ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

「検索するならYahoo!」は「ブランド」か、

2004年08月28日 | デザイン、ブランド
インターネットサイトの場合、「知名度」というのはリアル以上に大きな武器になる。検索するならヤフーで、モノを買うなら楽天で、本を買うならアマゾンで、という具合に、目的とサービスが1:1で結びつき、圧倒的な集客力へと繋がる。リアルな世界であれば、移動距離と移動時間という障壁がある以上、隣町の大きな本屋よりも近所の本屋で、となるのだけれどインターネットの世界では全てのサイトが等距離であり、だからこそ「知名度」が圧倒的な「ブランド」として輝くことになる。

圧倒的な知名度がブランドとして成立しているのならば、人はそこに何を期待しているのだろう?

「キャッチとブランド」でも述べたが、「ブランド」とは人々の期待の総和であり、その期待にこたえる確度である。である以上、「知名度」は何らかの「期待」を背負い込んでいることになる。ヤフーなら検索で探しているページを見つけられるはず、楽天なら欲しいモノが買えるはず、アマゾンなら欲しい本が手に入るはず、つまりそこにあるのは漠然とした期待感だけである。

とはいえ、そうした期待をブランドとして背負ってしまった以上、その期待に応えざろうえない。大衆の漠然とした期待にこたえること、それは総花的にあるゆるものを提供することに他ならない。「商品」であればあらゆる「商品」を、サービスであれば特定の層に偏ることのない"癖のない"サービスを目指すことになる。

しかし「何かある」という期待は「何もない」という失望とどれだけの違いがあっただろうか――。

まだまだモノが不足していた時代、あるいは今ほど豊かでなかった時代、「百貨店」は「何でもある」ことの代名詞であった。商店街で売っているものは日常品が中心であり、ちょっと高級な品は「百貨店」でしか扱っていなかった。やがてそれぞれの専門店が登場し、「何でもある」はずの百貨店は存在意義を失っていく。片や大型スーパーが登場し日常品を安価かつ総合的に取り扱い、その一方で専門店化が進んでいく。そうした環境変化の中で、百貨店は「何でもある」という存在意義を失い、自らの提供価値を、ブランドを再構築することが求められることになる。

「ブランド」とはもともと特定の層・コミュニティからの熱烈な支持によって構成されやすいものである。ファッション業界で「ブランド」という言葉が使われるのは、効率性や価格、有用性といった一般の商品価値を規定するものからはるかに自由であり、代わって「独創性」という提供価値とそれに対する熱狂的な支持=期待という要素が現れやすかったためである。

本来、「ブランド」とは総合性によって支えられた分野よりも「ニッチ・コア」によって支えられた分野の方が成立しやすい。だとしたら、上述の総合性・総覧性によって支えられたインターネットサイトが何故、ブランド化しているのか。また後発のサイトが新たにブランド化することは難しいのだろうか。

正直、明確な確信はないものの、三つのアプローチで考えられるのではないかと思う。

1つは、大衆の様々な期待に対して適切に応えており、「総合性」という「ブランド」が成立している、という考え方。2つ目が、ユーザーがまだインターネットでの利用経験・購入体験というものが圧倒的に少なく、他サイトとの比較が成立できず「何かある」という部分に対する期待が先行している段階である、という考え。つまり期待に応えられるだけの実体が伴っていないが、それしか知られていないために「ブランド」化している状態であるということ。そして3っ目が「商品検索」や「並べ替え表示」といった機能の発達によって、リアルな世界では不可能なほどの商品量を取り扱うと同時に適切な表示、提供が可能となったため、「総合性」と「ニッチ・コア」の両立が可能となっている、

1つ目の考えに従えば、先発組は「総合性」の代表的サイトが「ブランド」化したのであり、「ニッチ・コア」分野ではまだ別の形で新しい「ブランド」を成立させることが可能となる。百貨店路線をいく「ヤフー」や「楽天」に対して、専門店化・新しい切り口を提示することで新しい「ブランド」の構築ができるということだ。

2つ目はそもそも期待が実体にともなっていない以上、ユーザーの利用経験・購入体験が積み重なっていけば、早晩、この総合性という「ブランド」は崩れるであろうという考え。当然、独自の提供価値とそれに対する顧客の支持を得られれば、新しい「ブランド」を成立させる機会はある。

そして3っ目に従った場合、先発組の「ブランド」像が、これまでの「総合性」という概念も「ニッチ・コア」という概念をも包括した新しい「総合性」像によって「ブランド」化しており、自己崩壊がない限り、新しい「ブランド」を成立させることが難しい、ということになる。リアルな世界であれば、どんなに大きな店舗であろうとも、取り扱う商品量や配置スペース、それによってかもし出される空間の雰囲気などの制約条件があり、提供価値には何らかの方向性を必要とした。しかしインターネットの場合、理論的には取扱商品数に限界はなく、「検索」や「並べ替え」、サイト上での表現によって新しい切り口や提供価値をデザインできることから、あらゆる価値を取り込むことが可能となる。

大衆のあらゆる切り口のあるゆる期待に対して応えることのできる「ブランド」――こうなると正直手のつけようがない。他のサイトが新しい切り口を提供してもそれを全て呑み込んでいくのだから。

ただ正直、現状、3番目のような形を実現しているサイトはまだないのではないか(強いてあげれば、ヤフオクだろうか)。であれば、現在、圧倒的な集客力をほこる「ブランド」力の高いサイトであっても、いつ新しい提供価値をもったサイト達によって駆逐されるかわからない。「何でもある」とは「何にもない」と同義語なのだから。



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