3回目の最初は、コンスタンティヌス帝です。
あちこちの博物館、美術館で皇帝の像を見ましたが、コンスタンティヌス帝ほど大きい像はありませんでした。
同皇帝は、キリスト教を公認した皇帝で、帝国を再統一し、専制君主制を発展させたことから大帝と呼ばれています。
ローマ・カピトリーニ美術館に置かれている同帝の像です。
奥に写っている人の大きさから像の大きさが分かると思います。
中庭に置かれていた大理石の像です。これも大きな像でした。
次は、セプティミウス・セウェルス帝です。
在位は、193年から211年です。パルティアなどとの対外戦争で多くの勝利を重ねローマ帝国の防衛力再建に業績を上げたとされています。
フィレンツェで撮影した同帝です。
フランクフルトのリービヒハウス美術館に置かれていた同帝です。
同帝の息子カラカラ帝です。
ミュンヘンのレジデンツに置かれていました。
レジデンツの豪華なホールです。
両側に皇帝の胸像が展示されていましたが、時間がなくて右側部分しか撮影できませんでした。
同帝の弟ゲタです。
ゲタは、189年に生まれ、212年にカラカラの命により殺害されました。
この像は、カエサル(副帝)称号を与えられた198年(9歳)の時に作られたのだろうとヴァティカン博物館の説明文にありました。
次の像は、セウェルス帝の親衛隊長プラウティアヌスです。
ヴァティカン博物館に置かれた立派な像でした。娘は、カラカラ帝の妻ですが、プラウティアヌスは、205年にカラカラの命により殺害され、娘ものちに殺害されています。
あちこちの博物館、美術館で皇帝の像を見ましたが、コンスタンティヌス帝ほど大きい像はありませんでした。
同皇帝は、キリスト教を公認した皇帝で、帝国を再統一し、専制君主制を発展させたことから大帝と呼ばれています。
ローマ・カピトリーニ美術館に置かれている同帝の像です。
奥に写っている人の大きさから像の大きさが分かると思います。
中庭に置かれていた大理石の像です。これも大きな像でした。
次は、セプティミウス・セウェルス帝です。
在位は、193年から211年です。パルティアなどとの対外戦争で多くの勝利を重ねローマ帝国の防衛力再建に業績を上げたとされています。
フィレンツェで撮影した同帝です。
フランクフルトのリービヒハウス美術館に置かれていた同帝です。
同帝の息子カラカラ帝です。
ミュンヘンのレジデンツに置かれていました。
レジデンツの豪華なホールです。
両側に皇帝の胸像が展示されていましたが、時間がなくて右側部分しか撮影できませんでした。
同帝の弟ゲタです。
ゲタは、189年に生まれ、212年にカラカラの命により殺害されました。
この像は、カエサル(副帝)称号を与えられた198年(9歳)の時に作られたのだろうとヴァティカン博物館の説明文にありました。
次の像は、セウェルス帝の親衛隊長プラウティアヌスです。
ヴァティカン博物館に置かれた立派な像でした。娘は、カラカラ帝の妻ですが、プラウティアヌスは、205年にカラカラの命により殺害され、娘ものちに殺害されています。