Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

DIE WALKURE (Sat Mtn, Apr 11, 2009) 後編

2009-04-11 | メトロポリタン・オペラ
前編より続く>

ジークリンデ役は、つい先だっての『カヴ』のAキャストで、
なんでしょう、これは!?な、ヴェリズモと呼ぶにはあまりにエキゾチックな歌唱を繰り広げたワルトラウト・マイヤー。
そんな彼女に今日一言手向ける言葉があるとすれば、
”カヴとかカルメンで時間を無駄に費やすのはもういい加減やめましょう。”

だって、このジークリンデのような、彼女の個性や歌唱スタイルや声質、全てに合っている役があるのに、
あんな不思議な『カヴ』を歌う必要はないんですから。

彼女のレプリカが『カヴ』やガラで歌ったわけでもあるまいに、フィジカルな能力は全く同じはずなのに、
『カヴ』やガラのカルメンと比較すると、ずっと声がよく通っているように聴こえます。
このオケをうしろにしたがえてさえ。
厳密にいうと、最高音域まで抜けると、かえってまだまだ突き刺すような鋭い響きも出ているのですが、
そこに抜ける前の高音域には、さすがの彼女も、少し磨り減った音が混じるようになっています。
しかし、役を本当に良く知り尽くしているのでしょう、その事実を観客にじっくり感じ取らせる時間を与えません。
彼女はもともと知的ですらりとした美人ですが、その上に演技力がくっついて来るので、
舞台で観た際の効果は絶大です。

マイヤーの緻密な演技を見ると、昨シーズンのヴォイトのジークリンデが作品の頭から最後まで
いかにほとんど変化がなかったか、ということが実感されてしまいます。
マイヤーのジークリンデには、心を殺してフンディングの妻として生きていた状態から、
ジークムントとの出会いを機に、葛藤、喜び、嘆き、悲しみ、と色んな感情を一気に経験し、
最後にはそれらを越えた芯の強さを手にしていく、その推移がきちんと歌や演技に表現されています。
あまりにそれらがきっちりと表現されているので、その計算細かさが気になる人はいても、
彼女の演技を下手だと感じる人はいないはずです。
こういう歌手が歌ってこそ、『ワルキューレ』のエンディング以降と『ジークフリート』の冒頭の間の
空白の時間が却って生きるというか、あえて舞台上で見せられなくても、その間に起こることは、
今日の彼女の歌唱や演技の延長として、すでに観客の心の中にプリ・セットされたようなものです。
次回の『ジークフリート』でジークフリートが母への思慕を口にするシーンでは、
今日のマイヤーの姿が思い出されて、我々観客はほろり、とするはずです。


(右がマイヤーが演じるジークリンデ。左は初日の公演でジークムントを歌ったヨハン・ボータ。)

もともと観客を圧倒するような声量ではなくて、
こういった緻密な役作りとか歌唱の表現の上手さで観客を魅了してきた彼女なので、
同じく歌にリリカルで繊細な部分があるレーマンとは、ボータ以上にいいコンビだと私は思いました。
アンダースタディであったとしても、オケとはほとんどぶっつけ本番で舞台に立っているレーマンを
さりげなくサポートする姿も麗しいです。

『ラインの黄金』の、まるで遊園地のような楽しいセットと比べると、
こちらの『ワルキューレ』は、一瞬地味だな、、と感じるのですが、
作品として登場人物の心理面の掘り下げがすすみ、歌唱や音楽そのものが立っている作品なので、
いいキャストで聞くと、むしろ、これくらいのほうがぴったり来ます。
昨シーズンは、歌手の動きが、あてどなく感じられた個所が随所にあったのですが、
今回は演じる歌手の実力が上なのか、また、当演出最後の上演かつサイクルということで、
特別に演技指導を含め演出アドバイスに入ったというシェンクの力か、
演出やセットと、歌手の歌や演技との一体感が、今回はぐっと増しているように感じます。

第二幕ではいよいよブリュンヒルデ役のイレーヌ・テオリンが登場。
クリスティーン・ブリューワーからのキャスト変更があった時点では、
大ショックだった私ですが、彼女が新国立で歌ったトゥーランドットがなかなかに良かった、という、
複数のご証言を頂き、今日はかなり楽しみにしてやってきました。
ただ、既述のものと同じ、初日の公演に対するNYタイムズの評では、
登場してすぐ(ホーヨートーホー)は声量不足が目立ったが、後になるほどウォーム・アップして、
特に第三幕の叙情的な歌唱は捨てがたいものがあった、というような趣旨のことが書かれており、
なので、このニ幕の頭はそれほど期待していなかったのですが、
声量がないという風には、今日の公演からは感じませんでした。
ホーヨートーホーも、歌に厚かましい感じがないので、少し物足りなく感じる人もいるのかもしれませんが、
非常にフォームが綺麗で、私はこういうの、好きです。

彼女が注意すべきは声量そのものではなく(メトのような箱でこれだけ十分声が通っていたら、
声量がないとはいわない。)、スタミナと高音域で若干声が痩せること、この二点だと思います。
三幕の一部ではこの二つが重なって、少し疲れたかな?と感じる場面もありました。
彼女は、キャラクターも歌唱も声も、どこか少しクールな感じがするのが面白い個性になっていて、
これでトップに中音域で出ているようなクールさを延長した
アイシー(氷っぽい)で、かつ、強烈な音が出るようになると、ユニークな存在になるかもしれません。
歌は全般に非常に丁寧で、好感が持てます。
少し演技が硬い感じがしたのは、本人のそのキャラのせいか、
急遽代役に入ることになった事情のせいか、ちょっと図りかねました。
幕後のカーテン・コール(一つ一つの幕でカーテン・コールあり)でも緊張のあまりなんでしょうか?
ほとんど笑みを見せません。
なるほど。これならトゥーランドット姫は適役!

『ラインの黄金』に続き、やっぱり彼女は上手いな、と思わされたのは、フリッカを歌ったイヴォンヌ・ネフ。
作品の中で他の登場人物ほど深く人物像が描写されないだけにかえって演じるのが難しい部分もあり、
かつ、あまり好かれる要素のない(特にこの『ワルキューレ』では、、)役なんですが、
一方で、ヴォータンが神の長としての存在から滑り落ちるプロセスの中でも、
ジークムントとジークリンデと再びの大きな接点を生むきっかけとなる、大きなターニング・ポイントの一つで、
結局、ヴォータンは、全く同じ理由、つまり、神というものは、世界の秩序を守るという責任のために、
自らに宿った人間的なもの、愛を含めた感情がどんなに素晴らしいものであろうとも、
それを優先させることはできない、という理由で、自らの最愛の息子と娘、
ジークムント(は死の形で)とブリュンヒルデ(は神の世界からの勘当の形で)を失うことになるわけです。
ヴォータンがブリュンヒルデを許せないのは、
自分がどれほど愛によって生きたくても、全ての場面でそれを押しとおすことはできないこと、
それを彼女にきちんと説明までして、ジークムントのお遣いに向かわせたのに、
まさにその”愛”に目覚めて、彼女が彼を救おうとしたところにあり、
ブリュンヒルデ自身も神である以上、そのルールによって生きるべきであることを思い出せば、彼女の罪は二重。
このことを考えれば、罰は彼女の神性を剥奪する以外ありえません。

ヴォータン自身をそんな神としての責任と真っ向から向き合わせることになる直接の場面が、
他でもないこのフリッカとのシーンで、
短い登場時間の間で、フリッカ自身はそのことの将来への意味と重みをはっきりとは認識しないままに、
神の凋落を後押ししてしまう、というそんな大事な場面を、
ネフは神としての威厳もきちんと守りつつ、安定した歌唱力で、
まるで神ヴォータンをあやつる”神の手”の手先のごとく、
逃げられない運命へとヴォータンを追い詰めるのでした。
彼女は声量もしっかりしています。


(モリスの父ヴォータンの語りに耳を傾ける娘テオリンのブリュンヒルデ。
こんなに長々と父に語らせておいて、結局言うことを聞かないんだから、、。)

今日のモリスは、これまたNYタイムズの評で往年の声の輝きはないが、みたいなことを書かれたのが悔しかったか、
(ただし、その後には肯定的な文章が続き、全体的には昔の声はないが、鑑賞する価値あり、
というようなトーンの文章になっています。)
『ラインの黄金』よりは声楽的に強かったと思います。
『ラインの黄金』の時でもそうでしたが、彼のフル・ボリュームの高音は、
まだまだ十分オケの上を通って聴こえます。
むしろ、フルのボリュームで歌えないときの、中~高音あたりが一番厳しくなっているように感じますが、
(微妙なコントロールをとるのが難しいのだと思います。)
今日は今までのいくつかの公演や125周年ガラで感じた衰えに比べると、歳が若返ったかのよう。
あの、長い、ブリュンヒルデへの語りのシーンもよく持ちこたえています。

オケにやっと”らしい”演奏が戻ってきたのは、第二幕の第三場あたりから。
歌手の一つ前に立ってぐいぐいと道を切り開いていくような逞しさが出てきました。
ここ以降も、小さい演奏ミスがないわけではなかったですが、
今まで下を向いて自信なさげに歩いていた人が突然顎を持ち上げてまっすぐ前を見据えて歩き出したような
力強さと自信と確信を感じまます。
もちろんミスはないにこしたことはないのですが、私自身は、
こういう背骨の入った演奏なら、小さいミスの一つや二つ、別にどうだっていい、と思います。

第三場のジークリンデが錯乱して、自分の過去を忌み、
ジークムントの死を予見してしまう場面でのマイヤーの表現は巧み。
そして、ブリュンヒルデが降臨する続く第四場は、
”馬鹿者、生きている間は自分で運命を決められても、死んでしまったら、それも叶わないのよ。”と
平気の平左で言ってのけ、あくまでジークムントの死のお迎えを主張する前半では、
テオリンのサイボーグ的な個性が生きているのですが、
ジークムントを通して”愛”という感情を知り、彼とジークリンデを助ける決断ををして以降は、
もう少し歌が熱くなってもいいかな、と思います。

フンディングとジークムントの戦いのあとの、
ヴォータンの苦りきった気持ち、軽蔑、落胆、自己憐憫、などを巧みに写しこんだ、
”行け Geh'! Geh!"という言葉や、
自分の最愛の息子であるジークムントの亡骸を見つめる視線の中に、またしてもモリスの上手さを感じましたが、
こんなのはまだ序の口でした。

第三幕は、、、。
ああ、また書いているうちに涙が出てきてしまうかもしれないので、ハンカチを傍らに置いて書かなくては。

しかし、そこに行く前に、第一場の”ワルキューレの騎行”がありました。
今回のワルキューレたちは、ブリュンヒルデを除いた8人のうち、6人が、
昨シーズンの『ワルキューレ』の単独公演のキャストと同じメンバー。
で、その時にも、一人、ものすごく目立って声がいい歌手が混じっていた、と書きましたが、
今回も全く同じで、それは、つい二週間前の『ラインの黄金』のフライアも歌ったウェンディ・ブリン・ハーマーらしいと確信。
去年聴いたときより、8人全体の声としては少し線が細くなったような気もするのですが、
それにしても、あんなホーヨートーホーやら叫び声を出せる歌手たちばかり、
その中に混じっても、これだけ声が目立つんですから、彼女はすごいです。


(可憐なマイヤーのジークリンデとサイボーグのようにクールなテオリンのブリュンヒルデ)

実際にはマイヤーよりテオリンの方がずっと若いはずですが、
テオリンのサイボーグ的クールさと、マイヤーの演技力もあって、
マイヤーが演じるジークリンデの可憐さは、テオリンより若く見えてしまうくらいです。
しかし、その上に、自分がジークムントとの子を身ごもっていることを知り、
ブリュンヒルデの犠牲に感謝しつつ、退場最後に歌い上げるO hehrstes Wunder!
(ああ、何と高貴で驚くべきことか!)以降の言葉には、
強い女性のオーラが加わって、つい我々観客も、
”くじけずに、どこまでも逃げるのよー!!”と、彼女の後姿に叫んでしまうのでした。

そして、第二場を経た後の第三場の、この日の公演以来、
ずっとずっと目と耳に焼付いて離れない”ヴォータンの告別”。
私はこれまで実演でもCDでもDVDでも、『ワルキューレ』で大泣きするほど感動したことがないので、
今日もハンカチは足元に置いたバッグの中で余裕をかましていたのですが、
”さらば、勇敢で素晴らしい我が子よ Leb' wohl, du kuhnes, herrliches Kind!"の
フレーズをモリスがうねるようなオケにのせて歌いだした途端、
今日の彼の歌唱はただものじゃなく、何かものすごく特別なものになる予感に包まれました。
これは何だろう?声に乗った情感が、歌われる言葉以前に全てを物語っているというような、、。
”私、神よりも自由なたった一人の人間しか花嫁(ブリュンヒルデ)を手に入れられないのだから。
denn Einer nur freie die Braut, der freier als ich, der Gott!"の言葉の後の、
あの感動的なオケの旋律にのせて、なんともいえない慈愛と惜別の思いに満ちたまなざしをブリュンヒルデに向けた後、
ついに彼女への思いを抑えられなくなったヴォータンが、ブリュンヒルデを抱きしめる。
親子として、また、神同士として会うことは二度とないだろう、という、最後の抱擁、
まさに”はしっ!”という感じでブリュンヒルデを固く抱きしめるヴォータン、、
その抱きしめる前に、湧き上がってくる感情が見えるような、
なんとも言えないためがあるのがまた泣けます。

愛に満ちて、勇敢で、自分と最も似ている娘、
その愛してやまない性格ゆえに、神の世界から勘当しなければならないことになってしまった最愛の娘。
いつか現れるであろう、たった一人の勇敢な男性にその最愛の娘を託さなければならないという思い。
そしてその男性は、神である自分よりも自由で強い男性であるだろう、という
(それは結局、神の凋落を示唆する)、喜ぶべきでありながら、寂しくもある事実。
これらヴォータンが感じていることの全てがもう怒涛のようにオケの音と一緒になって観客に押し寄せてくるのです。
そして、その後に続く、”Der Augen leuchtendes Paar お前の輝く瞳に”以降のフレーズを、
モリスがそれはもう静かに、繊細に、音を絞って歌いだしたのですが、
この部分の、こんな感動的な歌唱は、私はどんなCDでも聴いたことがない!
あまりの美しさに時間が止まるかと思いました。というか、止まってほしかった!!
こんな歌にのせて、これが運命なのだ、という諦念と悲しみを織り交ぜつつ、
幸せだった頃の、ブリュンヒルデとの思い出を走馬灯のように語るのですから、これが反則でなくって何でしょう?!
私が座っているグランド・ティアでも、あちこちから鼻をすする音が聴こえ、
私は気が付いたら、ハンカチが手元にないので、鼻水にまみれてすごいことになってしまいました。
一生懸命、指で押さえたりするのですが、とてもそんなものでは追いつかない。そして、いよいよ、涙まで、、。
ハンカチを出しておかなかったとは、私もなんと大きな油断をしてしまったのか!!
もう、この後は、ただ、ただ、モリスの歌とオケと一緒に、この場面を一緒に生きさせて頂いた、
そういう表現がぴったり。
一挙手一投足、歌われる歌詞の一言一言に全神経が行き届いており、
無駄なものはそぎ落とされ、長年この役を持ち役にしてきた歌手だけが達することのできるヴォータンです。

ブリュンヒルデの瞼にヴォータンが口づけると、神性を失った体から力がぬけ、
深い眠りに落ちるブリュンヒルデ。
(テオリンがなかなか巧みに演じてました)



いつか世界で最高の勇敢な男性とめぐり合う日まで彼女を守り続ける火を岩山に放つヴォータン。
もちろん、もう、この間、ずっと、Madokakipは鼻たれ小僧です。



幕が降りた瞬間、あまりに心を動かされたため、拍手をするのも億劫に感じたほどで、
とりあえず、鼻たれ脱却のため、バッグからハンカチを取り出し、ちん!とするのがやっとでした。

カーテン・コールに現れたモリスとテオリンに猛烈に浴びせられる拍手。
私がテオリンだったら、こんな感動的なエンディングを迎えたら、
感極まって(というより、これ、勿怪の幸いとばかりに?)
モリスに抱きついてしまうところですが、
アンドロイドのようなテオリンはここでも奥ゆかしく、モリスと第一関節で繋いだ指を高く掲げるにとどめ、、
でも、逆にそれがモリスへの敬意のようにも見えました。

この公演、特に、ヴォータンの告別のシーンは、一生忘れることができないでしょう。
往年の声がなくなったといわれても、今自らの手元にあるもの全てを使ってヴォータンを表現してみせる!
という、モリスの執念のようなものを感じました。本当に見事でした。
オケも後半頑張った。こういう演奏を待っていたのです。
我がオペラヘッド史に燦然と輝く一ページが加わりました。
今日も雨の日のジンクスは本当だった!

Gary Lehman replacing Johan Botha (Siegmund)
Waltraud Meier (Sieglinde)
John Tomlinson (Hunding)
James Morris (Wotan)
Yvonne Naef (Fricka)
Irene Theorin (Brunnhilde)
Kelly Cae Hogan (Gerhilde)
Claudia Waite (Helmwige)
Laura Vlasak Nolen (Waltraute)
Jane Bunnell (Schwertleite)
Wendy Bryn Harmer (Ortlinde)
Leann Sandel-Pantaleo (Siegrune)
Mary Ann MacCormick (Grimgerde)
Teresa S. Herold (Rossweisse)
Conductor: James Levine
Production: Otto Schenk
Set and projection design: Gunther Schneider-Siemssen
Costume design: Rolf Langenfass
Lighting design: Gil Wechsler
Grand Tier A Even
SB

***ワーグナー ワルキューレ Wagner Die Walkure***

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14 コメント

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本当に感動しましたね。モリスは最高です! (brunnhilde)
2009-04-12 18:27:57
お久しぶりです。コメントが久しぶりになりました。私もCycle 1をサブスクライブしています。
本当に、今日のモリスには泣かされました。モリスのヴォータンは、これまで何回か見てますが、今回のは格別。
madokakipさんの仰るとおり、第三幕のブリュンヒルデとの別れのシーンは、彼女を抱きしめてから、それこそ、「お前の輝く瞳に」を歌い出した時から最後まで、もう涙が止まりませんでした。一挙手一投足からにじみ出るヴォータンの悲しさが、ひしひしと伝わってきて・・・。あー、本当に思いだしても泣けてきます。
仰るとおり、オケの問題とかもありましたが、すべて帳消し。ここまで泣かされるともう感動の一言です。本当に今回の公演は観れて幸せを感じました。ちょっと興奮気味ですが、madokakipさんとは、同じ感動をshareできて嬉しいです!
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今日も、、 (Madokakip)
2009-04-13 12:13:03
同じサイクルをご覧になっているとはなんと嬉しい!!
私がどんなに言葉を尽くして感想を書いたとしても、
この公演のすごさはやっぱりオペラハウスにいた人にしか100%伝わらないのではないか、と
すでに危惧しています。

>今回のは格別。

本当、同感です。彼は特にこの役ではいつも役作りが巧みですし
(それ以外には彼のハンス・ザックスも私、好きなんです、、。)
昨シーズンのそれも良かったですが、
この日の彼の歌はそんなレベルのものではなかったですよね。
多分、もうこれでヴォータンを全幕、ましてやリング・サイクルで歌うのは最後になるだろう、という思いが、
特別な力を引き出しているのだと思います。

今日も友人に、この三幕のことを話していて、
再現しているうちに、涙声になってしまった私です。
この興奮はしばらく収まりそうにありません。
一生思い出に残る公演でした。
返信する
泣けるんですね。 (sora)
2009-04-13 12:32:43
私は現在ワルキューレを初勉強中です。
まだ、そんなに聞きこなせていないし、歌詞との合致も十分ではないので、まだ泣けてません。
羨ましいです。そんな公演を聴けるなんて。
ガラのモリスを私もネットで聴くことができたのですが、私もあれはちょっと。。。と思ったものでした。

ワーグナー、いいですね。
一人でしみじみ、かっこいいわ~と思ってます。
会社の子に「ホヨトーホー」を聴かせたらうけてくれました。最初はなかなかUFO(やきそば?)のCMが頭を離れなかった私ですが、今でオペラが勝ちました
返信する
ホヨトーホーを聴かせた、って、、 (Madokakip)
2009-04-13 13:02:38
 soraさん、

猛烈に笑ってしまいました!

>会社の子に「ホヨトーホー」を聴かせたら

って、手持ちのCDを、ってことですか?
それともsoraさんが歌って差し上げたってことですか?
後者だったら、すごい、、。
その調子でワーグナーをどんどん伝道してくださいね!!

しかし、ワーグナーになかなか開眼できなかった私としては羨ましい!
一人でしみじみかっこいいわ~と思っているsoraさんがかなりかっこいいですよ!!

ところで、UFOってなんですか?
やきそばのUFOは知ってますが、コマソンでホヨトーホーが使われている(た)んですか?
私が覚えているのは、ピンク・レディーがCMをしていた頃の、、って古すぎですよね(笑)

>まだ泣けてません

ワーグナーの作品は素晴らしいですが、
私はCDで泣けたことがないです。
ワーグナーはクラおたと呼ばれる、いつもは交響曲とかを主に聴いている人もファンが多いですが、
彼らは音(演奏)だけで判断しがちな気がします。
でもワーグナーの作品は、とてつもなく”オペラ”なんですよ。
演技と一体になってこそ、です。

実演でも、あまりに歌うだけでも大変なので、
歌える人がいるというだけでも驚異なくらいで、
どうしても歌唱がまず先にありき、という感じになってしまい、
私が観たワーグナー作品に出演した歌手は、
演技は下手ではないのですが、
型にはまった感じがするか、やや表面的な感じがする人が多いです。

その中で、ワーグナー作品を歌えて、
真に演技が出来る、数少ない歌手がマイヤーやモリスで、
この公演ではその二人が揃ったのは幸運でした。

特にこの日のモリスの演技は、、
ワーグナーは、歌、演技、オケ、いい演出、
何もかもが揃ってこそ、最高の良さが引き出されるのだ、と本当に実感しました。
私もこんなにすばらしいワーグナーの実演を観たのははじめてです。
返信する
まずは 合格 (シャンティ)
2009-04-19 15:06:51
”イレーネ・テオリンいいですよ。”とコメントした手前、madokakipさんが御覧になってどう思われるのか ちょっぴりドキドキしていました。代役&メトデビューでおそらく緊張されていたのだと思います。
新国立で出待ちしたときは ”ターミネーター3”をイメージさせるようなキリッとしたワンピース姿で出ていらっしゃいましたが、”長いこと待っていてありがとう””ご希望なら、サインといっしょに場所、役名と日付も書きますよ”と優しい方でした。
ニルソンに師事していたこともあるせいか、新国立のパンフには ”ニルソンの再来と評される”とありますが、彼女は違うタイプの魅力があると思いました。
返信する
”ターミネーター3”なワーグナー・ソプラノ (Madokakip)
2009-04-20 12:33:18
 シャンティさん、

>ニルソンに師事していたこともあるせいか

そうだったんですね。
実は私は、テオリンのホーヨートーホーを聴いた時、
ニルソンに歌い方が似てると思いました。
声のテクスチャーが全然違うので、
出てくる結果は全く違いますが、
歌い方の根幹というか、が同じに感じて、
ニルソンはワーグナーを歌う人なら避けて通れない金字塔なので、
録音やらを聴いて勉強したのかな、と思っていました。
ただし、役の全体像としては、おっしゃるとおり、
ニルソンとはまた違う魅力があると思います。

この日の公演は、緊張していたのもあるかもしれませんが、
後、彼女なりの役作りでもあったのかな?と、
『ジークフリート』を観た今、思っています。
『ジークフリート』で、彼女が神性を失った
女性として目覚めた後の演技では、
ものすごくヒューマンさを感じさせましたから、、。
『神々の黄昏』も彼女で聴きたいのに、
なんとダライマンに交替ですよー。
最も肝心なところで、彼女を抜き取るなんて、
こんなひどい仕打ちってば、ありません
返信する
ちょっと前のニュースですが・・・ (boku)
2010-07-11 23:12:07
バイロイトも変わってきました。
08年に「マイスタージンガー」、09年に「トリスタン」の舞台が録音され、つい最近NHKがマイスタージンガーを放送しておりました。
そして今年10年、ローエングリンにカウフマンが登場するこの年に、
世界で初となる生中継で「ワルキューレ」をNHKが放送します!!!
http://www.nhk.or.jp/classic-blog/100/52761.html

しかしまあ成功するとは思えないのです。実際。
あんまり面白い演出でもないし、そこまで聴きたい歌手もいないんですが、、、はっきり言ってしまって、、、
(時間もすごいですしね。5時までやります。)
キャストを並べると、
指揮:クリスティアン・ティーレマン
ジークムント:ヨハン・ボータ、ジークリンデ:エディット・ハッラー、
ヴォータン:アルベリト・ドーメン、ブリュンヒルデ:リンダ・ワトソン、
フンディング:クワンチュル・ユン、フリッカ:我らが藤村さん

こう書きますと昔のバイロイトがいかにスゴイ音楽祭であったかよく分りますね(涙)。
(んなこといったって何も変わりませんが、)
ユンや藤村さんも当然聴きたいですがわざわざ映像でなくてもという気もします。
エディット・ハッラーという人は08年新国に「魔弾の射」のアガーテに出ていた若手の方のようです。
そのときの評判は良かったようです。
(自分も見に行っていましたが当時はまだ”こう”ではなかったので)
応援しましょう。

しかし自分としては、06年に初演してなおかつ評判の良くないこの舞台でなぜ生中継をしかけようとしたのかかが疑問です。
いくら人気が高いとは言え映像を付けるということはそれだけの話題性と芸術性がなくてはいけないのに、
06年に初演した舞台に話題性なんてありゃしませんし、これまでの評判を聞く限り芸術性が高いとも思えない。
それだったらパルジファルで仕掛ける方がよっぽど話題性があるのでは?と思います。
ローエングリンはカウフマンでいろいろ引っかかりそうですので放送はなさそうですね。

あと、キャストで勝負できない今、バイロイトに残っている物は?と考えると、
バイロイトはもっとあの場所を神聖化してでもしないとくいとどめてはいけないような気がします。
今回のような生中継を続けていって凶と出るか吉と出るか。
そしてはたしてこの映像はNYにも届いていくのか!!どうなることやら。

あと余談ですが今年のバイロイトのローエングリンと、11年に来日するバイエルンのローエングリン
バイエルンの方がキャストの質的には良いような気がするのは自分だけ?
(これは笑えませんね・・・)
返信する
む!訂正! (boku)
2010-07-11 23:23:54
>06年に初演した舞台に話題性なんてありゃしませんし
これおかしいですね。これじゃあ”昔の舞台に話題性なんてありゃしないよ”みたいな言い方ですね。

「評判の悪いこの舞台に話題性があるとは思えませんし、」

としておいて下さい。まあ色々文脈がおかしいですが大目に見ておいてください。
返信する
バイロイトの黄金キャストはどこへ? (Madokakip)
2010-07-18 17:55:41
bokuさん、

バイロイトの生中継とタイアップするとはやりますね、NHK。

>そしてはたしてこの映像はNYにも届いていくのか!!

そんな気の利いた放送局はないNYですが、ウェブキャストがあるみたいなので、
私も観れるはずです!

http://intermezzo.typepad.com/intermezzo/2010/07/2010-bayreuth-festival-live-from-your-sofa.html?cid=6a00d834ff890853ef01348580c05f970c

確かに『ワルキューレ』のキャスティングは少し小粒ですが、
今はこれが現実なんですよね、、、
バイロイトが黄金キャストを組もうにも、いないんですよ、黄金なキャストが。

『ローエングリン』はカウフマンが出演するので楽しみではありますが、
ネルソンスが指揮なんですね、、、南無阿弥陀仏。

バイロイトの生中継に関する私の考えは先に他のコメント欄で書いた通りですので、
読んでいただけたらと思います。
返信する
バイロイト「ワルキューレ」2010.8.21 (素人耳)
2010-08-24 13:29:22
今月は、NHKでバイロイトの「マイスタージンガー(再放送)」「トリスタン(2009の録画)」「ワルキューレ(生放送)」、クラシカ・ジャパンでバレンシアの「リング」全曲、シノポリ&バイロイトの「パルジファル」、バレンボイム&スカラの「トリスタン」と、もう追いつけぬほどのワグナーづくしじゃよ。

Madokakip殿も「エレクトラ」の合間に(?)「ワルキューレ」を見ておられたようじゃが、どうであったろうか?わしは生放送を第2幕終了まで見たんじゃが、そこで脱落し、第3幕は次の日に録画で見ましたぞ。ちょこっと感想を・・・

【出演】
(ジークムント) ヨハン・ボータ、(フンディング) ヨン・クワンチュル、(ウォータン) アルベルト・ドーメン、(ジークリンデ) エディット・ハラー、(ブリュンヒルデ) リンダ・ワトソン、(フリッカ) 藤村実穂子

主要メンバーで知らぬのはエディット・ハラーだけじゃが、彼女、なかなか良かったのう。ボータも外見が全く悲劇っぽくないんじゃが、声は良かったし、ヨン・クワンチュルもすばらしい!ということで、第1幕はとても楽しめましたぞ。

リンダ・ワトソン、わしはバイエルン国立歌劇場来日公演の「トリスタン」で彼女のイゾルデを聞いているはずなんじゃが、トンと覚えておらぬ。まぁ、これはわしの責任なんじゃが、今回も彼女の声には惹かれなんだ。きちんと歌っているんじゃが、特別の個性は感じぬというか・・・。第2幕第4場でも、ボータとハラーの声の美しさばかり際立つというか・・・。Madokakip殿はどうであったろうか?ワトソン、ライヴで聞くとまた違うであろうかな?
なんだかわしが眠くなったせいか、ドーメンとの第2場も冴えない感じが・・・。
藤村さんのフリッカは立派!大事な役&場面ではあるが、登場時間は短いのう。

第3幕は翌日すっきりした頭で見たので、印象がいいんじゃな(笑)。第2幕で不満だったドーメンとワトソンも・・・。やれやれ、やはりわしにはワトソンの声はあまり魅力的ではないようじゃ・・・。ああ、これがテオリンであったら・・・。テオリン、マイヤー、ウエストブロック、パ-ペを連れて行って、しかもイマイチの「エレクトラ」にしてしまったガッティに呪いあれ~!
それでも音楽のせいもあって、「別れの場面」はまま満足。といっても、METのテオリン、マイヤー、モリスらの「ワルキューレ」には及ばぬか?と、第3幕だけダウンロードしてみます。

わしは、画面付で見たからか、ティーレマン&バイロイトの演奏、とても満足じゃったよ。
演出は、TVでは舞台上の現代人を少ししか映さんので、あまり気にならなんだ。「ジークフリート」や「黄昏」ではどうなるのかは知らぬが・・・。この「リング」、たしか今年で終わりなので、映像で「ワルキューレ」だけ残したのかも・・・。評判の良い「パルジファル」は来年映像化するのであろうかな?そうそう、「ローエングリン」も忘れずに(笑)!

こんなところじゃな
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