最近、芥川賞受賞の時の会見のニュースの印象が残像をもってしまっていたので、久々に検索してみた。
「石原知事に逆襲」芥川賞の田中氏ノーカット会見(12/01/18)
2010年は西村賢太の「苦役列車」、去年はなくて、今年は田中慎弥の「共喰い」と円城塔の「道化師の蝶」。
西村賢太・田中慎弥、この両者はともに印象に残る会見で、ぶっとんでいた感じがしているが、両方とも読んでみたいかどうかはというと、、、読みたいような読みたくないような。。。。という感覚でしかない。生意気云ってすいません。。。
それよりも最近はこういう会見を開いてしまうと、コメンテーターとして面白そうなことを云う人という地位が与えられてしまいそうだ。
文学、しかも純文学、そもそもそういう作品を、私自身があまり読み慣れていないからかもしれない。どういうものが評価されるというのか?
村上龍の「限りなく透明に近いブルー」、綿矢りさ「蹴りたい背中」、町田康も受賞作の「きれぎれ」以外を読んだことがある程度。本当に読んでないなぁ。。。
日頃からそういう分野の本を読みつけている人とはどういう人なんだろう?
そしてこの作品が選ばれた!と聞いたら「わぁ~」とか「えぇ?」とか思うんだろうか?
日頃から感心がないと「へぇ~」以上の感情が沸かない。
雑誌の特徴を示しているサイト
上のサイトを見て思うのだが、こういうものを普段から読みつけている生活があるところにはあるのであろう。。。
図書館などで『へぇ~、世の中にはこんなにも沢山の雑誌が発刊されているのか』と思うことがあるが、それを読み続けている人々の中に、もちろん作家さんになる人が生まれ、でもほとんどの人は憧れるだけで終わっていくというサイクルが廻り続けているのだ。
文学界、文藝、、、小説新潮、、、、すばる、、、、群像、、、、読まないなぁ、、、、本当、、、、買ったこともないや。
でも、もし「俺の友達に芥川賞受賞の作家が居てさ。。。。」という言葉を巷で聞いたら?そんな会話をもし本当に聞いたら、その時は一体どう思うだろうか?
文学、一昔前のエンターテイメントの覇者。。。。
でも権威は権威だよなぁ。。。とか思うし。。。。
そりゃやっぱ、すげーなって思っちゃうかも。でも人間がすごいのではなくて作品が凄いってことに誤解が生じないように気をつけたいかな?
もし色々な雑誌を買っていたら、、、、『俺もあいつ注目しまくってたんだよ』とか思っちゃうのかな?それはそれで厚かましい感じだ。だがミーハーにもなっちゃいそうだな。
なのでこの状態なら、どこまでも知らないという態が一番しっくりくる。うん。作家のことなんかちっとも知らない。
にしても・・・・
普段は語らない作家が、いきなりニュースでほとんどの見知らぬ人に映る媒体で、いきなり喋るところから始まってしまう。。。。芥川賞・直木賞の受賞シーンばかりだが。。。
作家は作品の親だが、文体や表現力に最大限に高い評価を受けた人間でも、喋るという技術を纏っているわけではないと思うのだが、いつからかこれがパフォーマンスもできる人を求められているのかもしれない。と感じる。なんかこいつ面白いことを云ってくれないかな?とテレビニュースを放映する側も期待したりしていそうだし。。。視聴者である我々も期待している感じがする。。。
記者もそれを引き出すように質問の矛先を変えていく。
役者に台詞のようなコメントを求めても、それは脚本家さんが書いたものを表現する人なので、普段から面白いことを云っていたり、格好いい決めポーズで挨拶なんてしてないのにそれを期待しちゃうのに少し似ている。かな?
作品と同じくらい、面白くて斬新さの溢れた受賞の感想や独特な喜びの表現を!と期待している。。。
でもこの知識人に、ある種の閉塞感を打ち破るような斬新な言葉を吐き出して貰いたいという期待が世間にはあるんだろうなぁ。。。やっぱり・・・そこは役者に期待しているわけでもなく、表現者ではないが、優れた構成力を持つ脚本家、放送作家の資質くらいは備えているんだろ?と。
※作家はペンと紙を武器にした表現者ではあるが、基本パフォーマーではないと云いたいだけです。
なので、こういう権威ある賞を頂いたということは、「喋る機会をもらえるようになった」という証だとしていくのがいいかと思う。
なので作家さんは、いつか芥川賞をもらって、『云いたいことが云える』身分を手に入れて、『こういうことも、ああいうことも』全て云ってやる!というモチベーションでいるのが丁度具合がいいのであろう。
そういう野望を持って作家になる人っているかな?動機が不純?いや云いたいことに対する気持ちは間違いなく純粋なものでしょう。。。ね。
もう止めましょうよ。。。。と会見で何遍も呟いた田中慎弥。
まずは、サンジャポ辺りでお会いしましょう!
「石原知事に逆襲」芥川賞の田中氏ノーカット会見(12/01/18)
2010年は西村賢太の「苦役列車」、去年はなくて、今年は田中慎弥の「共喰い」と円城塔の「道化師の蝶」。
西村賢太・田中慎弥、この両者はともに印象に残る会見で、ぶっとんでいた感じがしているが、両方とも読んでみたいかどうかはというと、、、読みたいような読みたくないような。。。。という感覚でしかない。生意気云ってすいません。。。
それよりも最近はこういう会見を開いてしまうと、コメンテーターとして面白そうなことを云う人という地位が与えられてしまいそうだ。
文学、しかも純文学、そもそもそういう作品を、私自身があまり読み慣れていないからかもしれない。どういうものが評価されるというのか?
村上龍の「限りなく透明に近いブルー」、綿矢りさ「蹴りたい背中」、町田康も受賞作の「きれぎれ」以外を読んだことがある程度。本当に読んでないなぁ。。。
日頃からそういう分野の本を読みつけている人とはどういう人なんだろう?
そしてこの作品が選ばれた!と聞いたら「わぁ~」とか「えぇ?」とか思うんだろうか?
日頃から感心がないと「へぇ~」以上の感情が沸かない。
雑誌の特徴を示しているサイト
上のサイトを見て思うのだが、こういうものを普段から読みつけている生活があるところにはあるのであろう。。。
図書館などで『へぇ~、世の中にはこんなにも沢山の雑誌が発刊されているのか』と思うことがあるが、それを読み続けている人々の中に、もちろん作家さんになる人が生まれ、でもほとんどの人は憧れるだけで終わっていくというサイクルが廻り続けているのだ。
文学界、文藝、、、小説新潮、、、、すばる、、、、群像、、、、読まないなぁ、、、、本当、、、、買ったこともないや。
でも、もし「俺の友達に芥川賞受賞の作家が居てさ。。。。」という言葉を巷で聞いたら?そんな会話をもし本当に聞いたら、その時は一体どう思うだろうか?
文学、一昔前のエンターテイメントの覇者。。。。
でも権威は権威だよなぁ。。。とか思うし。。。。
そりゃやっぱ、すげーなって思っちゃうかも。でも人間がすごいのではなくて作品が凄いってことに誤解が生じないように気をつけたいかな?
もし色々な雑誌を買っていたら、、、、『俺もあいつ注目しまくってたんだよ』とか思っちゃうのかな?それはそれで厚かましい感じだ。だがミーハーにもなっちゃいそうだな。
なのでこの状態なら、どこまでも知らないという態が一番しっくりくる。うん。作家のことなんかちっとも知らない。
にしても・・・・
普段は語らない作家が、いきなりニュースでほとんどの見知らぬ人に映る媒体で、いきなり喋るところから始まってしまう。。。。芥川賞・直木賞の受賞シーンばかりだが。。。
作家は作品の親だが、文体や表現力に最大限に高い評価を受けた人間でも、喋るという技術を纏っているわけではないと思うのだが、いつからかこれがパフォーマンスもできる人を求められているのかもしれない。と感じる。なんかこいつ面白いことを云ってくれないかな?とテレビニュースを放映する側も期待したりしていそうだし。。。視聴者である我々も期待している感じがする。。。
記者もそれを引き出すように質問の矛先を変えていく。
役者に台詞のようなコメントを求めても、それは脚本家さんが書いたものを表現する人なので、普段から面白いことを云っていたり、格好いい決めポーズで挨拶なんてしてないのにそれを期待しちゃうのに少し似ている。かな?
作品と同じくらい、面白くて斬新さの溢れた受賞の感想や独特な喜びの表現を!と期待している。。。
でもこの知識人に、ある種の閉塞感を打ち破るような斬新な言葉を吐き出して貰いたいという期待が世間にはあるんだろうなぁ。。。やっぱり・・・そこは役者に期待しているわけでもなく、表現者ではないが、優れた構成力を持つ脚本家、放送作家の資質くらいは備えているんだろ?と。
※作家はペンと紙を武器にした表現者ではあるが、基本パフォーマーではないと云いたいだけです。
なので、こういう権威ある賞を頂いたということは、「喋る機会をもらえるようになった」という証だとしていくのがいいかと思う。
なので作家さんは、いつか芥川賞をもらって、『云いたいことが云える』身分を手に入れて、『こういうことも、ああいうことも』全て云ってやる!というモチベーションでいるのが丁度具合がいいのであろう。
そういう野望を持って作家になる人っているかな?動機が不純?いや云いたいことに対する気持ちは間違いなく純粋なものでしょう。。。ね。
もう止めましょうよ。。。。と会見で何遍も呟いた田中慎弥。
まずは、サンジャポ辺りでお会いしましょう!
記事にしてみたら、気になる気になる。。。そして買っちゃいました、数冊。。。
買ったのは短編なので、すぐに読めるのですが、心に残る文章がそこかしこに。。。。
ただ、題材は実も蓋もない生活と精神背景と過去のお話だったんですけど。。。。
もう少し読み進んだら感想でも掲載しようと思います。
ニートでヒキコモリの星なんでしょうか?この田中さん。。。。貰っといてやる。。。かぁ。
これ他の類の機会に使ったら不敬になるんでしょうが、こういういわゆる狭い世界の中では”いつか誰かが云っちゃってもいい”として待たれていた台詞だったのかもと思います。
絲山秋子も、芥川賞受賞決定後のどこぞの会だかで、芥川賞選考委員の高樹のぶ子さんに「あんた、誰?」と聞き、他にも不用意な発言で激怒させた山田詠美に帰り際「おぼえてろよ」と捨てぜりふを吐かれれば、「お前もな」と言い返したという武勇伝の持ち主だとか。
少し神経が逝っているくらいが文壇には似つかわしいかもしれません。(笑)
昔は綿矢りさが19歳で最年少受賞した時、こうでなくちゃと思ったのに、今でもすっかり異質な感情が沸いています。
本、出版業界の未来がデジタルの波の中で危ぶまれていますが、どんな形であれ、市井の人である私なんかには、文章に触れ続けられる機会がいつまでもなんとか残り続けられることを祈っています。
でも・・・出版業界にそういうビジネスとしての未来を考えられるかは心配。。。どんな本が売れるか、どんな話題が飛びつくか、という条理にだけに従って舵取りしてきたからなぁ。。。。
芥川賞は〇〇さんの■■という作品ですって聞いても、「ふ~ん」って感じかな、私。
もし知人に芥川賞作家がいると聞いても、「あ、そ~なんだぁ、凄いねぇ」って感じかな?
この田中さんだっけ?この人、凄くシャイな方なんじゃないかな?と思うんだよね。
18歳から外出せず、家にこもって書いていたんでしょ?パーティなどであったというコメンテーターさんの話だと、大人しくて、腰の低い人って言ってたよ。会見の時は、赤ワインを2杯ひっかけてたから、ちょっとテンぱちゃってって言ってたけど、面白い人だな~と思うな、この人。
気になったですか?
だったら買って読んでみるべき!
個性的な文章かも?と思ったり、独特な作者の生活風景、活動風景が頭を過ぎったら(よぎったら)、それはもう読んでみるべしですよ。とあさん!くだらない!とも傑作だ!も読まなければ始まらないんだし。。。。
私もこんな記事を書いてしまったことで、気になって気になって仕方が無くなり、でも「共喰い」はあらすじを聞いただけで受け付けられなかった(殴る性癖を気がついたら自分もしていた子供の葛藤ってだけで『それはいいや』と思ってしまった)ので、別の物を購入しました。本当は「神様のいない日本シリーズ」という作品が気になったんですけどね。今回は「切れた鎖」という文庫を買いました。
他にも絲山秋子の作品も気になりだし、これも芥川賞受賞作品ではない、(けど候補作品の)、イッツ・オンリー・トークを購入してしまいました。
気になると止まらなくなるのが私の悪い癖といえば癖でして。。。。
すごーく独特でしたね(笑)
毒吐くかと思えば、「もうやめましょうよ」と
言ったり…マスコミ嫌いなのかしら?
なかなか個性的な人でしたよね~
どんな文章書くんだろう???