年下研究

『けいおん!!』トンデモコジツケ連鎖中!涼宮ハルヒの憂鬱の謎解きコジツケの履歴保管庫。

『ブラックロックシューター』は東浩紀への岡田麿理のリスペクト?

2012-05-04 01:03:03 | けいおん!!
2011年の『まつもとあつし』先生とのインタビューの中で、

グッドスマイルカンパニーの安藝貴範社長は、

アニメに出資する立場からの意見として(私の勝手な要約ですが)


誰に金が回ってるか出資者に判らないで、金が使われてゆく。

良い仕事してる人に金が回るようにしたい。

ブラックロックシューターは、誰が良い仕事してるか判る。


と、ヤマカン監督監修版の『ブラックロックシューター』について語っておられましたが、


『アニプレックス』版の『ブラックロックシューター』、


監督は『吉岡忍』監督で維持。

脚本は、『谷川流』先生、『吉岡忍』監督から『岡田麿理』先生へ。

新たにCG特技監督『今石洋之』監督を起用。


どの位、安藝貴範社長に人事決定権があったか知りませんが、

『まつもとあつし』先生とのインタビューから類推するなら、

吉岡監督は、前作『ブラックロックシューター』でも仕事していたと認められたということになり、

今石監督は『彼氏彼女の事情』等で才能を発揮なさった方だそうですから、そういうキャリアが認められての抜擢でしょう。


問題は、『岡田麿理』先生が抜擢されて、『ヤマカン』監督が外されてることで、

岡田先生は『あの花』の功績で抜擢されたと考えるのが自然かもしれませんが、

『ノイタミナ』枠で岡田先生とヤマカン監督が一緒した最新の仕事は、『フラクタル』なので、


『フラクタル』で仕事していたと判断されたのが『岡田麿理』先生だけだった?


などと不届きな妄想しております。(勝手な妄想すみません…)

私の中で、『フラクタル』の功労者は、


『山本寛』監督、

『岡田麿理』先生、

『東浩紀』先生


の三人だと思うので、


安藝貴範社長が、『フラクタル』での『ヤマカン』監督と『東浩紀』の仕事を評価しなかった??


とか、無責任な妄想しております。

この、論功行賞の根拠が、山本幸治Pのヤマカン監督、東先生への査定だったとしたら、

會川昇先生の一件でのヤマカン監督の山本Pブロックも、納得できるにゃー、とか勝手な妄想をしております。



蛇足1。

『東浩紀』先生の『ゲーム的リアリズムの誕生』(講談社現代新書2006年)

読みましたら、『ゲーム』の『分岐』『ループ』が、リアリズムに影響しているという解釈が述べられていて、

東先生が注で触れている『ガンパレードマーチ』(アルファシステム、ゲーム版2000年発売)

が『ループ』の典型例だと思いますが、

東先生は、『田中ロミオ』先生脚本のゲーム

『CROSSCHANNEL』(flyingshine、2003年発売)

を名作だと評価なさっているので、『ループ』展開に注目したのは、『CROSSCHANNEL』の感動からかもしれません。


『未来日記』(えすのサカエ先生の漫画版2006年発表、アスリード制作アニメ版2011年)

『Steins;Gate』(ニトロプラス、ゲーム版2009年発売、WHITEFOX制作アニメ版2011年)、

『まどかマギカ』(シャフト、アニメ版2011年発表)、

といった、『ループ』作品と同時代性だなあと思いました。


ただ、2006年以降の『ループ』作品については、

『ゲーム的リアリズムの誕生』が撒いた種が発芽した?

という可能性もゼロでは無いのですが、

東先生ご自身は、『フラクタル』で敢えて『ループ』をやっていないのが面白いですね。

ヤマカン監督には、


『ネッサに変な踊りやらせればウケる』


と、アドバイスしておられたそうですが、

東先生も、折角深く分析なさったのですから『ループ』させれば良かったのではないでしょうか?



本題。

『リアルのゆくえ』(大塚英志先生との共著、講談社現代新書2008年)読みましたが、

この中で、大塚先生は、


『送り手は楽』


とも受け取れる発言なさっていて、これが、東先生を、


『カオスラウンジ』

とか、

『フラクタル』


に走らせた原因かもしれませんね。


東先生は、


『オタクの居場所を守る』


と仰っていて、大塚先生が、具体的にどうするのか?と問うたのに対し、


『詳細は言えない』


と解せる返答して、自分の計画を秘密にしております。

これ、『カオスラウンジ』の『黒瀬陽平』先生が、


『コミケは、著作権法違反だから、長くは持たない』

『自分達が、オタクたちの為の場所を用意する』


という発言なさったのと対応してると思いますね。

東先生の


『オタクの居場所を守る』


というのがカオスラウンジの、


『コミケに代わる場所を自分達が作る』


という


『コミケ打倒』

『コミケ乗っ取り』


の原案であって、

彼らが他人の作品にやったことが

東先生の指導によるものだった可能性は高いですね。


東先生、『コミケ』に代わる『オタクの祭典』の創始者となって、

『オタキング』岡田斗司夫先生を打倒して、

自分が新たな『オタキング』になるつもりだったんじゃないですかね??

そりゃ、具体的な計画なんて、大塚先生に言えませんよね…
(勝手な妄想済みません!)



蛇足2。

大塚先生、プロップの物語の基本構造から一歩進んで、

東先生と同じ、『要素の組み合わせ』を論じておられ、


『要素のふさわしい組み合わせが大事』


という点まで押さえておられますから、以前ここで要約した、


大塚先生の構造重視と東先生の要素重視


という区別は2008年までに解消していたのだと判明。

大塚先生が柔軟だなあ、と感心しました。
(上から目線すみません…)

東先生は、2002年の対談のときは、要約すると、


『デジキャラットがウケたのは、コゲどんぼ先生の才能のせいじゃない』

『萌え要素を組み合わせさえすれば、オタクは買うのだ』


とぶっちゃけて、

大塚先生が、要約すると、


『でじこは、コゲ先生の才能あってのヒットだし、オタクは、何でも買うわけではない』


と反論する場面もありましたが、

『フラクタル』で、ヤマカン監督が、要約すると


『敢えて古臭い絵柄で行く』

『東先生の意見は全て入れた』


と仰ったのは、


『左』先生の才能で売れるわけじゃない、要素の組み合わせでオタクは買うんでしょう?


と、コゲ先生の才能を否定した東先生へ実践による反論したのかもしれません。



本題。

『ゲーム的リアリズムのゆくえ』の中で、東先生は、要約すると、


『これからは、貧困対策と、自尊心のフォローとが制度の役割となる』

『貧困対策は、最低の生活費保障する富の再分配』

『自尊心のフォローは、カウンセリング』


という制度設計の提案をなさっておりますが、

この、


『カウンセリング』


が、ノイタミナアニメ版『ブラックロックシューター』で、

『納野サヤ』(CV能登麻美子)が


『スクールカウンセラー』


に設定された元ネタなんじゃないか?

とか勝手な妄想してしまいますね。



他にも、東先生が、『カオスラウンジ』立ち上げ以前に、


『これからはミクミクダンス』


と仰ってまして、

主題歌とか『ミク』な『ブラックロックシューター』アニメ化したのは、

東先生の主張を実現して見せたってことですか?



また、サヤが『神足ユウ』(CV阿澄佳奈)を守ろうとしたことが、



東先生が『カオスラウンジ』と共に『オタクの居場所』を守ろうとすること



に対応し、



『少女達に精神的負荷を与えることで、サヤがユウを守ろうとする』



というのは、


『同人作家達に精神的負荷与えることで、東とカオスラウンジが、オタクの居場所を守ろうとする』



という、実際に東先生とカオスラウンジがやっていたことの戯画化ではないのですかね??

いや、



『どうして、負荷与えると、何かが守れるのか?』



という、『ブラックロックシューター』の謎は、



『岡田麿理先生が、東先生とカオスラウンジの理論と実践に感じた疑問』



が、そのまま反映されてるんじゃないですかね?

なぜ、オタクが嫌がることやるのが、オタクを守ることになるのかは、

フランス現代思想研究した東先生の頭脳にしかわからないのかもしれません。


蛇足3。

私の勝手な解釈ですが、

東先生、『リアルのゆくえ』で、



西洋近代の『強い個人になるべき』という考え方



を否定しておられますから、『ブラックロックシューター』の、


『痛くても、他人と付き合ってゆこう』


という結論にはならないんですよね。

東先生、要約すると、



『他人を説得する労力と時間が無駄に思える』



と仰っていて、まるっきり、



『痛くても、他人と付き合ってゆこう』


になる前の、『ブラックロックシューター』の展開に近い。



大塚英志先生が、怒って、



『それがポストモダンなのか』



と、『ポストモダン』の論文で文壇で飯を食い始めた東先生の全存在を揺さぶる批判をなさっております。

東先生の反論は、要約すると、


『自分は、言論人の責任なんか感じない。そういう人間だ。こういう生き方しか出来ない。』

『なぜ、東はそう考え、行動するのかを質問することは、人格攻撃だ』


というもので、

噂によると、

311の震災について、

東浩紀先生が『言論人の責任』を云々したとき、

東先生が大塚先生に言ったとおりの『反西洋個人主義』的行動を実践したらしい愛弟子『宇野常寛』先生を、

『言論人の責任』を果たしてない、と東先生が攻撃、

宇野先生は


『人格攻撃だ』


と反論なさったそうですが、

宇野先生の『人格攻撃』の出所は東先生の大塚先生への反論だろうと勝手に思っております。

これ、『リアルのゆくえ』の


大塚英志先生の主張を東先生がパクッていて、

東浩紀先生の立場を宇野先生がパクッてる、


という構図。

宇野先生、『リアルのゆくえ』の東先生の立場を東先生にぶつけてみたんですね。

まったく同じ構図が現出してると思います。


噂を根拠に立論するなんて、時間の無駄ですけど、

まあ、万が一、噂が本当なら、

2008年~2011年の間に、東先生、正反対の主張に転換して、大塚英志先生と同じ意見になられたご様子。

東先生、さすが、進化してらっしゃる。


そうでなければ、

宇野先生は東先生役の迫真の演技をやって、

東先生、もちろん、洒落だと百も承知で大塚先生役の演技してるのかも…?



本題。


『痛くても、他人と付き合ってゆこう』


は、岡田麿理先生が、ご自身の信念を、クライマックス~ラストに打ち出してるんだと思います。

『リアルのゆくえ』で、大塚先生が批判した東先生の立場を、全否定したのだろうと思います。


いや、2008年の東浩紀を全否定して、『西洋的強い個人主義』に転向した


『東浩紀先生2011』


の魂の軌跡を作品化した実録小説が『ブラックロックシューター』だった???


そう考えると、『痛くても、他人と付き合ってゆこう』は、

大塚英志先生の主張を

『黒衣マト』(CV花澤香菜)という『キャラ』に語らせただけで、

岡田先生、別にそういう意見に賛成してないのかもしれませんね…


じつは、

東浩紀先生と大塚英志先生の『意見』をバーチャルに戦わせるってのが、


『ブラックロックシューター』達の世界


に対応し、


『意見』は『痛みを感じない』

『意見』が死ねば、『東先生』の苦しみはなくなる

=『2008年の東先生の意見』は消え去っちゃいました!『責任ある言論人』だヨ!


というのが『ブラックロックシューターとマトが一体化する前』の対応関係かも。


岡田先生が、そう信じてるかは別にして、


死んだはずの『デッドマスター』とかが復活するという展開、

『痛くても、他人と付き合ってゆこう』というオチ、


は、


『発言にはもっと重みを持たせてね』

『他人と話すのが無駄だなんて言わないでね』


というアニメ制作者の、『責任ある言論人』への要望が示されてるのかも。

『言論人の責任』云々する資格が東先生にはあるのか無いのか、

その辺りをチクリと批判する隠された意図が『ブラックロックシューター』にはあって、

そのせいで、一部視聴者に判り辛い展開になったり、意味不明の部分が生じてしまったんじゃないかなあ?

とか、勝手な妄想をしております。


蛇足4。

ブラックロックシューターにマトが取り込まれるのはNGってのは、


『主義を愛して死する』


という旧制第四高校時代の金沢大学の寮歌『北の都』の歌詞に見られるような立場の否定かも。

岡田先生、『花咲くいろは』で、金沢とか舞台にしてましたし。

『北の都』は聞かれたかも…?


(画像は、本文内容と関係ありません、また、タイトルと本文も関係ない気がします…すみません)










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