耳ぴこぴこ描写にコマを使いたかったので5コマ漫画。こういう「間」、好きです。
1026さんの、「落語のライブ性、客の反応への即応性は漫画では再現困難である」という指摘は鋭いです。落語自体も平気で活字化したりCD化したりVTRにしたりラジオ寄席などをやってますが、本当は相手の顔が見えない場合にどうするかをクリアする必要が有ったはずです。
やらないで来た訳で、寄席の様子を録画したり撮影してネットで流せばIT化に対応してる事になる、という流れだと思います。受け手の感覚が時代とともに変化すれば、それでも十分面白くなるのでしょうか。
小説の言文一致が円朝落語速記録に触発されてのものだということを考えると、言文一致の血をひく、ラノベ、ノベルゲー、アニメ、漫画の従来の技法にも再考の余地が有ると言う事になります。本来、応用できない事を真似したつもりになってるだけだったりしたら面白いですね。おいおい考えてゆきたいですね。
ギャグ漫画がライブ性を真似するのは、将来の課題として、現時点ではそれ以外の面の応用が可能と思われます。
1026さんの指摘した、「つかみ」で受け手を引き付ける部分も、本来は客の反応を探りつつ展開するわけですが、現時点の漫画ではまだやれてないので、あくまで技術的に可能な範囲での応用になります。
無批判に踏襲されてきた形式は批判にさらされています。
小池一夫は、「起承転結は漢詩の技法であって、漫画のために考えられた技法でない」と指摘し、「起承転結」を無批判に漫画に使うことを批判しています。
「序破急」も同様の批判が成り立ちます。私の変則4コマはこの批判に対応していると思います。
また、小池一夫は、70年代1ページ当たり10コマ近くだったコマ数が80年代に絵に偏り過ぎて1ページ当たり2~4コマに減少し、90年代には6~8コマに増加していると指摘し、増加原因を「長いセリフ」にメッセージを込めるようになったことに求めています。セリフを楽しむ時代になってるわけで、「漫画はとにかく絵で説明しろ」というドグマは80年代の10年しか持たなかったらしいです。
どうせまた「文字より絵」という揺り戻しがあるでしょうが、要するにどっちでも構わないわけで、受け手は満足できる、ということです。
私はセリフが長いネタを思いつくことがあるので、セリフが長くても構わないと言う時代は有り難いです。自分が許容できないような形の表現にならない限り、漫画に思い付きを合わせるのでなく、思いつきに漫画を合わせても良い、というのは有り難いです。商業ではダメでも、同人なら構わないと思いますし。商業も不変では有りません。
「作家自身が面白い見世物」「作家自身が癒し系グッズ」という「異能者」との一般人の対決方法については次の更新時に。
1026さんの、「落語のライブ性、客の反応への即応性は漫画では再現困難である」という指摘は鋭いです。落語自体も平気で活字化したりCD化したりVTRにしたりラジオ寄席などをやってますが、本当は相手の顔が見えない場合にどうするかをクリアする必要が有ったはずです。
やらないで来た訳で、寄席の様子を録画したり撮影してネットで流せばIT化に対応してる事になる、という流れだと思います。受け手の感覚が時代とともに変化すれば、それでも十分面白くなるのでしょうか。
小説の言文一致が円朝落語速記録に触発されてのものだということを考えると、言文一致の血をひく、ラノベ、ノベルゲー、アニメ、漫画の従来の技法にも再考の余地が有ると言う事になります。本来、応用できない事を真似したつもりになってるだけだったりしたら面白いですね。おいおい考えてゆきたいですね。
ギャグ漫画がライブ性を真似するのは、将来の課題として、現時点ではそれ以外の面の応用が可能と思われます。
1026さんの指摘した、「つかみ」で受け手を引き付ける部分も、本来は客の反応を探りつつ展開するわけですが、現時点の漫画ではまだやれてないので、あくまで技術的に可能な範囲での応用になります。
無批判に踏襲されてきた形式は批判にさらされています。
小池一夫は、「起承転結は漢詩の技法であって、漫画のために考えられた技法でない」と指摘し、「起承転結」を無批判に漫画に使うことを批判しています。
「序破急」も同様の批判が成り立ちます。私の変則4コマはこの批判に対応していると思います。
また、小池一夫は、70年代1ページ当たり10コマ近くだったコマ数が80年代に絵に偏り過ぎて1ページ当たり2~4コマに減少し、90年代には6~8コマに増加していると指摘し、増加原因を「長いセリフ」にメッセージを込めるようになったことに求めています。セリフを楽しむ時代になってるわけで、「漫画はとにかく絵で説明しろ」というドグマは80年代の10年しか持たなかったらしいです。
どうせまた「文字より絵」という揺り戻しがあるでしょうが、要するにどっちでも構わないわけで、受け手は満足できる、ということです。
私はセリフが長いネタを思いつくことがあるので、セリフが長くても構わないと言う時代は有り難いです。自分が許容できないような形の表現にならない限り、漫画に思い付きを合わせるのでなく、思いつきに漫画を合わせても良い、というのは有り難いです。商業ではダメでも、同人なら構わないと思いますし。商業も不変では有りません。
「作家自身が面白い見世物」「作家自身が癒し系グッズ」という「異能者」との一般人の対決方法については次の更新時に。