ガス、18度、97%
まだ、日本にいた頃、我が家が住んでいたのは東京の南西の端の私鉄沿線の街でした。息子が幼稚園に入ったのも小学校に上がったのもこの街です。低学年までいました。その街に息子夫婦が部屋を見つけて移り住んだのは、家族が増える少し前の事です。この街を離れてからも、戸籍の用事で数年に一度はやって来ます。そうはいっても用事のついで、街をゆっくり見る時間もありません。駅舎を出ると、放射線状に道が拡がった住宅街です。駅の反対側には、古くからの小さな商店が並んでいました。関東らしい佃煮を売る店、時折のれんをくぐったおそば屋さん。縄のれんの焼き鳥屋さんもありました。
息子たちが住むようになって、2度程ゆっくりとこの街を歩きました。雰囲気のあった駅舎は取り壊され、駅のこちらと向こうが行き来し易くなっています。息子が初めてお使いに行ったサンジェルマンのパン屋はなくなり、エリックカイザーのパン屋がオープンしています。流行のスターバックスまであります。そうそう、日本のエリックカイザーは、サンジェルマンがやっているのだと先日知りました。
この街に住んでいた頃の我が家は、ほんとにお金もなくて、保健所に追われていた犬を家に入れ、猫を拾って来ては、小さな家族が肩を寄せあって生活していた頃です。主人も私もまだ、20代、何が自分たちの前に開けるのかも想像付かなかった時代でした。
先日、日本に出張で帰った主人は、駅近くで息子家族と食事をとりました。香港に比べると寒い寒い東京です。食事の後、商店街の緩やかな坂道を孫たちと歩いたのだそうです。一人香港にいる私を思って、アミと海老の佃煮を買って来てくれました。緩やかな坂道の行き止まりは、「六間道路」という面白い名前の道に突き当たります。この道沿いには、コロッケを揚げているお肉屋さん、数年前に閉店したサンリオのイチゴの家なんかがありました。
主人が戻って来た翌日、テーブルの上にあけぼのと書かれた箱がのっています。 良く見もせずに、空港の銀座あけぼので何やらお土産を買ったのだとばかり思っていました。あの箱の中は何?と聞くと、最中だよ、懐かしいだろうと思って。とお返事。そうなんです、六間道路には、和菓子屋さんが一軒ありました。大きなガラス戸の和菓子屋さんです。上生菓子からどら焼きまで品よく並べられていました。和菓子好きな母が上京して来るときは、ここの菓子を用意したものです。主人はそんな事も覚えていたのでしょうか。
蓋をとると、これまたきっちりと最中が詰められています。予約しないと買えない最中、並ばないと買えない最中、色々頂戴します。確かにどの最中もおいしい。けど、街街にある古くからのお菓子屋さんの最中は、しっかりした揺るぎない美味しさがあります。パッカリと2つに割ると、中は粒あん。最中を食べながら、昔の町並みやその頃の私たちの事を思い出していました。