ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

クローサー:そこにある僕らの孤独と不安と恋愛と

2006年01月09日 | 映画♪
まず脚本が素晴らしい。そしてそれぞれの登場人物がリアルに演じられ、見ている誰もが彼らのちょっとした行動や感情、セリフにおもわずうなずいてしまうんじゃないだろうか。テーマそのものは決して目新しくないものの、この手の中ではもっとも洗練された作品の1つに仕上がっている大人の恋愛ドラマ。

小説家志望のジャーナリスト・ダン(ジュード・ロウ)は、ある日ロンドンの街中で、交通事故に遭遇した若いストリッパー・アリス(ナタリー・ポートマンを助ける。彼女はニューヨークからやって来たばかりだった。恋に落ちた2人はまもなく同棲を始める。1年半後、ついに処女小説の出版が決まったダンは、訪れた撮影スタジオでフォトグラファー・アンナ(ジュリア・ロバーツ)に一目惚れしてしまう。彼女もダンに惹かれていたが、アリスとの同棲を知って身を引くことに。半年後、アンナになりすましチャットでいたずらをするダン。ニセのアンナにつられて、水族館のデートに現われた医師ラリー(クライヴ・オーウェン)だったが、彼は偶然そこで本物のアンナと出逢うのだが…

クローサー


まぁまぁ、いろいろ言ったところで人間なんて聖人君主ではないし、誰もが倫理的な生き方ができるようであれば、文学も小説も映画だって必要ない。こうありたいと願いながら、思わぬ方向に流れていってしまうのが人間の「性」というものだ。

それにしてもこの4人、本当に現代の僕らの感覚に非常に近いと思う。ダンのアリスを愛していながらアンナを好きになってしまったり、アンナやアリスに聴く必要のないことを思わず聴いてしまったり、優しくありながらそれゆえの物足りなさがあったりする部分や、アンナの知的でありながらどーしょうもないその場の感情に流されてしまう行動や、それを繰り返してしまう愚かさ、(奇しくもダニーが言い当てたように)不安や鬱になることでどこか自分に居心地のよさを感じてしまう部分、アリスの「ストリッパー」という「穢れ」と一途な愛情という「聖」を持ち合わせるという矛盾や他の女性に対する警戒心や所有欲、ラリーの医師という職業にも関わらずあからさまな性的な欲望や攻撃性、計算高さ、独占欲…すべてではなくとも自分の中を覗き込めば、誰もが少しずつでも当てはまるところを見つけてしまうのではないか。

まして宗教や倫理的な拘束力が弱まり「家庭」を持つことの意味が以前ほど重要視されなくなり、また「欲望」への抑止力が弱まりつつある中で、これは誰もが抱えうる問題でもあるのだろう。

これがウッディ・アレンならその人間のもつ矛盾した可笑しさを誇張して「パロディ」として昇華するのだろう。誰もが「いけない」と思いながら不倫をし、スノップと軽蔑しながらそのスノップさに惹かれ、宗教や倫理的には「あるまじき行為」とされているものにもっともらしい屁理屈をつけて自己欺瞞を正当化する…そうした人間の滑稽さをそのまま笑い飛ばせるのがウッディ・アレン映画の魅力なのだが、こちらの方は同じようなテーマを扱いつつも、自分の照らし合わせた上での「共感」は得にくい。

いずれにしろ、誰もが孤独で、何かが満ち足りない現代においては、それが本当に「愛情」なのかも分からないまま、大人たちも恋愛ごっこを引きずってしまうのだろう。

【評価】
総合:★★★☆☆
脚本:★★★★★
セリフが素敵です:★★★★★


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クローサー
クローサー

ウッディ・アレン「マンハッタン」


ウッディ・アレン「アニー・ホール」





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