萌えてばかりもいられない!

そんなに色々なことにやたらと深い造詣などいだけないから適当に綴っていこうかしらん

芥川賞の使い道

2012-02-07 00:47:30 | プチ萌え
最近、芥川賞受賞の時の会見のニュースの印象が残像をもってしまっていたので、久々に検索してみた。

「石原知事に逆襲」芥川賞の田中氏ノーカット会見(12/01/18)


2010年は西村賢太の「苦役列車」、去年はなくて、今年は田中慎弥の「共喰い」と円城塔の「道化師の蝶」。

西村賢太・田中慎弥、この両者はともに印象に残る会見で、ぶっとんでいた感じがしているが、両方とも読んでみたいかどうかはというと、、、読みたいような読みたくないような。。。。という感覚でしかない。生意気云ってすいません。。。

それよりも最近はこういう会見を開いてしまうと、コメンテーターとして面白そうなことを云う人という地位が与えられてしまいそうだ。



文学、しかも純文学、そもそもそういう作品を、私自身があまり読み慣れていないからかもしれない。どういうものが評価されるというのか?

村上龍の「限りなく透明に近いブルー」、綿矢りさ「蹴りたい背中」、町田康も受賞作の「きれぎれ」以外を読んだことがある程度。本当に読んでないなぁ。。。


日頃からそういう分野の本を読みつけている人とはどういう人なんだろう?
そしてこの作品が選ばれた!と聞いたら「わぁ~」とか「えぇ?」とか思うんだろうか?

日頃から感心がないと「へぇ~」以上の感情が沸かない。

雑誌の特徴を示しているサイト


上のサイトを見て思うのだが、こういうものを普段から読みつけている生活があるところにはあるのであろう。。。

図書館などで『へぇ~、世の中にはこんなにも沢山の雑誌が発刊されているのか』と思うことがあるが、それを読み続けている人々の中に、もちろん作家さんになる人が生まれ、でもほとんどの人は憧れるだけで終わっていくというサイクルが廻り続けているのだ。

文学界、文藝、、、小説新潮、、、、すばる、、、、群像、、、、読まないなぁ、、、、本当、、、、買ったこともないや。


でも、もし「俺の友達に芥川賞受賞の作家が居てさ。。。。」という言葉を巷で聞いたら?そんな会話をもし本当に聞いたら、その時は一体どう思うだろうか?

文学、一昔前のエンターテイメントの覇者。。。。
でも権威は権威だよなぁ。。。とか思うし。。。。
そりゃやっぱ、すげーなって思っちゃうかも。でも人間がすごいのではなくて作品が凄いってことに誤解が生じないように気をつけたいかな?

もし色々な雑誌を買っていたら、、、、『俺もあいつ注目しまくってたんだよ』とか思っちゃうのかな?それはそれで厚かましい感じだ。だがミーハーにもなっちゃいそうだな。
なのでこの状態なら、どこまでも知らないという態が一番しっくりくる。うん。作家のことなんかちっとも知らない。


にしても・・・・
普段は語らない作家が、いきなりニュースでほとんどの見知らぬ人に映る媒体で、いきなり喋るところから始まってしまう。。。。芥川賞・直木賞の受賞シーンばかりだが。。。


作家は作品の親だが、文体や表現力に最大限に高い評価を受けた人間でも、喋るという技術を纏っているわけではないと思うのだが、いつからかこれがパフォーマンスもできる人を求められているのかもしれない。と感じる。なんかこいつ面白いことを云ってくれないかな?とテレビニュースを放映する側も期待したりしていそうだし。。。視聴者である我々も期待している感じがする。。。


記者もそれを引き出すように質問の矛先を変えていく。

役者に台詞のようなコメントを求めても、それは脚本家さんが書いたものを表現する人なので、普段から面白いことを云っていたり、格好いい決めポーズで挨拶なんてしてないのにそれを期待しちゃうのに少し似ている。かな?


作品と同じくらい、面白くて斬新さの溢れた受賞の感想や独特な喜びの表現を!と期待している。。。


でもこの知識人に、ある種の閉塞感を打ち破るような斬新な言葉を吐き出して貰いたいという期待が世間にはあるんだろうなぁ。。。やっぱり・・・そこは役者に期待しているわけでもなく、表現者ではないが、優れた構成力を持つ脚本家、放送作家の資質くらいは備えているんだろ?と。
※作家はペンと紙を武器にした表現者ではあるが、基本パフォーマーではないと云いたいだけです。

なので、こういう権威ある賞を頂いたということは、「喋る機会をもらえるようになった」という証だとしていくのがいいかと思う。


なので作家さんは、いつか芥川賞をもらって、『云いたいことが云える』身分を手に入れて、『こういうことも、ああいうことも』全て云ってやる!というモチベーションでいるのが丁度具合がいいのであろう。


そういう野望を持って作家になる人っているかな?動機が不純?いや云いたいことに対する気持ちは間違いなく純粋なものでしょう。。。ね。



もう止めましょうよ。。。。と会見で何遍も呟いた田中慎弥。
まずは、サンジャポ辺りでお会いしましょう!
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カイロプラクティックに通っています。

2012-02-05 04:29:46 | 病気の履歴
業務に翻弄され、食欲まで無くしていた昨今。。。。

肩凝りも酷くて、家内から「なら背骨を診てもらえば?」と薦められていたので、最近カイロに通うことにした。

私の肩凝りの酷さとは、右手を動かすのが億劫になるほどで、会議の時とか肩の凝りが気になって仕方が無くなると首を回しながら徘徊し始めてしまうほど。
座ってジッとしていられないのだ。

川越時代のテレビ会議の時も同じような状態だったので、当時からカメラにそっぽを向かせて、自分はカラーバットを振り回していた。
今の職場にもカラーバットは用意しているのだが、会議中にバットを持って徘徊できるほど、自由ではない。。。。

電車の中で親指でグリグリとスマホの画面をいじくっている時などに肩凝りが発症すると、もう首をグリグリ回し続けるビートたけしのような状態に陥っていた。


貼るや塗る薬はかなりやったのだが、効き目はすぐに消えてしまう。


薦められたカイロはとても不思議なところ。ほぼ民家に併設された場所。(以前住んでいた所沢の家からの方が近い。)
以前、家内がどこの病院・整体に行っても尾骶骨が出ているようで調子が悪いというのを分かってもらえなくて、最後に訪れたこの先生に治してもらったということをしきりに云っていた。
この前も家内は首を痛め、寝るのも起きるのも大変だった時に診てもらって、今はすっかり良くなっている。


半信半疑ではあったが、肩凝り=整体?=カイロ?
この辺りは私にも上手く判別できないが、マッサージなどで身体を揉んでもらっても、一時的に気持ちよくても翌日には、その効能は取れてしまっていたので。。。。なら診てもらうかと予約を入れてもらった。


カイロプラクティック。。。まぁ治療法も含めて摩訶不思議なものであるが、脊椎を調整・矯正することで身体の本来の治癒力を引き出し。。。。という。。。。
まぁどこまで行っても信じるものは・・・・というレベルであることには変わりがない。


ただ、現在身体の調子は良くなり、肩の凝りも落ち着いている。

足を組まないこと、甘いものを摂らないこと、よく歩くことを勧められている。


もし詳しいことが知りたいという人がいたら、、、、、mac68615@goo.jpまでメールを頂ければ、返信でお応えします。ということで宜しいでしょうか?



新所沢にも有名な整体?(カイロ?)の先生がいるとか?
その先生、銀座にも開業されているそうですが、、、、4ヵ月毎の予約でキャンセルの隙間が生まれないと初診にも入れないほどの混雑ぶりだと聞いています。
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スマートフォン版のブログについて

2012-02-04 06:02:48 | 日々の疑問
サブタイトル:[ド・ド・ドリランド・・・・・おいっ!]


スマートフォンに替えて、以前より、PCよりも通勤時間などにスマホでブログをチェックすることが多くなった。

最近はほとんどのブログがスマホ版に対応した表示をしてくれていて、私の使っているgooなんか、タイトルを押せば記事本文が、コメントの数字を押せばダイレクトにコメントが見れるというかなりの優れものであることが判明している。

スマホに替えて面倒になったのはURLのコピー。
検索して検索結果からサイトに行き、ブックマークすることなどは容易く感じているのだが、URLのコピペ動作が長押しという普段使い慣れていない動作なため、キツイ。

だからコメントに自分のブログサイトのURLを書き込まないなんてことが日常化してくる。お互い知っている者同士の場合なら、別にどうでもいいことだったりするけど。。。

でも、初めてコメントを残す際にそれはない。
基本、自分のブログサイトのURLを書き込まないでコメントしたところで、無視されるか、気味悪がられるだけだろうと思っていて、スマホで見つけたブログへの書き込みは出来ない状態に陥るのだ。。。。これが結構都合が悪い。


いざとなればURLを書き込むしかないのだが、いつもwwwが入るか入らないかで悩んでしまう。

http://blog.goo.ne.jp/mac68615

今みたら、入らないことが判明。
次回からコピペ技術をものにするか、wwwが入らないことを念頭にダイレクトに書き込むことにしよう。

ところでスマホ版でブログを読んでいる際、とても邪魔なのが、広告の出現である。
これはネットに接続されるゲームでも下に表示されることがあり、イラッとするが、ブログの場合の出現位置が巧妙すぎて、ムカッと来てしまうことが多い。

大概のブログの場合、PCでは記事本文まで表示されているものが多いが、スマホ版では、タイトルばかりが上から新着順に並んでいることが多い。
そして一番上の新着記事を押そうとしたタイミングでその位置に広告が出現し、記事タイトルが全て一段、下に下がる(いちだん、したにさがる)という動作を仕掛けてくるのだ。
なので、新着記事を見ようと親指を記事タイトルにかけた瞬間、広告を押してしまい、広告のページにスライドしていってしまうことが頻発する。

この広告、ドリランドというゲームの場合が多く、頭に来る。

クリック広告なんて巧妙すぎるほど印象が悪くなるので、止した方がいいと思う。
yahooやlivedoorのページの右中上の位置にチロチロと見えているレベルが如何にも好感が持てる。

無理に触らされた広告ほど、無意味なものはない。憎しみさえ沸きかねない状態だ。


無料のアプリにはどうしても有料系への誘導が欠かせない。
宿命なのだろうがあからさまにそれをされれば腹が立ってしまいます。だって本当に邪魔だもの。。。

邪魔と思われることは本位ではないでしょう?
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緒方洪庵、適塾に思う、我がゼミの思い出

2012-02-02 07:38:48 | 懐かしい思い出
適塾では、蘭語の通読と質問を練り、次の者がこれに答えていくということを行い、成績の優秀なものから宿舎の畳のいい場所を占めていくのだそうです。なので、試験の前日などは行灯の火が消えない、全員徹夜での猛勉強をするのだそうです。
試験は塾頭と塾監という副長が執り仕切り、洪庵はある程度の教養のあるものだけに私見を述べていくのだそうです。

最後の部分はまるで大学院の部分ですね。

私の所属していたゼミでは、2年から3年にあがる頃に初めの洗礼が訪れます。春のゼミ合宿です。
これは本一冊を全員で勉強するのですが、各章を1名の新人が発表者プレゼンテーターに、先輩が二人でバックアップ(コメンテーター)を務めます。
この発表では質問が百出するのです。
分からないことは徹底的に質問して構いません。仮説を立てて、現在述べていることを踏まえた場合、どのような現象が起きると考えられるかなどについての質問がガンガン飛んできます。違うも違わないもないのですが、満足いく回答をし得ないといつまでも前でああでもないこうでもないと喋り続けることになります。もちろん、中には手助けをしてくれる同級生なども現れたりしますが、基本初日の3人は何時間も延々と前で質問に答えていくので、最終日に発表を控えた者などはその光景に慄いていきます。


この質問をかましてくれるのが、良く悪くもOB達です。遊びに来ているとばかり思っていた人達が、先生への挨拶もそこそこに会場に現れて(先生は会場にはいつもいない)、質問に質問を重ね、時にはOB同志で言い合いになったりしている。。。。
プレゼンテーター初め新3年生達で少なくとも回答をぶつけなければ、OBは納得しない。題材はマクロ経済ですが、経済も思想となんら変わりがない気がしてくる。。。
夏合宿は金融論、本ゼミは貿易論、サブゼミはミクロ経済。


いいプレゼンをしたものと、一番攻撃を受けてしまった者(発表時間が一番長かったもの)を全員の投票で決めて、合宿の打ち上げでフラフラになりながらその発表を聞くのです。
質問を聞き、聴講席で一緒に考え込んでいると、スラスラと答えを唱えている同期もいます。もちろん質問が意地悪なものも含まれるので厳しいことは厳しいのですが。。。。
中には質問そのものに矛盾があり、そういう想定は起こり得ないと結論付けることも必要になるのですが、一瞬では分からない。。。。何度もトイレに行く振りをして煙草を吸いながら頭を巡らす。。。。あぁ質問の起点が想定できる状態ではない!と気付く。
そんな光景を初日目の当たりにした最終日の発表者はもう徹夜を何日も続けることになるという状態になるのです・。

もちろんゼミの運営はゼミ生に任され、2年生の入ゼミ希望者の中から、定員までに絞り込むのも3年生たちが行う。
面接まではまだふざけた感じで質問しているのだが、人を選ぶという行為の重さに夜になって気づくのである。この作業、どこぞの会議室を一晩借り切って行うのであるが、これが掴みあいになるくらいの激論が戦わされる修羅場となる。縁故者の贔屓をやはり許さない環境になっていくのだ。平等を求める者たちがそういう行為を許さない。実は自分達もそういう形で落とされそうになったり選ばれたりしてきたのだということに気付き、中には泣き出してしまう者まで現れる。選んでもらえたことに対する感謝と落とされたかもしれない、ふるいにかけられたかもしれない身の上を思って。。。
そこでやっと思い至るのだ。人事とはとても辛い職業だと。


鍋島閑叟の教育哲学も凄まじかったらしいが、大隈重信はそれを忌み嫌っていたらしい。。。その風土は分からないでもないが、我がゼミは寝かさない。。。。でもみんな個性的だった(と思う)。規律の元に試験をされて振り落とされていたわけではないから。。。かな?

先生が高齢になり、退職されたので、今教授になっている先輩がゼミを引き継いでいるものの、どこかしら違うらしく、OB会は学校外で開かれていた。

最近はその仲間とも年賀状くらいになりつつあり、時には集まってみる?という話になるもののなかなか集まれないのが現状だ。
今でもメールなどで親交のあるものが何人かいるものの。。。学年が違うとどうしても。でも高校の同級が何人かいたので盆暮れには会える環境にはあるのだ。


先輩や後輩達とは、、、私は仕事柄、春合宿、夏合宿に集まれる状況になかったこともあり。。。先生の退職の会の時にやっと会えたという者がほとんどだった。

ただ、あの鮮烈な思い出を共有できる仲間としての共通した感情がお互いにあるので、時に学校外で行われていた集会でもすぐに打ち解けることが出来た。





以前、大村益次郎を題材にした「花神」を読んでいたとき(1年前)、思い出したことでした。
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