チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

母の命日

2024年08月16日 | 母のこと

晴、28度、89%

 お盆明けの今日は母の命日です。母が逝って11年経ちました。長く私のブログを読んでくださっている方はこの11年で私の母に対する感情が変わって来ていることにお気付きだと思います。

 兎に角、嫌いな母でした。今でも嫌いだと言う感情が大きく膨れることがありますが、済まなかった、ありがたかった、懐かしいと思う気持ちが波のように押し寄せることもあります。一人っ子ですから、母のことを思い出す人も私一人です。父が中学2年の時逝きました。そう聞かれると苦労して私を育ててくれたと思われるでしょうが、母は働きませんでした。父の残してくれたもので生きていました。その上、家事一切が嫌いでした。時折戻るこの家が汚く見窄らしく変わって行くのが寂しかった。悔しかった。

 母のようになりたくない、その一心で生き来ました。反面教師などと言いますが、そんな容易い感情ではありません。今私は67歳、同じ年齢の時、母はこの家で何を思って、何をして暮らしていたのかと想像することがあります。香港からたまに戻って訪れても、風呂や食事、布団の用意もしてくれませんでした。一日何をして過ごしていたやら?草花を育てるでもなく、本を買っても堆く積まれるばかり。テレビも見ませんでした。大した庭ではありませんが、私は朝起きると、この庭の空気を吸い空を見上げ幸せを感じます。母は庭に立つこともありませんでした。座敷の回り縁の雨戸は一年中閉まったまま、玄関のガラスが割れても替えることもしませんでした。

 「母のようになりたくない」と思い生きて来たのに今の私の中には父と母がしっかり息づいています。物を見る目や感じるものに父母それぞれから受け継いだ物を見出します。店に並ぶ何かを手に取った時に、心が動く感情、「あっ、これ母から受け継いだもの。」「あっ。これは父の感性。」と気付きます。

 主人の家の仏壇も始末しました。お盆にはこの家に義父母、父母みんなが帰って来ます。16日が書類上母の命日ですが、実際は15日の夜中に亡くなったと私は信じています。お盆で戻っていた父が連れて行ってくれたのです。昨日はみんな彼方に帰られました。

 餡もの好きな母へのお供えは息子の土産の榮太郎の「一寸金鍔」です。

 日々、父母への想いが深くなる、自分の変化に感謝しています。

 


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