ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

【映画】009 RE:CYBORG:神山健治が描いた石ノ森章太郎への回答

2012年11月11日 | 映画♪
そうか攻殻機動隊S.A.C.シリーズは現代版サイボーグ009、あるいは攻殻機動隊S.A.C.シリーズの続編こそが神山健治版009なのかと感じさせる1作。故・石ノ森章太郎が描き残したテーマをもとに、最新の3D映像を交えて押井守監督の弟子ともいえる神山健治監督が導いた解答とは。

【あらすじ】

2013年。ロンドン、モスクワ、ベルリン、ニューヨーク……。世界の大都市で、超高層ビルが次々と崩壊するという同時多発爆破事件が発生。犯人不明のこの無差別テロは、世界を不安とパニックへと陥れていた……。一方、かつて、世界が危機に陥るたびに人々を救った9人のゼロゼロナンバーサイボーグのリーダー的存在、009こと島村ジョー(声:宮野真守)は、過去の記憶を消し、東京・六本木でひとり暮らしていた。日本出身のサイボーグ戦士であるジョーは、生みの親・ギルモア博士によってこの30年の間、3年に一度、記憶をリセットされ、高校の3年間を繰り返していたのだ。そんな中、その役目を終え、各々の故国へと帰っていたゼロゼロナンバーサイボーグたちは、ギルモア博士の呼びかけによって、再び集結しようとしていた。001ことイワン・ウイスキー(声:玉川砂記子)、002ことジェット・リンク(声:小野大輔)、003ことフランソワーズ・アルヌール(声:斎藤千和)、004ことアルベルト・ハインリヒ(声:大川透)、005ことジェロニモ・ジュニア(声: 丹沢晃之)、006こと張々湖(声:増岡太郎)、007ことグレート・ブリテン(声:吉野裕行)、008ことピュンマ(声:杉山紀彰)、そして009、ジョーの記憶が呼び覚まされた時、ゼロゼロナンバーサイボーグの新たな戦いが始まる……。(「goo映画」より)

【予告編】

【本予告編】 映画『009 RE:CYBORG』(サイボーグ009)


【レビュー】

観客の多くはが子供たちではなく、僕より年上の世代。きっと石ノ森章太郎の「サイボーグ009」の読者だった世代だったのだろう。彼らにとってはまず、00ナンバーサイボーグたちのキャラクターデザインに衝撃を受けたのではないか。学ラン姿のジョーに始まり、ダンディな007ことグレート・ブリテン、002ことジェットの飛ぶ姿は完全にガンダムやマクロスなどのロボットものを彷彿させるし、何よりも003ことフランソワーズが今どきの肉食系キャリアウーマンになっている。これは「神山版009」なのだ。

ストーリーはというと、「彼の声」に導かれ無差別テロが発生する。2013年1.16のアメリカ、カナダの連続高層ビル爆破を皮切りに、世界各地で繰り返されるビル爆破事件。目的も、犯人グループもわからないまま、国家間は互いに疑心暗鬼となっていく。アメリカ?ギルモア博士もそう考えた1人だった。

アメリカの情報機関の1人として働いている002を除いて召集される00ナンバーサイボーグ。普通の高校生として過ごしていた009こと島村ジョーはサイボーグとしての記憶をなくしていた。ましてや彼は「彼の声」に突き動かされ、六本木ヒルズの爆破に向かおうとしていたのだった…

この作品ではこの「彼」こと創造主≒「神」と人類を巡る問題がテーマとなる。「神」とは何なのか、「神」の意思とは逆らえないものなのか。

「彼の声」に導かれて世界を破滅へと向かわせる人たち。その一方で、少女を追って姿をくらませた008・ビュンマが残した資料から004・ハインリヒは「神とは人の脳が生み出したもの」だと推論する。一部の人々が何らかの宗教的体験を通じて、脳内に自らの意思を超えた「神」の存在を生み出しているのだと。

仮にその推論に従うなら、世界各地で起きている無差別テロとは、世界中の多数の人が集団意識の中で、あるいは集合的無意識の中で共通の問題意識をもち、その解決策として無意識的に「神」の声を創造し、「世界の破滅」へと向かわせていることになる。

こうした考えはあながち否定できない。

「キャリング・キャパシティ」という考え方がある。この説によると、森林や土地などがの一定の空間の中で、生態系が安定した状態で継続できる動物の活動には上限値が決まっていることになる。そしてその上限値を超えた時、「生殖抑制」、「子殺し」、「共食い」などの方法で個体数を抑制し始める。つまり種の保存のために、無意識的な抑制活動を行うというのだ。

この説に従って、今の日本を人口増大の結果、日本の人口は国内のキャリングキャパシティをオーバーしてしまっており、無意識的な人口抑制が引き起こされ、人口減少社会を迎えようとしていると考える人もいる。

仮にこれらと同様に、現代社会に対し無意識下で危機感を抱いている人々が共感し、それぞれが異なる「神」を創造しながらも、「破滅」を選んだのだとしたら、神は脳内にこそ創造されるものなのかもしれない。「STAND ALONE COMPLEX」の一種だ。

ハインリヒの推論は「神」の存在について、一定の回答を用意したようにも思える。ではこの作品のラストシーンはどう解釈すればいいのか。

ラストシーン、「彼の声」に従った者たちがいくつもの核ミサイルを発射する。009たちは迎撃ミサイルで核ミサイルを破壊するのだが、一発のミサイルがその弾幕を潜り抜ける。自らの命を犠牲にしそのミサイルを破壊しようとする009、その手助けをする002。しかし負傷した体で限界を超えた002は地上へと堕ちていく。その姿は天使のように見えなくもない。

爆発。流星が流れていく。それを見守るフランソワーズ。

目を覚ますと009はベットに横たわっていた…

仮に「神」を我々一人一人が脳内に住みだした幻想だとするならば、009はミッション遂行後、爆発に巻き込まれながらも、何とか無事に地上に降り、救出されたことになる。あのミサイル以降、まだ危機が続いているかもしれないが、世界は無事に存在し、人々-傲慢で強欲な人々を含めて-は未だ生きているということになる。

しかしそうではなく、「神」もしくは「創造主」が実在し、ドバイでの爆破事件の際にジョーを生き残らせたのだとすると、僕らは別の結論を導き出すことになる。つまり「創造主」もしくは「神」の意思によって世界は既に終わってしまっているのではないか(「捕獲」)。

そしてたとえ人類が愚かな部分を持っていたとしても、自らの意思でよりよき世界に導くためにその運命に立ち向かう者たちがいることを示しえたことで、人類再生の機会を得たのではないか。

目を覚ましたジョーにフランソワーズはこう話す。

「『彼』は私たちに超えられない試練は与えないはずだって――」


攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIGでは人類の肉体からの解放を果たした神山監督は、今回は人類の再生を描いたのかもしれない。


【評価】
総合:★★★★☆
日本的3Dアニメの凄さ:★★★★★
神に対する結論としてはもうちょっと深みがほしかった:★★☆☆☆


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