wikiのような「あり方」は、結局のところ、これまでのように「情報」や「知」を発信する側と受ける側とを分ける、そしてそこに必然的に発生するのであろう発信者側の「権威」というものをなし崩しにしてしまう。こういう「あり方」、つまり市民が情報の発信主体化するというものはインターネット黎明期から言われてきたことだけど、ここにきてこうした流れが既存の権威(マスメディアやアカデミックなど)を揺らしかねない「流 . . . 本文を読む
インターネットの世界に書かれていることが真実か?否、ブログやHPをはじめインターネット上のサイトに書かれていることなんて言葉は全て、ただの意見の表明であり、独り言であり、ただの言葉にすぎない。リアルな世界で存在するキャッチコピーが真実であるか否かを問うことと同じであり、あらゆる書物もまたそうである。改訂されなかった教科書や辞書があっただろうか。
そういうこともあってWikipediaが絶対に正し . . . 本文を読む
先日、「伝わる!説明術」の感想を書いていたところ、おそらくその著者の梅津さんのと思われるBLOGに僕の感想を踏まえた上での「オフェンス面として質問力というのは重要ですね」というコメントをいただいてたので、ちょっとその「質問力」というものについて整理してみた。まぁ、もともとこの際書いた「質問力」ということの意味は「プレジデント」だったかの記事に載っていた、部下に気付かせるために「質問」の仕方というも . . . 本文を読む
押井守の「攻殻機動隊」の世界がいずれ訪れるのか――cnetの「未来の無線通信を想像してみる」の記事の中で描かれている20年後の無線通信のイメージは、まさに「攻殻機動隊」の世界と言える。その中では「単に頭のなかで何かを思い浮かべるだけで、その「考え」を世界中のどこにいる相手にでも飛ばすことができる」のだ。これは「通信」を考えた場合のある種の理想像のように思えるかも知れない。しかしことはそんなに簡単で . . . 本文を読む
このブログを書き始めたきっかけは、とにかく「BLOG」といわれるものがどのように使われるのか、マーケティングなどに活かすことができるのかを、体験的に確かめたいと思ったからであるが、最近では、自分の考えをまとめることに利用しているというのが実際だ。まぁ、どちらかというと記事も長いし、分析チックに書いたりしているのも、1つの事象やニュースに対して、どのように考えるべきか整理するために使っているから。逆 . . . 本文を読む
「人は孤独な生き物だ」などと文学青年を気取るつもりもないけれど、とにかく人と人がきちんとコミュニケーションを図ることは難しい。例えば「コミュニケーション能力」というものを、(1)伝える能力と(2)聴く能力とに分けて考えてみるならば、そのいずれかが会話を行う両者に不足していても相互理解は難しい。しかもそれを更に複雑にしているのが「感情」だ。同じことをAさんが言うと「あぁ、そうだね」、Bさんが言うと「 . . . 本文を読む
国道16号沿い、コジマでプリンターの価格をチェックし、かわずにそのまま一軒挟んで隣接するヤマダ電気で同じ製品の価格をチェック。声をかけてきた店員にコジマだったらいくらだったと値切り交渉を開始し、800円ほど安くなったところで購入し、帰り際、喉が渇いたから缶コーヒーを買い、あっ、タバコが切れていたんだと、マイルドセブンライトを1箱。手間隙かけて値切った金額800円、その後使ったお金は380円。本日の . . . 本文を読む
仕事納めでも結局机の上を片付けることができず、書類やら資料やらの山をそのまま放置してきた僕は明らかに「捨てる」ことが下手だ。まぁ、以前携わってきた仕事というのがどちらかというと過去の情報の蓄積をもとにお客さんと折衝を行う、場合によっては新任の担当者よりお客さんのシステムや計画についての情報を蓄積しておくことがメリットであったこともあって、基本的に「情報」を貯めこむ癖がついている。
例え現在のもの . . . 本文を読む
こないだ「こいつはセンスのある奴だ」でちょっと書いた「センスのある思考方法」の補足を。
>こいつはセンスのある奴だ
大西宏さんが「情報や知識を組み合わせながら、人はそこにどんな「意味」があるのかを見いだしていきます。どうも組み合わせて新しい意味を見つけ出すには、情報や知識の「量」「深さ」「幅」の3次元が必要なように思えます」と言われていたので、そのあたりを踏まえて、ちょっとどういう軸か考えてみ . . . 本文を読む
いろいろな人と話をしていると、こいつはセンスのある見方をするなぁ、という人がいる。これはどういうタイプなのか、ちょっと考えてみた。
それはいろいろなことを知っているというのとは違うし、何かについて詳しいというのとも違う。仮に横軸に「知識の幅」を縦軸に「深さ」をとると、その総面積が人の物事を見る上での「視野の広さ」だといえるのだろうが、センスとはけっしてこの面積の広がりのことではない。
センスと . . . 本文を読む