オークションから渡された商品を持って、「安くゲットできちゃった~☆彡」とか書くのか、よくやるわ。他に書くことないのかな…。
本当に「ブログに嘘書いて」どうすんだろ?
体験していないことを書いて、何が面白いんだろ?書くのに困ってたのかな?
ブログをしていた人が、ブログに唾を吐いてしまったら、もうお終いだな。
自分が商品を持っている写真を誰に撮らせたんだろ?
写真にはシャッターを押す必要があるのだが、自宅に不自然なアングルがあったら「誰と暮らしてんだ?」と思う。タイマー?まぁいいけど。
タレントには露出をしなくてはいけないというタスクでもあるのだろうか?
自身の宣伝に使うのとは訳が違う。お金をもらってやること自体が本末転倒なんだと思う。幇助でしょ?それってば。
試食してきました、でもない訳だよ。
ブログ、レビューがおちょくられた最大の侮辱だ。
ハイ、退場、退場。
まぁ、歴史は繰り返す。
テレビ番組がまずはそうだった。
情報番組が捏造をしてしまった。加熱した結果だったのだろう。
みんなが情報番組を嫌いになった。
それまでは、やれヨーグルトだ、ココアだ、白インゲンだと右往左往していた国民が一斉に反っぽを向いた。
でも落ちた後にはしっかりと対策を打って今では持ち直している。
過度に極端な煽りは影を潜めた。と思っている。
ただ、ランキングという類が恣意性が入りやすい問題は残った。
そこに食べログにもステルスだやらせだという話が持ち上がってしまった。
レート、ランキングという問題を根底から覆してしまう事態の発生だった。
認証や単なる平均点でないようにするなど対策が随分と打たれた。
今では自分も気になるお店をメモするのに便利に使っている。
ブログも口コミの発祥だったと思っていたが、こういう事件に発展してしまった。
宣伝なのか体験なのかは、タレントのブログでは元々区別が付きにくかったのだが、
それでも自分の好きなタレントの体験を追体験してみて、騙されてしまったという事態が待っているなどとは思ってもいなかった。
自分がタレントのブログで読んでいるのは、○○○の○○○○○○○○○風呂愚か、○○○○○○○の○○○○ワンダーランドくらいだから、家族の間抜けな話やプレイリスト、浦和の地方競馬の話とかしかだから、ほぼやってみたくなる体験とは無縁なのである。
自分の読んでるタレントと呼ばれる人達でもあまりしない、自分の商品を買って!と書かれていて、それを買ったら駄作だったというレベルではなくなってしまったわけだ。
おそらく、ブログは一見して、体験か未体験か、はてさて単なる情報整理か、お追従なのか、頼まれた宣伝なのかは確かに判断がし難い。
読んでいけば大体どういうブログを書いている人なのかは分かってくるので、腰を据えて読めばいいだけなのだが、グーグルでヒットしたブログでの一記事だけを読んだところでどうかはまだ分からない。
どうしたらそういうことを排除出来るのだろうか?
書く事よりも読むことの方での選別アクションが必要なのだと今は思う。のだが…。
試行錯誤の過程が見えないと多分信憑性に欠けた記事にならざるを得ない。
ブログにはしてもいないことを書いてしまえばコメントを受けた時に崩壊するのだから、嘘を書くということ自体が自殺行為に近い。
だから請け負ったことというのはブログでは元々御法度なのだ。
でもこうも思わなくてはいけない。
やはり世の中は善意だけで出来ている訳ではないのだと。
今回のケースは正しく(まさしく)騙そうとして仕掛けられたタイプのものだ。
お金になびいてしまう人達の人気というものに目をつけ、多くの人の目に触れさせられてしまえば、そこでの行為が人々を吸引してしまう。
コマーシャルは嘘だって分かっている。演技を見せて食べたいでしょ?欲しいでしょ?面白そうでしょ?行きたくなったでしょ?と誘引する。
でもこれはビジネスだと誰もが分かっている。
これが分かっていないのは基本子供だけだ。
福くんもやってる、あれ。俺もやってみたい!というタイプだ。
ブログを使うタレントは、一体何をしたいのだろう?
そういう職業の私生活に興味があるか?と云われれば、見たいような見たくもないような…。
見せびらかしたいのか?自慢したいのか?という話とも違うはずなのだが、安く利用したという嘘だけは確実にマズい。
社会問題になるのも良かったことだと思う。引っかかってしまった人にはお気の毒様としか云い様がない。この手口がいつまでも問題にならない方がマズい訳だし、ここで止まって良かった。
しかし、余波はブログ全体に及ぶ。
我々は疑われる存在になってしまった。
晴らすには地道にやるしかない…と思います。
あゝやんなっちゃった 牧 伸二
本当に「ブログに嘘書いて」どうすんだろ?
体験していないことを書いて、何が面白いんだろ?書くのに困ってたのかな?
ブログをしていた人が、ブログに唾を吐いてしまったら、もうお終いだな。
自分が商品を持っている写真を誰に撮らせたんだろ?
写真にはシャッターを押す必要があるのだが、自宅に不自然なアングルがあったら「誰と暮らしてんだ?」と思う。タイマー?まぁいいけど。
タレントには露出をしなくてはいけないというタスクでもあるのだろうか?
自身の宣伝に使うのとは訳が違う。お金をもらってやること自体が本末転倒なんだと思う。幇助でしょ?それってば。
試食してきました、でもない訳だよ。
ブログ、レビューがおちょくられた最大の侮辱だ。
ハイ、退場、退場。
まぁ、歴史は繰り返す。
テレビ番組がまずはそうだった。
情報番組が捏造をしてしまった。加熱した結果だったのだろう。
みんなが情報番組を嫌いになった。
それまでは、やれヨーグルトだ、ココアだ、白インゲンだと右往左往していた国民が一斉に反っぽを向いた。
でも落ちた後にはしっかりと対策を打って今では持ち直している。
過度に極端な煽りは影を潜めた。と思っている。
ただ、ランキングという類が恣意性が入りやすい問題は残った。
そこに食べログにもステルスだやらせだという話が持ち上がってしまった。
レート、ランキングという問題を根底から覆してしまう事態の発生だった。
認証や単なる平均点でないようにするなど対策が随分と打たれた。
今では自分も気になるお店をメモするのに便利に使っている。
ブログも口コミの発祥だったと思っていたが、こういう事件に発展してしまった。
宣伝なのか体験なのかは、タレントのブログでは元々区別が付きにくかったのだが、
それでも自分の好きなタレントの体験を追体験してみて、騙されてしまったという事態が待っているなどとは思ってもいなかった。
自分がタレントのブログで読んでいるのは、○○○の○○○○○○○○○風呂愚か、○○○○○○○の○○○○ワンダーランドくらいだから、家族の間抜けな話やプレイリスト、浦和の地方競馬の話とかしかだから、ほぼやってみたくなる体験とは無縁なのである。
自分の読んでるタレントと呼ばれる人達でもあまりしない、自分の商品を買って!と書かれていて、それを買ったら駄作だったというレベルではなくなってしまったわけだ。
おそらく、ブログは一見して、体験か未体験か、はてさて単なる情報整理か、お追従なのか、頼まれた宣伝なのかは確かに判断がし難い。
読んでいけば大体どういうブログを書いている人なのかは分かってくるので、腰を据えて読めばいいだけなのだが、グーグルでヒットしたブログでの一記事だけを読んだところでどうかはまだ分からない。
どうしたらそういうことを排除出来るのだろうか?
書く事よりも読むことの方での選別アクションが必要なのだと今は思う。のだが…。
試行錯誤の過程が見えないと多分信憑性に欠けた記事にならざるを得ない。
ブログにはしてもいないことを書いてしまえばコメントを受けた時に崩壊するのだから、嘘を書くということ自体が自殺行為に近い。
だから請け負ったことというのはブログでは元々御法度なのだ。
でもこうも思わなくてはいけない。
やはり世の中は善意だけで出来ている訳ではないのだと。
今回のケースは正しく(まさしく)騙そうとして仕掛けられたタイプのものだ。
お金になびいてしまう人達の人気というものに目をつけ、多くの人の目に触れさせられてしまえば、そこでの行為が人々を吸引してしまう。
コマーシャルは嘘だって分かっている。演技を見せて食べたいでしょ?欲しいでしょ?面白そうでしょ?行きたくなったでしょ?と誘引する。
でもこれはビジネスだと誰もが分かっている。
これが分かっていないのは基本子供だけだ。
福くんもやってる、あれ。俺もやってみたい!というタイプだ。
ブログを使うタレントは、一体何をしたいのだろう?
そういう職業の私生活に興味があるか?と云われれば、見たいような見たくもないような…。
見せびらかしたいのか?自慢したいのか?という話とも違うはずなのだが、安く利用したという嘘だけは確実にマズい。
社会問題になるのも良かったことだと思う。引っかかってしまった人にはお気の毒様としか云い様がない。この手口がいつまでも問題にならない方がマズい訳だし、ここで止まって良かった。
しかし、余波はブログ全体に及ぶ。
我々は疑われる存在になってしまった。
晴らすには地道にやるしかない…と思います。
あゝやんなっちゃった 牧 伸二
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます