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Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

LE NOZZE DI FIGARO (Fri, Dec 4, 2009) 本編

2009-12-04 | メトロポリタン・オペラ
映画『The Audition』(邦題は『The Audition ~メトロポリタン歌劇場への扉』)での
”清き女神 Casta Diva"の歌唱を聴いてから、彼女を生で聴いてみたい!と切望すること10ヶ月、
念願叶ってキャラモアで鑑賞した『セミラーミデ』は期待に違わぬ素晴らしさで、
私の”今、この人が出演する公演は何が何でも観たい!”歌手リスト(ちなみにリストは超短い。)
の数少ないメンバーの一人がアンジェラ・ミードです。

彼女は2007-8年シーズンの『エルナーニ』で、
エルヴィーラ役を歌うラドヴァノフスキーが、体調不良のため降板になった際、
一度もこの作品をそれまで実際の舞台で歌ったことがなく、かつ急な要請だったのにも関わらず、
立派に代役を務め上げ、これが彼女のメト・デビューとなりました。
このブログにコメントをくださった方をはじめ、複数の方からその公演での彼女の歌唱の素晴らしさを噂に聞きました。

彼女はまだ学校(AVAの卒業生で、あの『The Audition』のマイケル・ファビアーノと同窓になると思います。
ちなみにファビアーノといえば、今シーズンはメトの『スティッフェリオ』のラファエレ役にキャスティングされています。)
を出て日が浅いからか、
はたまた、彼女自身が『The Audition』で語っていた通り、彼女のような体のサイズの大きい歌手は
近頃一般的な需要が少なく、なかなか表にキャスティングしてもらえないからか、
今はメトでアンダーをしたりしながら、勉強を続けているようです。
今シーズンは、この『フィガロの結婚』の伯爵夫人とルネ・フレミングが主役を歌う『アルミーダ』のアンダー
(つまりはフレミングが病気になった時の代役は彼女。)をつとめているらしく、
私的には、全くもってフレミングなんかより彼女の『アルミーダ』を聴きたく、
HDもミードになってしまっていい位なんですが、そんなことはフレミングのファンが許さないことでしょう。

メトではオリジナルのキャストが病気になった時はもちろん(そのためにアンダーがいるわけですから、、)、
それ以外にも、アンダーに実力や面白い素質があると一日だけそれぞれの演目の後のほうの公演で
その役を歌わせてもらえることがあって、今回、ミードが一日だけ『フィガロ』の伯爵夫人を歌うのも、そんな理由です。

オリジナルのキャストが病気になる日を予測することはまず不可能だし、
中には全日程予定通り自分で歌ってしまいがちな人気歌手(フレミング、、)もいるので、
こうして事前に発表されている形でミードを聴けるというのは、実に貴重な機会です。
しかも、演奏会形式ではなく、オペラハウスの舞台で彼女の全幕を聴くのは初めて!
これが楽しみじゃなくて何なのか?です。

ってなわけで、もう彼女だけが楽しみでオペラハウスに来てしまった私なので、
まーったく他の歌手についてはノー・マークで、
先に鑑賞した10/9のキャストから伯爵夫人だけがミードになるのかな?と思っていたんですが、
答えはノン!で、いつの間にやらすっかりBキャストに移行していて、
ほとんどの配役が変わってしまっていました。

しかし、今回、抜き打ちで、ミード以外で受けた喜ばしい発見は、
フィガロ役を歌ったバス・バリトンのルカ・ピサローニです。
普段、私がやたら美男美女に冷たいと思われている方(こんなのあんなの)は、このフェイント技に驚かれたことでしょうが、
実力のある美男美女、これに私がどうして冷たくする理由があるっていうんでしょう!!

この人(アップの写真は出待ち編を参照)は顔もさることながら、
舞台姿がすらーっとしていて長身で本当に美しい(冒頭の写真を参照)。
しかし、何よりも耳目をひくのは、声です。
彼の声は本当に上のレンジから下のレンジまで音色が均一で美しい!
しかも、フィガロ役に求められる最高音から最低音まで、全く無理がなく、
低音がきちんと出て適度な重さもあれば、高音は楽々で、とにかくしなやかなのが身上です。
先の公演で歌ったレリエーよりは声の線は細目ですが(というか、レリエーはかなりどっしりしているので、、)、
その発声と歌唱がフレキシブルなのは見事です。

レリエーはカナダ人とはいえ、やはり少し演技のスタイルがアメリカ的なんですけれども、
ピサローニのそれは間違いなくイタリアの歌手のそれです。
私はコミカルな面が求められる作品では、このイタリア的な、ちょっと型にはまった
お約束的な演技が大好きなのです。
なぜか、私の中では吉本新喜劇にも通じるスピリットを感じる。
この次にどう出てくるかわかっているのに笑ってしまう、という。
『チェネレントラ』のコルベリとアルベルギーニの演技にもそれを感じます。)
それに比べると、アメリカ系の歌手のコメディックな演技は、
ややナチュラル指向というか、型を感じない傾向にあるように思います。

ピサローニのもう一つの特徴としては、歌と演技はある程度、
その場の空気に任せよう、という自由さを感じる点です。
これは良く転べば素晴らしい歌唱や演技になり、悪く転ぶとその分ひどい、、という結果になることを意味するわけですが。
彼は演出によって、演技が暴走する傾向もあって、実際、NYタイムズの評では、
この『フィガロ』の舞台監督の、ドタバタなやり過ぎが大分たたかれていて、その演技指導にも問題はあるのでしょうが、
少し今日の演技にやり過ぎ感を感じさせられた部分もあるのですが、
演技も歌も伸び伸びしているのは、彼の魅力でもあります。

伯爵を歌ったのはテジエ。
『ラ・ボエーム』のマルチェッロに続き、メトで彼を聴く演目は二つ目なんですが、
私には彼は、この伯爵、マルチェッロのいずれの役にもキャラも歌もやや陰気に感じるというか、
歌を聴いているうちに段々沈んで行くような感覚に襲われます。
この役でのペルトゥージは本当に素敵でしたし、今シーズンのAキャストのスコウフスも悪くなかった。
ブリンの伯爵はあまりに凶暴すぎて私の好みではないのでパスするとしても、
この数年で聴けた他の伯爵と比べてさえ、テジエのそれは歌には安定感はあるんですが、
個性と役としての魅力に欠ける感じがしました。
彼はもしかしたらなんですが、もうちょっと悲劇的な作品の方が持ち味と合っているのかもしれません。
また、翌週のダーシュの伯爵夫人を相手にしても、今日のミードの伯爵夫人を相手にしても、
全く夫婦っぽさを出そうとする意志を彼から感じないのも残念です。
伯爵役は一人の役であると同時に、伯爵夫人との間に流れる空気、これがとても大事なんですけれども。

マルチェリーナ役はAキャストでいい味を出していたウェンディ・ホワイトからアン・マレーへ。
彼女はフィリップ・ラングリッジの奥様でいらっしゃるのですね。知りませんでした。
ちょうど、Aキャストではそのラングリッジがドン・バジリオだったのですが、
もうすぐランが始まる『ヘンゼルとグレーテル』(またあの魔女役ではじける!!)があって、そちらに移ってしまいました。
代わりにバジリオを歌っているのはフェダリー。
この人はこの手の憎めない曲者キャラでよくメトに登場します。
もともと、噂好きの宦官のようなキャラクターにになっているこの演出でのバジリオなんですが、
(紫の衣装にオレンジの鬘!)彼がやると、一層その味が濃くなるのがご愛嬌です。
バルトロを歌うデル・カルロは『セヴィリヤの理髪師』のバルトロでもあったので、
まさに今日の公演が後日談的雰囲気になっています。
彼は歌の繊細さなどよりは、どちらかというとそのよく通る声と
大きな体を利用した佇まい等で観客を押し切ってしまうタイプです。

とまあ、こんな感じで脇のキャストもかなり入れ替わっているのですが、
初日からずっと同じ役を歌って公演を支えてきたのはケルビーノ役のイザベル・レナード。
彼女はメゾでもグラハムのような声量はなく、どちらかというと高音が美しい線の細い声で、
以前にも書いた通り、現在『ホフマン物語』でニクラウス役を歌っているケイト・リンゼー
持っているものが重なっている部分が多いのですが、
歌の安定感はあって、実際どの公演を見ても、その歌唱にむらがないことは驚くほどです。
また、彼女もリンゼーと同様で、自分の声を無理に押さず、
自分の持っているものを上手く活かして歌う能力は評価されていいと思います。
『フィガロ』という作品はそれを可能にする懐の太さがあるのでそれも彼女には幸運なことかもしれませんが。
彼女が元々ダンスを勉強していたことも以前書いたことがあると思うのですが、
それが彼女の演技にはとてもよく生きていて、ケルビーノという役を本当に生き生きと魅力的に演じています。
特にこのBキャストでは幕後で彼女に対する拍手が一番多いように感じるくらいです。
公演の最後までに、ケルビーノが観客の”一番のお気に入りの役”になってしまっている、ということの証です。

レナードが何度聴かせてもらっても構わないケルビーノとすると、
二度と聴きたいと思ってもいないのに、まだ歌っているのがスザンナ役のデ・ニースです。
Bキャストはオロペーザがスザンナだと思ったのに、、、これは困りました。

先にも書いた通り、Aキャストの公演で、かなりこっぴどくデ・ニースの歌唱について書いた私ですが、
なんと、その後まもなくして発行されたOpera Newsに、
彼女が最近発売したモーツァルトのアリア集のCDに対して、これでもか!という、
かなり手厳しい評が載せられていて、要は彼女のような実力でこんなアルバムを出すな!という趣旨に近いんですが、
具体的な発声の欠陥に対する指摘などは本当にもっともなことばかりとはいえ、
今、まさにメトでそのモーツァルトの作品に出演中の歌手のCDに、半分メトがかんでいるOpera Newsから
ここまで厳しい評が出るのはちょっと驚きでもありました。
これが応えたんでしょうか?10月に鑑賞した時よりデ・ニースはなんだか元気がなくなっていて、
かつその心理的な要因が影響を及ぼしているのか、もともと弱い高音域なのに、さらに、
”私、ここが駄目だって言われたんですよね、、。”と自分で認めてしまっているような雰囲気が漂っています。
以前は根拠がないそれとはいえ、ある程度自信でもってカバーしていたのに。
心理的な要素というのは実に恐ろしい、、と思いました。

しかし、この演出の『フィガロ』では一幕と二幕、また三幕と四幕がそれぞれ連続して演奏され、
間に1回のインターミッションを挟むのみなのですが、
そのインターミッションがあけるとハウス・マネージャーの一人が舞台に登場し、
デ・ニースが耳鼻咽喉系のウィルス感染を起こしているため、
このまま歌い続けることができない旨の発表がありました。
というわけで、高音の元気のなさについては、一週間後に再び鑑賞を予定している公演まで
感想を保留にすべきかもしれません。
デ・ニースの途中降板でスザンナに代役で入ったのは、リゼット・オロペーザ。
彼女は2年前の公演で同役を歌っていますし、今シーズンの公演のいくつかにも出演しているので、
全く心配はなさそうですし、デ・ニースの、ウィルス感染してなくてもハンディキャップのある声と歌唱に比べると、
彼女の方が声が美しくて安定感があるような気がする位なので、この交代は私にとってはノー問題。

実際、一杯一杯にストレッチしているように聴こえる個所のあるデ・ニースに比べると、
オロペーザにとってこの役の声域は何の苦もなく、楽々と歌っていて、
聴いていて耳に心地良くもあるのですが、
惜しむらくは、こうやってインターミッションの30分弱ほどの時間しか挟まずに同じ役で舞台に立つと、
想像以上に舞台での存在感とか華にデ・ニースとは差があることが歴然としてしまう点です。
これが単純に歌が上手くてもそれだけでは十分ではないオペラの舞台の大変なところ。
オロペーザはとりあえず、デ・ニースに負けない位、もっとずうずうしく自信家になってもいいかもしれません。
演技が遠慮がちなんですね、まだ。

二幕から登場しているので、話の順序が少し逆になってしまいましたが、最も肝心なミードについて。
このブログが始まってから、つまり比較的最近のメトの『フィガロ』では、
伯爵夫人がヘイ・キョン・ホン、アニヤ・ハルテロス、そしてエマ・ベルと、
オペラの基準ではすごく華奢で、しかもまずは美人と言ってよい(少なくとも舞台ではそう見える)ラインナップが続いていて、
しかも今シーズンはそれにやはりその線を脈々と継ぐアネッテ・ダーシュもキャストに加わっています。
そういったメンバーに比べると、確かにミードはでかい。これは認めなければなりません。
伯爵夫人が初めて舞台に姿を見せるのは二幕の冒頭、ぼーっと窓から外を眺めている後姿で、
ここですでに伯爵との関係に憂いを感じている雰囲気が漂っていて欲しい。
太っていることそのものが悪いこととは私は全然思っていないのですが、
やはりこういうシーンで体が大きいというのはそれだけでハンデがあるものです。

しかし、彼女が一言口を開いて歌いだすと(”愛の神様 Porgi amor")、
ああ、やっぱり彼女は本当に優れた歌い手です。
というか、『セミラーミデ』で、彼女の高音の凄さ、テクニックの確かさをこの耳で聴いた身としては、
彼女が伯爵夫人役を歌うのは声楽的にもったいないくらいな気がしてしまうほどです。
もちろん、伯爵夫人役はそういったところと全然違うところで難しい役ではありますが。

最初の数秒は、彼女の大きな舞台姿に伯爵夫人役はちょっとやっぱりきついかな、と思いましたが、
歌の素晴らしさというのはそういうのを越えるんだな、と思います。
それに、幕が進み、最初の違和感を乗り越えてしまうと、演技自体は決してまずくないことがわかってきます。
アンダーをしている間、本当にきちんと舞台を観察し、いろいろ考えているのでしょう。
細かいお芝居に彼女ならではの工夫がたくさん見られます。
特にはっとさせられたのは、これまでどのソプラノもしなかった演技で、
まだケルビーノが衣裳部屋に入っていると信じ込んだまま、伯爵に連れられて部屋に戻って来た後、
伯爵が衣裳部屋の扉を開けようと舞台の下手によっている間、
夫人はできるだけそこから離れた舞台上手にあるついたてのそばで立ちすくんで、
夫がケルビーノをとっつかまえる瞬間を息をひそめて待っているわけですが、
びっくり、中から飛び出したのはスザンナ。その瞬間、ミードはぎょっとした表情をした後、
ついたての裏を覗き、半信半疑の様子でそのまま部屋の壁沿いにゆっくり歩いて、
最後に衣裳部屋に前までたどり着いて、夫が見ていない間に中に飛び込み、
ケルビーノが本当に部屋にいないことを確認する、という演技をします。
このついたての裏を覗くという動作、これを今までこの役を歌ったソプラノが誰一人として見せなかったのはどうしてでしょう?
これこそ、私が伯爵夫人だったなら、まず真っ先にするであろう、最もナチュラルな動作で、
それゆえに観客から見ていて最も滑稽な動作であり、思わずぽんと膝を打ちたくなったくらいです。



最初の音からずっと難しい音域の音が続いて、力のないソプラノに歌われると
音がぶら下がって聴いてられない”楽しい思い出はどこへ Dove sono i bei momenti"も、
細部まで心のこもったまるでお手本のような歌唱で、彼女はまず歌を本当に大事にしているのが
本当に素敵です。
よく言えば、伯爵夫人が醸し出す結婚や人生というものへのあきらめ感がもうちょっと描出できるといいなと思うのですが、
彼女自身の若さを考えると、これはこの先の楽しみにとっておきたいと思います。

私は多くの人と同様、伯爵夫人が”Piu docil io sono, e dico di si. 私はあなたよりも受容する心が大きいの。
だからええ(あなたを許す)といいましょう。”というこの言葉にこの作品の美しさが凝縮されていて、
いってみればこの言葉とそれについた音楽を聴くためにそれまでの部分を聴いている、と言ってもいいくらいなのですが、
なんとその最も感動的な個所で、隣の馬鹿女が携帯でテキスト・メッセージをはじめたのです。
青い光を放射しながら。
そこに至るまでも幕の途中でしょっちゅうメッセージをチェックしたり、打ったりしていて、
殺意を感じはじめていたのですが、これでもう大爆発です。
拍手を終えて立ち上がる時、
”ちょっと聞きますけど、この座席のチケット、フルの値段払いました?それとも20ドル?”
ラッシュ・チケットという20ドルでチケットを買える仕組みはどうやら知らなかったようで、
”フルですけど、それが何か?”と答える彼女。
”250ドルも払って公演中に携帯メールとは珍しいですね。”
私の敵意ある嫌味を理解した彼女は”あなたに関係ないでしょ?”
なんだとーっ?
”おおありよ!オペラハウスではみんなが舞台に集中しているのに、
あんたの携帯の間抜けな青い光のせいで気をそがれるったらありゃしない!”
その言葉に鼻で笑いながら”私の人生にはあなたにはわからない
(携帯でやりとりしなければならないくらい)大事なことがあるの。”
この女、まじでぶっ殺す。
”あら?父親が死ぬ寸前とか?”と返してやりたかったところですが、それはあまりに意地悪なので、
”そう。そんな大事なことが人生で進行中なら、オペラなんか見に来なくて良かったんじゃない?”
その言葉に、きーっとなりなりながら彼女が捨て台詞。”ったく、失礼ったらありゃしない!”
信じられません。どっちが失礼なんだよ!周りの観客にも、演奏してくれている側にも。
日本はどうか知りませんが、最近NYはこの手の自分勝手で自己チューな人間の棲息率があがっていて、
メトが存在してなかったら、とっくにどこか別の街に引っ越してるところです。
家に帰って連れにその話をすると、”よく言った!僕も同じことを言っていたはずだ。”とうなずきながら、
”でも、以前にNYの映画館でこんなことがあった。
映画館の中にイヤホンをして音楽を聴いている男がいて、その漏れでてくる音を止めてくれるように、
ある男性が丁寧に頼んだ途端、その男が銃を取り出してその男性の頭をぶっ放したんだよ。”
ふんっ。メトで死ねるなら本望よ!

(写真は左からテジエ、オロペーザ、ピサローニ)

<字数が足りなくなったので、出待ち編に続く>

Luca Pisaroni (Figaro)
Danielle de Niese (Act I & II), Lisette Oropesa (Act III & IV) (Susanna)
Angela Meade (Countess Almaviva)
Ludovic Tezier (Count Almaviva)
Isabel Leonard (Cherubino)
John Del Carlo (Don Bartolo)
Greg Fedderly (Don Basilio)
Ann Murray (Marcellina)
Patrick Carfizzi (Antonio)
Ashley Emerson (Barbarina)
Tony Stevenson (Don Curzio)
Conductor: Fabio Luisi
Production: Jonathan Miller
Set design: Peter J. Davison
Costume design: James Acheson
Lighting design: Mark McCullough
Choreography: Terry John Bates
Stage direction: Gregory Keller
Grand Tier C Even
OFF

***モーツァルト フィガロの結婚 Mozart Le Nozze di Figaro***

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12 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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ルイージ (sora)
2009-12-16 23:31:42
びっくりですね。
携帯の着信の光なら見た事ありますけど、開いて光を放射しつつメッセージを打つ人なんて、さすがに観たことないです。
世の中色んな人がいますね。
それにしても、madokakipさんのはなから喧嘩腰の対応が凄いですね。私だったら、情けない顔で「眩しいから止めてくださいね」としか言えなそうです。いや、どうかな。。。

ルイージが無いですよ!!
どこかのレポでフィガロはイマイチな指揮だったとお書きになってましたよね。
書くの嫌になってしまいましたか?

もちろん私はイケメン好きの代表なので(美人も好き)、ピサロニは要注目です
コシのyoutubeで見かけてからラブです。
日本に来ないかな~。
返信する
頭をぶち抜く系 (Madokakip)
2009-12-17 10:29:15
soraさん、

>はなから喧嘩腰

連れの話に登場する、銃をぶっ放す男と基本的には同じ路線ですね。

この一週間後にまた『フィガロ』を鑑賞したのですが、
そこでもびっくり仰天の事態が勃発し、
またしても爆発してしまいました。

こんなに観客のマナーが悪いのは以前はなかったことで、
本当にどうかと思います。
私は絶対に、今はもうこういう世の中なんだわ、、
と思ってあきらめたりしませんよ。
言って、言って、言い続けます!

で、その火山噴火の件も次回のフィガロ・レポに含めたいと思っているのですが、
ルイージの指揮の話、ほんとだ、忘れてますね。
ってなわけで、同じノリで忘れてしまうかもしれません(笑)
忘れていたら言ってください、、

ルイージは、すごく私の期待が高いからでしょうね、きっと。
フィガロはあまり思ったほどではなかったです。
しかし。『エレクトラ』。
これはすっごく良かったですよ!!
本当に!!
『エレクトラ』ってこんな作品だったんだ、、と、
目からうろこでした。
早くレポをあげたくてたまらない(んですが、
まだ他の公演が間にたまっている、、)なんて、
本当に久しぶりなことです。

>ピサロニは要注目

そうでしたか。
彼は物理的な顔の作りとかも素敵ですけど、
顔のディテールが見えない距離から見ていてもやっぱり素敵なんですよ。
舞台姿っていうのは雰囲気も含めたものなんですよね。
実際、私は全然彼のこと知らなくて、
あまりに声と舞台姿が素敵なので(私はほとんど平土間に座らないし、
全然双眼鏡とかも使わないので、
顔はほとんど見えないんです。)、
どんな人なのかしら?とプレイビルを開いて
顔写真を見て、”なんと男前!”と二度びっくりでした。
でも、出待ちでわからなかったのはなぜなんでしょうね、、、?
返信する
パリ ガルニエでも! (シャンティ)
2009-12-20 20:04:35
12月14日にガルニエで”プラテー”を観たのですが、わたしもいやな思いをしました。
1幕途中 青白い光が! 夫の隣の男性が背広に隠しながら携帯画面を見ているのです。いつも、微動だにせずオペラに集中するわたしなので、なかなか注意してくれない(上演前のアナウンスに気が付かなくて ガルニエでは携帯OKかと思った)夫を超えて手を伸ばし、男のひじあたりをたたいて、注意をうながしました。で、幕間になると その男は立ち上がって 初めはフランス語(?)それから英語で、”英語がわかるか知らないが、金輪際たたくな!”とさも私が悪いように偉そうに言うのです。
こうなったらお上の力を借りて(オペラ座は国営)と場内係員(アン・ハサウェイ似の美人)に”携帯禁止のアナウンスがありましたよね”と尋ねると、”もちろん、配役表にも書いてあります。”とのこと。そこで、わたしが近くで携帯を使っている人がいて注意したら、逆に怒ったことを言うと、”注意しますから、どの席だか教えてください。”と客席を確認し、次の幕が始まる前、男が戻ってきたときに、2列前から、他の人にも聞こえるように(たぶんフランス語で)注意してくれました。
男は (しぐさでしかわかりませんが)むこうがたたいたんだ。とか他にフラッシュで写真を撮っている人もいるとか言っているようでしたが、係員さんはきっぱりとした態度で臨んでくれていました。
夫によると その後周囲のその男への視線が厳しくなったそうですから、きっと変な日本人がいると思った回りも悪いのは男の方だとわかってくれたのだと思ってやれやれでした。
でも、本当にオペラを楽しみに行って、こんないやな思い出がおまけになってしまってがっかりです。
アリアを歌っているときに3階席あたりからは何度もフラッシュがたかれてたし...。もう、ガルニエに行く気がしなくなりました。(って 3回目なのに偉そうですね)
夫は手を触れて注意したのはよくなかったかもと申しておりますが、足をはらいのけたMadokakipさん、手をたたいて注意するのは外人相手にはよくないのでしょうか?
返信する
ピサローニ (momo)
2009-12-20 21:53:25
ピサローニを褒めてらしたので、ついフラフラと2度目ですが、、

とっても素敵でしょう?私もファンなんです。soraさんが書いてらっしゃるグリエルモをDVDで見て以来すっかり虜に、、。デ・ニースとフィガロで共演したDVD(アムステルダムの)も良かったんです。METで成功したんなら今後HDに登場する機会も、、、。日本にも、そのうち、、、(^0^)。
返信する
大馬鹿は世界中に、、 (Madokakip)
2009-12-21 16:00:18
 シャンティさん、

アメリカだけ、メトだけに、こういう馬鹿者が集中しているのかと思っていましたが、
世界中に蔓延していると知って、安心したような、
なお嘆かわしいような、、。

これまた本当に酷い経験をされましたね。
ガルニエは美しい劇場ですから写真を撮りたくなるのもわかりますが、
また逆に写真なんかにあの美しさが納まると思っているところも悲しいですよね。
誰が何と言おうと、公演中に携帯を使うのは、
会話はもちろん、テキストメッセージやメールを確認するのも、
絶対に間違っていると思います。

で、ご質問なんですが、確かに、一般的に、
外人は体を触られるのを、それが特に、愛情の表現ではなくて、
注意だとかネガティブなものに関している場合には嫌がりますね。
注意を促す時に、体に接触するのは、極めてアグレッシブな行動だと、
普通はとられます。

ただし、私に言わせれば、これは1)お互いが対等にマナーを交わしている立場で、
かつ2)自由に言葉を発せる場合にのみ有効なのであって、
1’)幕中に携帯を使うような常識外れの人間に対し、
2’)かえって言葉を交わすことが周りの不興を買う場合(幕が進行している途中など)は、
軽く相手の注意を得るためにとんとん、と叩くのはあり、というか、
そうする以外ないと思います。
そうでなければ、幕の最後まで我慢することになってしまいますものね。

>足をはらいのけたMadokakipさん、

これは注意を得るために叩く以上の行為なので、
普通は絶対におすすめしませんが、
私はこの馬鹿母の、メトを我が家のリビング・ルームと間違えているような失礼な態度に
相当頭に来ましたので、
その頭に来ていることを伝えるためには足を払い落とすのが適当な行為だと思いました。

こういった事態では、実は観客の側にも、
舞台の歌手達に負けない演技力を身につけなければならない、というのが私の持論でして、
例えば、真横に座っている客が足を組んで
(半あぐらというんでしょうか、右の足を左の腿にのせるような、、)
私の膝の上に彼の足が乗って来そうな時は、
幕中の暗闇の中でも伝わるように、
大げさにぎょっ!と固まったふりをして、
”信じられない、、”といった感じで足を凝視してから、
じーっとその男性の顔を横から見つめると、
足を下ろしてくれます。
この技は、ある行為が失礼だと知らずに遣っていた人に気付かせるには効果があるんですが、
シャンティさんの携帯男のような、確信犯には通じないのが泣き所です。
また、自分が悪いと思っていないので、
アグレッシブな行為を受けた!ということばかりに注意が行って、
自分のことを棚にあげて逆切れするパターンが多いです。
私がきれた”世界で自分の人生が一番大事な女”も同じです。
もうこういった場合は、シャンティさんがされたように、
アッシャーに言うのが一番ですよね。
こちらの主張が理不尽でない限り、
アッシャーは常に強力な味方になってくれます!

ちなみに、シャンティさんの事例をうちの連れに確認しましたら、
やはり、体に触れるのは非常にアグレッシブな行為だけれども、
”そんな馬鹿野郎には、自分も絶対にとんとんと叩く。”と断言しておりました。
返信する
もっと惚れてくださいまし! (Madokakip)
2009-12-21 16:07:05
 momoさん、

最近聴いた低声の男性歌手では、私も大好きな歌手の一人になりました。
彼はこれからさらに伸びていくかもしれない、という、
ポテンシャルのようなものを感じるのも魅力です。

>グリエルモをDVDで見て以来すっかり虜に、、。

生で聴かれたことはこれまでには?
もし未だでしたら、惚れ直すと思いますよー。
彼の声は、上から下まで本当に響きが均一で綺麗です。
早く来日が実現するといいですね!
返信する
テジエに合うのは (babyfairy)
2009-12-24 10:37:27
お久しぶりです。
贔屓のテジエの名が出ていたのでしゃしゃり出て来ました。
ええ、ご指摘通り、テジエにはバリトン版のウォルテルとか、ポーザの方が似合うと思います。所謂、バリトン・ノ-ブル系の役柄ですね。伯爵とかマルチェッロは・・・ライブ観た事無いんで、断定は避けますが、それ程でも無いと思われます。
返信する
おお!! (Madokakip)
2009-12-24 15:25:39
 babyfairyさん、

おお!またお話できるのを心待ちにしておりました!!
また、ブログも少しずつ復活されているようで、
本当に、嬉しいです!!

メトはちょっとキャスティングを誤っていますね。
マルチェッロも、伯爵も、彼のベストの役じゃないんだろうなあ、、と思いました。
『ボエーム』は喜劇じゃないですけど、
マルチェッロ役には独特の活き活き感が必要ですよね。
次あたり、ノーブル系かな、、?
返信する
バスティーユでポーザ (babyfairy)
2009-12-25 00:44:51
やっぱりオペラはやめられないですね~;;

テジエは来年2~3月にオペラ・バスティーユで「ドンカルロ」に出演するんで観に行きます。やっぱり、こういう役が相応しいと思うんです。

ただキャスティング誤っているのはメトだけじゃないかもしれません・・・テジエは地元のパリでもマルッチェロ歌ったばかりですし。
返信する
画家のようなテジエ (Madokakip)
2009-12-25 08:02:05
 babyfairyさん、


>やっぱりオペラはやめられないですね~;;

本当に!!!!

うんうん、ポーザは向いてるんじゃないかと思いますね。
どことなく歌唱にも立ち居振る舞いにも憂いがある人なので、
最後に死ぬ役柄がぴったりです。

でもサインを頂いた時(出待ち編)の感じだと、
地の方は決して暗い人ではなく、
画家のような出で立ちがあまりに似合いすぎて怖いくらいでした。
伯爵を歌い終わったばかりの夜の0時過ぎなのに、
その後続けてあの格好でどこかにマルチェッロ役を歌いに行くのかと思いました。
返信する

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