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マリバール 文集・ギャラリー

1月17日 映画『愛の流刑地』,ジェイソン君,『おまた』

2007-02-12 07:51:50 | 抱茎亭日乗メモ
 映画『愛の流刑地』は良かった。トヨエツも、寺島しのぶも、大変いい。
寺島しのぶが豊川悦司は手に色気がある、指が綺麗と言ってたが、私もトヨエツの指が大好き。
指の綺麗な男が好き。男の手・指は重要なポイントだ。

映画はいい。
ただ、拘置所?とか、あんなかしら? 金網なの? 裁判シーンもリアリティに欠ける。
陣内孝則の弁護士はテレビのドタバタドラマみたいだし、長谷川京子の検事もかなり無理がある。
そういうところがリアルじゃないと、主人公の「至高の愛」度も低くなってしまう。

しかし「ありゃ?」と思ういくつかも、トヨエツと寺島しのぶが圧倒的に息が合っていることにより「おりゃあ!」とねじ伏せられてしまった、という感じ。

物語的にも、私は少女の頃から愛する人に殺されたい願望があるので、かなり入り込んで見てしまった。

と、友人にメールを送ったら、

> でも、あの彼女は子供たちと夫がいなかったとしても愛に殺されたい、と思ったかしら?何となく逃避(どちらにも生きられない)に思うの。家庭を捨てて作家と同棲して欲しかった。あるいは、恋を捨て家に戻って欲しいわ!

と言われて

「なるほど。確かに、作家には妻子もないし(離婚して子供は元妻と暮らしている)、飛び込めばいいんですよね。
生かされる限り不幸さえ必死で生き抜きたい、と思う一方、幸せの絶頂で散りたいという願望もあるんですよね。それをやっちゃうのは勝手な逃避ですね。」

そう、確かに。裁判で絶叫する(これもウーン、今時のテレビドラマっぽい!)夫は、演じた中村トオルが「愛のない流刑地に終身刑で置き去りにされたような役。しかも足元には子供が3人」という悲惨な目に遭わされる。

でも私は肯定派。
比べるのは変かもしれないけれど、『ベティー・ブルー』は男が耐えられずに殺してしまい、『ミリンオンダラー・ベイビー』は女が耐えられずに殺してくれと言う。
「愛ルケ」は、不幸や悲惨に耐えられないからではなく、幸せだから殺してと言い、殺した方は「選ばれた殺人者だ」と確信する。おめでたい、いい話じゃないの。
『髪結いの亭主』なんて、幸せに耐えられず、勝手に死んじゃうんだから。
しかし、この3本の映画も私は大好きだ。

 昨日、好きな人の許へと旅立ったジェイソン君。
一昨日は「パッキング中です」、昨日は「これから行ってきます」と電話があり、今日は「着きました」と国際電話。
しかし「来たのは間違いだったかも」などと言い出す。相当ナーバスになっている様子。
励ます。でもあまり勝算はないと見ている私。
どちらかというと「当たって砕けろ!」という思い。

「頑張って下さい! ジェイソンさん、But don't kill her! Love her! ね!」 
と言ったら
「No, no! 殺さない」。

私が、ジェイソン君に殺しちゃダメよ、と言ったのは「愛ルケ」他映画とは関係なし。
会いに行って自分の思いが通じなくても、夫を殺したカオリンとか妹を殺した歯科大浪人生のように、頭に来て相手を殺したりしないでね、という意味だ。

ここまでジェイソン君には説明できなかったけど、まあ、余計なことだろうからいいや。

 「愛ルケ」の後、雨が降ってるのでどうしようかな、と思いつつ今年初『おまた』。
東久留米に住んでいて、都内ホテル勤務の男性とお話。最近のホテル業界事情話。
面白かった。

 恋人は気付いていないかもと思ったので「今年はまだ二人で(略)してないね」と言ったら、早速、ということになる。
ワーイ。