小雨、17度、90%
この2月、私はめまぐるしい生活をしました。先月終わりまで続いた、朝から一心にチクチクをする穏やかな毎日が嘘のようでした。この四週間、時間は飛ぶように過ぎて行き、実際に私も幾度も飛行機に乗り飛びました。
月初めに見た不正出血、日頃病気もしない私ですが、年齢も考えて、即座に病院で診断を受けました。子宮頸癌の細胞検査、エコーによる検査は全てクリアーでした。当然、何が出血の原因かと考えます。見てくださった先生は、最悪の子宮体癌の心配があるとして、内視鏡と内膜掻爬による細胞検査をするとおっしゃいます。以前も書きましたが、この病院の常駐の婦人科の先生ではありません。たとえ手術をするにしても、明日というのではなく、予約が必要です。その上、香港は旧正月のお休みが入りました。
不正出血を見たときから、いざのときは全摘も自分の視野の入れて考えていました。不思議と心が騒ぎません。その反面、どうしても、体に異常があるとは思えないほど、私の体を尋常と同じに感じます。それでも、年齢、今まで病歴が全くない事、やはり、きちんと調べてもらう事にしました。
主人は日本ですべてを運びたいと言ってくれます。けど、私はこの香港人の女医さんを信頼できると感じます。ありがたい事に、私は、歯医者さんをはじめ、香港で出会った医者に恵まれています。どんな事になろうと、この土地で地元の先生にみてもらおうと、一人心に決めていました。
内膜掻爬のための手術は、旧正月明けに決まりました。半日の入院で退院できます。朝からの手術に備えて、半日の絶食です。主人は日本、病院は歩いて10分もかからない所にあります。モモさんにちょっと長いお留守番を頼んで家を出ました。
半日の絶食のせいで、お腹は空きに空いています。空き腹ですから、体温が下がって寒く感じます。ストレッチャーののせられて、病院の廊下を手術室に向かいます。病院の廊下の天井を見ながら、最後にストレッチャーに乗ったのはいつの事だったかと思いますが、思い出せないほど昔の事です。
麻酔の医師が注射をしてくれて目が覚めるまで、時間にしたら40分ほどでした。7人の大部屋で横になっているのは、2人だけ。お向かいのベットの女性はスヤスヤお休みです。私も寝たいと思いながら、お腹があまりに空いているので、目が冴えています。看護婦さんにお腹が空いたと、幾度言った事やら。麻酔が効いている間の飲食は危険が伴うのは知っていますが、寝れないのでかえって食べ物の事ばかり考えます。
やっと出してもらったのは、お丼一杯のおかゆでした。がっついて食べる私に、看護婦さんも掃除のおばさんまでが、ゆっくり食べなさいとおっしゃいます。お腹が空いていたらどんな食べ物でも美味しいといいますが、その事は嘘だと思って食べました。ちっとも美味しくなかった。
お腹が一杯になったら元気になって、家に帰ろうと思いました。少し頭の奥が霞んでいますが、足取りは大丈夫。そんなわけで、家に返してもらいました。もちろん歩いて帰ります。帰り際に、くれぐれも2日間は運転をしないようにと注意されました。自分では、普通のつもりですが、なんだか車の運転は危険だと頭のどこかで声がしています。
この内膜掻爬の手術は、慌ただしかった東京への帰国の2日後、そして、この手術の2日後には、またしても飛行機の乗って福岡に帰りました。
福岡から香港に戻る前の夕方、香港から電話が入りました。番号から病院だと分かります。でも、バスの中、電話をとることが出来ません。下りてすぐにナースステーションに電話をしますが、5時過ぎでクロウズしていると音声が流れます。電話がかかるという事は悪い知らせではないと内心思っていました。悪い知らせなら、次の週に予約している先生との面談のときのはずです。そうこうするうちに、主人から電話です。私が繋がらないので、家に電話をくれたようです。検査結果は、クリアーでした。
病気を殆どしませんが、小さな痛みですら、気付いた事はメモするほど敏感に体の管理をしています。その反面、体の持つ自浄力や自然な治癒力も信じています。
不正出血を見て、全ての検査結果がクリアーするまで、三週間。家族の者に心配をかけました。一人一人の顔を思い浮かべては、ありがとうと言います。もちろん、モモさんにも。最後に浮かんで来たのは、ある道でした。私が毎朝走る道、あの道の木々、小さな動物、空気が私の体だけでなく心も育んで来てくれました。ありがとう。
これからは、まだまだ、こういう体の不具合が出て来ると思います。どんな時も、慌てずに平常心でその時を迎える事が出来るようにと、祈ります。
私の体調以外にもたくさんの大きなことがあった2月でした。無事にこの月を過ごせた事に感謝します。