Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

DIE WALKURE (Mon, May 2, 2011)

2011-05-02 | メトロポリタン・オペラ
今シーズンは『ワルキューレ』を三公演鑑賞することになっていて、シーズン初日に続く二度目の鑑賞が今日です。
(最後はHDの収録日である5/14のマチネ。)

これまでも何度か書いて来た通り、メトのオペラハウスの音に関して言うと、私はあまり平土間を好まず、
音響のみに限れば、最上階=ファミリー・サークルの真ん中一番後ろが最高だと思っているのですが、
そこではあまりに視覚面でのハンデがあるので、双方のバランスにコストを掛け合わせた結果、
グランド・ティアとドレス・サークルを贔屓の席にして、その中でも出来るだけ似た場所にいつも座るように心がけています。
特にシーズン中に同じキャストで一度しか鑑賞しないものについては、
歌手の声(特にメト・デビューの歌手のそれは!)の状態を可能な限り同じ条件で比較したい、ということと、
演技がある程度の距離をおいて座っている観客にきちんと通じる種類のものであるかを確認したい、ということがあって、
(結局、劇場にいるオーディエンスの大半は肉眼では歌手の表情がはっきりとは見えないところに座って鑑賞するわけですから、、。)
それを徹底するようにしているんですが、同じキャストの公演を複数回鑑賞する時は、
一度はビジュアル重視の鑑賞をしてもよい、というルールになっていて、というか、決めているのは私なのですが、
今日はその特別ルールにのっとり、久々の平土間鑑賞です。
なーんて、カウフマンをアップで見るために無理やり作った特別ルールであることがばればれですけど、ま、いっか。



新演出ものを初めて見る日、特にこの『ワルキューレ』のような大きな作品では、
ステージングや演出の流れを咀嚼するだけでかなりのエネルギーが費やされるため、
脳がキャパ・オーバーになってしまって、自分の望むレベルには歌唱や演技に耳や目が回っていないような気がしてフラストレーションがたまることがあります。
なので、歌手の歌唱や演技を堪能するという意味では、初日の公演を観て、演出の流れをすでにある程度心得ている状態で臨める今日の公演からが、本来の鑑賞と言えなくもなく、
それを言えば、初日の演奏ではジークリンデ役でメト・デビューを飾ったエヴァ・マリア・ヴェストブルックが
二幕から風邪でダウンして代役のレイが舞台に立っていたのにもかかわらず、アナウンスが間に合わなくて、
観客のほとんどはニ幕もヴェストブルックが歌っていると思い込んでいたという事件もありましたが、
その彼女も初日以来、すっかり体調が戻って来たようで、今日は初めて全幕を通してその実力を聴けるという楽しみも出来ました。

初日が始まるまで、私はレヴァインが『ワルキューレ』のようなスタミナを最大級に必要とする作品を今の健康状態で振り切るのは
まったく不可能だと思っていたので、なんとか初日の公演を振り終えた時は本当に驚きましたが、
その初日と今日の公演の間にあった二回の公演を鑑賞した友人からは、レヴァインがいつ倒れてもおかしくないような様子で、
指揮する腕がほとんど上がっていない状態だった、とも聞いており、
万が一レヴァインが駄目になった時のためにはルイージがスタンバっているらしい、という話まで流れ出すにつけ、
今年『ラインの黄金』でのルイージの指揮を聴き逃していますので、ちょっぴり、”それもまたいいかも、、。”なんて思ってしまった私です。
レヴァインのキャラクターから言って、HDの日は絶対に何が何でも指揮台に上ってきて、
それこそ文字通り公演を”死守する”感じになることは容易に想像がつくので、
もしレヴァインが一回でもお休みをとって他の誰かに振らせるとしたら、”今日あたり可能性が高そうなんじゃないか、、、。”
とつい期待をし、そしてちょっぴりわくわくしてしまいましたが、
オペラハウスが暗転し、オケピを囲む壁の上に飛び出して来たのは、あの見覚えのあるもしゃもしゃ頭なのでした。
というわけで、今シーズンに関しては、私がレヴァイン以外の指揮者による『ワルキューレ』を聴ける確率はこれでほとんどゼロになったようです。



ほとんど普段の調子にまで声が戻っていると見られるヴェストブルック、
この感想を書いているのは実は楽日(HDの収録の日)が終わった後ですが、
結果から言うと、私が聴いた三回の中で彼女の声の調子が最も良かったのは、この日の公演だったと思います。
HDの日の歌唱も悪くはないですが、この日の方が声が伸びやかでした。
本調子の時の彼女はかなり声量もあり、正直、私の感覚では”でか声”の範疇に入るかもしれません。
カウフマンは以前から書いている通り、絶対的な声量は決して小さくはありませんが、ブルドーザーのような声でもまた決してないので、
まともに彼女と声量で張り合って歌合戦!みたいなことになると、カウフマンの方が喉への負担が大きくなるので要注意です。

ヴェストブルックに関しては、今はジークリンデ役を主に歌っているようですが、
いずれはブリュンヒルデも、、ということになる可能性も大いに考えられるかな、と思うのですが、
彼女は高音域に若干の課題があって、それはHDの日の公演の三幕の"O hehrstes Wunder! Herrlischste Maid!”の部分なんかにも伺われますが、
高音域で音が軽くなる傾向があるのと、将来ブリュンヒルデを歌うなら、もう少し声にキレと鋭さがあってもよいかな、という風に思います。
中音域までは非常に充実した音を持っているので、余計に高音域の音の浅さが目立つのかもしれません。
けれども、声に過剰な揺れがなく、これらのレパートリーを歌う歌手の中では非常に聴きやすい素直な発声であるのは彼女の美点であり、
その良さを保ちつつ、もう少し高音域に厚みと良い意味での鋭さが備わったなら、これからのキャリア・パスに大いに期待できそうです。



むしろ、私が彼女について気になったのは声楽的な面より、何の役を歌うにしても非常に大事な、相手役との舞台上でのコミュニケーション、
これがやや希薄で、ややもすると一人で歌っているような感じがする点です。
特に今日のように舞台に近い座席で見ると、カウフマンが押しても引いても反応のない”ぬらりひょん”みたいなところがあるな、と感じました。
メト・デビューでいきなり『ワルキューレ』のジークリンデという大変な役を歌わなければならない、
指揮はレヴァインで相手はカウフマン、、と、大きなプレッシャーがてんこ盛りで、歌うことで手一杯になってしまう気持ちもわからなくはないですが、
オペラの舞台というのは何よりもまず何かを表現するためにあるのであって、
彼女のこの作品の中でのつとめは、ジークムントとの愛に生きるジークリンデという人を表現することのはずです。
それがカウフマンのジークムントがどんなに絡もうとしても、真っ直ぐの方向(レヴァインがいるあたり、、)をガン見して歌い続け、
さらに愛おしそうに抱きしめようとしてもキスをしようとしても、なんかぐたーんと体が脱力している感じでまるでダッチワイフのようなジークリンデです。
彼女は声だけでなく体格の方にも農婦的と形容したくなるようなたくましさがあり、
カウフマンよりも一回り大きい感じがするほどで(縦にも横にも)、
そのうえにどこかあまり敏捷そうな感じがしないのも、その印象に拍車をかけているかもしれません。
横たわった時にダッチワイフになっているかと思うと、立ち上がった時にはびくとも動かない大木に変身!という感じで、
これまたカウフマンがいくら絡んでも、大木によじ登っている少年のようにしか見えない、、。
前身ごろに斜めにたくさん走らせた紐が不思議なこの衣裳も、彼女の体型には全く不似合いで、
美人か不細工かに分けると間違いなく美人の部類に入り、着る衣裳によってはとても魅力的に見えるはずの彼女を
あんな細紐で縛った料理中の肉かと見間違うような姿にしてしまうとは、衣裳担当のサン・オーバンによる嫌がらせかと思ってしまいます。

少し話が逸れてしまいましたが、私はジークリンデには、ジークムントと一緒に駆け足で必死に愛に生きる感じ、
ジークムントと同じか、もしくはそれ以上に愛に飢えている感じが必要なはずだ、と思っているのですが、
ヴェストブルックのジークリンデは、出会ってしまった二人が辿るしかない運命の疾走感があと一歩!という感じで、
歌の完成度は高いのに、彼女のジークリンデには何かが足りない感じがする、、という意見がアメリカのヘッズの間には多く聞かれましたが、
その辺りのところに理由があるのかな、という風に私は思っています。

それにしても、今シーズンからさかのぼって直近で演奏された『ワルキューレ』といえば、2008-9年シーズンのそれになるわけですが、
あの時は、ワルトラウト・マイヤーがジークリンデを歌っていたんですよね、、、。
今日の双子コンビも決して悪くはない、むしろ現在舞台で鑑賞できるものとしては非常に良い内容の方に入ると思いますが、
マイヤーのような演技力も特別なものを備えた人がカウフマンと組んでいたなら、もっともっと強烈なドラマが舞台に生れたはず、、。
こんな風に歌手がある役を歌える時期、役にキャスティングされる時期がなかなか上手く合うことがないのもオペラの難しさだな、と思います。



カウフマンは今日は歌の入りを間違うこともなく、舞台上の動きには初日から比べると段違いの進歩があって、
転げながら舞台に飛び出してくる一幕の冒頭のスピード感は初日とは雲泥の差で、
また、フンディングに命を奪われる立ち回りのぎこちなさもかなり解消されていました。
実を言うと、カウフマン個人の歌と演技だけを取り上げるなら、私が鑑賞した3回の公演のうち、最も印象に残った歌唱は今日の公演なんですが、
さらに言うと、3回のうち、最も声のコンディションがやばかったのもこの日の公演でした。

この公演のニ幕の途中で、突然、カウフマンの声に変調が感じられた瞬間があって、
一幕は少なくとも私にはおよそ不調だとは感じられない出来だったので(Walseなど、ものすごくしっかり音が入っていて今日は好調なのかと思った位です。)、
どうしたのかと思っていると、見る見るうちに声が荒れているのがはっきり感じられるようになって、
おそらくは、最初から風邪の初期症状があったのに舞台に立ったものと思われ、ヴェストブルックの瓦も割らんという大声と、
普段よりはこじんまり目に演奏しているとはいえ、やはりビッグ・サウンドである事には変わりがないメト・オケの演奏の間に挟まって、
自分が思っていた以上に一幕で声を酷使したものと推測されるのですが、そのツケが一気にニ幕で現れて来た感じでした。

最初に変調を感じられた地点からジークムントが舞台にいる最後となるニ幕のラストまでは、
ブリュンヒルデとの対面も含め、相当歌うパートが残っていたので、聴いている私の方もひやひやするというか、
実際、このまま歌い進めたら、どこかでクラックする可能性もあるかも、、と観念したのですが、
荒れ始めている声でも出来る範囲のことを全て行い、さらに演技の方も全くスローダウンする様子がなく、
結局、目立って大きな問題がないままニ幕を歌い終えてしまいました。
彼の歌の微妙な変調に気づかなければ、単に、”つつがなく歌ってたな。”とか”良い歌唱だったな。”という感想に終わることかもしれませんが、、
私はあの状態で大きな問題なく歌い終えるということが、どれほどの集中力と、自分の声の能力や限界に関する知識・経験をフル稼働させなければいけないか、
そのことがわかる程度には歌うということの大変さを理解しているつもりですので、
こういう場面で彼がどのような形でピンチを切り抜けるか、それを今という時期にこの目で見れたこと、
実際、その地点以降の彼の歌唱から感じたのは普通じゃないレベルの集中力だったわけですが、これは大きな収穫でした。



というのも、以前にどこかで書いたと思うのですが、カウフマンが大きくブレイクし始めた前と後での最大の違いは、
後者の彼は常に一定以上のクオリティの歌唱を出せるようになっている、という点で、
これがクリアできて初めて、本当に名実伴った歌手と呼べるんじゃないかと私は思います。
私が彼を”良いテノールがいるぞ。”と感じたのは、ブレイク前夜のメトの『椿姫』の公演でしたが、当時はまだ公演毎の出来の振れ幅が激しくて、
あんな歌を聴けるならもう一度!とかけつけた次の公演では、そうでもなかった、、ということもありました。
非常に優れた素質は持っていましたが、今のような安定感はなかったのです。
それがたった5年程前のこと(とはいえ、オペラの5年というのは非常に大きい、ということは、これまでもこのブログで何度も触れてきたた通りですが。)。
でも、ブレイクしてからのカウフマンは、メトに来て歌ってくれる演目に関しては全演目複数回鑑賞していますが、
歌唱と演技の内容にがっかりさせられた公演というのが、今日を含めてまだ一度もない、、これはすごいことだと思いますし、
オーディエンスの期待とそこから生れる責任や立場のようなものが一層アーティストを大きくするということがあるのだな、というのを実感します。

こういうことを書くと、Madokakipはカウフマンに入れ込むあまりいよいよ頭がおかしくなって
ひいてもいない風邪を彼にひかせて虚妄癖に入っているんだろう、可愛そうに、、、と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、決してまだそこまで頭がぼけているわけではないことは、この公演の直後の『ワルキューレ』にあたる5/5の公演を、
そのさらに次の公演(5/9)とHD(5/14)に備えるために、カウフマンが風邪気味を理由にキャンセルをしたい旨の申し出を当初はしていて、
実際、開演1時間前になってもまだカウフマンが歌うと確定していなかったらしい、という話を聞きました。
というのも、HD当日に何か問題があった時に備え、予備の録画撮りをするのが収録日の一つ前の公演で、
幸いなことに、これまで予備の録画が映画館のHDの上演に使用されなければならないような問題が起こったことは一度もありませんが、
そのような理由から、HDの直前の公演もビデオ撮りがあり、キャストにとってもHDに並んで重要な公演日なのです。
実際、ライブ上映される場合の映像やその後映画館に配給されるアンコール上映用の映像は、当日の公演を収録したものですが、
DVD化された公演の中には、一部の場面が編集で一つ前の公演の映像と置き換わっている、と指摘しているヘッズもいて、
例えばガランチャとアラーニャが出演した『カルメン』のDVDの最後の場面は、
映画館で上映された当日の映像とは別の、一つ前の公演の映像なんだそうです。
私は『カルメン』についてはHDの日の公演も一つ前の公演も、映画館でもオペラハウスでも観ていないので、その真偽のほどはよくわかりません。

ところが、”メトにまつわるプチ・ニュース”にも掲載した通り、5/5にはいきなり”わしがお先に、、。”とばかりにレヴァインが降板してしまって、
(そして代指揮は噂されていたルイージではなく、デリック・イノウエさんでした。)
レヴァインとカウフマンのダブル降板なんてことになったら、ヘッズに八つ裂きにされる!と恐れおののいたゲルブ支配人の説得攻撃に負けたか、
自主的に体調は大丈夫と判断したか、5/5もカウフマンは舞台に登場し、
結局今シーズンの『ワルキューレ』のランからの彼のキャンセルは一度もなく、全日程を歌って見せました。



私は初日の時点から今回の『ワルキューレ』の舞台を牽引している最も大きな力はカウフマンだと思っていて、
もちろん彼が舞台で歌っている一幕&ニ幕の間中ずっと良いパフォーマンスだな、と感じながら鑑賞していましたし、
生れた時からトラジックな運命を背負ったジークムントという人物に、カウフマンの暗めの声のトーンは良く合っているな、とか、色々思うことはあるのですが、
それ以上に彼が演じるジークムントが死んでしまった後、つまり第三幕以降のドラマ上の喪失感、テンションの失速感の大きさ、
そこで失ったものの大きさを知るというか、”彼のジークムントはすごい!”というのを一番強く感じます。

また、全幕が終わった時、彼とジークリンデの二人の世界の方が、
ターフェルとヴォイトによるヴォータン&ブリュンヒルデのコンビの世界よりも全然強く印象に残る点にも。
それでも、この二つの世界が交わる瞬間、つまりブリュンヒルデがジークムントと対面する瞬間と、
それからジークムントが生の最後にヴォータンと対面する瞬間、これは公演の中でもそれなりに感慨のある場面になっていて、
特に後者は今日の公演でのカウフマンの演技とそれを受け止めるターフェルの演技が良くかみ合っており、
三幕のラストよりも大きな公演最大のハイライト・シーンとなってしまっています。

ジークムントがフンディングの剣に倒れる時、カウフマンは頭をオーディエンスの方=舞台前方に向けて仰向けに倒れて来ます。
この結果、自分を抱き起こそうとしているのは誰なのか、
(さらにはもしかすると、それが彼の剣を制した人物と同一人物であることもわかっているのかもしれません。)を知ろうとして、
相手の顔を見極めようと、虫の息の中、ヴォータンの顔に手を差し伸べ、わずかに上半身を起こそうとする演技から最後に息絶える瞬間まで、
よほど劇場の端のほうの座席に座っているのでない限り、一度もオーディエンスにはカウフマンの顔の表情がはっきり見えない角度になっています。
ところがそれが、ヴォータンの頬になんとか触れんと腕を伸ばすカウフマンの演技の中に、
ジークムントは命の火が消える直前に、自分を抱きかかえている相手が他ならぬ、自分の愛する、そしてずっと会いたかった父親であるのを認識し、
ひいてはノートゥングの力を奪った父親を赦して死んですらいったのではないか?と感じさせる場面に演じあげています。
その瞬間、私にはジークムントが父親に再会出来た喜びの中で微笑を浮かべて死んでいく、その笑みまで想像することが出来ました。
実際、その後、HD(ライブ・ビューイング)の再上映を鑑賞する機会に恵まれ、
HDではオペラハウスにいるオーディエンスにはおよそ鑑賞不可能な角度からカメラがカウフマンににじり寄って彼の表情をおさえることに成功しているのですが、
その表情が、劇場で見た彼の腕の演技から感じた通りの表情だったので本当にびっくりしました。
オペラの、特にメト級の大劇場の舞台では、肉眼では見えないものを観客に感じさせ、それを見たような感覚を持たせるという種類の能力は非常に大事で、
普段私がビジュアルの面で平土間に劣る席種の座席に座ってもそう苦にならない理由の一つは、本当に表現力・演技力のある歌手なら、
距離があってもきちんと伝わる種類の演技が出来るからで、逆を言うとそれを出来ない歌手は、間近で見たところで、やっぱりあまり訴えてくるところがない、、
ということになる場合がほとんどだからだと思います。



おそらくランの最後まで言い続けることになるのだろうと思いますが、ターフェルのヴォータン役は私にはかなり辛いです。
彼の声そのものは本当に美しいと思いますし、私は彼のことを、合った役においては、一見がさつなように見えて、
それが実は知的さの裏返しであるというような、個性的で面白い歌を聴かせられる、優れた能力を持った歌手だという風に思っていますが、
彼にはヴォータン役を十全に表現し、また彼という人物を観客に頭で考えたり理解するのではなく、”感じさせる”種類の声がない、
このことは彼がどんなに頭が良く優れた歌手であったとしても完全には穴埋めできないような気がしています。
特に今日の公演でのヴォータンのパートの最後の言葉、”Wer meines Speeres Spitze fürchte, durchschreite das Feuer nie!"
(私の槍の先を恐れるもの、決してこの火を越えてはならぬ!)のfürchteという言葉でのがなりっぷりはほとんど下品の域に達していて耳を覆いたくなりました。
せっかく緻密な役作りを全編に渡ってして来ても、大事な箇所でのこういう響きはそれをすべて帳消しにするような怖い力を持っていると思います。
このラストの場面は、劇場ではHDやラジオなどの録音したものではおそよその効果の全てを感じ取ることは出来ないような音響でオケが鳴っているので、
つい力が入ってしまうのはわかるのですが、彼がヴォータン役にしては声のスケールが小さめであることはもう秘密でも何でもないわけですから、
こういう下品な音を出すよりは、アンダーパワーだとしても響きをもう少し美しく保つ方が良いと個人的には思います。
HDの日に今日みたいな下品ながなりが出ないことを願っています。

プレミエの日の記事でもヴォータン役についてはモリスとの比較について言及しましたが、
モリスが同じパートをターフェルに比べてどれ位がならずに朗々とfürchteという単語をオケを越えて鳴らしているかはこのYouTubeにあがっている
1989/90年シーズンの公演の映像でも感じられると思います。
味もしゃしゃりもなく金を食うばかりの現行のルパージュの演出に乗っ取られるまで、深くヘッズに愛されて来た、
今でも”いつでも帰って来て!”という声が止まないオットー・シェンクのプロダクションによる上演で、指揮はレヴァインです。




はあ、、、たった3分半弱の抜粋なのに、プロダクションが違うとここまでドラマの奥行きの深さが違うものかと溜息が出てきました、、。
それにしても、モリスがメトでヴォータンを歌うことはもうないかもしれないな、と思いますが、
声が衰えただの何だのと言われていた2008-9年時の演奏でさえ、
オケを楽に越える響きという一点においてはターフェルとは比べ物にならないものを持っていたということを再確認。

今シーズンの『ワルキューレ』の公演で、しかし、一般的にローカルのヘッズから不満の声が大きいのはターフェル以上にヴォイトに対してかもしれません。
ただ、彼らの失望の大きさというのは、彼女に抱いていたワーグナー歌手としてのポテンシャルの大きさへの期待ゆえかな、という風にも感じます。
私は正直、彼女が巨大だった頃も、痩せてからも、それほど彼女に入れ込んだことがないので、
今回のブリュンヒルデも確かに声がふわふわしていて、役にそれほど合った声を持っているわけでないことは否定しませんが、
それを言えばターフェルやカウフマンだってそれほどスケールが大きいわけではないし、
ヴォイトのブリュンヒルデはそれなりにチャーミングな役作りだったとも思っていて、
彼らが酷評するほどひどいブリュンヒルデだとは思っていません。
しかし、彼女の能力を高く買っていたヘッズほど、本当はもっと優れたブリュンヒルデになっていてもおかしくなかったのに、
という期待外れの感覚が大きいようです。
なかにはそれを、はっきりと、彼女がスリムになった、またその原因ともなった手術のせいにしているヘッズもいます。
でも、彼女が基本的に優しい感じの声であることは以前から変わりがなく、ブリュンヒルデに硬質な激しさを求めている人は
そもそもヴォイトが彼らの求めるブリュンヒルデにはなりえないこと位は予想できたのではないでしょうか?



ところで、ルパージュの『ワルキューレ』に使用されているセットに対して大道具のスタッフでさえ懸念の声を上げていたことは
初日の公演の感想の中にも書きましたし、
実際その初日には、ヴォイトがマシーンから足を踏み外すという事件もありました。
しかし、さすがに大道具のスタッフを心配させているだけあって、事故はそれだけでおさまらず、
4/28の公演ではワルキューレの騎行の途中で、ジークルーネ役のイヴ・ジリオッティがプランクから落ちて本舞台の床に投げ出されるという、
一つ間違ったら大怪我になっていてもおかしくない事故が起こってしまいました。
この場面ではホーヨートーホーを歌いながら、ワルキューレが一つ一つ大きなシーソーのようになっているプランクから滑り落ちて来ます。
滑り始める場所、つまりプランクの一方の端はメトの舞台の高さのちょうど真ん中位のところにある感じですので、相当な高さがあります。
彼女たちが着地する場所=プランクのもう一方の端が止まる場所は本舞台の床よりも少し高めに作ってある張り出し舞台のはずなのですが、
このプランクを裏で手動で動かしているスタッフ(!!信用できないコンピューターに完全制御させるのはあきらめたか?!)の間で、
キューを出し間違えたか、読み違えたかで、プランクが張り出し舞台でとまらずにさらに低い場所に向かって、
つまり、予定よりも強い勾配をもって傾いてしまったのが原因で、張り出し舞台と本舞台の高さの差は1メートル弱ほどのものですが、
期待していたものと違った動作をプランクがしたことで、ジリオッティが咄嗟に対処できず、
張り出し舞台と本舞台の間に出来た溝に放り出されてしまった形になり、
演奏している(それも静かな部分ではなく、ワルキューレの騎行ですから!!)オケの奏者にまで、
”どーん!”という大きな音と、舞台近くに座っている観客の息を呑む声が聴こえたといいます。
それでも助けが来るまでに咄嗟に立ち上がって自力で舞台の脇まではけていったというのですから、彼女のプロ根性はたいしたものです。

今日もまたインターミッションでマフィアな指揮者とご一緒、
というのも、彼は今年の『ワルキューレ』、一公演だけを除いて残りの全部を鑑賞しているからで、
ということは、ジリオッティの落下事件も彼は自分の目で目撃しているので、
今日のプレイビルは彼女の名前になっているけれど、そんな事故があったすぐ次の公演なんかに無事に登場できるんだろうか、、?
登場したとしてもきっとものすごく怖いでしょうね、、と二人でお話していたのですが、
実際ワルキューレの騎行の前奏部分が始まって舞台に照明がついて、舞台の一番下手寄りでプランクに跨っているのはまぎれもない彼女本人で、
初日の時と全く変わらない活き活きとした明るさ一杯にジークルーネ役を歌っている姿と彼女のガッツには胸が熱くなりました。

メトからいずれ”手入れ”が入るかもしれず、いつまで視聴が可能かわかりませんが、
HDの映像をYouTubeにアップしてくれた方がいらっしゃいましたので、百聞は一見にしかずで、
この部分の映像をご紹介しておきます。(ただし、HDに収録されたのは5/14のマチネの公演で、5/2のものではありません。
もちろん、件のジリオッティ嬢も元気な姿を見せています。)



今年のワルキューレ達は例年に増して意図的にフレッシュな顔ぶれのキャスティングにしたのではないかというように感じますが、
セットはやたら重いくせにドラマそのものに重厚感を欠くこのルパージュの演出には、却ってそれが良くマッチしているように思います。
声楽的にも変な癖のない素直な発声を聴かせる若手が多く起用されているせいで、声の響きも良く調和していて、
ワルキューレたちはなかなかに健闘していると思います。
中でもオルトリンデを歌っているウェンディ・ブリン・ハーマーは『ラインの黄金』でフライア役を歌っていたソプラノで、
アンサンブルの中でも一際しっかりしたスケールの大きな声をしていて、
2006年のリンデマン・ヤング・アーティスト・デヴェロップメント・プログラムのワークショップで彼女の歌声を初めて意識して聴いて以来
(というのも、それまでにももしかすると彼女が脇役を歌ってくれていたことがあったかもしれませんが、そうと気づかずにいたかもしれないので。)、
これからの活躍を楽しみにしている歌手の一人です。



フリッカ役のブライスは相変わらずあの登場場面の少なさにしては信じられないくらいの存在感を感じさせる歌で、
”コワい妻”的キャラクターになりがちなこの役に、女性としての弱さや『ラインの黄金』以来深まるばかりのヴォータンとの溝や、
子供がいないという事実から生れる焦り、ブリュンヒルデに対する複雑な感情などの諸々を吹き込んで、
この役を非常に立体的なものに見せているのは見事だと思います。
そして、ブライスのすごい点はこれが彼女の全部でないところ!
フリッカのようなシリアスな役もすごくいい彼女ですが、私は彼女の歌い演じるコメディー・ロールも好きで、
メトでの『三部作』の『ジャンニ・スキッキ』におけるジータ役での抱腹絶倒の歌唱・演技力に舌を巻き、
以前YouTubeで見たアリゾナ・オペラの『ミカド』の映像(↓)でのはじけっぷりには目が点になりました。
ほんと、懐の深い歌手だと思います。



最後にオケですが、、、、うーん、、、今日の演奏はどうしてしまったのでしょう?
らしくない乱れが散見され、セクション同士の音が全く上手くブレンドしておらず、
レヴァインが指揮するワーグナーで、均整が取れすぎて面白くない、とか、テンポがまったりしていてスリルがない、という批判があったとしても、
こんなにコーディネーションが悪く、平たく言うとメト・オケが下手に聴こえたことは今までにまずなかったことです。
だらけているわけでは決してないのに、何かぴたっとまとまらない感じ、、、。
レヴァインは過去の映像などからも、動きに非常にクラリティがあって、彼の指揮を見ていると何を欲しているかというのが、
とてもはっきり伝わって来るのですが、そういう明瞭性に富んだ指揮が体の自由が効かなくなっていることから段々難しくなっているのかもしれない、と思います。
それから、メト・オケがレヴァインとリングを演奏する時にいつもある”火”が無く、思い切りの悪さみたいなものを感じます。
これから先、常時、今日のような演奏内容になってしまうとしたら、いよいよレヴァインも引退を考える時期が近づいているのかもしれないな、とすら感じます。

今日の公演の歌唱に関しては幾人かの歌手の個々の力・適性の問題はありつつも、熱いものもありましたのでまず満足しましたが、
オケの演奏が良くない『ワルキューレ』なんて駄目です!!!
それも良い演奏を出せる可能性が無いに等しいオケならともかく、メトのオケで!!!
HDまで後10日あまり。個々の楽器の細かいミスの有無は私はあまり気にしてません。
それよりも、とにかく彼ららしいサウンドの演奏を聴かせてほしいな、と思います。


Jonas Kaufmann (Siegmund)
Eva-Maria Westbroek (Sieglinde)
Hans-Peter König (Hunding)
Bryn Terfel (Wotan)
Stephanie Blythe (Fricka)
Deborah Voigt (Brunnhilde)
Kelly Cae Hogan (Gerhilde)
Molly Fillmore (Helmwige)
Marjorie Elinor Dix (Waltraute)
Mary Phillips (Schwertleite)
Wendy Bryn Harmer (Ortlinde)
Eve Gigliotti (Siegrune)
Mary Ann MacCormick (Grimgerde)
Lindsay Ammann (Rossweisse)
Conductor: James Levine
Production: Robert Lepage
Associate Director: Neilson Vignola
Set and projection design: Carl Fillion
Costume design: François St-Aubin
Lighting design: Etienne Boucher
Video image artist: Boris Firquet
ORCH R Even
ON

*** ワーグナー ワルキューレ Wagner Die Walküre Die Walkure ***

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32 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Mon.May 2 (le Grand Condé)
2011-07-03 20:59:10
こんにちは

>レヴァインが指揮するワーグナーで、均整が取れすぎて面白くない、とか、テンポがまったりしていて>スリルがない、

ワーグナーに限らず、と付け加えたくなりますが、
当日“これってレヴァインの演奏? 嘘でしょ? ”ということはとりあえずなかったです.
クライマックスの音量が足りず、コンパクトなワルキューレでしたが、レヴァイン的な演奏の特徴は、感じ取ることが出来たので、満足としました. それほど好きな指揮者タイプともいえない場合、あまり求めないので、敷居を下げて聴いているのかも知れません.(笑) 

>今日はその特別ルールにのっとり、久々の平土間鑑賞です
ところで、madokakipさんの5/2の平土間席は、舞台に向かって右側でしょうか?、席の左側にアジア系の若い男女カップルなど居ましたでしょうか?
返信する
ヴォータン (Sardanapalus)
2011-07-04 18:52:00
元々ワーグナーはあまり好きじゃないのですが、私はレヴァインのまったりな指揮がだめで演出も評判がいまいちなので、HDには行きませんでした。ということで、今回のレポートはとてもありがたいです!ウェストブルックが本調子でなかったのはとても残念ですが、ちゃんとカウフマンと双子に見えるジークリンデですから、別の機会があればぜひリベンジを果たしてほしいものです。

>ターフェルのヴォータン役は私にはかなり辛い
数年前にROHでサイクルを上演した際、私もターフェルのヴォータンには物足りなさを感じました。見た目だけは違和感ないですが、やっぱりあのまろやかな声質がヴォータンには向いていないんじゃないかと思います。その後、ジョン・トムリンソンのばりばりの重低音かつ大音量が響きまくるヴォータンを聞いて、これぞヴォータン!と感動したのを思い出しますしかし、最後の高音をがなってしまったというのはがっかりですね。ターフェルが今後もヴォータンを歌うつもりなら、声量の大きいバス歌手達とは違うバス=バリトンのヴォータンとしての歌唱をきっちり聞かせてほしいです。
返信する
マイヤー様 (チャッピー)
2011-07-04 21:25:44
マイヤー&カウフマン、私はフィデリオで見たいかなあ。
以前、クラシカジャパンでマイヤーのレオノーレを見たのですが、すんごーく恰好良かったです。ぜひMETで見たいっ!
マイヤー様、ヴォツェックの出待ちでお姿拝見しましたが、普通のオバサンで少しがっくり。もっとも、楽屋口でも女王然としてるのは、ゲオルギューとフレミングくらいか。ゲオルギュー女王、もうMETの楽屋口で見れないと思うと悲しいわ。

ところでこんな本が出てるみたいです;
http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_noss?__mk_ja_JP=%83J%83%5E%83J%83i&url=search-alias%3Dstripbooks&field-keywords=%83%81%83g%83%8D%83%7C%83%8A%83%5E%83%93%81E%83I%83y%83%89%82%CC%82%B7%82%D7%82%C4&x=14&y=7
METの来日公演にあわせて出版したのでしょうが、彼らが帰国してから知りました。本屋に置かれてても目立たないだろう装丁。中身はゲルプよいしょ本? そのうち買います。




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芸の格 (名古屋のおやじ)
2011-07-04 22:35:23
モリスのヴォータンは、メトの前回の来日公演の際、名古屋で見ることが出来ました。彼の歌は、それ以前にも東京、ザルツブルク、NYと、何回か聴いたことがありましたが、このときほど、それが素晴らしく思えたことはありません。歌云々というよりも、このときは、その見事な立ち姿に、神々の長の風格と芸の格を感じました。この時のキャストは本当に良かった。モリス、ポラスキ、ドミンゴ、ヴォイト、パーペなど・・・。この前のHDよりも、はるかに強力。
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キャスト変更 (Kew Gardens)
2011-07-04 23:30:41
同じ公演を鑑賞しているのですが、2か月前のことはすっかり忘却の彼方・・・。 Madokakipさんのレポートを読みながら、そうだっわよねぇ~と思い返しておりました。 それにしても、すごい記憶力です! 

Terfelが、Wotanらしくなるには、まだ道のり遠くというところでしょうか? 声質からいって、ハンスザックのほうがあっているのかもしれません。 でも、今回のこのプロダクション、2幕のSiegmundの死の場面、父と子の別れをとてもヒューマンドラマのように描いていて、彼のキャラが個人的にはあっているように思いました。 Sardanapalusさんがご覧になったTomlinson=Wotanを私もROHで見ましたが、声はばりばり大きいものの、何か枯れた感じでした。 バイロイトの映像を見た時の、男くさいといいましょうか、欲望の塊のようなWotanは影をひそめていたように思います。 MorrisのWotanは名古屋のおやじさんがご覧になった前後だと思いますが、1995年くらいのRing cycleで見ました。 大柄の上に、びしっと背筋が伸びていて、まさに神様!という感じ。 今回のプロダクションはあまりにも人間臭すぎて浮いてしまいそう。 タイムマシーンで90年代のMorrisを呼び出して、Terfel口パクが落ち着くかもしれません。 

いかにもおおらかオランダ人のWestbroekはKaufmannにパッと見お似合いのSieglindeでしたが、これをMeier様がやるというのは、興味をそそられます。Simon O’Neilll相手だと、どこかニュートラルなSieglindeでしたが、相手が変わると、役作りも変わるのでしょうね。 

キャスト変更のついでに、VoigtからStemme=Brunnhilde というのはどうでしょうか? ミニーちゃんが急に成熟してしまうかもしれませんが、 声からいったら、私はStemmeのほうがいいなぁ。

ところで、今回は巨大な”マシーン”が舞台を占拠してしまったようで、どうも歌手のみなさん、手前の狭い空間でちょこまかやっていたように思います。 紹介していただいた映像で昔のプロダクションを思い出しました。 広々とした空間が感じられて、私もこちらのほうが好きです。 
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le Grand Condéさん (Madokakip)
2011-07-05 02:55:06
>クライマックスの音量が足りず、コンパクトなワルキューレでしたが、レヴァイン的な演奏の特徴は、感じ取ることが出来たので

もちろん、何に対して比較するのか、という問題もあると思いますね。
よそのオケの演奏と比べたら、それはやはりレヴァイン的な演奏の特徴はあるのだと思います。
ただ、例年の彼の演奏と比べると、私はこの5/2の演奏はあまりレヴァインらしくない(細部が非常にsloppy、discordinationが多い)、
またメト・オケらしくない(音がコンパクトで瞬発力をあまり感じない)とも思いました。

しかし、ラン最後の二つの演奏、すなわち5/9と5/14の公演、
この二本はいつものオケの特徴とそれからレヴァインのここ最近の変化(彼の演奏のテンポはここ数年で早くなっていると思います。)が上手くかみ合った
素晴らしい演奏だったと思います。
5/9はラジオで聴いていましたが、こんな良い演奏がHDの前に出てしまったら、
HDは同じレベルの演奏は難しいかな、と思いましたが、結果としては双璧だったと思います。
クライマックスの音量も十分、スケールも大きく、
オケがノってしまって、音を抑えるなんてことは不可!
もうブリンらには気をつかわんぞ!とオケが言っているようでした(笑)

HDはご覧になられましたか?
映画館で聴くとターフェルとかヴォイトのようなコンパクトな声の人は大きく、
そして、強力なオケは実際ほど迫力がなく、また細かいニュアンスはとりきれていないという、
映画館特有のいつもの聴こえ方で残念でしたが、
もしかすると、この映像はDVDになるかもしれないな、と思います。
DVDを家のオーディオで聴く方が、映画館よりも音がよかったりすることもあるので、発売を期待しています!

>madokakipさんの5/2の平土間席は、舞台に向かって右側でしょうか?、席の左側にアジア系の若い男女カップルなど居ましたでしょうか?

私は真ん中のブロックのこれまたど真ん中でした。
アジア系の方を座席にお見かけすることが多くて、なかなか全員の方に注意を払うのが難しいのと、
カウフマンの姿を追うのに忙しかったので(すみません、、笑)、
le Grand Condéさんとお連れの方(“アジア系の若い男女カップル“というのはそういうことなのですよね?)を見つけることは出来ませんでした。残念!
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Sardanapalusさん (Madokakip)
2011-07-05 02:57:08
>レヴァインのまったりな指揮がだめで

うふふ。これがですね、昨年位からかな?レヴァインの演奏はスピードが速くなって来ているように思うんですよ。
HDの日の記事にも詳しく書きますが、HDの日のオケの演奏は,
この日の演奏から生まれ変わったかのような内容で、本当に素晴らしかったです。
(正確にはHDの一つ前の演奏からすごく良くなりました。)
多分、最近の演奏でスピードが早くなったのは、深い意味はなくて、
単に体が辛いので早く演奏を終わらせたいのではないからではないか?と私は見ていますが(笑)
でも、理由が何であれ、私は今のテンポの方が好きです!

>声量の大きいバス歌手達とは違うバス=バリトンのヴォータンとしての歌唱をきっちり聞かせてほしいです

そうですね。モリスと同じに歌えとは私も思っていなくて、
ターフェルのやり方で、ああ、こういう表現、歌い方もあるか、と納得できる内容のものであれば、
それで十分満足なんですが(でも、やっぱりそこで“がなり”が入っていると、納得するのは難しい、、、。)、
私の感覚ではちょっとそこまで行っていないような感じがして残念です。
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チャッピーさん (Madokakip)
2011-07-05 02:59:18
『ヴォツェック』でのマイヤー、素晴らしい表現力でしたよね。
私に言わせれば、楽屋口で女王然とするに最も値する歌手はこの三人の中でマイヤーが一番だと思いますが、
そういう人に限ってそんなことには興味がなかったりするんでしょう。
私は舞台を降りたら普通のおばさんになる人が舞台の上ではあんなに鋭い輝きを持てる、
そのことの方がすごいな、と思います。

>メトロポリタン・オペラのすべて 名門歌劇場の世界戦略

おっと!やっと出版されたのですね。
これ、オペラハウスに取材が入っていた割りに、その後何の音沙汰もないけれど、
本の方は実際に発売されたのか?と、
メトにいらっしゃる方から、私も突かれていたのですが、
何せタイトルもわからないので、“知らな~い。”と言い続けておりました。
ありがとうございます。発行されているみたいです、と伝えておきます。
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名古屋のおやじさん (Madokakip)
2011-07-05 03:00:24
>見事な立ち姿に、神々の長の風格と芸の格を感じました

そうそう、そうなんですよね。
私も彼のヴォータンを見れた最後のシーズン(2008/9年)の『ワルキューレ』での、
あの立ち姿からかもしだされる役の空気、たたずまいを思い出すと、
それだけでまた涙が出て来ます。
あの公演は私のこれまでに鑑賞した舞台の中で、
最も記憶に残っているものの一つです。
前回の来日公演は確か2006年でしたから、2008-9年シーズンとかなり年度的にも近いですが、
あの頃のモリスのヴォータンからは本当に無駄な力が抜け去って、
それが何ともいえない味を出していましたよね。
それと比べると、DVDになっている1989-90年シーズンのヴォータンはあれでもまだ、
ちょっと若い感じがして、
かえすがえすも後年のヴォータンが映像に残っていないのが悔やまれます。
本当にルパージュ演出に移行する前に、なぜあの2008-9年シーズンのシェンク演出の舞台をHDにしておかなかったのでしょうね。
とある支配人のもう一つの失策!です。
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Kew Gardensさん (Madokakip)
2011-07-05 03:02:03
本当だ!あれからもう二ヶ月も!!!
時間が経ってしまうと、要点をまとめて簡潔に書く方が大変で、
舞台の最初から最後まで頭で反芻しながら思いつくままを書く方が楽に感じます。
というわけで、思いついたまま書いているうちに、文章がとても長大になってしまいました、、、。
読みにくくなってしまって皆様には申し訳ない限りです。

うんうん、ターフェルはハンス・ザックスの方が良さそうですね。
役のイメージとも良く合っていると思います。
彼、マイスタージンガーは歌ったことがあるんでしたっけ?

>MorrisのWotanは名古屋のおやじさんがご覧になった前後だと思いますが

名古屋のおやじさんは前回の日本公演とおっしゃっているので、2006年のことではないかと思います。
Kew Gardensさんがご覧になったのが1995年とすると、
あのDVDになっている頃と、名古屋のおやじさんがご覧になった頃の丁度間くらいということで、
これもまた、当時どういう表現の仕方をモリスがしていたのか、
激しく興味が湧きます!

>今回のプロダクションはあまりにも人間臭すぎて浮いてしまいそう

ああ、確かに!今回のプロダクションでは浮きまくり!でしょうね。
シェンクの演出があってこそ、という、キャストと演出の幸せな結婚という部分はあったと思います。

>VoigtからStemme=Brunnhilde というのはどうでしょうか

シュテンメは昨年だったか、西海岸(SFOだかLAだか忘れてしまいました、、)でブリュンヒルデを歌ったのを録音で聴きましたが、
すごく良いと私も思いました。
そうですね、ヴォイトよりもシュテンメの方がブリュンヒルデとして良いと思います。

>広々とした空間が感じられて、私もこちらのほうが好きです

そう、シェンクの演出では、その広々とした空間は『神々の黄昏』のラストでも生きてますよね。
ルパージュのプロダクションではここがどんなことになってしまうのか、
非常に不安です、、、。
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