曇り、10度、67%
香港の30年の生活を切り上げて、日本に帰国することを決めて約1年。帰国を決めたのはモモさんの年齢でした。そして一番の心掛もモモさんでした。そのモモさんも無事に日本に着き、明日でひと月になります。家で寛ぐ姿も見られるようになりました。引っ越しですから、家財道具を持ち帰るのは当たり前です。30年の生活でたまった物を2年間で3回に分けて家に収めました。残るは引越しの荷物の後に送り出した車です。モモさん、家財道具、車、この3つが私の引越しでした。一昨日、2月も終わる日に車も我が家に着きました。
ピカピカの新しいナンバープレートをつけています。「ALI」と名付けているこの車も日本の車になりました。見慣れたナンバープレートではありません。なんだか真新しい車に感じます。でもシートに深く腰掛けると、腰の周りが馴染みのある沈み込みかたです。一人車の中で深呼吸、これで長かった私の引越しが終わりました。モモさんも荷物も車も色々とややこしい手続きが多く、たくさんの方に助けてもらいました。私にとっては、そうなん度も経験することのない大仕事でした。「ご苦労さん。」と自分に言います。
「ALI」はトランクについているBMWのエンブレムが取れた以外は、異常ありませんでした。早速、エンブレムをつけてもらいに行きました。カーナビもついていませんから、ついでにと思います。車の修理や整備を行うところでは全部断られました。今日はディーラーに持っていくつもりです。
香港は日本とほぼ同じ道交法です。ところが車の動きを見ていると、交差点内での右折の仕方などが違います。日本で免許を取った私ですが、不安に感じていました。オートバイ、自転車も多く走る日本です。狭い道での離合など大丈夫かなと頭を悩ませていました。確かに離合時はお互いの車幅で難儀します。道を走るぶんには、前の車について走ります。40年以上も福岡を離れています。恥ずかしいことに、地名も道もチンプンカンプン。次第に覚えるしかありません。
福岡は車の運転が荒いと言われているそうです。ところが私には、皆さん大人しく走ってているように思います。考えてみれば、あの香港、福岡より車の数も多く、歩行者に至っては信号無視も当たり前の土地でした。しかも、私の住んでいた香港島は2階建バスばかりか2階建て電車も走っていて、私の地を這うような車が挟まれる事もありました。昨日車を走らせていて、初めて気づきました。香港での運転はストレスがいっぱいだったようです。日本では、ウィンカーを出さないで曲がる車もありません。譲れば必ず挨拶が返ってきます。たった一つ、邪魔だなと思ったのが細い道に建つ電信柱でした。幹線道路では歩道に立っていますが、細い道には車道脇です。電信柱のない生活でしたから、邪魔で仕方ありません。
さあこれで、私自身も落ち着いて日本の生活を始めます。実はモモさんばかりか私自身、新しいことを覚える連続の毎日です。たくさんの方に助けられてここまでやったきました。私も日本のおばちゃんの仲間入りです。