当がつく。ボーナスなどを含めると年収はざっと3000万円前後になるだろう。恵まれた身でありながら、政府要人とのパイプひとつつくれないなんて税金ドロボー同然だ。

 戦場ジャーナリストの志葉玲氏はこう言う。
「イラクで邦人の人質事件が起きたとき、外務省の大使館職員はアルジャジーラを見て情報収集していたと聞きました。それほど、日本の大使館の情報収集力は乏しい。欧米の大使館は日常的に現地で情報収集しているが、日本はそういう危機意識が低く、コトが起きたときの交渉パイプもない。だから、われわれのようなフリー記者は、大使館をアテにしません」

 アルジェリアでは数年前から外国人の誘拐事件が起きていた。川田大使は政府間の緊密なパイプをつくるべきだった。犠牲になった日本人が気の毒だ。

 


[国際人] 時代の啓示を知ること、それには自分を旅させるしかない

2013-01-24 | Weblog

本ブログ管理人の一言:自分がどういう時代の中に生かされているかを早く知ることだ。そこから自分の生きる道がおのずとみえてくるからだ。しかしこの日本にいてはそれがみえてこない。だから大いに海外にでて自分を旅させ、多種多様な価値観を有する人との交わりのなかで自分の本能的な感性を研ぎすますいがいにはない。

----------以下に現代ビジネスからの記事を引用。

「あたし、ちょっと海外に行ってくる」

「いいねぇ。で、いつ帰ってくるの?」

「分かんない。とりあえず、3年かな」

海外に生活の拠点を移す日本の若者が急増している。なぜいま日本脱出なのか。 

この国に希望はあるのか

このたび、私は日本を離れ、オーストラリアに移り住むことにしました。ついては、携帯を解約しますので、以後のご連絡先は・・・・・・』 『ご報告

これは30歳の本誌記者の携帯電話に、高校時代の同級生から突然、送られてきたメールだ。 

日本が、少子高齢化の時代に入ったと言われて久しい。若者の人口は減少の一途を辿り、経済を支える労働力も減っている。働いて稼ぐ人間が減れば、ものを買って消費する人間も減る。構造的な不況のなかで、景気が根本的に回復していく見込みは立っていない。 

ところがいま、日本の若者たちは次々と海外に生活の場を移し、現地の外国企業に就職しているという。 

外務省の海外在留邦人数調査統計(平成24年速報版・平成23年10月1日現在)によると、海外に生活の本拠を移した日本人(永住者)数は前年調査から約1万5000人増の39万9907人。 

また、3ヵ月以上海外に長期滞在する日本人の総数は78万2650人で、1年間で2万3862人増加している。平成23年の調査では前年からわずか540人増だったのと比較すれば、海外に出る日本人が急増していることが分かるだろう。 

何を隠そう、本誌記者の中学・高校の同窓生だけでも、すでに5人が、この2年間に日本を離れ、生活の拠点を海外に移している。 

そのひとり、冒頭のメールの送り主である30歳独身女性は、福島第一原発事故後の'11年4月、単身オーストラリアに移住した。 

そろばんの有段者で、十数桁の掛け算も暗算でこなす天才肌の彼女は、名門私立大学の法学部を卒業後、社会人生活を経て、ロースクール(法科大学院)に進学。'10年に卒業したばかりだった。 

法曹界入りを目前にしたエリートが、なぜすべてを捨てて移住を選んだのか。メールで理由を問うた。 

『法律を勉強してきたのは国民の生命や財産を守る仕事につきたいと思ったから。でも原発事故への対応を見ていると、そもそもこの国は、それらを大切にしていない。全部、虚しくなった』

両親や兄弟にも海外に出ようと呼びかけたが、反応は鈍かったという。『それなら仕方ない。あの人たちが選んだ道だから』 

『日本を捨てていくのかと非難する人もいるけど、それも仕方ない。私はもう日本を信じられない』
彼女のなかにあるのは、日本社会への激しい不信感だ。だが取材を進めると、若者が日本を離れる理由には、さまざまなものがあることが分かってきた。 

長期滞在する邦人数が世界第1位(24万1910人)の米国。'11年秋、高野ゆきさん(30歳・仮名)は夫(30歳)とともに、自動車産業で知られる都市・デトロイトに近いミシガン州の大学町に移り住んだ。 

白百合女子大学在学中に知り合った夫は東京大学を卒業、大手証券会社に就職。ゆきさん自身も大手銀行に入行、25歳での結婚後も仕事を続けた。1年後には5000万円台のマンションを夫のローンで購入。人並み以上の幸せに、生活への不満は何ひとつなかった。 

「でも、子供はどうしようかなどと将来設計を夫と考えるようになって気がついたんです。『どうもこの先、日本にいても人生で起こることは見えているね』と」

エリートのレールに乗った瞬間、夫は会社での出世競争、妻には家事・子育てという日本的な将来像が現実味を持って迫ってきた。老後の暮らしまで想像できてしまう社会の無味乾燥さに、脱力したという。 

「なんてつまらない国なんだろう。私たちはもっといろんな経験をしたいし、将来、生まれる子供にも自由に生きてほしいと思った」

夫は米国への社費留学に応募。F-1と呼ばれる学生ビザを取得し、MBAの資格取得を目指して大学のビジネス・スクールに通うこととなった。卒業後は1年間の実地訓練(プラクティカル・トレーニング)での滞在を申請でき、その間に現地企業に転職して就労ビザ(H‐1B)の取得を目指すことができる。だがこの計画はもちろん、夫婦だけの秘密だ。 

明確に成功への野心を持って海外進出する若者もいる。長期滞在邦人数が世界第2位(13万8829人)の中国。その首都・北京で7年前、わずか26歳で起業したのが、北京ログラス有限公司総経理(CEO)の山本達郎氏(32歳)だ。 

永住する覚悟はない

「慶応大学に入学した頃は弁護士になりたいと思っていました。しかしバイトで勤めた学習塾が、授業料は高いのにバイト代が安かった。これなら自分で経営したほうがいいと思い、友人たちと塾を開いた。それが想像以上にうまくいった」

ビジネスへの興味をかき立てられた山本氏は、ベンチャーを研究する勉強会などに参加。仲間たちとアジアや中国各地を訪問し、ビジネス環境を見て回った。語学と経営の勉強のため、米国と中国にも留学した。 

「ビジネスをやるからには成長する市場で成長する分野の事業をやりたかった。それで、中国でインターネット関連の事業を起こそうと考えたんです」

外国人が中国で起業するのは手続きが煩雑な上、当時は開業時に約100万元(約1500万円)を用意しなければならなかった。 

そこで留学時代の中国の友人名義で会社を設立してもらった。手続きが簡素で、準備する資金も半額(約750万円)で済んだからだ。これには学生時代に経営していた塾の経営権を売却した資金と、家族や友人からの出資金を当てた。 

中国に渡ることに、両親はさして反対しなかった。 

「弁護士からベンチャーに進路を変えるときのほうが抵抗は大きかったですね」

日本語・中国語・英語に対応できる企業は'06年の起業当時は少なく、無印良品やキューピーなど大手企業のホームページ作成などを受注。ネット広告やネットショップの開設・運営支援などにも進出して業績を伸ばし、若手企業家として中国のビジネス誌やテレビ番組でコメントするまでになっている。 

「でも、このまま中国に骨をうずめる覚悟、という感じではありませんね。結婚もこれからですが、ご縁があれば中国人でも日本人でもこだわりはありません。世界のどこにいてもボーダーレスというか、国の違いはあまり関係ないかなというのが正直なところです」

一方、日本でやりたい仕事を定められずにいるうち、いつの間にか中国に辿り着いた若者もいる。昨年末、北京に渡った鈴木友樹さん(仮名・32歳)はこう話す。 

「あの、私はどうも、日本の企業文化というか社会の堅苦しい感じがしっくりこなかったんですね。国内でも何回か転職しているんですが、内定をいただいても本当にそこが自分に合うのか、考えてしまったりして・・・・・・。悩んでいたとき、転職サイトで中国で働くという中国企業の募集を見つけまして、なるほど、そういう方法もあるのか、と」

世界で就職活動する

東洋大学国際地域学部を卒業していたが、在学中とくに海外ビジネスを勉強していたわけではない。英語も人並み、中国語はまったくできない状態だったが、「日本語だけできればいい」という募集条件だったため、応募。業務内容は世界で展開する中国系旅行代理店の、日本人顧客からの問い合わせに応対するコールセンター勤務だった。 

「まだ研修期間なので、取得しやすい30日間の観光ビザで入っています。あとで会社が就労ビザを取ってくれるはずです。ただ就労ビザを取れるまでの滞在延長に銀行の残高証明がいるんですね。2万元、日本円で30万円弱ですが、会社から事前のアナウンスがなく困りました。こちらで家を借りると、敷金はすべて現金払い。それで手持ちの現金がなくなって。たまたま中国に来る用事のあった知人に頼んで用立ててもらいました」

日本には、お互い結婚も意識している20代の恋人がおり、彼女も中国に来ることを考えているという。結婚し、配偶者としてビザを申請するのかと問うと、

「うーん、まだそこまではっきりしていないので。語学留学のような形になるのかなあと・・・・・・」

ゾウやキリンが闊歩する広大なアフリカの大地。ケニアの首都ナイロビで現地の旅行会社に勤める31歳の女性は、都内の有名私立大学卒業後、日本でOL生活をしていたという。 

「日本には会社員があんなに多いんだから、会社員というのはやはり面白いのに違いない。そう思って就職したんです。それなりに毎日楽しかったんですが、別にこの生活がずっと続いてほしいとは思えなかった」

何となく会社を辞め、乳牛の牧場で働くなど気の向くまま職を転々としながら、子供の頃、親の仕事の都合で3年間住んだケニアにたびたび旅行するようになった。当初、働くつもりはなかったが、知人から現在の仕事のオファーを受け、そのまま居ついてしまった。 

「治安も悪いし、役所や銀行もいい加減。でも日本がしっかりしているということは逆に自分もピシッとしていなければならない。働く分にはここは楽ですね」

ビザの面で有利になるので、ケニア人との結婚も考えた。だが戸籍制度のないケニアでは、庶民は法律上の結婚など滅多にしない。法的な手続きをすること自体が面倒らしく、なかなか相手は見つからなかった。 

しかも、ケニアでは男の浮気は当たり前。収入が多い日本人は結婚に際して、相手の一族や浮気相手、浮気相手の子供など100人の面倒を見る覚悟が必要だと知って断念した。 

「日本を捨てたつもりはないんですよ。この先どうなるかとか、あまり考えはありません。日本にもケニアにも友人がいるので、どちらかを選ばなければならないとしたら悲しいですね」

日本に絶望するエリート、野心的な企業家、そして日本社会に馴染めなかった若者たち。具体的な理由はバラバラでも、彼らに共通するのは、日本の現状への強い違和感と言えるだろう。 

この状況を識者たちはどう考えているのだろうか。 

教育評論家で法政大学教授の尾木直樹氏は、この1~2年、海外での就職を目指す学生が急増していると肌で感じているという。 

「世界で就職活動をする、『セカ就』が当たり前になってきています。30~40代の先輩たちが、大卒でも非正規雇用で、周囲の空気を読みながら生活していることも大きな要因ですが、目の前にある就職戦線の状況が最大の原因でしょう」

尾木氏は'11年度にパナソニックが新規採用の80%を外国、主にアジアからの若者にする方針を採ったことが象徴的だという。

「世界展開するような大企業はグローバル化を掲げている。そうした企業の'13年の採用では75%が外国の若者になる可能性があるといいます。東大、京大のようなブランド大学の学生でも必死です。まして中堅以下の大学にいる学生には状況は非常に過酷です」

企業側が海外からの雇用に傾く以上、若者が海外に働き口を求めることは必然だと尾木氏は言う。 

「そもそも、日本は先進国のなかでも突出して、外国企業に就職する若者が少なかった国なのです。グローバル化と情報化のなかにあって、島国的状況というか、20年前から世界の孤児だった。いいも悪いもなく、これから日本の若者は海外に出ざるを得ないのです」

淑徳大学非常勤講師で、海外で働く日本人女性の姿を紹介するサイト『なでしこVoice』を運営する濱田真里氏はこう話す。 

「海外で活躍する若い女性のなかには、学生時代やOL時代に旅行したアジアなどの途上国の熱気に憧れたという人が多いですね。

さらに、現地に行ってみると、日本人コミュニティでの助け合いがしっかりしている。いま、日本本国では失われたコミュニティの結びつきがあって、却って人の温かさを感じる。 

日本を捨てるのかと言う人もいるでしょうが、海外にいる日本人のほうが日本の現状には真剣な危機感を抱いていますね。先行きも見えないのに、ただただ毎日深夜まで働いて、体を壊して・・・・・・。そんな社会で大丈夫なのか、と感じている人が多いと思います」 

一方、思想家の内田樹氏は、若者たちが本当に海外で実力を発揮できるかには疑問が残る、と指摘する。 

「若者たちの海外就業は、企業のグローバル化と、若年労働者の雇用環境が底なしの劣化を続けている現状に対する、ひとつの適応のかたちだと思います。その限りでは合理的な判断だと言えるでしょう」

ただし、海外進出は年齢や学歴がかなり限定された一部の集団内での徴候で、若者全体に拡がることはないのではと感じるという。 

日本で頑張るという選択

「国内にも、条件は悪くともやりがいのある職業がまだ探せばいくらでもあります。それに、労働者のパフォーマンスは、帰属する社会に対する忠誠心を大きな駆動力にするのです。

私たちはしばしば『日本の未来のために』といった集団的な目標を持つときに『火事場の馬鹿力』を発揮します。海外の職場でも、現地での集団的な目標が駆動力になりえますが、はたして現地社会にどこまで強い帰属感情を持ち続けられるか。海外に出る決断をする前に、それを吟味しておいたほうがいい」(内田氏)

では若者が海外に出て行ってしまう日本に未来はあるのか。政治や経済を多角的に論じる哲学者で、フランス生活の経験もある津田塾大学国際関係学科准教授の萱野稔人氏はこう語る。 

「若者の雇用を考えるフォーラムなどに出ると、必ず『財政破綻の恐れもあるし年金も払い損になりそう。もう日本を捨てて海外に出たらどうでしょうか』という質問を受けるんです。

しかし、海外で日本人が就ける仕事は日系企業の現地採用や日本人観光客相手の商売などが大半。日常生活でも日本人の仲間とつるんでいく。結局は日本との間で循環するお金で生活し、精神的にも言語的にも日本文化に頼って暮らしていくのです。本当に日本と縁を切って生きていくことなど、まずできない。 

そう考えれば、若者の海外進出で日本という国の形が解けて崩壊してしまうとは思いません。日本経済へのダメージも少ないでしょう。 

海外がいろいろと魅力的なことは確かですが、私は先ほどのような質問に対して、『結局は日本経済と一蓮托生なのだから、海外で頑張るくらいなら、日本で頑張ってみたら』と答えていますよ」 

若者たちの行動は、日本をいかに変えていくのか。変化の波は確実に、足元まで迫っている。 

 


[家族] 母と息子のルールづくり(スマホ18の約束ごと)

2013-01-24 | Weblog

Mom Has Son Sign 18-point Agreement for iPhone Christmas Gift!

 

ビデオは米国ABCの人気番組モーニング・アメリカのなかで紹介された母と息子だ。日本テレビの情報番組「スッキリ!!」でも紹介され、その後あっという間に有名になった家族だ。いわゆる「スマホ18の約束(the mom contract,18-point deal with son over iphone)」だ。現在、日本語訳をGoogleで検索すると何百種もの亜種がヒットする。

「スマホ18の約束」とは、アメリカのあるお母さんが、13歳の息子にスマホ(iPhone)を与えてもいいか悩んだ末に作った息子との間の契約書のこと。その内容が、本当に心から息子を愛し世の中に対処させるために考え抜いたと思われるもので、読む人すべての共感を得たと言っても過言ではないくらいにアメリカでも感動を呼んだ。

学校での銃乱射事件が続くアメリカだが、家庭での親のしつけはすばらしい。子育てに自信がない日本の親たちとは対照的だ。ただ甘やかすのではなく、子供達と一緒に家庭内での役割分担やルールをつくつて約束事を守らせ、責任をもたせることで、子供達に独立心をうえつけることが大切だ。

--------------以下に引用。

 

13歳の息子へ、新しいiPhoneと使用契約書です。愛を込めて。母より

 

グレゴリーへ、

メリークリスマス!あなたは今日からiPhoneの所有権を持つことができます。やったね!責任感のあるお利口な13歳なので、このプレゼントはあなたに相応しい。しかし、このプレゼントと受理すると同時にルールや規則が付いてきます。以下の使用契約をゆっくり読んでください。私の親としての仕事も分かって欲しい。あなたを健康で豊かな人間性を持った、現代のテクノロジーうまく活用していける大人に育てなければならないといことを。以下の規則を守ることができなかった場合、あなたのiPhone所有権も無くなります。

あなたが大好きでたまりません。あなたと何百万個ものメッセージ交換をするのが楽しみです。

1.これは私の携帯です。私がお金を払いました。あなたに貸してあげるものです。私ってやさしいでしょ?

2.パスワードはかならず私に報告すること。

3. これは「電話」です、鳴ったら必ず出ること。礼儀良く「こんにちは」と言いなさい。発信者が「ママ」か「パパ」だったら必ず出ること。絶対に。

4. 学校がある日は7:30pmに携帯を私に返却します。週末は9:00pmに返却します。携帯は次の朝の7:30amまで電源オフになります。友達の親が直接出る固定電話に電話出来ないような相手ならその人には電話もSMSもしないこと。自分の直感を信じて、他の家族も尊重しなさい。

5. iPhoneはあなたと一緒に学校には行けません。SMSをする子とは直接お話しなさい。人生のスキルです。注:半日登校、修学旅行や学校外活動は各自検討します。

6.万が一トイレや床に落としたり、無くしたり、破損させた場合はの修理費用は自己負担です。家の芝生を刈ったり、ベビーシッターをしたり、お年玉でカバーしてください。こういうことは起こります、準備していてください。

7.このテクノロジーを使って嘘をついたり、人を馬鹿にしたりしないこと。人を傷つけるような会話に参加しないこと。人のためになることを第一に考え、喧嘩に参加しないこと。

8.人に面と向かって言えないようなことをこの携帯を使ってSMSやメールでしないこと。

9.友達の親の前で言えないようなことをSMSやメールでしないこと。自己規制してください。

10. ポルノ禁止。私とシェアできるような情報をウェブで検索してください。質問などがあれば誰かに聞きなさい。なるべく私かお父さんに聞いてね。

11. 公共の場では消すなり、サイレントモードにすること。特にレストラン、映画館や他の人と話す時はそうしてください。あなたは失礼なことをしない子です、iPhoneがそれを変えてはいけません。

12.他の人にあなたの大事な所の写真を送ったり、貰ったりしては行けません。笑わないで。あなたが賢くてもそういうことがしたくなる時期がやってきます。とてもリスキーなことだし、あなたの青春時代・大学時代・社会人時代を壊してしまう可能性だってあるのよ。よくない考えです。インターネットはあなたより巨大で強いのよ。これほどの規模のものを消すのは難しいし、風評を消すのも尚更難しい。

13.写真やビデオを膨大に撮らないこと。すべてを収録する必要はありません。人生経験を肌身で体験してください。すべてはあなたの記憶に収録されます。

14.ときどき家に携帯を置いて出かけてください。そしてその選択に自信を持ってください。携帯は生きものじゃないし、あなたの一部でもありません。携帯なしで生活することを覚えてください。流行に流されない、FOMO(自分だけが取り残されるていると思ってしまう不安感)を気にしない強い人になってください。

15.新しい音楽、クラシック音楽、あるいは全員が聞いている音楽とは違う音楽をダウンロードしてください。あなたの世代は史上もっとも音楽にアクセスできる世代なのよ。この特別な時代を活用してください。あなたの視野を広げてください。

16.ときどきワードゲームやパズルや知能ゲームで遊んでください。

17.上を向いて歩いてください。あなたの周りの世界を良く見てください。窓から外をのぞいてください。鳥の鳴き声を聞いてください。知らない人と会話をもってください。グーグル検索なしで考えてみてください

18.あなたがルールを守ることに失敗したときには携帯をあなたから奪います。その失敗について私と話し合います。また一からスタートします。あなたと私はいつも何かを学んでいる。私はあなたのチームメイトです。一緒に答えを出して行きましょう。

この条件を合意してくれることを願っているよ。ここにリストしてあるほとんどの条件は人生をうまく生きるための条件にも当てはまるものだから。あなたは常に変化が激しい世の中に生きています。とてもエキサイティングで気を引く体験だと思う。できるだけシンプルに物事を考えて行ってください。どんな機械やガジェットよりも自分のパワフルな考え方と大きな心を信じてください。あなたが大好きなのよ。あなたの素晴らしいiPhoneを楽しんでね。

母より。

(翻訳文 ブログ打村明  引用源 Gregory’s iPhone Contract)

 

 


日本の生活保護制度、保障が意味すること(生かさず殺さず)

2013-01-24 | Weblog

2013/1/28 記事追加:

 
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 (東京新聞)政府は二十七日、生活保護のうち食費などの生活費に充てる生活扶助費を二〇一三年八月から三年間かけて、段階的に国費ベースで約八百五十億円(約8・3%)削減すると決めた。生活保護受給世帯の約96%の世帯で受給額が減る。保護費の引き下げは二〇〇四年度以来で、過去最大の減額となる。 

 麻生太郎財務相と田村憲久厚生労働相が会談し、合意した。

 生活扶助の基準額を約六百七十億円(6・5%)、年末に支給する期末一時扶助を七十億円削減。さらに、受給者が働いて得た収入から仕事に関する経費を差し引く特別控除廃止で約百十億円カットし、全体として約8・3%削減する。

 扶助費は年齢や世帯人数、居住地域などに応じて計算するため削減率も世帯ごとに異なるが、減額の幅は10%を限度とする。

 厚労省の試算によると、東京二十三区や名古屋市など、都市部の四十代夫婦と子ども二人(子どもは小・中学生)の世帯の場合、受給額は現在の月約二十二万二千円から一五年度には二万円減り、約二十万二千円になる。都市部の七十代以上の夫婦は十一万四千円から十万九千円に減る。厚労省はこのほか、医療扶助の見直しや就労支援などで一三年度で三百四十億円程度の削減を目指すとしている。

 

2013/1/24 時点

本ブログ管理人の一言:

 日本の生活保護は原則、生活扶助、教育扶助、住宅扶助、医療扶助、介護扶助、出産扶助、生業扶助、葬祭扶助の計八つの扶助で成り立つ。これらは、すべての生活保護世帯に、すべての種類が常に支給されるわけではない。

たとえば、生業扶助・出産扶助・葬祭扶助は臨時的に支給され、医療扶助・介護扶助も必要に応じて現物支給(福祉事務所が代わって支払うこと)される。また教育扶助は、世帯に義務教育を受けている子供がいる場合にのみ支給される。しかし生活扶助だけは、どの生活保護世帯にも変わらずに常に支給される。


生活扶助には「第1類」と「第2類」の2種類があり、第1類は個人が日常生活を送る上で必要なものを買うための費用である。つまり衣食住のうちの「衣食」にあたる。一方、第2類は家族単位で必要なものを買うための費用であり、光熱費や交通費、寝具の費用などだ。

 東京新聞によると、厚生労働省は22日、これら八つの扶助うち、衣食や光熱費などに充てる生活扶助の支給水準(基準額)を2013年度から三年かけ、段階的に全体として約8%(このうちの5%はデフレによる物価下落分)引き下げる案をまとめたと報じている。

 支給水準は年齢や世帯人数、住んでいる地域によって異なるため、各世帯で下げ幅は異なるが、減額幅は最大で10%を目安としている。

 自民、公明両党の了承を得られれば、13年度予算の編成過程で最終決定される。この決定には、法改正の必要はなく、生活保護法8条に基づき生活保護基準を設定する権限を有する厚生労働大臣が新基準を告示すればよい。

 自民党は先の衆院選で、支給水準の10%カットを公約にしており、厚生労働大臣も引き下げを明言している。相棒の公明党もまた容認姿勢だ。

 12年度予算の保護費総額は約3兆7千億円で、うち生活扶助は約1兆2千9百億円(約35%)だから、8%引き下げた場合、約1千億円の公費の削減が見込まれるという。

しかしである。生活保護基準は、憲法25条が保障する「健康で文化的な最低限度の生活」の基準であって、その人、その家族の生存権保障の水準を決める極めて重要な基準でもある。

現在、生活保護を利用している人は、210万人をゆうに超えている。しかし所得が生活保護基準以下であるにも関わらず保護を受給していない人たち(*)も多く存在している。また生活保護基準に近い低賃金で働いている非正規労働者も相当数におよんでいる。

それに生活保護基準は、介護保険の保険料や利用料、障害者自立支援法による利用料の減額基準などの施策の適用基準にも連動しており影響が大きい。

とにかく、今より下がれば、明らかに最低でギリギリの生活水準をさらに低下させ、生命や健康にまで危険を及ぼす結果になりかねない。

そうなれば生活保護者ばかりでなく、一般の生活者にも大きな影響が出てくるだろう。生活保護基準の引き下げには反対だ。

日本人は生活保護者を怠け者だとか揶揄しがちだが、欧米人のように自分が生活保護に頼らずに生きていることに感謝し、生活保護者を哀れむだけの広い心をもつことだ。やはり無信教の日本人とクリスチャン精神をもつ欧米人との違いのようだ。

(*):2012/12/25付、“[貧困社会] 弱者を痛めつける日本の政治(追い詰められる若者達の孤独死)”を参照のこと。

―――――以下に記事を引用。

 

生活保護制度が保障する「最低限度の生活」とは、いったい何なのだろうか?

「最低限度の生活」に必要なものは何か

貧困問題・社会政策を研究している岩永理恵さん(35歳・神奈川県立保健福祉大学講師)は、2008年から、「生活最低限」の研究を行なっている。2008年から2010年は、東京都立大学(当時)時代の恩師の1人である岩田正美氏(現・日本女子大学)の研究プロジェクトの一員として。2009年からは、自分自身の研究プロジェクトとして、大学の後輩でもある堅田香緒里氏(現・埼玉県立大学)とともに。 

現在の研究プロジェクトの名称は「『流動社会』における生活最低限の研究:『合意に基づく』基準生計費策定プロジェクト」である。と言われても、根が理系の筆者には、正直なところ、内容のイメージが沸かない。その研究は、どういうものなのだろうか? 

「基本的な生活に必要なものは、どういうものなのか、考える研究です。今は、どなたかが実際に暮らしているお住まいに行って、お住まいの中にあるアイテムを全部数え上げ、そのアイテムリストについて議論する形で研究をしています」(岩永さん)

調査の場として選んでいるのは、東京都三鷹市・埼玉県さいたま市である。いずれも、都心に通勤する人が多く住んでいる街である。岩永さんたちは、それらの街の賃貸住宅に住む単身者の住まいを訪問し、紙1枚に至るまで、すべてのアイテムを数え上げる。そして、膨大なリストを作る。そのリストの検討を通して、人間の基本的な生活とは何かを明らかにするのが、研究の目的だ。もちろん、その「基本的な生活」に必要な費用は、生活保護法でいうところの最低生活費とリンクする。 

もちろん、人の暮らしぶりは1人ひとり異なる。持っているアイテムの種類にも数にも、人によって、大変な違いがある。CDなど趣味のグッズを大量に所有している人もいれば、洋服を大量に所有している人もいる……と書きながら、筆者はふと、自分の所有物が気になり、工作机の引き出しを開けてみた。幼少時から電子工作を愛好してきた筆者は、未だに工作用の机を持っている。その引き出しには、ハンダゴテが3本、テスターが5個入っている。この1年ほどの筆者はほとんど、工作机やツール類に触れる機会を作れていない。でも、捨てたくない。自分のアイデンティティの象徴のようなものだからだ。 

「夢を買う」は宝くじだけじゃない、ある男性の、ささやかな願い

都内某市の、ある単身男性の住まいで、岩永さんたちが調査を行なっていた時のことだ。 

男性は、企業に勤務している。収入は「ワーキングプア」ほど低くはないが、決して高くはない。仕事は、極めて多忙だ。平日、住まいに滞在できる時間は、7~8時間程度。帰って、シャワーを浴びて、寝て、起きて、身支度をして出勤する。それだけのための住まいだ。 

その男性は、大量の調理器具やレシピ本、レシピをプリントアウトした紙を所有していた。使われている形跡は、ほとんどなかった。調理器具は埃にまみれ、レシピは変色していた。男性の生活を考えると、自分の住まいで料理ができるわけはないのである。大量のアイテムや紙を数え上げるのに音を上げた岩永さんたちは、つい「捨てていいですか?」と男性に尋ねてしまった。すると男性は、「捨てないでください、そのうち使うんですから」と答えた。

岩永さんには、男性が「そのうち」に、それらの調理器具を利用してレシピの料理を作るとは思えなかった。楽しみのための料理どころか、空腹を満たす程度の料理もできない毎日の生活。何のために、調理器具やレシピを手元におくのだろう? 

「本当は、料理作りたいんですよね、きっと」(岩永さん)

では、何が足りないために、男性は調理器具を埃まみれにしているのだろうか? 

「できれば、もっと働いている時間が短くて、自分で好きな料理を作る時間のある生活をしたいんでしょう。でも、それが出来ないわけです。だから、調理器具を買ってレシピを集めて。叶えられない欲求や希望が、逆にモノに現れているんです」(岩永さん)

叶わない夢を、その夢にまつわるモノを購入することで、いくばくかでも叶えた気になる。そんな切ない経験は、おそらく誰にでもあるだろう。 

「最低生活費」は、高すぎるのか低すぎるのか?

では、生活保護法の根拠である日本国憲法第25条「健康で文化的な最低限度の生活」に、「夢を叶えた気になる」ための消費は含まれうるだろうか? 

「議論しだすと、どうしても、含めることが難しくなってしまいます。『最低』ですから」(岩永さん)

 先進国に生まれ育った人間の当たり前を、「生活保護だから」という理由で奪ってよいのだろうか? でも、それで良いのだろうか? 

「もちろん、『奪うべし』という論理は、それはそれで理解できるんです。でも、その反対のニュアンスも考えられると思うんです。最低限度だけど、健康で文化的な生活というような。憲法25条のニュアンスって、本来は、そういうことも含んでいると思うんですよ」(岩永さん)

岩永さんには、現在の生活保護費は、どのようなものに見えているのだろうか? 

「人の生活はそれぞれ違うのが当たり前だし、そこが面白いんですけど、公的扶助としては、公正さが必要なんですよね。困っていて、生活保護を必要としている人が、どの程度本当に困っているのか。本当に困っている人を公正に扶助する手段として、『最低生活費』という仕組みが発明されたんです。公正さを、数字で、お金で表して、みんなが分かる、体系だった仕組みにして追求してきたわけですけど……あまり成功していないですね、私の考えでは」(岩永さん)

それでも生活保護当事者は、算定された、その最低生活費の範囲で生活する義務を課せられる。生活保護費は現状で充分なのか、多すぎるのか、少なすぎるのか。井戸端会議・居酒屋談義レベルでも、議論は尽きない。 

「最低生活費は、自分の生活に必要なお金と比べることが無理な性質のものです。よく誤解されているんですけど、生活保護受給者は、ひとまず最低生活費『だけ』で暮らしていくことが前提なんです。ストックがなくて、フローだけです。

ストックは、必ずしもお金やモノに限らず、人とのつながりなどでもありうるんですが、最低生活費には、少なくとも生活保護の受給を開始する段階では、そのようなストックの必要性は考慮されていません」(岩永さん)

けれども、最低生活費(生活保護費)は、ある線に定められざるを得ない。そのためには、何らかの比較が必須となる。 

でも、同じ条件というのはどういうものなのかを考えるために、『健康で文化的な』というニュアンスをどれだけ考えるというようなことが初めて出てくるんだと思うんです。人の暮らしはさまざまで、生活に対する思いもそれぞれにある中で、『このへんが人間の基本的な生活』というラインを、議論する中から導き出していくということは……難しいけれども、やらなくてはならないことなんだろうなあ、と思っています」(岩永さん) 「比べるためには、まず、前提条件を同じにしなくてはいけませんよね?

生活保護受給者を羨望の眼差しで見てしまうのはいったいなぜか?

それでも、生活保護当事者を羨望の目で見る人々は少なくない。生活保護当事者だけが苦しい思いをしているわけではないからだ。 

「人間、いろんなありようがあると思うんです。時間があっても料理したくないとか、お金があったら旅行に行きたいとか。でも、そういうありようを実現できていないのが、私たちの生活であり、労働のありかたであり、暮らしのありかたです。その不満が、生活保護へと向かってしまうんでしょうね」(岩永さん)

生活保護当事者はしばしば、「働けるはずなのに昼間からブラブラしている」と非難される。 

「就労できていない生活保護受給者の方々は、時間はあります。だから、なんだか、羨ましいと思ってしまうのかもしれませんね。生活保護受給者は決して、ゆとりがあってお金が自由に使えるわけじゃないんですけど、時間の余裕が全然ない働き方を強いられている人たちが、すごく多い世の中になっていますから」(岩永さん)

就労し、経済的に自立していても、平日に少しだけ料理をするほどの時間の余裕もない生活を「健康で文化的な生活」とは呼べないであろう。「健康で文化的な生活」は、生活保護当事者だけでなく、すべての人に必要なのだが、このことは、しばしば忘れられてしまっている。 

2004年に歿した詩人・石垣りんは、戦後の食糧難の中、家族で食卓を囲みながら、食糧の多い・少ないといったわずかな差を気にしてしまう自分を「悲しき餓鬼」と表現した。時間であれお金であれ、生活保護当事者のわずかな「ゆとり」のようなものに心が波立つ時には、そうなってしまう自分の置かれている環境をふり返ってみる必要がありそうだ。 

「私は全然知らない」から始めた貧困研究

小学校時代の岩永さんは、しばしば、皇居の内堀・外堀を徒歩で通った。1980年代、そこには多数の「浮浪者」がいた。今なら、ホームレスと呼ばれる人々である。外堀の土手から、日がな一日、総武線の電車が行き交うのを見下ろしている中年男性もいた。堀に住んでいる魚を釣っている中年男性もいた。岩永さんは「何をしているのだろう?」と思ったが、どういう人達で何をしているのかは、良く理解できなかったという。そのうちに、1989年、昭和天皇が崩御。前後して、多数の浮浪者は姿を消した。代わりに、多数の警官が周辺を警戒するようになった。岩永さんは、「あの人たち、どこに行ったんだろう」と思ったが、それ以上には気に留めなかった。 

大学生になった岩永さんは、成り行きで社会福祉学を専攻することになった。憲法、貧困、生活保護、高齢者、障害者。数多くのことを学ぶ中で、「私、全然知らないなあ」と気づいた。もちろん、言葉としては知っているが、具体的にどういうこと・どういう人々であるのかを、全く知らない。それが、現在まで続く研究への入り口だった。 

大学4年の時、「貧困を知りたい」という思いから、貧困を経験した人の話を聞きたいと思った。卒業研究では、救護施設で暮らしている4名のライフヒストリーをインタビューした。全員が、中途障害での全盲だった。中高年男性が3名と、高齢女性が1名だった。 

3名の男性たちは、インタビューに気さくに応じた。自分がどういう仕事をしていたか、どういう失敗をしたかを、率直に語ってくれた。 

女性は、とても拒否的だった。重たい口ぶりで話し、話の終わりに、「あなたみたいに若くて美しい人に何が分かる」と言い放った。全盲なので、「美しい」かどうかは分からなかったはずであるが。あとで救護施設の職員に聞いたところでは、女性は終戦直後、渋谷で「パンパン(主に米軍関係者を対象とした売春婦)」をしていたそうだったが、その経験は語られなかった。 

岩永さんは、ただ「知りたい、何かしたい」と思っただけだった。それなのに、非常に拒否的な反応に遭った。激しい衝撃を受け、帰途の電車の中ではずっと泣いていた。心の中は混乱でいっぱいだった。「悪いことをしてしまった」という気持ちと、「何なのよ!」という気持ちの両方があった。 

岩永さんは、当時のことを語りながら、苦笑まじりに語る。 

「当たり前ですよねえ、そういう反応って。自分の善意は、福祉の善意でした」(岩永さん)

「誰でもない制度」と「隣のあなた」の間で生活保護制度の設計を

それでも、岩永さんは、 

「誰かを助けたいという素朴な気持ちは、大切だと思います」

という。生活保護は、極めて不完全ながら、その気持ちを具体化したものと言えるかもしれない。でも、誰しも、助けられる側に望んで立ちたいとは思っていない。助けてもらうということには、惨めさもつきまとう。 

「生活保護の受給者になる、被保護者になるということは、『隣のあなた』、ご近所の誰かのお世話になるということではないんですよね。社会の『再分配』という仕組みとして、どの人も、生活が一定のレベル以下になったら底上げをするということなんです。支えられた人も、支え手に回ることもあるし、それは入ったり出たり、流動性のあるものなんですよね。これは、社会保障という仕組み、制度の非常に優れたところです」(岩永さん)

そして、生活保護という形でお金だけを渡せば済むわけではない。 

ということです。人が生きていくためには、ケアが必要です。少なくとも子どもの時には、誰もがケアを受けます。そこには、モノとお金だけでは解決しきれないものがあるんです。ケアの担い手は、家族であったり、『隣のあなた』であったり、どうしても、顔の見える関係であらざるを得ません。それが生きることだと思うんです。制度と、人間の関係性は、両方ないとダメなんですよね」(岩永さん) 「生活保護の議論の中で、とても不十分だと思っているところがあります。『隣のあなた』ではない制度だけでよいのか?

言葉を選びながらも明快に語る岩永さんは、最後に顔を曇らせた。 

「生活保護には、未だに『保護』でいいのかという問題はあります。でも、今の制度は、弱くて困っている人を助けてあげるという、そういう趣旨です。その、保護されるべき対象を、わざわざ叩く、バッシングするということ。とても考えられません」(岩永さん)

生活保護当事者たちの多くは、「当然の権利」とは考えていない。葛藤し、思い悩んでいる。支援者たちも、試行錯誤や葛藤の中で活動している。支援者たちの善意を悪用する自称困窮者だって、いないわけではない。筆者にはときどき、生活保護バッシングの言葉の数々が、当事者たちや支援者たちの日々のそんな葛藤や試行錯誤や努力のすべてを嘲笑しているように見える。 

岩永さんは言う。 

どんな議論をしたいというんでしょうか?」 「保護されるべき人たちを、責める。そんなところから、何をはじめようというんでしょうか?

一連の「生活保護バッシング」と対抗に費やされた時間とエネルギーは、現状を冷静に認識することと、社会保障の意味とあるべき姿についての丹念な議論を積み重ねてゆくことに使われるべきだったのだろう。遅すぎるのかもしれないが、今からでも、その困難な営みを始め、続けたい。筆者は、そう思っている。 

(文)みわよしこ 、フリーランス・ライター