バレエの細かい技術には本当に疎いため、レポートでもつい、
”くるくる”など、擬音語のオンパレードになってしまう私ですが、
彼女のパフォーマンスはいつも、心に直接話しかけて来て、
だから、”技術の細かいことがわからないからって
バレエを観る楽しみをあきらめる必要はないんだ!”と気付かせてくれました。
私にとって、その大事なバレリーナは他の誰でもないニーナ・アナニアシヴィリ。
特に昨シーズンの『ジゼル』は、私の短いながらも濃密なバレエ鑑賞の中にあって、
宝物のような輝きを発している、一番、思い出深いバレエ公演です。
そのニーナが、今日の公演をもってABTを引退、、。
二年前のフェリのフェアウェルは、彼女がどれほどすごい人か
ほとんどわかっていないに近い状態で赴き、その場で猛烈な感銘を受けたという、
バレエ・ファンの方に袋叩きにあってもおかしくない、恥知らずな”豚に真珠”状態でしたが、
ニーナに関しては、いかに彼女が素晴らしいバレリーナであるか、は、
数少ない鑑賞回数ではありますが、すでに痛いほど理解しているつもりなので、
今日以降、二度とメトの舞台で彼女の姿を観ることがないのだ、と思うと、実に残念で寂しい思いです。
今日は開演前に、バレエに於ける我が師匠in NYのM子さん、そしてM子師匠のご主人、
私の連れ、私の4人でプリ・シアター・ディナーをしました。
昨日の公演で、”ボッレを出待ちする!”とおっしゃっていたM子師匠。
私の観察したところでは、バレエのオーディエンスはオペラに比べると、
客筋が若くて、ルックスもいい人が多い。
なので、バレエの場合はきっと心配ないと思うけど、
オペラの場合、ステージ・ドアにたむろっているヘッズは年寄りが多くて、
ちょっと変わった人が多いので(親切ではあるのですが、、)、
異様な雰囲気を発してますよー、とお伝えしたのですが、
早速、今日M子師匠の出待ちについてのご報告を聞いて笑ってしまいました。
”ボッレの出待ちもヘンな人が多かったのー!もう二度と行かないわ!!”
バレタマンも、オペラヘッドも、コアなファンというのは、やっぱり似たもの同士?!
バレエにせよ、オペラにせよ、最近のハリウッド的セレブ主義は非常にわずらわしいことである!
(オープニング・ナイトをレッド・カーペット・イベントに仕立てあげ、
普段はバレエやオペラなんて観てもいないセレブを招待し、
一方で、実際にパフォーマンスをしているアーティストたちの芸そのものへのリスペクトが欠けていること、など)、
最近の若者の自己主張の強さが、コール・ドの質の低下につながっているのではないか、など、
短い時間ながら、とても興味深い話題が次々とテーブルにあがりました。
これまでのレポートの中でも、ニーナが持つ、
共演する男性ダンサーから特別な力を引き出す能力については、何度か言及した通り。
そんなことなので、フェアウェルでは誰がパートナーになっても、きっと素晴らしい公演になるのですが、
結局、アンヘル・コレーラが相手役として正式に発表された時は、
長年のパートナーシップを最後の舞台で!というニーナの思いが感じられました。
ま、『白鳥』、特にこのマッケンジー版のそれで、ロットバルトが印象深かった公演は少ないので、
(かろうじて、ホールバーグが演じた公演が記憶に残っているくらい。)
主役二人のキャスティング以外はすっかり興味を失って調べさえもしていなかったのですが、
突然、ディナーの終わり近くで、M子師匠が爆弾発言を発せられました。
まず、あまりバレエのダンサーの名前に明るくない私の連れにもわかるように親切に、
”そうそう、今日の公演で、紫の衣装を着て踊るダンサーは要注目ですから!”
そして、私の方を見て、”今日のロットバルトはマルセロよ!”
ぎゃーっ!!!!!
つい、M子師匠の肩を掴んで揺らしてしまいましたです!!まじですか?!まじですか?!
ニーナとアンヘルの名前だけ見て済ましている場合ではなかった!
特に私は月曜日(6/22)の公演でのゴメスのロットバルトがNYタイムズで絶賛されているのを見て、
そんな公演を見逃したことに、実に悔しい思いをしていたのだけれど、
今日、ニーナのオデット/オディールに加えて、
その、ゴメスの気障男ロットバルトが観れるとは、ああ、天にも昇る気持ちです!!
さすがにこのニーナの公演はチケットの人気が半端でなく、
私もほんの数日発売日から乗り遅れただけなのに、平土間の、猛烈に後ろの、
猛烈に端寄りの座席しか残っておらず(特に二人分のチケットを取ろうとすると
こういうことになりがちで、だから私はオペラでは常に単独行動を好むのです。)、
しかも、メトに到着してみれば、大入りの大入りで、スタンディング・ルームまで、
ぎっしりとオーディエンスで埋まっています。
この特別な公演において、座席を持っているだけ幸せだと思え、ということなのです。
そして、実際に座って見ると、思ったほどには視界は悪くなく、
私はいつもどおり、オペラグラスなしで通しました。
さすがにダンサーの顔の表情までは見えないものの、体の動きは十分満足に見えます。
舞台下手側が端のカーテンに遮られるというのが唯一の難なのですが、
余程ダンサーが下手に寄らない限り、問題はありません。
しかし、この”余程ダンサーが下手に寄らない限り”の、その”余程”が、後に、
超肝心なところで起きてしまい、Madokakipは歯が折れるかと思う位、歯軋りをして悔しがることになるのですが。
そして、遂に、私の連れがオペラグラスを握りしめる中、音楽がスタート。
そういえばプリ・シアターのディナーの席であがったもう一つの話題が、
このおむすび、いえ、オームズビー・ウィルキンズの指揮。
彼の指揮はひどい!という線でM子師匠と私は激しく意見が一致したのですが、
リハで、ダンサーが”テンポが少し速すぎるのですが、、”と、
もう少し遅めにしてほしい、ということを婉曲的に伝えようとしたところ、
おむすびが”速くなんてない!”と一喝したという話もあるそう。
っていうか、踊るのはダンサーであって、あんたじゃないでしょうが!
オペラでも同じなんですが、ダンサーがついて踊れない、歌手がついて歌いにくいテンポで振って、
指揮者も一体何の得になるんだか?って話です。
いやですね、こういう自己満足な指揮者。
そんな単純なテンポの設定からはじまって、私の連れにも、
”何だか音楽との距離を感じる(detached)指揮だなあ”と言われてしまう始末。
この人が首席指揮者みたいなんですが、
もうちょっとましな人にそろそろ変わってもらう時期なんじゃないかと思います。
それから、遠目で見てもやっぱり苦笑させられるのが、イントロダクションの場面の、
半魚人ロットバルトがオデットを白鳥にして生け捕る、”おまる生け捕り”のシーン。
昨日の公演のレポの追記で、M子師匠がおっしゃっているところの、
”ちんどん屋的舞台”と呼ばれる由縁の一例がここにあります。
しかし、それをものともしない孤高の存在感を感じさせるのがニーナ。
登場した瞬間に割れんばかりの拍手が。
”くるくる”回りながら、ロットバルトの魔法にかかり、白鳥の姿に変えられることを表現する最初の場面から、
彼女のものすごい気迫が伝わってきます。
彼女の繰り出す一つ一つの振付の要素が、すべて、これで最後、、。
そう思うと、見ているこちらも気持ちが引き締まる思いです。
コレーラは2006年のメト(オペラの方)の『ジョコンダ』でのゲスト出演時や
(ああ、あの頃はコレーラの名前すら知らなかった、、)
2007年のヴィシニョーワとの『ロミオとジュリエット』で観た強烈にキレのある踊りに比べると、
昨年あたりから、その持ち味であるキレのよさに若干の翳りが出てきているように感じるのですが、
今日も前半は、彼にしてはやや重いかんじがしました。
しかし、ベンノたちが踊るのを見守るシーンでは、
一瞬だけ連れのオペラグラスを奪い取って、彼の表情をアップで見た所、
浮かない表情をきちんと浮かべていて、昨日のボッレよりは濃い演技を繰り広げています。
(ボッレより薄味だったらそれはちょっとやばいのですが。)
今日のベンノはサヴェリエフ。
うーん、私は彼の踊りが好きでないんですね、きっと。
脇でよく登用されているところを見ると技術は安定しているのかもしれませんが、
彼の踊りには観客の心をわくわくさせるものに欠けているように思います。
昨日のロットバルトは”いるだけのロットバルト”などという辛辣なコメントを発してしまいましたが、
今日は今日で、”いるだけのベンノ”、、
ベンノ役に関しては昨日マシューズの代役を務めたホーヴェンの方がずっと生き生きしていて素敵でした。
いや、彼のみでなく、パ・ド・トロワ全体(サヴェリエフにパヴァ、メスマーを加えたコンビ)としても、
昨日のチームの方がこのシーンが持つわくわく感が多少なりとも表現されていたと思います。
毎年思うのですが、後に続く農民の群舞のシーン(ポロネーズ)は、
割と若手のダンサーが多いんでしょうか?
時に目を覆いたくなるような人が混じっていて困ります。
ステップが適当な(というか、細かい部分を勝手に省略している)人までいるのには、本当にがっかり。
一幕のフィナーレでの、ジークフリートとベンノのシーンは、
昨日のボッレとホーヴェンの二人のフレッシュな二人も悪くないと思ったのですが、
やはり、こうしてコレーラの表現を見るとやはり年季が違うな、と実感。
ジークフリートの焦燥感を心もち前寄りにテンポをとることで、的確に表現しています。
このような微妙な匙加減というのは、センスの問題で、訓練してどうなる、というものでもないのかもしれませんが。
そして、二幕でニーナが登場すると、まるでオペラハウス全体が固唾を呑んで見守っているような、
息苦しいまでの沈黙が訪れました。
というのが、彼女の表現一つ一つが実に濃く、かつ研ぎ澄まされていて、
本当にナノ・セカンドですら、目を離すことができないからです。
昨年、ゴメスと共演した『白鳥』では、聖母のような愛を感じさせるオデットでしたが、
今回は、ニーナ特有の大らかさや優しさに加えて(特に腕の使い方から、私はそれを感じます)、
より、凛とした様子、それから、もう少し言えば、オデットの孤独さが滲み出るような踊りです。
ジークフリートとの間に感じる空気も、明らかにゴメスと組んだ時とは違っていて、
その時のオデットよりも今回は聖母度は低く、よりジークフリートと対等な感じのするオデットです。
前回が、ジークフリートを、彼の過ちも含めていつも大きい愛で包んでいる感じなのに比べると、
今回のオデットは、ジークフリートと同様に、彼女も迷い、傷つき、絶望するオデットなのです。
インターミッション中にM子師匠が、ニーナについて、
昨シーズンよりも体が絞られたような気がする、とおっしゃっていましたが、
ビジュアルに加え、彼女の踊りと表現からも、それが感じられました。
踊りに関しては、昨年よりシャープになったような印象があり、
それがまた、今回、彼女が表現しようとしているオデット像にとても上手くはまっています。
ゴメスとの公演では、ジークフリートのことがいとおしくてたまらず、
最初から彼に全身全霊を投げ出している、という感じのオデットでしたが、
なぜか、今回は、ジークフリートに魅かれているのに、
どこか恋に踏み込めないような雰囲気があって、それは、第二幕の最大の見所の一つである、
ジークフリートとオデットの二人で踊るパ・ダクシオンにその切なさが炸裂していました。
コレーラはさすがにニーナがどのように踊りたいかを敏感に察知し、
二人の思いの熱さではなく、何かが二人が結ばれるのを阻んでいる、その”冷たさ”と"悲しさ"を表現するために、
非常に巧みなサポートを見せています。
私は最初、これが、オデットの”白鳥に変えられた自分には恋なんて無理なのよ。”という
あきらめゆえの表現なのか、と思っていましたが、とんでもない!
ニーナがもっと大きな企みをもって、この部分をこのように演じていたことが後半にあきらかになるのです。
後編では、そのニーナの企みと、それを可能にした恐るべきものは何であったか、を暴きます!
<後編に続く>
Nina Ananiashvili (Odette/Odile)
Angel Corella (Prince Seigfried)
Isaac Stappas/Marcelo Gomes (von Rothbart)
Gennadi Saveliev (Benno)
Georgina Parkinson (The Queen Mother)
Renata Pava, Simone Messmer (Two girls from Act I Pas de Trois)
Yuriko Kajiya, Marian Butler, Misty Copeland, Maria Riccetto (Cygnettes)
Leann Underwood, Melanie Hamrick (Two Swans)
Victor Barbee (Master of Ceremonies)
Misty Copeland (The Hungarian Princess)
Sarah Lane (The Spanish Princess)
Anne Milewski (The Italian Princess)
Isabella Boylston (The Polish Princess)
Blaine Hoven, Grant DeLong (Neapolitan)
Music: Peter Ilyitch Tchaikovsky
Choreography: Kevin McKenzie after Marius Petipa and Lev Ivanov
Conductor: Ormsby Wilkins
Metropolitan Opera House
Orch BB Odd
***白鳥の湖 Swan Lake***
”くるくる”など、擬音語のオンパレードになってしまう私ですが、
彼女のパフォーマンスはいつも、心に直接話しかけて来て、
だから、”技術の細かいことがわからないからって
バレエを観る楽しみをあきらめる必要はないんだ!”と気付かせてくれました。
私にとって、その大事なバレリーナは他の誰でもないニーナ・アナニアシヴィリ。
特に昨シーズンの『ジゼル』は、私の短いながらも濃密なバレエ鑑賞の中にあって、
宝物のような輝きを発している、一番、思い出深いバレエ公演です。
そのニーナが、今日の公演をもってABTを引退、、。
二年前のフェリのフェアウェルは、彼女がどれほどすごい人か
ほとんどわかっていないに近い状態で赴き、その場で猛烈な感銘を受けたという、
バレエ・ファンの方に袋叩きにあってもおかしくない、恥知らずな”豚に真珠”状態でしたが、
ニーナに関しては、いかに彼女が素晴らしいバレリーナであるか、は、
数少ない鑑賞回数ではありますが、すでに痛いほど理解しているつもりなので、
今日以降、二度とメトの舞台で彼女の姿を観ることがないのだ、と思うと、実に残念で寂しい思いです。
今日は開演前に、バレエに於ける我が師匠in NYのM子さん、そしてM子師匠のご主人、
私の連れ、私の4人でプリ・シアター・ディナーをしました。
昨日の公演で、”ボッレを出待ちする!”とおっしゃっていたM子師匠。
私の観察したところでは、バレエのオーディエンスはオペラに比べると、
客筋が若くて、ルックスもいい人が多い。
なので、バレエの場合はきっと心配ないと思うけど、
オペラの場合、ステージ・ドアにたむろっているヘッズは年寄りが多くて、
ちょっと変わった人が多いので(親切ではあるのですが、、)、
異様な雰囲気を発してますよー、とお伝えしたのですが、
早速、今日M子師匠の出待ちについてのご報告を聞いて笑ってしまいました。
”ボッレの出待ちもヘンな人が多かったのー!もう二度と行かないわ!!”
バレタマンも、オペラヘッドも、コアなファンというのは、やっぱり似たもの同士?!
バレエにせよ、オペラにせよ、最近のハリウッド的セレブ主義は非常にわずらわしいことである!
(オープニング・ナイトをレッド・カーペット・イベントに仕立てあげ、
普段はバレエやオペラなんて観てもいないセレブを招待し、
一方で、実際にパフォーマンスをしているアーティストたちの芸そのものへのリスペクトが欠けていること、など)、
最近の若者の自己主張の強さが、コール・ドの質の低下につながっているのではないか、など、
短い時間ながら、とても興味深い話題が次々とテーブルにあがりました。
これまでのレポートの中でも、ニーナが持つ、
共演する男性ダンサーから特別な力を引き出す能力については、何度か言及した通り。
そんなことなので、フェアウェルでは誰がパートナーになっても、きっと素晴らしい公演になるのですが、
結局、アンヘル・コレーラが相手役として正式に発表された時は、
長年のパートナーシップを最後の舞台で!というニーナの思いが感じられました。
ま、『白鳥』、特にこのマッケンジー版のそれで、ロットバルトが印象深かった公演は少ないので、
(かろうじて、ホールバーグが演じた公演が記憶に残っているくらい。)
主役二人のキャスティング以外はすっかり興味を失って調べさえもしていなかったのですが、
突然、ディナーの終わり近くで、M子師匠が爆弾発言を発せられました。
まず、あまりバレエのダンサーの名前に明るくない私の連れにもわかるように親切に、
”そうそう、今日の公演で、紫の衣装を着て踊るダンサーは要注目ですから!”
そして、私の方を見て、”今日のロットバルトはマルセロよ!”
ぎゃーっ!!!!!
つい、M子師匠の肩を掴んで揺らしてしまいましたです!!まじですか?!まじですか?!
ニーナとアンヘルの名前だけ見て済ましている場合ではなかった!
特に私は月曜日(6/22)の公演でのゴメスのロットバルトがNYタイムズで絶賛されているのを見て、
そんな公演を見逃したことに、実に悔しい思いをしていたのだけれど、
今日、ニーナのオデット/オディールに加えて、
その、ゴメスの気障男ロットバルトが観れるとは、ああ、天にも昇る気持ちです!!
さすがにこのニーナの公演はチケットの人気が半端でなく、
私もほんの数日発売日から乗り遅れただけなのに、平土間の、猛烈に後ろの、
猛烈に端寄りの座席しか残っておらず(特に二人分のチケットを取ろうとすると
こういうことになりがちで、だから私はオペラでは常に単独行動を好むのです。)、
しかも、メトに到着してみれば、大入りの大入りで、スタンディング・ルームまで、
ぎっしりとオーディエンスで埋まっています。
この特別な公演において、座席を持っているだけ幸せだと思え、ということなのです。
そして、実際に座って見ると、思ったほどには視界は悪くなく、
私はいつもどおり、オペラグラスなしで通しました。
さすがにダンサーの顔の表情までは見えないものの、体の動きは十分満足に見えます。
舞台下手側が端のカーテンに遮られるというのが唯一の難なのですが、
余程ダンサーが下手に寄らない限り、問題はありません。
しかし、この”余程ダンサーが下手に寄らない限り”の、その”余程”が、後に、
超肝心なところで起きてしまい、Madokakipは歯が折れるかと思う位、歯軋りをして悔しがることになるのですが。
そして、遂に、私の連れがオペラグラスを握りしめる中、音楽がスタート。
そういえばプリ・シアターのディナーの席であがったもう一つの話題が、
このおむすび、いえ、オームズビー・ウィルキンズの指揮。
彼の指揮はひどい!という線でM子師匠と私は激しく意見が一致したのですが、
リハで、ダンサーが”テンポが少し速すぎるのですが、、”と、
もう少し遅めにしてほしい、ということを婉曲的に伝えようとしたところ、
おむすびが”速くなんてない!”と一喝したという話もあるそう。
っていうか、踊るのはダンサーであって、あんたじゃないでしょうが!
オペラでも同じなんですが、ダンサーがついて踊れない、歌手がついて歌いにくいテンポで振って、
指揮者も一体何の得になるんだか?って話です。
いやですね、こういう自己満足な指揮者。
そんな単純なテンポの設定からはじまって、私の連れにも、
”何だか音楽との距離を感じる(detached)指揮だなあ”と言われてしまう始末。
この人が首席指揮者みたいなんですが、
もうちょっとましな人にそろそろ変わってもらう時期なんじゃないかと思います。
それから、遠目で見てもやっぱり苦笑させられるのが、イントロダクションの場面の、
半魚人ロットバルトがオデットを白鳥にして生け捕る、”おまる生け捕り”のシーン。
昨日の公演のレポの追記で、M子師匠がおっしゃっているところの、
”ちんどん屋的舞台”と呼ばれる由縁の一例がここにあります。
しかし、それをものともしない孤高の存在感を感じさせるのがニーナ。
登場した瞬間に割れんばかりの拍手が。
”くるくる”回りながら、ロットバルトの魔法にかかり、白鳥の姿に変えられることを表現する最初の場面から、
彼女のものすごい気迫が伝わってきます。
彼女の繰り出す一つ一つの振付の要素が、すべて、これで最後、、。
そう思うと、見ているこちらも気持ちが引き締まる思いです。
コレーラは2006年のメト(オペラの方)の『ジョコンダ』でのゲスト出演時や
(ああ、あの頃はコレーラの名前すら知らなかった、、)
2007年のヴィシニョーワとの『ロミオとジュリエット』で観た強烈にキレのある踊りに比べると、
昨年あたりから、その持ち味であるキレのよさに若干の翳りが出てきているように感じるのですが、
今日も前半は、彼にしてはやや重いかんじがしました。
しかし、ベンノたちが踊るのを見守るシーンでは、
一瞬だけ連れのオペラグラスを奪い取って、彼の表情をアップで見た所、
浮かない表情をきちんと浮かべていて、昨日のボッレよりは濃い演技を繰り広げています。
(ボッレより薄味だったらそれはちょっとやばいのですが。)
今日のベンノはサヴェリエフ。
うーん、私は彼の踊りが好きでないんですね、きっと。
脇でよく登用されているところを見ると技術は安定しているのかもしれませんが、
彼の踊りには観客の心をわくわくさせるものに欠けているように思います。
昨日のロットバルトは”いるだけのロットバルト”などという辛辣なコメントを発してしまいましたが、
今日は今日で、”いるだけのベンノ”、、
ベンノ役に関しては昨日マシューズの代役を務めたホーヴェンの方がずっと生き生きしていて素敵でした。
いや、彼のみでなく、パ・ド・トロワ全体(サヴェリエフにパヴァ、メスマーを加えたコンビ)としても、
昨日のチームの方がこのシーンが持つわくわく感が多少なりとも表現されていたと思います。
毎年思うのですが、後に続く農民の群舞のシーン(ポロネーズ)は、
割と若手のダンサーが多いんでしょうか?
時に目を覆いたくなるような人が混じっていて困ります。
ステップが適当な(というか、細かい部分を勝手に省略している)人までいるのには、本当にがっかり。
一幕のフィナーレでの、ジークフリートとベンノのシーンは、
昨日のボッレとホーヴェンの二人のフレッシュな二人も悪くないと思ったのですが、
やはり、こうしてコレーラの表現を見るとやはり年季が違うな、と実感。
ジークフリートの焦燥感を心もち前寄りにテンポをとることで、的確に表現しています。
このような微妙な匙加減というのは、センスの問題で、訓練してどうなる、というものでもないのかもしれませんが。
そして、二幕でニーナが登場すると、まるでオペラハウス全体が固唾を呑んで見守っているような、
息苦しいまでの沈黙が訪れました。
というのが、彼女の表現一つ一つが実に濃く、かつ研ぎ澄まされていて、
本当にナノ・セカンドですら、目を離すことができないからです。
昨年、ゴメスと共演した『白鳥』では、聖母のような愛を感じさせるオデットでしたが、
今回は、ニーナ特有の大らかさや優しさに加えて(特に腕の使い方から、私はそれを感じます)、
より、凛とした様子、それから、もう少し言えば、オデットの孤独さが滲み出るような踊りです。
ジークフリートとの間に感じる空気も、明らかにゴメスと組んだ時とは違っていて、
その時のオデットよりも今回は聖母度は低く、よりジークフリートと対等な感じのするオデットです。
前回が、ジークフリートを、彼の過ちも含めていつも大きい愛で包んでいる感じなのに比べると、
今回のオデットは、ジークフリートと同様に、彼女も迷い、傷つき、絶望するオデットなのです。
インターミッション中にM子師匠が、ニーナについて、
昨シーズンよりも体が絞られたような気がする、とおっしゃっていましたが、
ビジュアルに加え、彼女の踊りと表現からも、それが感じられました。
踊りに関しては、昨年よりシャープになったような印象があり、
それがまた、今回、彼女が表現しようとしているオデット像にとても上手くはまっています。
ゴメスとの公演では、ジークフリートのことがいとおしくてたまらず、
最初から彼に全身全霊を投げ出している、という感じのオデットでしたが、
なぜか、今回は、ジークフリートに魅かれているのに、
どこか恋に踏み込めないような雰囲気があって、それは、第二幕の最大の見所の一つである、
ジークフリートとオデットの二人で踊るパ・ダクシオンにその切なさが炸裂していました。
コレーラはさすがにニーナがどのように踊りたいかを敏感に察知し、
二人の思いの熱さではなく、何かが二人が結ばれるのを阻んでいる、その”冷たさ”と"悲しさ"を表現するために、
非常に巧みなサポートを見せています。
私は最初、これが、オデットの”白鳥に変えられた自分には恋なんて無理なのよ。”という
あきらめゆえの表現なのか、と思っていましたが、とんでもない!
ニーナがもっと大きな企みをもって、この部分をこのように演じていたことが後半にあきらかになるのです。
後編では、そのニーナの企みと、それを可能にした恐るべきものは何であったか、を暴きます!
<後編に続く>
Nina Ananiashvili (Odette/Odile)
Angel Corella (Prince Seigfried)
Isaac Stappas/Marcelo Gomes (von Rothbart)
Gennadi Saveliev (Benno)
Georgina Parkinson (The Queen Mother)
Renata Pava, Simone Messmer (Two girls from Act I Pas de Trois)
Yuriko Kajiya, Marian Butler, Misty Copeland, Maria Riccetto (Cygnettes)
Leann Underwood, Melanie Hamrick (Two Swans)
Victor Barbee (Master of Ceremonies)
Misty Copeland (The Hungarian Princess)
Sarah Lane (The Spanish Princess)
Anne Milewski (The Italian Princess)
Isabella Boylston (The Polish Princess)
Blaine Hoven, Grant DeLong (Neapolitan)
Music: Peter Ilyitch Tchaikovsky
Choreography: Kevin McKenzie after Marius Petipa and Lev Ivanov
Conductor: Ormsby Wilkins
Metropolitan Opera House
Orch BB Odd
***白鳥の湖 Swan Lake***
私は彼女の思い切りのいいフィッシュダイブが大好き。
泥臭いけどコケティッシュ。
相手を信じていなければあんなに思い切り良くダイブ出来ないと思います。彼女の踊りへの姿勢そのままだし、相手に対する信頼がしっかり表れていると、だからこそ開いても彼女に応えてくれるのかしら?
レポ楽しみにしています♪
私はこれまで女性ダンサーが自分で飛び込んで行くフィッシュ・ダイブしか見た事がないと思うのだけれど、
今回は、ゴメスがニーナをリフトした状態から、
頭を逆さまに空中に放り投げて、
そのままコレーラが受け止めるダイブ。
これが大興奮でなくて何?
こんなの、双方への信頼感がなければ出来ないわよね。
でも、そういうファンがわくわくするようなことを押えつつ、
実は技を濫用しないのも彼女だと思うわ。
白鳥の間のその表現の豊かさは、いつも通りの(これは最大の褒め言葉で)ニーナでした。
私の場合、正直言うと、フェリに関しては、
あまり強い思い入れを持つ前に彼女が引退してしまったせいもあり、
ニーナこそが、私の短いとはいえ濃密なバレエ鑑賞歴の中で最も大事な場所を占めている女性ダンサーなの。
特に『ジゼル』と『白鳥』。
その彼女をこの舞台を最後に観れなくなる、、
途中から万感の想いがこみ上げてきたわ。
私でこんななんだから、ずっと彼女を見つめてきたファンの方たちの胸中は、、。
彼女からは、カーテン・コールの最後の瞬間まで観客への愛を感じたわ。
最後の瞬間まで可愛らしく、超バレリーナなニーナでした。
あなたのコメント
「その彼女をこの舞台を最後に観れなくなる、、途中から万感の想いがこみ上げてきたわ。私でこんななんだから、ずっと彼女を見つめてきたファンの方たちの胸中は、、。」
これにウルってしまった私でした。
本文には写真も入れるから、二度泣きしてねー!
こちらでニーナの記事を拝見して以来、時々お邪魔させていただいています。
特に去年の「ジゼル」レポは、私はその公演を観ていないのですが、私がニーナ@ジゼルに感じること、そのままを書いてくださっているようで感激しました。
今回の「白鳥」は私も観に行きましたので、レポをすごく楽しみにしています。
(ついでと言っては失礼ですが、前日のボッレも観たので、そちらのレポも楽しみです。)
フェアウェル公演は本当に素晴らしかったです。
遥々、日本から行ってよかったと心底思いました。
ニーナが観客からはもちろん、コレーラやゴメスにとても愛されていることも伝わってきました。
Madokakipさんが書いていらっしゃるように、私もニーナとゴメスには深いケミストリーを感じます。
去年の来日公演での「海賊」も、うっとりするほど愛を感じる舞台でした。
実を言えば、マッケンジー版「白鳥」があまり好きではないのですが、ニーナとゴメスが出ていると、ものすごく素晴らしい演出に感じました。(笑)
プロローグで、このロットバルトならオデットが惑わされても仕方ないとさえ思えてきます。
いきなり来て、長文ですみません。
レポを楽しみにお待ちしております。
こんにちは!
オペラに比べると、バレエのレポートの本数が少ないですし、
超バレエ・ボキャ貧であるところの私が書いているので、
バレエが好きな方には物足りないのでは?という危惧があるのですが、
こうして、読んでくださっている、というコメントを頂くと励みになります。
日本から、この公演のためにいらっしゃったのですね。
でも、本当にその甲斐があられたのでは?
ABTで観たものに限られますが、彼女のこの日のパフォーマンスは、
今まで観た中でも最高のレベルのものだったと私個人的には感じています。
去年の『ジゼル』が物語、ドラマの表現という点で最高峰に達していたとすれば、
今回の『白鳥』はドラマと技術のバランスの面で、
これ以上望み得ないくらいでした。
おっしゃるとおり、彼女を支えたコレーラとゴメスの素晴らしさも、抜きで語ることはできません。
ゴメス・ファンである私としては、もっともっと
ニーナが彼の能力を引き出してくれるのを見ていたかったのですが、
何事も時期がありますね。
ニーナが今年でABTを辞めるという決意をしたのも、
彼女が今がベストだ、と判断したからでしょうし、
今は彼女が与えてくれた素晴らしい瞬間の数々に感謝するだけです。
私にとって彼女は、バレエ、というよりも、
バレエを通した物語を観る本当の楽しみを
目の前に開けてくれた、
何度感謝を重ねても足りないダンサーです。
カーテン・コールの様子を見て、
あの時メトにいた全員が同じように感じているのではないかな、と思いました。
>前日のボッレも観たので、そちらのレポも楽しみです
先ほどアップしましたので、読んでいただけると嬉しいです!
>いきなり来て、長文ですみません
いいえ!長文、大歓迎です!
またいつでもいらっしゃってくださいね!
レポ、とても楽しませていただきました。
遠くの日本からでもMadokakipさんのブログを通して、舞台の感動・・いえ、感動という言葉では現せないようなことも、共有できることに幸せを感じます。
> 日本から、この公演のためにいらっしゃったのですね。
> でも、本当にその甲斐があられたのでは?
本当に!!
2幕の幕が降りたときにはもう「来た甲斐があった!!」と思いました。
またいつか、ニーナとゴメスで舞台を観たいですね。
カーテンコールでゴメスがニーナを抱きしめて、なかなか離さなかったのも忘れがたいです。(笑)
ゴメスのロミオをご覧になられたのですね。羨ましいです!
できることなら一度、ニーナとのロミジュリを観たかったな~。
ついでながら。
本当は、せっかくMETまで行ったのでオペラも観たかったんですけど・・。
METはオペラとバレエのシーズンが、ばっさり分かれているんですね。
交互とは言わずとも、両方コンスタントに上演していれば、観光客としては嬉しかったのですが。
私はオペラをナマでを観たのは数えるほどで、全く詳しくないのですが(興味がないのではなく、バレエに散財してるせいです・・)、ニーナの記事をきっかけにここへお邪魔するようになって、METのオペラも観たいという気持ちが強くなり、レポを参考にライブ in HDを観に行きました。
ものすごくカメラが近くまで入っていることに驚きましたが、臨場感があって楽しかったです。
ますますオペラへの興味がわいてきたので、次シーズンのオペラのレポも楽しみにしています。
本当に!ブログを始めて以来、
それまでならこうしてお話する機会もなかったかもしれない皆様と、
舞台で感じたことを再共有したり、
私が見れなかった舞台のことを教えていただいたり、
また、逆に私が見た舞台で皆様がごらんになれなかった公演のレポートに感謝していただいたり、
すごくディメンションが広がった感じで、
私もとても楽しいです。
ゴメスについては、私はABTで今一番大好きなダンサーなので、
これからも毎年、フォローしていきたいな、と思っています。
また、フェリ、ニーナといった素晴らしいダンサーたちが残していってくれたものを、
次世代のダンサーたちが開花させてくれるのも楽しみなんです。
>METはオペラとバレエのシーズンが、ばっさり分かれているんですね
これ、そうなんですよね、、。
せっかくバレエ・ファンでオペラに興味を持ってくださった方がいたとしても、
メトとABTの古典ものは両立して見れないのがネックです。
ABTは秋シーズンで、コンテものなどを別の会場(NYシティセンター)で行っているので、
その時ならメトとの掛け持ちも可能なんですが、、。
でも、古典も観たいですよね!
>レポを参考にライブ in HDを観に行きました
これはすっごく嬉しいです。
おそらく来年も日本でのHDの企画は続くので、
お勧めのものがあれば、そうとわかるよう、
本文で強力プッシュさせていただきます。
お読み頂けると嬉しいです。