曇り、8度、68%
モモさんも私もおかげさまで元気に日本生活ひと月目を迎えました。モモさん、お庭に自分で出るようになりました。お散歩帰りも「おうちは?」と聞くとそれとなく家の方に足が向きます。この家での生活リズムができつつあります。それはこの私にも言えること、起きる時間、寝る時間、日々のルーティーンが決まり始めました。とは言っても、まだまだやることが残っています。まだまだ覚えなくてはならないことがいっぱいです。
おやつの時間もちゃんと座ってとることができるようになりました。朝、新聞を読むのもロッキングチェアーに座ってモモさんをお膝に乗せてです。昨日は、読んでいる最中、バラバラと大きな音、見ると雹が降っていました。「モモさん、雹だよ。」というが早いか雹は止んでしまいました。
この二日間、おやつには桜のシフォンケーキをお茶を点てていただいてます。桜の花の淡いピンクの粉末を入れて、桜の葉の粉末で香りをつけました。桜の液体エッセンスもあるようですが、葉っぱの粉末でも十分にいい香りがします。淡い桜色はなかなか難しい。きっと卵の黄身の色がピンクに合わさるのでややオレンジ色がかって見えます。 それでも、もうそこまで来ている春を待ちわびる気持ちでいっぱいです。モモさんに桜の花を見せてやりたいと思います。香港には桜はありません。日本人が植樹した木がハッピーバレーの墓地にあるだけだと聞きます。ピンクに染まる日本の春をモモさんはどう思うでしょう。
お茶を点てるのに茶碗を箱から出すのが面倒で出ている茶碗を使います。 この茶碗は母のものです。濃い鉄赤のやや大ぶりな茶碗です。この色が好きではないのに、なぜか残した茶碗はこれだけです。母が施設に入るまで使い続けた茶碗でした。施設に入っても、家から持ってきて欲しいと言いました。茶碗を持っていくと、施設の方に「もしも、洗う時に欠けても困ります、持って帰ってください。」と言われました。母には、茶碗が見当たらないと言ってその場をすごしました。
鉄赤の色ばかりか形まで好きになれない茶碗でした。ところが使っていくうちに母がなぜこの茶碗を使い続けていたのかわかります。手に受けた時、茶碗が馴染みます。大ぶりですが母も私も女にしては大きな手です。すっと手に収まるその感覚が絶妙です。口当たりも柔らかく、お茶の緑も映えます。心地の良い茶碗を手に母に申し訳なく感じます。
母が好きではありませんから、持ち物全般にわたって好きになれません。だから、思い切りよくほとんど捨てることができました。たくさんの物を捨てる時、いちいち深く考えません。直感的に捨てました。捨てた物の中にもこの茶碗のように使い勝手の良いものがあったかもしれません。
茶碗の良さを見出してからは、仏壇の母に一度お茶を上げてから私が飲みます。60歳を前にして、両親が残してくれた物、形のないものも含めてやっとその大きさに気付きます。まだ遅くはありません。感謝しながら毎日を送りましょう。
座卓にのぼるモモさんも復活です。ひんやりする座敷の空気が和むのももう直ぐです。