豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

星条旗通り--東京の坂道(第7回)

2008年05月24日 | 東京を歩く
 
 先月末の朝日新聞の集金のときに、集金のお兄さんから無料の招待券をもらっていたので、女房と“モディリアーニ”展に行ってきた。

 午後からは雨になるという予報だったので、9時半には家を出て、10時すぎに六本木の国立新美術館に到着。
 ところが入り口のもぎり嬢にチケットを渡すと、申し訳なさそうな顔をして、「この招待券でご入場になれるのは5月16日までです」と言う。本券のほうにはしっかり大きな文字で「2008年3月26日(水)~6月9日(月)」と書いてあるが、半券のほうには小さな文字で「5月16日(金)まで有効」と確かに書いてある。
 「割引券としてご利用になれますので、チケット売り場で入場券をお買い求めください」と言われた。期限切れの招待券でも1500円のところが1400円になるのだが、残念ながら、モジリアニは1400円払ってまで見たい画家ではない。タダだったからこそ、話のネタに見ておこうくらいの気持ちでやって来たのである。

 あのカマキリのようにひょろ長い首をして、土気色の憂鬱そうな表情の女性をお金を払ってまで見たいとは思わない。
 以前に、“モディリアーニ展”とタイアップしたNHKの番組で、モジリアニの絵を見た老ルノアールが、「あなたは絵を描いていて楽しいですか」と尋ねたというエピソードを紹介していた。
 ぼくもルノアールと同意見である。

 さて、せっかく六本木まで出てきたことだし、予報とちがって、やや湿気はあるものの五月晴れなので、六本木界隈を散歩することにした。

 新美術館まえの案内図を見ると、目の前の坂道が“星条旗通り”となっている。占領時代にマッカーサーが通ったのだろうか。この坂道を首都高に向かって下ることにする。
 道の右側は政策研究大学院大学の建物が屹立しているが、反対側の道沿いには大した建物もない。一体この坂道のどこが“星条旗通り”なのか、と訝しく思っていると、一軒の雑居ビルの通りに面した1階に、アメリカ古道具屋を見つけた。
 これが唯一の“星条旗”に関係ありそうな店だった。

 首都高下、六本木通りに出て、また道案内図を眺めて行き先を考える。そして有栖川公園を目ざして歩くことにする。

 六本木通りを横切って、“テレビ朝日通り”を西南方向に歩き出す。
 通りに面したところは、オープン・カフェなどが並んでいるが、通りの左側には古いお寺があったりして(われら夫婦の先祖の真言宗のお寺もあった)、路地を少し入ると古い平屋や二階建ての住宅も残っている。
 高台のせいもあって、意外に青空が開けている。同じ六本木でも、以前に歩いた芋洗坂だの饂飩坂だののように高層ビルの谷間を歩いている感じはない。
 六本木方面に下る坂道が何本かあったが、帰宅して、例の『タモリの東京坂道美学入門』で調べたが、“狸坂”以外は名前のない坂だった。

 中国大使館の辺りは、2、3日前に警備の警官が切りつけられる事件があったためか、いつも以上に厳重な警戒をしいている。
 一目で麻布中学生とわかる少年の一団が中国大使館脇の路地から出てきたので、麻布中学校、高校も見物しておくことにした。
 こんな立地なら、麻布高校出身の川本三郎が向田邦子の昭和の東京を論じたくなるのも理解できる。

 やがて左手に見えてくる、レンガ造りの3階建ての建物が愛育会病院である。レンガは新しくなっていたが、以前からくすんだレンガ造りだったように記憶する。

 ぼくの従弟は昭和28年2月27日に愛育会病院で生まれたが、付き添いのために上京した祖母までもが胃ケイレンを起こして入院してしまったので、ぼくの母は、妹(ぼくの叔母)と祖母を看病するハメになって、当時まだ2歳だったぼくを連れて、連日愛育会に通ったという。
 祖母の病状が少し回復してからは、ぼくはこの有栖川公園で祖母と遊んでいたという話を聞かされ続けてきた。まったく記憶はないが、「有栖川」というコトバは妙に印象に残っている。
 その従弟は後に麻布中学に進学したが、愛育会病院前にも、有栖川公園にも麻布中学生があふれていて、マックで100円マックを頬ばったり、カップ麺を持ちながら歩いたりしていた。

 愛育会病院の隣りが有栖川公園(正式名称は“有栖川宮記念公園”)。

 一歩足を踏み入れると、もう木々の香りが漂ってきて、まるで軽井沢のようである。木々が生い茂り、小川も流れている。こんな街中でせせらぎが聞こえる。さぞかし大量の“マイナス・イオン”を吸収できたことだろう。
 有栖川宮というのはどういう人物なのか知らないが、戦前の公家さんというのはなんとも広大な敷地の家を持ち、ずい分豪勢な生活を送っていたものである。
 ただし、出口(広尾側)近くにある池は水がよどんでいて、近づくと悪臭がしていて、がっかりである。

 その池の端で釣りをしていた日本人の子供たちに向かって、赤ん坊を抱いた外国人(白人)の男が、怒った顔をして、英語(らしき言葉)で大声で怒鳴りつけていた。「魚を釣るな」とでも言っていたのだろうか。
 子供たちも何を怒鳴られているのかわからず、きょとんとしながら無視して、釣り針に餌をつける作業を続けていた。頑張れ、ニッポン男児! 日本にいながら日本語も喋れないような外国人は無視してよろしい。
 不愉快なので睨みつけてやったら、睨み返された。
 今日の散歩コースでは、何人もの外国人を見かけたが、最近の東京に湧いている外国人は、どうも“外国人の品格”に欠けるような輩が多い気がする。 

 そんな人間どもの争いもどこ吹く風とばかりに、何十匹もの亀が首を伸ばし、重なりあって甲羅干しをしていた。

 外苑西通りに出て、たまたまやって来た新宿駅西口行きの都バスに乗って、外苑東通りを日赤下、青山墓地、青山一丁目、権田原、信濃町、四谷三丁目、四丁目と懐かしい街々を通って、帰宅した。

 心配した雨には降られなかった。

 * 写真は、“星条旗通り”坂の途中から国立新美術館方面を見上げた風景。 

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