本ブログ管理人から一言: 1960年代後半に大人気だったグループサウンズ「ザ・タイガース」が、44年ぶりに再結成される。 沢田研二(64)、加橋かつみ(64)、岸部一徳(当時修三、65)、森本太郎(66)、それに瞳みのる(66)のオリジナルメンバー5人衆がファンのもとに戻ってくるという。 ザ・タイガースのメンバーも60代なら、彼らのファンも定年を迎えたべビィブーマー世代がほとんどだ。 やはり、英国にも1963年のレコードデビュー以来、現役でがんばっているロックバンドの大御所がいる。ローリング・ストーンズだ。ボーカル担当のミック・ジャガーは今年で70歳だ。 こちらはベビーブーマー世代からその子供達のジェネレーションX、そしてその孫達のジェネレーションYまでと、ファン層が広い。自分の言葉(歌曲)で社会にメッセージを与え続けていることが、世代を超えて共鳴させるためだ。 いまだ日本では、ミュージシャンなど芸能人が、自分の言葉で自由に発言することがご法度だ。そんな芸能界あって、沢田研二は目覚めたようである。この衆院選では、原発反対を掲げた東京8区の山本太郎候補者を応援するために、荻窪駅前に駆けつけ街頭演説をおこなっている。 ----------以下に記事引用。
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ザ・特集:沢田研二さんに会いに行く 「震災」「脱原発」への思い 自分の言葉で歌いたい MAINICHI 骨のある生き方って何だろう−−。東日本大震災後、時折そんなことを考える。あるコンサートに足を運んでから、歌手のジュリー、沢田研二さんに聞いてみたくなった。今、何を考えていますか。【太田阿利佐】 ◇売れなくなって考えた 何が一番大事なのか ちゃんと言わないと恥ずかしい ◇立ち直っていない人、きっと多い 「頑張らなくていい」「大丈夫」言い合える曲、作りたかった 舞台には、黒いタキシードのジュリーが汗を光らせて立っていた。昨年12月23日、パシフィコ横浜・国立大ホールでのコンサート。ザ・タイガースのメンバー、瞳みのるさん、森本太郎さん、岸部一徳さんが加わったツアーで、若い頃より太ったジュリーは、おなかの肉をつまんで「あげるよー」とメンバーに投げつけるふりをしたりしながら、「僕のマリー」など代表曲を次々披露。会場の“元若者たち”もすごく楽しそうだ。 一方、ロビーでは「さようなら原発1000万人署名」が行われていた。作家・大江健三郎さんらによる脱原発を求める活動だ。女性たちが次々に署名していく。なんだか甘いマスクでダンディーなイメージが変わっていく……。 15日から4月半ばまで、東京、大阪、名古屋で上演される音楽劇「お嬢さんお手上げだ」。その稽古(けいこ)場を訪ねた。ジュリーは素顔のまま、アロハシャツ姿で、首にタオルを巻いて現れた。 「ま、歌の仕事もそうなんですけど、僕は大体が積極的にやるっていうたちじゃないんです。でも脱原発は賛成なので、自分なりに何ができるかな、と。それも会場に来た人に『署名を』とお願いするのではなく、気が付いて賛同する人は署名すればいいし、そうでない人はやらなくていい。いろんな人がいていいんじゃないの、というのが僕のスタンスだから」 淡々としている。でもこれだけではない。11日発売のCD「3月8日の雲」は、4曲すべて東日本大震災がテーマだ。 こんな目に遭うなんて情けない、胸がしぼむ、と歌うタイトル曲。みんな流されて君ひとりが残った……と始まる「恨まないよ」。頑張らなくていい、泣いていい、でも笑って生きていくしかないという「カガヤケイノチ」。そして、大ヒット「TOKIO」以上にポップなリズムで、この国は一体何を護(まも)るのか、バイバイ原発!と繰り返す「F・A・P・P」(フクシマ・アトミック・パワー・プラント、福島原発の意味)。すべてジュリーの作詞だ。しかも「がんばろう」も「絆」も出てこない。 「危険なふたり」「勝手にしやがれ」……。調査会社オリコンによると、1968年からの20年、最も多くのシングルレコードを売り上げたのは美空ひばりさんでも山口百恵さんでもなく、ジュリーだ。 ブンブン売れていた頃、多くを人にまかせていた。曲のイメージも、派手な衣装も。阿久悠さんのカッコいい歌詞は「実は好きじゃなかった」という。 「売れている時はそれでもいい。売れなくなって真剣に考えるようになるんだよね」 30代半ば、ヒットが減っていく。「でもみんなが言うの。『ジュリーは派手でいくべきだ』。本人がもう無理無理って思っているのに」 85年に大手プロから独立してからも10年近く迷い続けた。「資金もないし、セットとかいろんなことを削って削って、結局何が一番大事なのかとなった時、思った。売れる売れないはもう違う。やっぱり『あいつはちゃんと考えている』と思われないと応援する気にならないよな、と」。コンサートに回帰した。嫌いな曲はもう歌わない。08年、東京ドームで約3万人を集めて「人間60年 ジュリー祭り」を開催。憲法9条を守ろうとの思いを込めた「我が窮状」も発表した。 それにしても、大震災という生々しい出来事を歌うのには、ある意味、勇気がいる。 「いや、こっちに邪気がなかったら大丈夫なんです。これで売れたいとか下心があったら『被災者の気持ちじゃない』と言われたら困るけど、下心がなければ『いや、これ僕の気持ちなんだもの』って。それで十分じゃないですか」 あっさり、そう返された。 「テレビや新聞には、元気で、前向きな被災地の方々が出てくるでしょう。けなげだし立派だけれど、一人になったら泣いているんじゃないかな、と思う。立ち直っていない人の方がきっと多い。でも立ち直れないまま、自分のやるべきことを黙々とやっている、そういう人も多いでしょう。だって、昔から人間はそうやって生きてきたから」 だから「頑張ろう」ではなく、被災した人もそうでない人も「きっと大丈夫」「こういう気持ちだよね」と言い合えるような曲を作りたかった。 CDのタイトルは自分の体験からだ。昨年3月8日、空の雲を見て写真に撮った。3日後に大震災とは夢にも思わずに。誰もがそうだったよね……そんな思いを込めた。 それでももう一度、聞いた。被災地の人が聴いてどう感じるか、怖くないですか。 「もちろん怖さはあるけど、それはどんな歌でも同じでしょう。一緒に頑張ろうという曲だって嫌な人はいる。ただ、みんな絶対、わざわざ原発の歌なんて作らないでしょうね」 アハハハハ、と大笑いしてから続けた。「結局、自分の言葉じゃないと歌えなくなったんですね。古い曲もヒット曲も歌う。でも新しい曲は自分の気持ちを、自分の方法で歌わないと、純度が下がる」 どきん、とした。あなたはあなたの言葉で記事を書いている?と問われたようで。 インタビューの間中、ジュリーは首のタオルを取らなかった。まるで、かつてのようにカッコいいヒーローとして派手に書かないでくれ……そう言っているみたいだ。 79年公開の映画「太陽を盗んだ男」。ジュリーは、原発からプルトニウムを盗み原爆をつくって政府を脅迫する理科教師を演じた。原発には当時から関心が? 「9条も含めて、売れている頃は、そういうことは考えないようにしていました。考えて何かしようとしても、きっと周囲が止めると分かっていたから。でも、こんな年齢になったから、ちゃんと言っていかないと恥ずかしいよね。集会やデモの先頭に立って、ではないけど。だって自分に無理のない方法でやらないとしんどいでしょう。だから俳優の山本太郎くんと仕事がしたい。脱原発を主張していてつらいと思うから」 横浜のコンサートで、歌った1曲「怒りの鐘を鳴らせ」にこんな一節があった。 ♪目をさませ いくじなし お前が やるのだ 還暦を過ぎ、タオルを巻いてても、この人はカッコいい。多分、若い頃よりも。
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