見に行った回数の割りに、意外と理想の演奏に出会えていない演目といえば、トスカもそうでした。
マリア・カラスを敬愛する私としては、彼女の全曲盤(デ・サーバタ盤)と、
ゴッビと組んだパリでのコンサートでの第二幕(ああ、すべての幕にしてほしかった!)の映像がすばらしすぎて、これを越えるものを私の生きている間に一度見れるか見れないかというくらいなものなので、そうそう理想の演奏に出会えるとも思っていないのですが。。。
ホセ・クーラ、久々に聞きました。
5-7年ほど前にいくつか違う役を見る機会がありましたが、
巷での高い評価のわりに(ポスト3大テノールなんて言われてましたし。。)、
私は当時、あまり好きになれませんでした。
声量はわりとあったのですが、とにかく歌唱が雑い。
恵まれた声質なのをいいことに細かい部分をおろそかにして力技でもっていこうとするようなところが多々見られました。
そして、今日のこのトスカでびっくり。
声がすっかり昔の輝きを失ってます。声量はむしろ小さく感じられるくらい。。
昔売りにしていたロブストな感じも跡形もなく消え去っている!!
ところが、そのせいか、歌い方が昔より格段丁寧になっているのです。
また、オーケストラときちんと音楽を作っていこうという姿勢が見られ、
昔のワンマンショーのような歌いっぷりはすっかり陰をひそめていました。
昔、あの声があったころにこのように歌っていてくれていたなら、と本当に残念でなりません。
しかし、時すでに遅し、という感じ。本当に皮肉です。
この日のトスカとカヴァラドッジは、若々しさを強調した役作りで、ちょっと見ているこっちが気恥ずかしい。。
じゃれるティーンエイジャーを見守る大人のような気分。。。
しかし、二人とも威厳をもって演じられることが多い二人なので、ある意味新鮮ではありました。
ああ、二人ともある意味ではローマに普通にいた若者なんだな、と。
アンドレア・グルーバーのトスカは、悪く言えば平凡。
プレミアの日は体調をくずしたとかで、マリア・グレギーナが代役に立ちました
(そのため新聞のレビューの写真がグレギーナに。なので冒頭の写真もグレギーナ。)が、
その次の演奏から復活。
その彼女にとっては初日にあたる日の演奏をラジオでききましたが、
完全には復調していなかったせいもあるかもしれませんが、”歌に生き、恋に生き”では音をはずしまくるし、
それ以外にも、ところどころテンポ、音程ともにあやしげなところが見られ。。
今日もしょっぱなの”Mario, Mario, Mario!"から音が外れていて、くらーい気分になりましたが、
なんとか持ち直して、例の”歌に生き~”は無難にこなしました。
しかし、無難なトスカなんて、つまらない!
トスカを歌えるほど強い声とも思えないのだけれども、
この彼女がシーズン後半で、トゥーランドットの表題役を歌うというのですから、
トゥーランドットに期待していた私としては、またしても暗い気分に。。。
歌唱もさることながら、あと、演技が頭をかきむしりたくなるくらいひどい!
歌と演技を同時にできない、とでもいいましょうか、歌っているときは、はい、歌、
演技をしているときは、はい、次、演技、みたいにスイッチが入ったり、切れたり。
そして、一番気になるのは、歌唱と演技ともに、あまりにもなにげなすぎること。歌詞と音、演技、すべてに意味がなければならないのに、なーんにも考えずに無造作に声や演技が出てくる感じがしてがっかり。
先にふれたカラスとゴッビですが、二人で共演したとき、一語一句、音と動きのすべてをさらって、
二人がどういう気持ちでそれぞれの行動をとるのかを話しあったと言います。
そして、実はトスカはスカルピアに、カヴァラドッジにはない魅力を感じて惹かれていた、
という解釈のもとに役作りを行ったそうです。
カヴァラドッジを守りたいけれども、心に忍び込んでくるスカルピアにも惹かれ、
自分自身の気持ちが理解できないトスカの焦りと苛立ち、
そして、カヴァラドッジを裏切ることから唯一逃れる術はスカルピアを殺すことだった、という論理です。
この解釈の正しい、正しくないは別として、ここまで深い(ねじれた?)解釈を試み、
それを稀有な才能でもって演じたこと自体が素晴らしく、いかにこの二人がオペラに身をささげていたかわかるというものです。
これが頭にある私としては、何気なく歌ったり、何気なく演技したりするのは、とても怠慢なことに感じるのです。
ジェームズ・モリスは存在感や演技力はさすがですが、もう年齢的なこともあり、
声がどうしようもなく弱ってます。テ・デウムではオケの音に完全に声が呑み込まれて、ほとんど聞こえませんでした。
オケがなかなかよかったので、歌手の弱さが余計目立ちました。
豪壮なカラオケを聴きにいった感じ。
Andrea Gruber (Tosca)
Jose Cura (Cavaradossi)
James Morris (Scarpia)
Conductor: Nicola Luisotti
Production: Franco Zeffirelli
Grand Tier Box 30 Front
ON
***プッチーニ トスカ Puccini Tosca***
マリア・カラスを敬愛する私としては、彼女の全曲盤(デ・サーバタ盤)と、
ゴッビと組んだパリでのコンサートでの第二幕(ああ、すべての幕にしてほしかった!)の映像がすばらしすぎて、これを越えるものを私の生きている間に一度見れるか見れないかというくらいなものなので、そうそう理想の演奏に出会えるとも思っていないのですが。。。
ホセ・クーラ、久々に聞きました。
5-7年ほど前にいくつか違う役を見る機会がありましたが、
巷での高い評価のわりに(ポスト3大テノールなんて言われてましたし。。)、
私は当時、あまり好きになれませんでした。
声量はわりとあったのですが、とにかく歌唱が雑い。
恵まれた声質なのをいいことに細かい部分をおろそかにして力技でもっていこうとするようなところが多々見られました。
そして、今日のこのトスカでびっくり。
声がすっかり昔の輝きを失ってます。声量はむしろ小さく感じられるくらい。。
昔売りにしていたロブストな感じも跡形もなく消え去っている!!
ところが、そのせいか、歌い方が昔より格段丁寧になっているのです。
また、オーケストラときちんと音楽を作っていこうという姿勢が見られ、
昔のワンマンショーのような歌いっぷりはすっかり陰をひそめていました。
昔、あの声があったころにこのように歌っていてくれていたなら、と本当に残念でなりません。
しかし、時すでに遅し、という感じ。本当に皮肉です。
この日のトスカとカヴァラドッジは、若々しさを強調した役作りで、ちょっと見ているこっちが気恥ずかしい。。
じゃれるティーンエイジャーを見守る大人のような気分。。。
しかし、二人とも威厳をもって演じられることが多い二人なので、ある意味新鮮ではありました。
ああ、二人ともある意味ではローマに普通にいた若者なんだな、と。
アンドレア・グルーバーのトスカは、悪く言えば平凡。
プレミアの日は体調をくずしたとかで、マリア・グレギーナが代役に立ちました
(そのため新聞のレビューの写真がグレギーナに。なので冒頭の写真もグレギーナ。)が、
その次の演奏から復活。
その彼女にとっては初日にあたる日の演奏をラジオでききましたが、
完全には復調していなかったせいもあるかもしれませんが、”歌に生き、恋に生き”では音をはずしまくるし、
それ以外にも、ところどころテンポ、音程ともにあやしげなところが見られ。。
今日もしょっぱなの”Mario, Mario, Mario!"から音が外れていて、くらーい気分になりましたが、
なんとか持ち直して、例の”歌に生き~”は無難にこなしました。
しかし、無難なトスカなんて、つまらない!
トスカを歌えるほど強い声とも思えないのだけれども、
この彼女がシーズン後半で、トゥーランドットの表題役を歌うというのですから、
トゥーランドットに期待していた私としては、またしても暗い気分に。。。
歌唱もさることながら、あと、演技が頭をかきむしりたくなるくらいひどい!
歌と演技を同時にできない、とでもいいましょうか、歌っているときは、はい、歌、
演技をしているときは、はい、次、演技、みたいにスイッチが入ったり、切れたり。
そして、一番気になるのは、歌唱と演技ともに、あまりにもなにげなすぎること。歌詞と音、演技、すべてに意味がなければならないのに、なーんにも考えずに無造作に声や演技が出てくる感じがしてがっかり。
先にふれたカラスとゴッビですが、二人で共演したとき、一語一句、音と動きのすべてをさらって、
二人がどういう気持ちでそれぞれの行動をとるのかを話しあったと言います。
そして、実はトスカはスカルピアに、カヴァラドッジにはない魅力を感じて惹かれていた、
という解釈のもとに役作りを行ったそうです。
カヴァラドッジを守りたいけれども、心に忍び込んでくるスカルピアにも惹かれ、
自分自身の気持ちが理解できないトスカの焦りと苛立ち、
そして、カヴァラドッジを裏切ることから唯一逃れる術はスカルピアを殺すことだった、という論理です。
この解釈の正しい、正しくないは別として、ここまで深い(ねじれた?)解釈を試み、
それを稀有な才能でもって演じたこと自体が素晴らしく、いかにこの二人がオペラに身をささげていたかわかるというものです。
これが頭にある私としては、何気なく歌ったり、何気なく演技したりするのは、とても怠慢なことに感じるのです。
ジェームズ・モリスは存在感や演技力はさすがですが、もう年齢的なこともあり、
声がどうしようもなく弱ってます。テ・デウムではオケの音に完全に声が呑み込まれて、ほとんど聞こえませんでした。
オケがなかなかよかったので、歌手の弱さが余計目立ちました。
豪壮なカラオケを聴きにいった感じ。
Andrea Gruber (Tosca)
Jose Cura (Cavaradossi)
James Morris (Scarpia)
Conductor: Nicola Luisotti
Production: Franco Zeffirelli
Grand Tier Box 30 Front
ON
***プッチーニ トスカ Puccini Tosca***
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