豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

きょうの浅間山(2021年8月27日)

2021年08月29日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 8月27日(金曜)、この日も好天。
 借宿の交差点から眺めた浅間山がきれいだったので、遠回りをして浅間テラスに向かう。
 ここから眺める浅間山は、ぼくの個人的な<浅間百景>のベスト・ファイブに入る。
 真正面に浅間山、向かって左側に石尊山、右側に小浅間山を眺めることができたのだが、木立が茂ったため残念ながら右側の小浅間山は見えなくなってしまった。左右のすそ野がのびやかに伸びている全景を眺めることができるところがよかったのだが。
 ちなみに<浅間百景>のベストワンは、御代田の旧メルシャン美術館の裏庭から眺めた浅間山である。

       
 
 そして『カルメン、故郷に帰る』(1950年!)のなかで笠智衆が唸った(詩吟を「うなる」のはこの漢字でよいのか?)とおり、「変わらないのは浅間山だけである」ことを今年も確認した。
 ここのレタス畑の永遠なることを願うばかりである。

 2021年8月29日 記

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きょうの軽井沢(2021年8月27日)

2021年08月29日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 きょう(8月27日)、久しぶりに旧軽井沢に出かけた。2年ぶりか3年ぶりのように思う。

 いつものように神宮寺の駐車場にクルマを止めて、旧道(旧軽銀座?)に出る。
 下の写真は、神宮寺入口の石碑(?)。昭和30年代から40年にかけて、毎夏この寺を定宿にしていた友人の美術史家を訪ねる父のお供をして訪れた寺である。

       

 コロナ禍とはいえ、人通りの少ないことに驚かされる。たしかに数十年前も、8月20日の諏訪神社の花火大会が終わると旧軽井沢は急に寂しくなってしまったが、それでも今日のようなことはなかった。
 人通りが少ないだけでなく、閉店してしまった店舗が多いのにも驚かされた。
 路地裏に比較的新しくできたような店だけでなく、表通りに面した店でもシャッターを下ろした店舗が何軒も目についた。
 神宮寺の石碑のとなりにあった三陽商会の店舗も、三笠会館の後に入った喫茶店か何かも撤退してしまったらしく、テナント募集の広告が掲げられていた。

         

 一番驚いたのは、大城レース店が閉店していたことだった。
 もう何年も前に閉店してしまったのか、閉店の貼り紙さえなく、シャッターにも汚れが目立ち始めていた。
 この店は亡くなった母のお気に入りの店で、わが家の枕カバーやレースのカーテンは大体この店のものだった。
 亡くなる何年か前、最後に軽井沢に行った時も、買い物用バギー(?)をひきながら、あの狭い店内を歩きまわっていた。その後、すたこらと道を横切って、向かいの蜂蜜屋の店先に座って蜂蜜ソフトを食べていた。

 表通りを一歩入った路地に面した店舗はさらにひどい状態で、シャッターを閉じた店舗が何軒も並んでいた。テナントビル1棟すべて閉店したところもあった。
 そんな路地に面した万喜で天丼を食べた。
 これまた、亡くなった祖母がごひいきの店だった。97歳で亡くなった祖母は健啖家で、旧軽井沢に来ると、たいていはここで天丼を食べた。

       

 柏倉製菓、鳥勝、藤田肉店、浅野屋そして土屋写真館、軽井沢物産館など、残っている店のほうがわずかになってしまった。この日は通らなかったが、テニスコート通り沿いの中山農園はどうだろうか。
 軽井沢物産館の店頭に<軽井沢遺産>だったかのプレートが飾ってあった。
 1893年建築とある。日清戦争の1年前である。入口の脇に大きな牛のフィギュア(?)が立っていたが、神津牧場のコーヒー牛乳は今もあるのだろうか。
 隣の明治牛乳(販売店)、明治屋、小松ストア、三笠書房、デリカテッセンなどはとうの昔になくなってしまった。
 かつては郵便局だった観光会館、移転した郵便局は健在だったが、以前には局舎の前で売られていた軽井沢ご当地限定の切手や絵葉書はなかった。白樺の幹を薄く輪切りにしたバームクーヘンのような変形はがきなども昔はあったけれど。

       

 最後にもう一度、神宮寺の本堂に参拝して帰宅した。

       

 

 2021年8月29日 記
 

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