ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

オレオレ詐欺的な電話に思う。

2011年01月04日 | Weblog
「オレオレ詐欺」的な電話がかかってきた。電話をとったのはうちの父親。正月に実家に帰っているときのことだ。

その電話に出ると相手は「そちらから電話があったようなので、電話したのだけど、どなたですか?」と聞いてきたという。「私は○○だが、そんな電話をかけた覚えはない」と応える父。相手は名前も電話番号も名乗らない。いくつかやりとりがあった後、先方が電話を切った、とのこと。

怪しいなと思いながら電話で対応したようだけれど、僕などから見ていると、結局、いくつかの情報が相手の手に渡り、こちらには何の情報も残らなかったのだな、と思う。

「もしもし、○○ですが…」
「こちらの電話番号は○○○○ですよ」
「○時頃ならば家にいましたから、こちらからかけたのなら分かりますよ…」

もちろ変な意図をもった電話かどうかもわからないわけで、こちらの過剰反応かもしれないが、今の時代、用心に越したことはない。父親もそうした気持ちではいたのだろう、しかしそれがこの時代適しているか。

一昔前の地方都市など人との関係とは「顔」でつながっているものだった。狭い世界だ、何かあれば直接やり取りがあるし、玄関なども鍵もかけず開けっ放しになっていることも少なくなかった。電話で連絡を取り合うというのは、互いに用件があるもの同士のやり取りであって、そこには過剰な警戒心などはない。

電話がかかってくれば「もしもし、○○ですが…」とまず名乗り、先方に自分自身を明らかにする。そこには漠然とした「安心感」や「信頼感」に基づいていると言えるだろう。

そんな文化に慣れ親しんだ世代が、今の時代、変な電話が多いからといって、相手の存在が確かめられるまで自身の情報を与えないといすう文化に、急に慣れるわけはない。

そう言われると、今の電話の受け答えというのはある意味、「不信」に満ちている。

僕らの会社では1人に1台の携帯が与えられ、それにダイヤルイン番号が付与されてる。つまりこの電話に連絡があるということは、「僕」に用があるということだ。

それでも、電話がかかってくれば、ディスプレイを見て対応方法を変える。お客さんや社内からであれば、そのまま電話をとり自身の「名前」を名乗る。見覚えのない電話であれば「はい」だけか、せいぜい「社名」を名乗り、先方が名乗るのを待つ。自らの情報を制限する。

「はい。どなたですか。」
「株式会社○○ですが、どなたにおつなぎしましょうか。」

こちら側には用のない「セールス」の電話であれば、まずここで詰まる。それでもしつこく食い下がるようであれば、適当にあしらう。「代理応答ですので、必要であれば担当者から連絡させますので…」。

あるいは特定の番号からの不用な電話が多ければ、その番号については自動留守録や不在扱いにしてしまうという手もある。いずれにしても、すでに「情報を与えない」「名乗らない」ことが前提となった対応なのだ。

それでもそれだけで対応できないこともある。

初めてかかって来た電話というのは先方を信じるしかない。

「■■■損害保険の▲▲ですが、○○様でいらっしゃいますか?」

こういう場合は相手の言葉を信じるか、せいぜいこちらからかけ直して確かめてみるしかない。NTTなどが番号と契約者/利用者を認証してくれるようなサービスがあればいいのに、と思う。

「今、かかってきた番号は■■■損害保険(株)でご契約されています」みたいな。

こうしたことを望むのは過剰すぎるだろうか。しかし地方都市で1人暮らしの父親の姿を見ていると、「警戒心を持つ」という「自己防衛」・「自己責任」に任せるだけでは対応しきれない気がする。システム的な部分や制度的な部分での「予防措置」が必要なのだろう。





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