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2013年元旦、年のはじめに考える・人間中心主義を貫く(東京新聞から)

2013-01-01 | Weblog

 

 2013年元旦

 中立系東京新聞の社説「年のはじめに考える 人間中心主義を貫く」を掲載しておきます。

 

安倍自民党政権が船出しました。近隣に朴槿恵韓国大統領と習近平中国総書記。多難を思わせますが、新しい年を人間中心主義の始まりに-が願いです。

 多くの国民の要請でしょう、安倍晋三首相の最優先政策は経済再生でした。しかし、経済はだれのためのものか、それが問題です。

 本紙が「新しい人間中心主義」を訴えたのは、第一次安倍内閣の二〇〇七年の元旦社説でした。

◆若者、働く者に希望を

 〇二年からの「いざなみ景気」は「戦後最長の景気拡大」や「企業空前の高収益」とはうらはらに非正規雇用やワーキングプアを急増させ、死語だった「貧困」を復活させました。収益は労働者に配分されず、企業に内部留保されたり、株式配当に回ったのです。経済は大企業や富裕層のものだったのです。

 七十三カ月のいざなみ景気はジョブレス・リカバリー。賃金は下がり続け、労働は長時間化、一九九〇年に八百七十万人(全雇用の20%)だった非正規雇用は千七百五十六万人(同34%)に膨れました。人間中心主義の訴えは空回りだったといえます。

 それでも経済は人間のためのもの。若者や働く者に希望を与えなければなりません。まず雇用、そして賃金。結婚し、子どもをもち家庭を築く、そんな当たり前の願いが叶(かな)わぬ国や社会に未来があるはずがありません。それゆえ人間中心主義が訴え続けられなければなりません。

 脱原発への決断は再生可能エネルギーへの大規模投資と大量雇用を見込めます。医療や福祉は国民が求めています。農業や観光も期待の分野。経済の再生と同時に人を大切にする社会とネットワークの構築が始まらなければ。

◆自然と共生する文明

 近代思想の研究家で評論家の松本健一さんが大震災後の東日本の海岸を歩き、復興のあり方を考えた「海岸線は語る」(ミシマ社)を著しています。その復興構想「ふるさと再生」に共感しました。

 松本さんは大震災当日の三月十一日は内閣官房参与として首相官邸四階にいました。一階の二百人の官僚たちは所属官庁の領域の対応に追われ、復興の全体構想を考える人物がだれもいなかったことから菅直人首相に復興ビジョン私案を提出しました。その二年前、「海岸線の歴史」(同)を出版、東北地方の海岸を調べていたことから私案が作成できたのです。

 松本さんによれば日本民族は民俗学の折口信夫のいう「海やまのあひだ」に住まいしてきた民族。海と山の豊かな自然が精神的細やかさや繊細な美的感覚を養い自然と共生する暮らしを選び続けてきたのですが、西欧近代思想を取り入れ発展するうちに自然と共に生きる日本人本来の思想を失ってしまった、というのです。

 西欧の近代は自然を制御、征服する思想。今回の大震災はその西欧の限界を示しました。巨大なコンクリートの人工堤防を簡単に破壊しました。人間は自然を制御できない。松本さんが復興を試みる「ふるさと」とは、人が生まれ、住み、死んでゆく人間存在の根の場所としてのふるさとです。

 近代思想や経済至上主義ではもう立ち行かない、自然と共生する文明のあり方を模索すべきではないかとも言います。近代文明を考え直す。そこに人間中心主義が連なっています。

 「外交問題の処理に最大の禁物は興奮と偏見である。公平を期する新聞でさえかなり不十分な報道をもって民間に無用の興奮をそそっている」

 これは一九三一(昭和六)年九月十八日の旧満州(中国東北部)・柳条湖事件を報じた新聞報道を批判した中央公論の巻頭言。現在の尖閣諸島や竹島の領土問題で新聞は冷静なのか、肝に銘ずべき切言です。

 日本の新聞の歴史で最も悔やまれ、汚名となっているのは満州事変を境にしてのその変節です。それまで軍を批判し監視の役割を果たしていた各紙が戦争拡大、翼賛へと論調を転換させたのです。国民を扇動していったのです。

 その中で時流におもねらず敢然と戦ったジャーナリストといえば東洋経済新報の石橋湛山でした。帝国主義の時代にあって朝鮮も台湾も満州も捨てろと説いた「一切を棄(す)つるの覚悟」や「大日本主義の幻想」は百年を経てなお輝く論説です。イデオロギーではない戦争否定の理念、ヒューマニズム、学ぶべきリベラリストでした。

◆非武装、非侵略の精神

 満州事変から熱狂の十五年戦争をへて日本は破局に至りました。三百万の多すぎる犠牲者を伴ってでした。湛山の非武装、非侵略の精神は日本国憲法の九条の戦争放棄に引き継がれたといえます。簡単には変えられません。

 

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原発維持方針 3・11をもう忘れたか 

3・11は世界を変えた。ところが第二次安倍政権。発足早々、何の議論もないままに、原発の早期再稼働はおろか、新増設にも含みを持たすとは。福島の被害は続くのに、もうあの衝撃を忘れたか。

 あまりにも乱暴すぎる転換だ。自民党は何ら変わってはいないのではないか、そう思われても仕方ない。

 言いたいことは三つある。

 一つ目は、世界有数の地震国日本に原子力を持ち込んで、五十基を超す原発を立地したのは、ほかならぬ自民党政権だったということだ。核のごみの後始末も考えないままに、である。

 自民党が進めた国策という土壌の中で原子力ムラが醸成され、安全神話が誕生し、福島の惨事につながったのではなかったか。

 福島の苦悩は終わっていない。多くの県民が仮設住宅で、二度目の新年を迎えることになる。

 半世紀以上に及ぶ自らの原子力推進政策への検証と反省もないうちに、拙速な再稼働を考えるのは危険であり、それこそ無責任ではないか。

 日本原子力発電敦賀原発は、原子力規制委員会が活断層の存在を確認し、大地震の影響を受ける恐れがあるとした場所だ。

 その敦賀原発にさえ増設の含みを残すとすれば、規制委員会の科学的判断と独立性を脅かす意図すらあるということか。

 次は、国民の多くは原発推進を支持していないという点だ。

 自民党は、先の衆院選には大勝した。しかし、原発の是非を争点にするのを避けたのか、公約では「再稼働の是非は三年以内に結論を出す」と言葉を濁し、推進を打ち出してはいない。国民の多数は原発推進を選択してはいない。

 一方、民主党の「二〇三〇年代原発ゼロ」は、各種世論調査でも国民の過半が支持した政策だ。それを軽々しく覆すことこそ、背信といえるだろう。

 三つ目は、いま強引な再稼働を企てる前に、現実的な方策を示せということだ。

 核のごみは行き場がなく、使用済み燃料を再利用する核燃サイクルもままならない。核不拡散など米国との交渉が必要というのなら、まず国民に向かって説明してほしい。危険と隣り合わせにいるのは国民なのである。

 福島事故の収拾、被災者の早期救済、あるいは自然エネルギーの開発促進はもとより、立地地域の新たな雇用創出などこそ、最優先されるべきではないか。

 

 


安倍内閣発足、元倫理教師が教え子にお灸(改憲の不道徳を正せ)

2013-01-01 | Weblog

 

 

 

 教え子・安倍君へ:「立場違う人を大事に」 元成蹊高教諭

 

首相として戦後2人目の再登板となった安倍晋三氏(58)は高校時代、日米安全保障条約に反対する先生に質問をぶつけ、「うろたえ」させたエピソードを著書の中で披露している。その先生は、安倍氏に倫理社会を教えていた青柳知義さん(73)=埼玉県狭山市。「彼が疑問をぶつけてくれたことには拍手を送りたい」と振り返りつつ、教え子にこんな言葉を贈る。「異質の思想や立場の違う人を大事にしてほしい」

 安倍氏は06年の著書「美しい国へ」で、成蹊高(東京都武蔵野市)時代、授業中に安保条約破棄の立場から話をした先生に「条約には日米間の経済協力がうたわれているがどう思うか」と質問したところ、その先生は「顔色がサッと変わり、不愉快な顔をして話題を変えた」とつづっている。詳細な理由には触れていないが、「先生のうろたえぶり」は「革新とか反権力を叫ぶ人たちのうさんくささ」を確信する決定的な出来事だったと記載している。

 70年安保の年に、安倍氏の入学と同時に同校に赴任した青柳さんは、1年生の安倍氏に週2回、倫理社会を教えていた。「特定の価値観を押しつけることは避けてきました。何かのきっかけで安保に触れ、彼がかみついたのだと思います。論破しては彼を傷つけることにもなるから、いなして済ませたのではないでしょうか」

 安倍氏が60年の新安保条約に調印した岸信介元首相の孫だとは当時知らなかった。「メンツをつぶされた気持ちはありません。彼が疑問をぶつけてくれたことには拍手を送りたい」と振り返る。安倍氏は放課後も青柳さんの研究室まで質問に来るまじめな生徒で、礼儀正しかったという。

 ただ、青柳さんは、安倍氏が「戦後レジーム(体制)の脱却」を主張し、憲法改正や自衛隊の「国防軍」化を目指す姿勢を心配する。憲法99条が国務大臣の憲法尊重義務を定めていることに触れ「成蹊を出た学生なら、首相が憲法に基づいて職責を果たさなければならないことを常識として知っているはず。日本の近代史を謙虚に学ぶべきです。沖縄の南部戦跡を訪ね、戦争の悲惨さに思いをいたして」と訴えた。そして、こう続けた。「国家が教育を管理したり、人の内面を問題視したりしてはならない。安倍君には健康に留意し、東北の全面復興に取り組んでほしい」

「日本の過去と率直に向き合う勇気をもってほしい」と安倍氏に訴えかける青柳知義さん=東京都千代田区で、青島顕撮影

「日本の過去と率直に向き合う勇気をもってほしい」と安倍氏に訴えかける青柳知義さん

 

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 識者が見る、安倍新政権

 

衆院選での大勝を受けて、安倍晋三政権が26日に発足した。07年9月に在任わずか1年で退陣して以来の再登板となる安倍さん、今回の政権運営はいかに。経済、外交など問題山積の難局を担うことになる内閣の顔ぶれをどう見るか、識者に聞いた。

◇     新味ないにもほどが−−漫画家・倉田真由美さん

1971年生まれ。一橋大学商学部卒。代表作に「だめんず・うぉ〜か〜」。テレビコメンテーターとしても活躍中。

 事前にいろいろ言われていた顔ぶれよりも無難な方向なのかな、という感想です。若い人はそれほど多くないし、女性閣僚を何人も起用するような報道がありましたが、ふたを開けてみたら結局2人だけでしたしね。

 沖縄・北方、科学技術担当で初入閣した山本一太さんは、テレビで何度かご一緒したことがあります。堅苦しくなくタレントみたいな感じですが、政治家としての印象は特にないなあ。安倍さんと近いから選ばれたんでしょうか。

 それにしても、麻生太郎さんが副総理兼財務相兼金融担当相なんて重要ポストなのは、どういうつもりでしょう。一度首相をやった人が再登板すること自体、賛否が分かれているのに、ナンバー2まで元首相というのは新味がないにもほどがある。首相当時は失言放言が多かったし、会社の人事だったらあり得ない。麻生さんの良さって何でしょうかね。高齢だから最後の花道とか、景気対策がうまくいかなかったときに責任を取ってもらいたいからなのか。

 全体に突っ込みどころを少なくしたつもりなのかもしれませんが、前回衆院選でノーを出されたことを踏まえて、新しい自民党になるという姿勢がうかがえない。今回の選挙戦でも民主党政権でうまくいかない点があったのを「だから言ったでしょ」と言わんばかりに、まるで私たち国民のミスみたいに主張していたけど、おかしいでしょう。自民党も3年前にダメだと言われたんです。謙虚になるべきですよ。

 DV(ドメスティックバイオレンス)の前カレと別れたら、新しいカレは働かないヒモだった、やっぱり前カレの方が−−なんて私の漫画みたいなことじゃダメです。私たち国民もその点を勘違いしないようにしないと。

◇     ほごにされた財金分離−−元首相秘書官・成田憲彦さん

1946年生まれ。国立国会図書館勤務を経て、細川護熙首相秘書官に就任。前駿河台大学長。現在、同大法学部教授(比較政治)。

 今度の内閣は、甘利明、下村博文、山本一太の3氏ら「お友達」、麻生太郎、谷垣禎一両氏ら「ビッグネーム」、茂木敏充、林芳正両氏ら「政策通」という三つの要素を組み合わせた布陣だ。前回の安倍内閣は「お友達」が目立って批判を受けたが、その反省とともに、党内融和や論功行賞を重視してつまずいた民主党政権の経験も参考にし、熟慮した形跡がうかがえる。党四役と併せて女性を多用し、無派閥や初入閣者の起用も目立つ。あえて言えば「自民党は変わった」と見せることに腐心した印象だ。

官房長官に起用された菅義偉(すがよしひで)氏は、衆院選直後の日本郵政の社長人事を「政権移行期に財務省出身者でたらい回しにするのは看過できない」と批判した。一方で首相政務秘書官には今井尚哉(たかや)・前資源エネルギー庁次長を充てるとしており、「威圧と懐柔」で官僚を使いこなそうとする方針が透けて見える点は、単純に官僚を排除しただけの初期の民主党政権との違いだ。

 麻生氏を副総理兼財務相兼金融担当相にしたのは、盟友であり経済・金融政策についての考えが近いからだろう。だが橋本行革以来の財金分離をほごにするのは、安倍氏の前のめりの金融政策、財政政策とともに日本経済にとってのリスクといえる。

 公明党の閣僚ポストを、同党からの要望通りに国土交通相にしたことも注目される。今後10年間に100兆円を投じるという公明党の「防災・減災ニューディール」に協力する意味があるが、実は総額200兆円というもっと大規模な自民党の国土強靱(きょうじん)化計画への批判の盾にする狙いがあるかもしれない。かつての自民党の公共事業のばらまきに先祖返りすれば、安倍内閣のアキレスけんになる恐れがある。

◇     総括なきセピア色内閣−−政治学者・薬師寺克行さん

1955年生まれ。元朝日新聞記者。月刊誌「論座」編集長や政治部長などを経て、東洋大社会学部教授(現代政治論)。

 今回の顔ぶれには政策通が目立つほか、前回の首相辞任後に安倍氏が親しかった人、お世話になった人が少なくない。例えば官邸人事。主要政策の多くを実質的に決定する内閣の中枢だけに注目していたが、官房長官に菅氏、官房副長官に加藤勝信と世耕弘成の両氏を配した。首相補佐官や秘書官らの人事を含めて安倍氏の人間関係重視の性格が浮き彫りになっている。

 最大の特徴は自民党への信頼が地に落ちた時期に首相だった安倍、福田康夫、麻生の3氏のうち2人が総理、副総理という内閣の中心にいることだ。総選挙で大勝したとはいえ、自民党は野党時代の3年間、なぜ国民の支持を失ったかの総括も党改革もしていない。この人事は「自民党は変わっていないのではないか」という疑念を国民に抱かせる。

 景気対策を軸に政策の着実な実行という意味では、麻生氏や、経済再生担当相に起用した甘利明氏らは頼りになる存在であり、安倍内閣のキーパーソンなのは間違いない。だが、かつての自民党政権時代のように「政官業のトライアングル」が復活するようなら国民は再びそっぽをむくだろう。甘利氏ら原発推進派が入閣しているが、再稼働問題は参院選後に先送りするのではないか。

気になるのは自民党が衆院選後の21日、まだ安倍氏が首相に選出されていないのに党の税制調査会を開き、13年度の税制改正議論を始めたことだ。税調は利益誘導政治の象徴であり、党主導の手法は古い自民党そのままだ。党の部会や総務会による事前審査制を見直す動きもない。内閣と党を含む統治システムは何も変わっていない。

 政治記者を長くやった私の目に映る安倍内閣はとても懐かしい「セピア色」だ。

 


芸能界とかけて、なんとトク、そのココロは(?)

2013-01-01 | Weblog

 

 

 

斉藤和義 ギターのストラップに反核メッセージ「核はもう終わりだ」

2012年12月31日の紅白歌合戦に歌手の斉藤和義さんが、「NUKE IS OVER(原子力は終わった)」のフレーズが書かれたギターストラップを付けて出演し、ネットでちょっとした話題となっている。

■「やりよるなあ」「問題にならないといいが…」

 今回が初の紅白出演となる斉藤さんは、演奏前の紹介で「何か場違い」な感じがすると静かな調子で答えた後、ドラマ主題歌にもなった「やさしくなりたい」を披露した。曲の歌詞は、原発とは全く関係のないものだったが、斉藤さんのギターのストラップに「NUKE IS OVER」と書いているのが、テレビ画面でも確認できた。

 斉藤さんはかねてから脱原発の立場をとっており、2011年4月に自身のヒット曲「ずっと好きだった」を替え歌にした脱原発ソング「ずっとウソだった」を自ら歌ってYouTubeにアップロードし、大きな話題を呼んだことがある。

 番組を見た視聴者らはツイッターで早速反応した。

「さりげないメッセージ。最高」「本当にスゴイよ。主張し続ける、ロック」と賛意を示す声の一方で、「こういうのはOKなんですかね。後で問題になったりしないといいけど」と疑問を呈する人もいる。

 なお、J-CASTニュースでは、「紅白歌合戦で『期待外れ』だった出演者」を紅組と白組を別々にワンクリック投票で聞いている。集計結果は、1月2日に紅白の舞台裏と合わせて紹介予定。

初出場の白組・斉藤和義(46)は、ギターのストラップに「NUKE IS OVER(核はもう終わりだ)」と反核のメッセージを書き込んでステージに立った。東日本大震災直後には、自身のヒット曲「ずっと好きだった」の替え歌で反原発の思いを込めた「ずっとウソだった」を歌い話題となっていた。このギターを弾きながら「やさしくなりたい」を熱唱。歌唱後は「楽しかったです」とのみ語った。

 

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これが日本の音楽業界の現状です」発言を批判する 安易なAKB、嵐叩きをやめよ

2012年も終わりではないか。年末と言えば、レコード大賞に紅白歌合戦だ。音楽不況なる言葉があるにも関わらず、今年もこの2つの番組が放送される(一つは既に終了した)。そんな中、昨日のレコード大賞では「これが日本の音楽業界の現状です」という服部克久氏の発言が物議をかもした。

この発言について、年末に徒然なるままに考えてみることにする。これは、偽善だ。商業音楽に関わっている者が今さらそんなことを言わないで欲しい。ここ数年、年末になると盛り上がるのは「ランキングはAKB48と嵐だらけで、どうなのか」という問題である。これを根拠にして「日本の音楽シーンは腐っている」という議論がネット民を中心に起こる。

ただ、ちょっと待って欲しい。

そもそも、商業としての音楽なので売れてナンボの話である。だいたい、ヒットチャート上位が売れ筋以外だった試しは、ほぼない。昔で言えば「ザ・ベストテン」にランクインしても、「テレビでは自分を表現しきれない」などの理由で出演しなかった「アーチスト」と呼ばれる人も結局は商業音楽をやっているわけだ。売れることは偉いことである。この事実を虚心に直視しなければならない。

なかでもAKB48は投票券、握手券などをはじめとするおまけ商法、微妙に違うバージョン違いはどうだという話になるが、これもまたCDがあまり売れなくなった00年代に入ってから、やれDVDだ、ブックレットだと、おまけが「出血大サービス」とも言えるくらいついてくるわけで、別にAKB48だけの話ではない。売る努力をしているという点ではむしろ評価してもいいだろう。もちろん、「そこまでやるか」という話になるのだが。

人は誰かを推すために生きている。AKB48は推さざるを得ない存在なのである。

嵐にしても、ジャニーズ50周年の最終鬼畜兵器だと私は解釈している。高度なプロデュース力と、本人たちの努力の究極進化系だと思っている。そういえば、私が学生時代、商学部の講義でPPM(プロダクトポートフォリオマネジメント)について説明する際の事例が、ジャニーズ事務所だった。市場成長率と、相対的マーケットシェアが絶妙なバランスをとっており、金のなる木、花形製品、問題児、負け犬の分布が絶妙なのである。ビジネス誌では2050年がどんな世界になっているかの特集が組まれていたが、明らかに言えるのは、2050年に日本で、いやアジアで売れている男性タレントはジャニーズ事務所の所属だろう。

というわけで、AKB48と嵐という究極的に完成されたビジネスモデルは直視するべきなのだ。

そして、もう1つ。

AKB48と嵐ばかりという話になるが、この2つのアーチストが「シングル」で「圧倒的に売れている」という状況なのであって、音楽シーンは実に多様化している。

たしかに、シングル・チャートはAKB48(と、その姉妹グループ)と嵐だらけである。

だが、アルバム・チャートをみるとそうでもない。もちろん、大御所中心ではあるし、ユーミンと山下達郎、ミスチルのベスト版という禁じ手に近い最強鬼畜兵器もあるのだが。

ジャンルに関しても実に多様化していると言える。これは年間のチャートであるが、週間のチャートにおいてはより多様化している。例えば、私は幼い頃からメタルが好きだったが故に、肩身の狭い思いをして生きてきたのだが、日本のメタルバンドGALNERYUSがオリコンのアルバム・チャートでトップ10入りするなどの快挙を成し遂げている。

もちろん、トータルではAKB48や嵐ほど売れていなくて悔しいのだが、「圧倒的に売れている」アーチストと、そこまでではないが売れているアーチストの分化が起こっているわけである。

これはそれぞれのジャンルにおいてもそうだ。音楽雑誌の表紙を1年分、見てみると良い。ジャンル別の雑誌ですら、表紙を飾るのはそのジャンルで圧倒的に売れているアーチストにしがみついている。結果として古参バンドになることが多いのだけど。ちなみに、私はメタル雑誌BURRN!を愛読しているが、この1年間で表紙を飾ったアーチストの8割は20年以上のキャリアを誇るバンドたちだった。これもまた現実だ。

そもそも、低成長の時代である。音楽の楽しみ方も変わっている。ライブとソーシャルメディアでミュージシャンと触れ合う楽しみ方になってきている。ミュージシャンたちも最初からバカ売れしようと思っているわけではない。そこに希望を持っているわけではない。これもまた問題なのだけど。

というわけで、AKB48と嵐を今さら批判するのは偽善なのである。そして、音楽関係者なら、それを超えるアーチストを生み出してみろ、と。

もちろん、ロックが大好きな私としては彼らを打ち倒すようなバンドに出てきて欲しいと思っているのだけど。私自身、デスメタルバンドでボーカルをしている。まだ、ライブもレコーディングもままならない状態だが、いつかは紅白だと自分の中の中2が叫んでいる。

さて、今日は紅白歌合戦だ。朝まで生テレビ同様、この番組がいつまで続くのか激しく注目しているし、男女で争っている場合じゃなく、仲良くしろと言いたくなるわけだが。今年も勝負をかけた男女の骨肉の闘いが始まる。AKB48と嵐だけと揶揄される日本の音楽シーンだが、このラインナップをみて本気を感じた。この2つのグループ以外にも役者が揃っているではないか。

個人的には、もはや「クイーン・クイーン」に改名した方がいいくらい熟女化したプリンセス・プリンセスの狂い咲きと、とりをつとめる国民的グループ、実力派のいきものがかりに期待している。水野良樹は時代を代表するソングライターである。そもそも、いきものがかりは編成が昔のドリカムと一緒で、男性の方が多いのに紅組のトリだ。ただ、そんなことはどうでもいい。このグループが日本の音楽シーンの新しい扉を開くのだと信じている。

最後に、音楽は音を楽しむと書く。音で楽しむともいえる。AKB48と嵐だけと揶揄されるが、世界はロックで動いている。みんなが聴くべきグループはたくさんあるのだ。我々ファンも楽しむことをサボってはいけない。来年の音楽シーンの発展を祈ることにしよう。よいお年を!(文:常見 陽平)

 

 斉藤和義

(1966年6月22日生)、栃木県出身。日本のシンガーソングライター。O型。1992年にTBSのオーディション番組へ出演(5週勝ち抜き)した後、1993年に「僕の見たビートルズはTVの中」でデビュー。その後もCM曲などで知名度をあげ、ファン層を広げている。1995年に同年代の一般女性と結婚。現在一児の父親。

デビューから15年目の2007年から2008年にかけては一気に知名度が高まった。リクルート社『ゼクシィ』に作ったテレビCM曲「ウエディング・ソング」が話題になり、UHA味覚糖「e-maのど飴」のテレビCM曲に「愛に来て」が起用された。2008年5月からは、武田薬品工業の「アリナミン」CM曲を担当、ブランドCM曲「おつかれさまの国」と「どんなに頑張ってみても」のフレーズの商品CM曲「やぁ 無情」の2曲を提供。「やぁ 無情」は第50回日本レコード大賞優秀作品賞を受賞。

6月には所属事務所を「ロード&スカイ」に移籍。8月にリリースのシングルズ・ベスト『歌うたい15』はオリコンチャートで最高4位。2010年4月OAの資生堂「IN & ON」CMでは「ずっと好きだった」を提供。

2011年4月1日から、東日本大震災へのチャリティーライブ「斉藤和義 on USTREAM 『空に星が綺麗』」(SPEEDSTAR RECORDS公式Ustreamチャンネル)を5週続けて敢行。同時期に、日本の政府や原発保有電力会社を批判した曲「ずっとウソだった」(「ずっと好きだった」の替え歌)を斉藤本人が歌っている動画がYouTubeにアップロードされ、話題となった。