チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

義母の握り鋏

2023年04月17日 | 義母とのこと

晴、11度、83%

 主人の実家の解体に伴う家財道具の片付けで、いくつかの品を持ち帰って来ました。食器数個、お鍋一つと数は少ないのですが、粗末にならないために私が使って行くことの出来るものだけを選びました。その一つが「握り鋏」です。昭和に流行ったカゴの裁縫箱にいくつかハサミがありましたが、小さな「握り鋏」を取り出しました。

 数日前、込み入った直し物を始めました。私の裁縫箱を開けると、昔からそこにあったかのように「握り鋏」が入っていました。糸を切る、細かい糸クズを取り出す、2時間ばかりの間「握り鋏」は仕事をこなしてくれました。糸を運ぶ間、義母のことを思います。そして改めて、義母のことを実はあまり知らなかったと気付きました。

 義母の小さい頃のことや娘時代の話が記憶にありません。よく話してくれたのは、結婚してからのことばかりでした。姑からされた数々の辛かったことを話してくれました。自分が辛かったから、自分の息子の嫁にはそんな思いをさせたくないと話してくれました。自分の息子の嫁、つまり私です。

 6人姉妹の真ん中、どんな子供だったのかしら?どんな娘時代だったのかしらと思い巡らしました。聞いても、もう「忘れてしまった。」としか返事が返って来ません。なぜもっと早くにそんな話を聞くことができなかったのかと悔やまれます。30年も日本にいませんでした。母や義父母がいるこの街には40数年いませんでした。そんな話をする時間はありませんでした。義母が使った「握り鋏」を手に幼児のようになった義母の目を思います。

 定期的に施設に出向きます。義母の部屋で小一時間、一緒に過ごします。手土産はバナナ数本です。以前のように鰻の重詰めや高価な和菓子ではありません。スーパーで買った普通のバナナです。「もう何も思い出せん。」が口癖になりました。義父のことは忘れています。テレビ電話に出た息子である主人も思い出すのに時間がかかります。私のことを忘れるのももう直ぐだと感じます。小さな部屋で言葉少なに過ごす時間が今一番私にとって大事なものです。疲れやすくなった義母をベットに横にして部屋を出ます。

 義母が使っていた大きなコップにコーヒーを注ぎました。どんな思いで生きて来たのか、もう聞くことはできませんが、義母の使った品の数々が私に教えてくれるような気がします。

コメント (2)
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