Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

La Scala Nights in Cinemas: AIDA 後編

2008-07-21 | 映画館で観るメト以外のオペラ 
前編より続く>

と、アラーニャはさておき、ウルマナにしろ、コムロジにしろ、
きちんと合う役を与えてもらっているあたり、やや冒険的な(無茶な、と言ってもいい場合もあるかも)
配役をする例が時にあるメトに比べると、
スカラ座のスタッフの方の、各歌手の持つ声に関しての並々ならぬ理解と洞察力、
そしてそれを実行に移す際の妥協のなさを感じます。

アモナズロ役のグエルフィについてふれておくと、これがまた、
首を斬られた後の落ち武者のようなすごい髪型でびっくりしました。
これをエチオピアの長と言われても、、、服装でかろうじてそうとわかるが、
肩から上だけ見ていると、平家のようです。
彼は何度か生で聴いているのですが、前からこんなに癖のある歌い方だったでしょうか?
(記憶がない。)
口を回転させながらむにゃむにゃ言っているような独特の発音が気になりますが、
聴かせどころではそれが消えて、きちんと歌うというのは、一体どういうことなのか?
のろまのドバーと同様、アムネリスに捕らえられそうになる場面での切迫感のなさもがっかり。

この作品の中での影番(影の番長)と言ってもいいランフィス。
裏でおそろしい支配力を持つ存在としての宗教(同じヴェルディの『ドン・カルロ』にも似た構図があります。)
民衆の懇願にもかかわらずアイーダとアモナズロを怪しいものとして一歩もゆずらず(確かに正しいのだが)、
ラダメスを死に追い詰めていく、この物語の実は大事な役なのですが、
ややジュゼッピーニはその点迫力不足。もっと影番として、ばしっ!としめてほしいところ。
まあ、スポッティの歌う王がそれに輪をかけて情けないので(歌唱が)、
力関係としては逆転していないのでですが、、。



シャイーの指揮は、テンポの揺らし方や、特定の楽器やセクションが奏でる旋律の強調の仕方を含め、
音作りがわざとらしくて私は大変苦手なタイプでした。
通常は高音パートがメインで聞こえてくる個所で中音や低音を強調してみたり、
ああ、こういう風に演奏するとこう聴こえるんだな、と、そういう意味でははっと
させられる場面もあるのですが、
それが作品のその場面の表現に貢献しているのか?と聞かれれば、私にはそうは聞こえない、と答えます。
しかし、そんな指揮でありながらも、上で言った意味とは違う、真に、いい意味ではっとさせられる瞬間もあって、
このオケはどんな指揮者でも上手に演奏してくれるんじゃないか、、と一瞬思わされました。
翌日のマゼールの『椿姫』でそうではないことが判明するのですが。
それにしても、シャイーに、マゼール、、、。
スカラ座の上層部の趣味?とちょっとぎょっとしましたが、
演奏後のこの二人への観客の反応が割りといいということは、
スカラ座の観客にも受け入れられているということ、、?
私には彼らのどこがいいのか、よくわかりません。

しかし、4日連続観た上映の中で、オケの演奏が一番良かったのはこの『アイーダ』だと私は思います。
さっき、”このオケはどんな指揮者でも上手に演奏してくれるんじゃないか”と書いたのに少し注釈を入れると、
スカラ座のオケを”上手”と一言で表現する人も多いですが、
私はいわゆる”上手い”、というのとはちょっと違うかな、と思っていて、
各楽器のソロなんかを聞くと、楽器によってはそれほどでもなく、
むしろ、メトを含む他のオペラ・オケの方が通常の意味では”上手い”かも、とすら思う部分もあるのですが、
スカラ座のオケのすごいところは、全体として音を奏でたときに、
その音が歌手と一緒に、あるいはオケだけで、
その場面のすべてを語っているような感覚をおこさせる瞬間があること、これに尽きると思います。
このオケは明らかにきちんとオペラの筋を理解している、”語るオケ”。
これを、”上手い”という言葉で表現するなら、確かにこれほど上手いオペラ・オケは他にないか、
あったとしても非常に少ないと思います。
そして、私が”このオケはどんな指揮者でも上手に演奏してくれるんじゃないか”という時の
”上手に”というのは、そのような意味において、です。
ただし、やる気のないときの彼らは全くそんな瞬間がないため、
”ちょっとこれどういうことよ?”と問い詰めたくなる演奏も繰り出してきます。
それはまた続く他の演目のレポで。
まあ、いつもいつもすごいオケなんていうのはありえないのでしょう。
いつもいつも調子がいい歌手がいないのと同様に。

音色をメトと比較すると、かなり乱暴な言い方ではありますが、
スカラ座の方がドライで明るい音色のような気がします。
特に金管はかなり明るい音で、この『アイーダ』のような演目ではとてもはまっているのですが、
火曜に観た『椿姫』の最終幕までもその音色で通していて、ちょっと違和感を感じる部分もありました。
(マゼールの仕業か?)

合唱は女性に比べてやや男性が弱いような印象を受けましたが、
発声の細かいニュアンスが統一されているせいか、
声が同じ方向に飛んで力強い響きを生んでいるのはさすが。
メトの合唱は2007年シーズン、ものすごく良くなりましたが、
しかし、これを聴くと、まだまだ先はあるぞ!と思わされます。

さて、このプロダクションでは、ニ幕二場の凱旋の場で長身美形の男性バレエダンサー、
ロベルト・ボッレがバレエ・シーンに登場したのも話題の一つ。
バレエのシーンといえば、他にもニ幕一場のアムネリスの部屋で子供たちが踊るシーンがあるのですが、
この両方とも、振り付けはアフリカン・ダンスのエレメントが取り入れられています。
一場に関しては明らかに子供たちは黒塗りで、黒人、つまりエチオピア人、という設定になっていて、
要はエジプト王女を喜ばせるための、奴隷の子供たちの踊り、ということになっています。
この設定は確かにありそうなので問題はないのですが、
私が非常に違和感を感じたのは凱旋の場の方。
ボッレも相手役の女性ダンサーも”やや黒”塗りで、
ボッレが身につけているのは皮でできているらしい郷ひろみもびっくりの超ビキニパンツ一丁。
限りなく半裸に近い状態で、これだけでもファンのイタリア人女性は鼻血噴水状態でしょうが、
私も一緒に鼻血ブーしたいのに、できない。なぜなら、気になって気になってしょうがないのです。

「彼は何人なの?」

この衣装と微妙な黒塗りからして、エチオピア人の捕虜(つまりアイーダの同胞)とも見えるのだが、
それならば、なぜ嬉しそうにアフリカン・ダンスなんか踊っているのか?
たった今、自国がエジプトに征服されたというのに、踊っている場合??!!

って、それはおかしいから、じゃ、エジプト人なのかな?というと、
格好がすでに述べたとおり違和感があるし、それになぜエジプト風の踊りではなく、
アフリカン・ダンスを踊るのか、、。
考えれば考えるほど謎が深まるのです。

メトはこのシーンは思いっきりエジプト風のダンス。
私もそうあるべきだと思うのですが、確かにアフリカン・ダンスを取り入れた振り付けは
面白いし、魅力的。
ということで、もしかすると、踊りとしてアフリカン・ダンス的振り付けの方が面白いから、
”ストーリー?関係ないよ。これでいこーよ!”という、
振付担当のワシーリエフの鶴の一声でこうなったとか、、?
誰も何も言えなかったのかい、、、?スカラ座をもってしても、、?

ということで、私には全くもって意味が不明だったこのダンス・シーンですが、
最後のボッレの連続回転(またしても技の名前は不明)に観客は大熱狂。
結局、一番この公演でもらった喝采が大きかったのは彼かもしれません。



(↑ 跳躍をきめるボッレ。この写真ではあまり黒く見えませんが、実際にはブロンズ色。
そして右に見えているお供で踊っている男性たちは明らかな真っ黒塗り。)

ただし、彼は、ABTに客演したときにも感じたのですが、
一人で踊っているときは素敵なのだけど、女性のサポートに入る時に、
もたもたもた、、としていて、一つ一つのポーズが折り目正しく決まらないうちに
次のポーズに入ってしまうような印象があります。

さて、前編でふれたアラーニャのスカラ座の舞台途中放棄事件ですが、
私は実は、この日の公演の中にその始まりを見たように思うのでその話を少し。

メトでは、いかに有名なバレエ・ダンサーが客演したとしても
2006年シーズンの『ジョコンダ』ではアンヘル・コレーラが踊ってくれましたが、
そういえば、2008年シーズンに『ジョコンダ』が戻ってくるはず!!
今度も彼があの素晴らしい踊りを再現してくれるのか?それとも別のダンサーが、、?)、
その登場した幕の最後に舞台挨拶をするだけで、終演後のカーテン・コールには登場しません。

ところが、この『アイーダ』の公演では、おそらくプレミアの公演だと思われ、
それもあってか、終演後のカーテン・コールにもボッレが登場。
ボッレも含む出演者のみの挨拶で、アラーニャに対してよりもむしろ自分への喝采の方が大きいことに勢いを得たか、
何と、先に舞台からはけることをアラーニャがボッレに暗に指示しているというのに、
ボッレは澄まして”お先にどうぞ”というジェスチャーをアラーニャに返し、テコでも舞台から動かない様子。
”この喝采はあなたのためではなくって、ボクへのものですから”とでも言っているよう。
らちがあかないことを見てとったアラーニャが先にカーテンの後ろに消えますが、
すでにここで、アラーニャの頭から湯気が出ているのが見えるような気がしました。

案の定、次の、シャイーとゼッフィレッリを加えた挨拶では、
いきなりボッレが飛び出してきたものの、なかなかアラーニャを含む歌手陣が登場してこない。
アラーニャがふくれてる、、私はそう見ました。
ようやく登場したときには、時すでに遅く、すでにボッレが真ん中でにこにこと
シャイーの手をとって挨拶中。場所を失ったアラーニャらは、何と列の末席にあたる
一番舞台上手に近い、普通なら端役の歌手が立つ場所に追いやられる羽目に。

オペラのプレミア公演で、主役の歌手が指揮者のすぐ隣に立たずに列の端に立って挨拶し、
代わりにバレエのダンサーが真ん中で挨拶、、??!??
こんなの、前代未聞。
私はこの時点で、アラーニャにいらいらの種が撒きつけられたものと思います。
そして、数日後の公演でのブーイングで、すでにいらいらしていたところに火がつき爆発!
と、そんな感じだったのではないでしょうか?

ボッレが、マスコミのインタビューで、主役のアラーニャよりボッレの方が拍手が多かったことをどう思うか?と聞かれ、
”実際、彼の歌は大したことなかったしね。”みたいな趣旨のことを言った、という話は聞いていましたが、
この二人の間にはプレミア、かリハーサルの時点から、不穏な雰囲気が漂っていたのかもしれません。

ただし、一言言うなら、少なくともアラーニャは一言もボッレをこきおろしてはいません。
(言ったところで、世の女性から袋叩きに会うのは目に見えているが。
オペラ界で比較的ビジュアルがいい、と言ったって、バレエのダンサーに比べると、
こんなもんなんである。)
ロベルト君ももう少し大人になりましょう。
”たいしたことない歌”でも、『アイーダ』を全幕通しで歌うということは大変なことなのです。
アラーニャ・ファンでない私がそういうのだから、本当に!
バレエもオペラも共に素晴らしいアートフォームなのだから、
こんなエゴのむき出しあいは、二人ともみっともないです。


Violeta Urmana (Aida)
Roberto Alagna (Radames)
Ildiko Komlosi (Amneris)
Carlo Guelfi (Amonasro)
Giorgio Giuseppini (Ramfis)
Marco Spotti (King)
Antonello Ceron (Messenger)
Sae Kyung Rim (Priestess)

Conductor: Riccardo Chailly
Director and Set Designer: Franco Zeffirelli
Costume: Maurizio Millenotti
Choreography: Vladimir Vassiliev
Performed at Teatro alla Scala
Film viewed at Symphony Space, New York

*** ヴェルディ アイーダ Verdi Aida ***

最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
またしてもバレエネタ (naomi)
2008-07-27 23:46:22
こんにちは。改めてDVDを見直さなくちゃ、と思ったしだいです(笑)
ところで、今年のMETのラ・ジョコンダはアンヘル・コレーラが出ると聞いています。ABTのシティセンターシーズンの方は出ないみたいですが…。
返信する
きゃっほー!!! (Madokakip)
2008-07-29 13:06:32
 naomiさん、

もういきなりタイトルが奇声になってしまいましたよ!!
本当ですか?!アンヘルがまたジョコンダに出てくれるなんて、
私はとてもとても嬉しいです!!!

秋シーズンは出演なしということで、来年のABTメト・シーズンまで耐えられるように、
しっかりその雄姿を瞼に焼き付けてきます!!

はい、お忙しそうですが、ぜひお時間のあるときに、
『アイーダ』、カーテン・コールのシーンだけでもご覧になってみてください!
むしろ本筋よりも激しいドラマが展開されております(笑)。
返信する

コメントを投稿