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マリバール 文集・ギャラリー

デート療法

2006-05-31 03:57:08 | 抱茎亭日乗メモ
 GWに勃発した卵管の痛み、炎症は完治した模様。
ご心配おかけしました。メールを下さった方々、どうもありがとうございます。

点滴も効いたけど、やはり愛の力は大きい。恋人の存在は支えになる。
フラフラでも会えば元気になった。

終わらない仕事をほっぽり出してデート、翌早朝病院、自宅に着替えに戻り出勤、前日のツケで終わらない仕事を日付が変わるまで……。
これでも数値は正常に戻るんだから、デート療法だわ。

志茂田影樹

2006-05-29 23:06:56 | 抱茎亭日乗メモ
先ほどNHKに志茂田影樹が出ていた。私似ているかなあと改めてじっくり見てみた。
色使い、受け口は似ているが、私は動物柄、鳥の柄の服は絶対着ない。
そしてがっかりなのは話が全く面白くない!
やはり私は目標大屋政子ちゃんでいきますわー。にっこり。

母友登場

2006-05-29 03:42:04 | 抱茎亭日乗メモ
 母の絶縁状を私の恋人に見せる。
「何を怒っているのかわからないね」と恋人。
子供の頃からの私と母、父との関係、夫婦仲などについて話す。

恋人にどうして父親と私の仲が悪かったのか、と聞かれて
「反抗期がそのまま継続しちゃった感じかな」と言ったのだが、改めて考えてみると酒と左翼的?子育てが原因ではないかと思う。
父はよく、「怒らないから話せ」と言って何時間も私を問い詰めた。
黙っていると「殴らなければわからないのか」「わからないらしいな」と脅した。
私は「殴られたってわからねえよ、ばーか」と思いながら黙って泣いていた。
そして母と父は「何が悲しくて泣いているんだ?」と追及し続ける。いよいよ殴られる。
これって、査問だよなあ。

そして言ってることとやってることが違うというのも左翼っぽい。
母宛の手紙を開封してしまったことを「プライバシーの侵害」と言って激しく責めた父親は、ずっと私の日記を盗み読みしていた。
母は「あんた、何月何日にどこで何をしていたか言いなさい」と査問。
「何も。家にいたよ」
「嘘いいなさい!あんたを見たって教えてくれた人がいるのよ!」
私の悪事を責めたい母も日記を盗み読みしていた。
私が涙ながらに「日記を読んだんでしょう?」と訴えても「そんなことは絶対しない」と認めなかった。

酒を飲んではからまれて、殴られて、そして、やつらは覚えていない。
私は執念深く覚えていて、許さない。

「親子なんだから」「子供が心配でしょうがないから」「許すことが愛」などはよく聞くセリフだが、私は全く不同意。
そういう「情緒的常識」を持たないように育てられたことは逆に感謝している。
親を憎悪すること、好きではないことに罪悪感を感じていたら私は酷い精神障害を負ったと思う。
今も病んでいるという考え方もあるか?

 母は、私が恋人を紹介しないのが不満らしい。
「あんたは潤いがないから男にもてない」と言っていた母としては
「潤いたっぷり、って彼に言われたわ」などと聞くと面白くないのだ。

 27日T叔父に絶縁母について報告メールをしたら

> 冷却期間をおいて真に反省するまで待つしかないと考える。

と返信が来た。あの母が反省などするだろうか。

 28日夜、母から電話。と思ったら声は母の友人のTさんだった。
「今ね、お母さんと一緒に箱根に来てるのよ」
「そうなんですか」
「身体はどう?」
「大丈夫です」
「仕事は忙しいの?」
「はい。これからもっと忙しくなると思います」
「そう。お母さん心配してるわよ」
「そうですか」
「電話してあげて」
「いやです」
「親子なんだから」
「いや、母から縁を切られたんで、親子じゃないです」
「そういう風に言っちゃって、手紙も勢いで書いちゃったみたいだけど」
「いろんな人を巻き込んで迷惑かけてすみません」
「全然そんなのいいんだけど、お母さん落ち込んでるから」
「母が自分で言ったこと、やったことですから。自ら招いた結果だと認識して欲しいです。私は撤回するというなら話は聞きますが、自分からは何もしません。仲介して下さっているのに申し訳ないです。」
なんてとげとげしい言葉は心優しいTさんには言いたくないのだが。

母は冷たい娘の仕打ちに傷ついて落ち込んで、私に「がんだと受け止めろ」とか「(約束した)お金は払わない」とか「あんたの彼はおかしい」とか酷い事を言ったとはこれっぽっちも思っていない。
T叔父が母の夫(私の父親)を「寄生虫」と言ったのだって、あんたの言う「勢い」だってことをわかっていない。
母は働いてT叔父を大学に行かせたことを恩に着せて威張っているが、T叔父だって何を言われてもヘラヘラしていなきゃいけないわけではない。
「そういうことを思い浮かべもしないところがお母さんは傲慢だ、ずうずうしい」と言った私に「意見をしてさぞ気持ちいいことでしょう」などと言ってるところが、最低(これも母がよく人に対して言う言葉)だ。

さて、次は誰を巻き込むんだ?止めてほしいのだが。
「そのうち俺に言ってくるんじゃない?」と恋人。勘弁して。

予想は『檸檬屋新宿』住枝さん?効果ないだろうなあ。

太古八で釣る母

2006-05-27 21:16:51 | 抱茎亭日乗メモ
絶縁状を叩きつけたからにはしばらくは静かになるかと思ったがさにあらず。
目白「太古八」の女将さんから夕方電話があり、「お母様いらしてるわよ。時間あったら来れば?」
母が頼んだに違いない。
「行きません。母には縁切りされたので」。
「そうですってね。聞いたわ。でも親子だからね」と女将さん。
また「あの子は冷たい!」と騒いでいるのだろうか。いろんな人を巻き込んで、申し訳ない。「ご迷惑かけてすみません」と謝る。
もーう!太古八で釣ろうというのが浅はかだ。
ぎゃあぎゃあ言われに誰が行くか。
発言を撤回して詫びを入れたいと言うなら聞くが。
しかしそれも2回目だから、はい了解、とはいかない。
「言ってはいけないことがある」と言った母に自らの言葉の意味を正確に理解して頂こう。

絶縁状

2006-05-26 02:52:05 | 抱茎亭日乗メモ
 23日仕事中に縁切り母から電話があったが出られず、その後連絡しなかった。
23日は慶應病院に行くつもりだったが仕事の都合で予約を変更した。
母は検査の結果を聞こうと電話を寄越したのかもしれないが、縁を切ったんだから病気になろうが死のうが知ったこっちゃないのでは?

と思っていたら縁切り母から手紙が届いた。可愛らしい桜の封筒と便箋で。

 前回母が縁を切ると言ったときは、私が「さようなら」と手紙を書いた。
今度は縁切り母が先に謝ってきたのか?と思ったら、捨て台詞を便箋4枚にしたためた絶縁状だった。

 日本習字学会理事を父に持つ母の字は激しい崩し字で、判読不明文字頻発。
校正者泣かせだ。

「真理様
この間の“おまた”での貴女の父親に対する考えがよく解りました。T(母の弟)と同意見ということも身に沁みて解りました。
私の貴女に対する思い、TがY(母の夫、私の父親)に対する思いが良く解り人間とはこういうものかということが70歳を越えて良く解りました。
私(母)はすべてを良く良くと考え行動してきましたが、我娘にもその私の心の一端も理解してもらえない事、また理解してくれる事を望む自身がこの上なく悲しく淋しく思いますが、その様に心ない娘に育てた私です。この際、親子の縁を切り、すっきりしないと私がうつ病にかかり冷たい娘にこれ以上迷惑をかける事は忍びない事です。
宮崎学様にはいつも私(母は元気か)とのお声をかけて下さる事に心より感謝しております。今日で貴女との永遠の縁切りとします。
貴女も身体が第一病気になっても世の中誰れも助けてくれません。
自身を大切に最○(判読不明)は“本人のみ(破線付)”、誰れも助ける事は出来ないのです。

くれぐれも大事に若いが故に“がん”は進行するのです。それを素直に受け入れない貴女が母は悲しく淋しく思いました(?判読不明)
でも今回のことで親子の縁は切り生死に関係なく貴女の望む通りにしましょう。

人間はお互い信じ合い愛し合い、尊敬できなくなったら、全て終りです。さようなら

二度と貴女とは話し合う事などないと思います。
宮崎学様に最後までお世話になりました事を感謝致しております。
私から宜しくお伝け(え?)お願い申し上○○○(げます?判読不明)

追伸
母の70年の人生は何だったのか。○○(深く?)思い一人で苦しみ○(恨?)みどうしようも○○○涙にくれ解決の道もとざされどうする事も出来ません。
貴女は母に意見をしさぞ気持ちいいでしょう。
最○(后?)にこういう形で話合いもとざされた事を心より悔やんでおります。
でも話合いをもつ真理でない事が昨日はっきりと解りました。
貴女も母を捨てしっかりと生きて下さい。

70年生きた○(恐?怒?悲?)しい母より本当に さようなら」

まるで悲劇のヒロインですな。自分から縁を切ると言っておいて「話合いも閉ざされ」って、あんたが「もう話さない」って言ったんだろうが!
私が「ガン」だと決め付けてるし。好きにしてくれ。

しかし、昨年夏母と塗装工のトラブルの際助けて頂いて以来ずっと、会う度心配してくれた宮崎さんに、伝言だけかよ、とは思う。
カンパぐらいしろよ。

無常

2006-05-22 21:18:07 | 抱茎亭日乗メモ
 縁切り母は別れ際、「あんたは変わったわね。ものすごくいやな女になったわ。(略:元内縁夫)君と付き合っていたころはこんなじゃなかった」
と言った。
母への態度は無意識のうちに変わったかもしれない。
というか、人間関係、恋愛に対する考え方は意識的に変えた。

内縁関係解消後「フリーラヴ」宣言。
男に優しくをモットーに、ナンパ大作戦を展開し……って結局ナンパはしてないけど、生涯のパートナーだと思っていた人を失って、この関係を失ったら生きていけないだろう、と思っていたのに結構楽しくやっていけたりするものだった。

この別離、悲しみ、大きな傷を、受け止め乗り越えたからには、もはや失うことを恐れる関係などない。
男だけではなく、一番親しく深い付き合いだと思っていた友人との決裂も何度も経験して、すっかり慣れっこに。

昔は来るものは拒まず、去るものを追い、まだ来てない人を呼ぶ、って感じだった。
今は来るものを拒むこともあるし、去るものは追わず、好きな人だけを追い、かな。

 母が「変わった」というのは私の態度で、前は言わなかったことを言う様になったのかもしれない。
母に対する気持ち、不満は変わっていない。

人も人対人の関係も無常なのであって、私にはよくわからないが、母も変わったのだろう。
母は私だけが変わったと思っている。そこが母の間違い。
関係が変わったのには自分にも原因があると、決して考えが及ばないところが図々しい。

母は「潤いがない、冷たい」と言って私を変えようとするが、私は母の望むようには変わらない。
人や人との関係を変えたいならまずは自らを変えるべきだと、気づいてないところがダメだ。

私は母を変えたいとか変えられるとは思っていない。
だから潤いのない冷たい言い方を変えるつもりもない。
私は母との関係をどうしたい、という思いはないので、母の言葉に反応するだけ。
私の潤いのない冷たい物言いは母の言動の鏡でしかない。

昨日、母が電話を寄越し
「T(母の弟)に鍵を返すようにメールを書いて頂戴!それでね…」
と命令してきた。
「いやです」
と言って切る。

縁を切った娘に用を言いつけるなよ。

会社の人は「1日で縁切り解消ですか、仲いいですね」などと言っているが、母は撤回していないのだから、縁は切れている。
母じゃなくて「元母」か。

決裂

2006-05-21 05:46:42 | 抱茎亭日乗メモ
 16日から19日まで点滴通院しつつ、なかなかハードな生協カタログライター仕事は休まず。
通院時間の分遅くまで働いて、かなりしんどい日々が続いたが、痛みはだんだん引いてきた。

あとは「愛」による癒し。いつもにも増して恋人の存在は有難い。心強い。
愛の力で病と闘うのだ。おほほほ。

 病気だからか、こんなことを考えるのはヘン?と思うが、極普通なことかもしれない。
怪しげな宗教の教祖とか自称占い師とかいんちきカウンセラーとかがやる「治療」や「施術」。
それが「わいせつ」や「強姦」になるのは、合意がないからで、望んで受ける人も中にはいるんだろう。

何人もの女性と結婚生活をしていた男が、女性を脅していたことを認め、「全員家に帰す」と言ったとニュースでやっていたが、多分何人かは残るんじゃないかと思う。

 母から電話があって、また毒気に当って病気がぶり返したら嫌だなあと思いつつ、会うことになる。
目白『太古八』は満席で、池袋『おまた』。

おまた兄に「この子は切り口上。潤いがない。」と母。
「恋人に聞いたら『潤いたっぷり』って言われたわ」と私。
「その彼はおかしい」
「お母さんは人のことを『潤いがない、冷たい』って言うけど、どうして潤いのない言葉しか聞けないのか、なぜ冷たくされるのか考えないところが人としておかしい」
「私は皆に愛されているの。あんたがおかしい」
「皆、いい人なの。優しいの。大人なの。だから言わないの。でも本当は嫌なの。嫌いなの」
「うるさい」
「うるさいのはお母さん」
「あんたと話してると疲れる」
「それはこっちのセリフです」
「もう話さない」
「はい、どうぞお好きに」

そして、母が弟のT叔父と、先日再び決裂した話。
「TはYさん(母の夫、私の父親)を『寄生虫』と言った。兄弟も職場の人も皆そう思ってると言った。許せない」
「それは売り言葉に買い言葉でそう言ったんじゃないの?」
「そんなことない」
「実際思ってる人もいるんでしょう。別にいいじゃん、人がなんと言おうと」
「あんたはTの言うことを信じるわけ?」
「信じるとかいう問題じゃないでしょう」
「もういい、あんたがどういう人間か、よくわかったからもう話さない。家族のことなんてどうだっていいんでしょう」
「そんなこと言ってない」

母は6月18日に親戚らを招集して私にも来いと言った。
「テーマは何なの?」と聞いてみた。
私はもしかしたら新座に帰って母と一緒に住めと親戚中から説得されるのではないかと思っていた。
「久し振りに集まろうって話よ。Tは呼ばない。でもTの息子は呼んだ」
「へんなの」
「あんたは来ないわけ?」
「来て欲しければ行くけど」
「私は命令なんかしない」
「したじゃん。『空けといて』って言ったじゃん」
「来たくないならこないでいい」
「行かなくていいなら行かない。来て欲しいなら行く」
「そんなの自分で決めなさい」
「頼まれれば行く。必要ないなら行かない」
「あんたはTと一緒ね!縁切りよ縁切り!」
「ああそうですか」
「家賃も出さない、歯の治療費も出さない」
「酷い。約束したのに」
「縁を切るんだから。二度とお金を無心しないで」
「はい。解約します」

父親の姉に怒られた話をする母。
「あんたがYさんの見舞いに最後まで来なかったのはなんでかって私に言うのよ」
「そんなのお母さんに聞いても知らないよねえ」
「そう、だから直接聞いてくれ、って言ったの」
「まあ、叔母さんとしては、お母さんに対してどういう育て方をしたんだ、ってことなんでしょう」
と、私が分析などしているから母はがっかりするんだろう。
これは叔母の言葉を借りた母の、私への非難だ。
「姑根性よね」と母。
「お母さんも一緒だよ」
「何よ、どこが一緒なの、言ってごらん」
もう面倒臭いので言わない。

私は父親が大嫌いだった。尊敬するところはある。でも大嫌い。
私は母も嫌いだ。感謝はしている。強烈で面白い。でも嫌い。
「自分は正しい」と本気で思って威張っている愚かなところが嫌い。
人に「言っていいことといけないことがある」と言いながら自分は「出て行け」とか「縁を切る」とか軽々しく言うところが嫌い。

前回縁切りした時、母はT叔父を使って私に詫びを入れてきた。
今回はどうするのかね?どうでもいいけど。

『おまた』のお会計10,200円。
「あら、払ってくれるの?」と母。
「半額払います」
「母の日でご馳走してくれるんじゃないの?」
母の日は先週だよ。しかもあんたがすっぽかしたんだよ!
「なんで縁切りする人にご馳走するのよ。お釣り下さい」
困惑するおまた兄。隣席の女性が呆れて見ていた。喧しくて申し訳ない。

72歳の酔っ払いを置いて店を出る私。
さらば、私を産み、育ててくれた人!

連理の枝とばい菌

2006-05-17 01:25:40 | 抱茎亭日乗メモ
子宮がん定期検査の結果は、問題があれば慶応義塾大学病院から電話が来ることになっていた。
担当医の転勤で、これまでと若干変わるみたいだ。
数時間待って「検査結果異常なしです」の言葉を聞き、そして数百円を払うより、ずっといい。

しかし、先日来の痛みが10日も経つのに消えないので、今回は診察に行ってみた。
受付から会計まで5時間半かかった。参った。

炎症は小さくなったものの続いている。
銀座レディスクリニックで言われたようなホルモンバランスがどうとかではなく、もともと腫れたり水が溜まったりしていた卵管がばい菌にやられて炎症をおこしているらしい。

入院しますか?と言われて戸惑う。
仕事をしている、しかも毎日21時半とか、昨日は24時まで、と言ったら呆れる医師と看護士。
「この状態でそれは相当辛いでしょう」
「はい」
入院できないなら毎日点滴に通うかこれまでと同じ薬を飲むか、と言われて早く治したいので点滴を選択。

早速今日の1本をポタポタやって、『めし処あいざわ』にて遅めのお昼、4時半に出勤。
今日締切の原稿を片付けて21時半。ふう。

恋人と、「次から次へ問題と病気が襲ってきて、難病純愛ものの韓流映画みたいだね」と話す。
無理矢理ドラマのヒロイン気分にでもならなきゃやってられないので、恋人の名前を呼びながら痛みに泣いたりしてみる。アホ。

私をがんだと決め付けて大騒ぎの母に「がんは異常なし」と言ったら「あら、良かったじゃない!今ねえ、ナントカさんが来て、庭をきれいにしてお茶してるとこ」。
ふーん。母は私に認知症扱いされて悔しいのか、同病相哀れみたいのか、私ががんであってほしいのかと思うような興奮状態だった。

医師の下の名前は何と言うの?とか、その人は多分助手だとか、病院の誰誰さんはこう言ってた、などと何度も電話をかけてきてはまくしたてる。
私が「そんな話はもういいよ」と言うと「そういう言い方をしないの」。
「仕事中なんだよ」
「そうなの?!」
プーーー。

今日も「点滴に行く間、会社は休むの?」
「いいえ」
「朝行くの?」
「はい」
「なんでそんな言い方するの?」
「具合悪いから」
「あ、そう」
プーーー。

やはり「母の毒気=ばい菌」かと思われる。痛いよう。

忘却の母

2006-05-16 00:11:11 | 抱茎亭日乗メモ
13日は母の日前夜祭で、『太古八』に行くという話もあったが、友人の豊田誠治君のお芝居を見に行くことになった。母の希望で。

ところが、母は現れなかった。18:40の待ち合わせにも、19時の開演にも、終演後も連絡なし。行き倒れたか?

23時半になって「なんだっけ?」と電話がかかってきた。
「今日はあそこへ行ってここに行ってどうたらこうたら、忙しくて」と言うが、私との約束は思い出せない。
母の日前夜祭で……、と説明したら「ああ、そうそう。なにしろ忙しいし、あんたがガンじゃないかと心配でそれで頭がいっぱいで」
「私のことで頭がいっぱいで私との約束を忘れるのかよ!」と激怒する私。
「チケット代はどうした?」って
「その前に言うべき言葉があるでしょう!」
「わからない」と母。

これは記憶障害に加えて人格がおかしい。
「私はずっと待ってたの。みんなも心配してたんだよ!」
「大変失礼しました。もう誰さんの一周忌で頭がいっぱいでどうのこうの」
「だから謝りもしないわけ?」
「大変失礼しましたって言ったでしょう」
「それが謝罪の言葉なの」
「そうよ」
「ああそう。わかりました」
「それでもうわけがわからなくて、思い出せないけどどうたらこうたら」
「よく思い出してから電話して!」
切る。

約束を忘れるとか間違えるのは誰でもやることだ。それで威張っているのがわからない。

翌日は母の日、まあ私も怒り過ぎたかと反省し、「母の日感謝です。仕切り直しのご飯はいつにしますか?」とメール。
電話がかかって来て6月24日まで予定がぎっしりだと言う。
これまでの引きこもりが嘘のような活動ぶりで結構なことだ。
「じゃあ6月18日に会うからそれでいいじゃん」
「なんだっけ?」
「おーい!頼むよ。あんたが18日は空けとけって命令したんだよ」
「何?……ああ、みんなで集まるんだ!」
「ちゃんと手帳にメモして。今すぐ。また忘れるんだから」
「忘れないわよ!」
「忘れるの」
「観劇だって、あんたは具合悪いから行かないだろうと思ったのよ!」
「そんなこと一言も言ってないよ」
「ガンに違いないと思って私は泣いて暮らしてたのよ!」
「なんだそりゃ」
「黙って聞け」
「そっちこそ黙れ」
切る。

母にメール。
「忘れた理由をぎゃあぎゃあ言うよりまず謝って欲しい。悪かったと思うなら。黙って聞けなど論外。
忘れる間違えるは誰でもよくあること。責めてません。これから私も注意します。」

母は私が謝れと言ったから謝った。本当は悪いなんて全く思っていないのだ。多分。
だったら謝らなくてもいいと思うが、それは言わない。

人に「謝れ」と言われて謝る時は、たいてい人は自分が悪いとは思っていない。
相手が望むから、相手の怒りを静めるために謝るのだ。

私が母に謝罪を要求してみたのは、悪いと思っていることさえ忘れてしまったのかと思ったから。しかし母は悪いと思っていない。少しも。

ならば私は、言葉だけの謝罪を求めるより「他人や状況のせいにするな。次の約束は?」と言い続ける。

母は私を潤いがない、あいつはバカだ、あの人は冷たい人間だ、というが、そこでなぜ潤いたっぷりの言葉が聞けないのか、自分はそれほど優秀なのか、なぜ冷たくされるのかと自分を振り返ることはほとんどない。

ならば私は、母のゴーマンチキチキマシーンぶりを指摘し続け、忘れさせない。

そして私はこの母を継ぐ娘なのであった!ああ、恐ろしい。

母の毒気

2006-05-11 04:04:01 | 抱茎亭日乗メモ
 復活大興奮の母が、東雲の極上海鮮レストラン『ネプチューン』でご馳走するから来い、というので出掛けた。
それはもう、ものすごい爆発的テンションだった。

 翌日、恋人としっとりとご飯を食べ、母の話を「やれやれ大変だ」などとした。

溜まっていた日記『抱茎亭日乗』を1週間分ほど書いたりしていたら、悪寒がしてきた。

 そして6日。なんだかだるくてげんなりしながら炒め物など作って食べ、母と電話。
流れで「今日『太古八』に行こう」という事になる。
しかし、なんかだるい。寝る。熱があると思われ、測ったら38度。
2時間後39.2度。今日は無理、と母に連絡。

「大丈夫?」と母。
「大丈夫ではない」と私。
「良かった、私も口内炎が出来てどうたらこうたら」
「辛いんで切ります」

恋人に連絡。休日診療所の受診を勧められ、おう、そうであったかと気づく。
朦朧としてそんなことも思いつかず、ただ寝ていた。

私は風邪ではないと思っていた。
婦人科系の症状で、そういえば以前にも子宮がんの定期検診後に具合が悪くなったことがあった。

夜、恋人が言う。
「原因がわかったよ」
「何?」
「母の毒気」
ああ、そうね!なんて素敵な彼。体温が1度は下がったような気がする。

 7日。休日診療所でもらった薬も全く効かず、39度あたりをヘロヘロと彷徨う。
起き上がっていることさえ辛く、しかし大量の汗をかくので何度も着替える。
服は着替えられるが布団は汗びっしょりのまま。つらい。

『抱茎亭日乗』に「いつ死んでも悔いはない」などと書いてしまったので「じゃあ殺してやろうか」と、呪われているのではないかという気がしてくる。

「病院行けば?」と母の電話。
「昨日行ったよ。メールしたじゃん」
「慶應病院に行った方がいいんじゃない?」
「明日行くよ」
「なんとかさんがね、どうたらこうたら」
「なんだかよく聞こえないけど、切るよ」

8日。熱は下がらないまま朝。
7時過ぎに電話を寄越す母。
「あんた、今日慶應病院行くんでしょ」
「行くよ」
「私もあちこち病院行くから、帰りに『太古八』行かない?」
「無理だよ。何言ってんの」
「あっそう。熱は下がったの?」
「下がりません」
参った。

慶應病院。9時予約外受付。
食欲が全くないので、発熱以来、苺とびわを数個しか食べていなかった。あとは水。

予約外でかなり待たされて、「桜井さん、診察室へ」と言われた直後に館内放送。
「桜井真理様、正面受付までおいで下さい」
何だよ!母かよ!と心の中で叫ぶ。
その後も館内放送は繰り返され、「至急正面受付までお越し下さい」。
無理だよ!と心の中で叫びながら、診察室で、発熱の原因など説明を受ける。

こちらは歩くのだってやっとなのに!
採血の待ち時間に必死で摺り足のように受付へ。
私を呼び出していたのは、慶應病院の偉い人(母の友人)であった。
すぐに降りて来てくれ「もう診察に入っていたなら良かった。時間がかかるならなんとかしようと思って」。

もはや有り難いのやら、高熱の頭ではよくわからん。
帰宅後母から電話。
「私が偉い人に言ったから、そのお陰で、薬も早く出たでしょう!」
「そう言われてみれば、そうだったかも」
「そうなのよ!」
はいはい。

心配した恋人から電話。
「すごいねえ、母の毒気は」

そして、8日から3食おかゆ。布団は2組敷いて、かわりばんこに乾燥機をかけながら、大量発汗で寝間着がビチョビチョになって着替えに何度も起きながら寝ている。

9日仕事復帰。かなりきつい。痛い。泣きながら帰る。
恋人につらさを訴えたくて堪らない思いでいたら、電話でデートの約束。
「だいぶ楽になった~」
などと明るく振舞ってしまい、切ってまた涙。

下腹部の痛みはまだあるものの、10日にはちょっと小走りもできるようになった。

大学ゼミの先輩Nさんの月命日で、ゼミ仲間と集まる。
全く酒など飲みたくないし、19時からの集まりなのに仕事が終わったのが21:30。
行くの止めたい、でもNさんにもらったドレスを着て来たし、皆に会いたい。

そして、ワインを2杯飲んだら元気になる。

母から電話。
「どう?」
「痛いよ」
「入院だね」
「そうですね」

あら、気がついたらこんな時間だ。

こんなわけで、『抱茎亭日乗』はまだ、春分の日あたり。

川越『ご近所さん』

2006-05-03 15:03:53 | 抱茎亭日乗メモ
『ご近所さんを探せ!』にはもはや求めるものはないのだが、たまに季節の挨拶メールをくれる岡山の人がいて退会はしていない。

4月12日に川越の『ご近所さん』から

>日本酒がお好きなようですね。旨い蕎麦屋で蕎麦焼酎の蕎麦湯割りを飲んだり、酒蔵を訪ねて、旨い日本酒を探すような旅が好きだったりします。エムサクさんのお酒のうんちくも是非お聞きしたいですね。メールから仲良くなれたら幸いです。

というメールが来て、返事をしたら『瀬戸の灘』というレアな黒糖焼酎が好きだと言う。

『瀬戸の灘』と言えば『檸檬屋新宿』の元従業員Mちゃんの縁戚関係が造り酒屋で、私も馴染みのお酒で大好きだ。

これに川越『ご近所さん』は運命的なものを感じたらしく、価値観が似ていると、かなり盛り上がっていた。
しかし岸田敏志のリサイタルに行くとか、小曽根真が好きとか、利き酒選手権に出場したり、バンド大会に出たり、価値観は随分違うと私は思った。

それはいいが、気軽にお酒を飲むだけだから、と言ってるのに、

>僕は見かけによらずやきもち焼きなのでーそこの所はよろしくお願いしまーすf^_^;

と言われて困惑する。
どうして会ったこともない、よく知らない人に心ときめかせることができるのか、不思議だ。
写真の川越『ご近所さん』はとてもいい人そうな笑顔だが、やっぱり会ってみなくちゃわからない。

なんとかクールダウンしてもらえたらと思うのだが、日に何度もメールをやり取りするようになってしまって、早いとこ会ってがっかりしてもらった方がいいかもしれないとすら考えるようになった。

> 真理さんには、話していませんでしたが、実は自転車で日本一周にチャレンジしています。二十代から始めて、漸く後半戦になりました。今回の下北半島で東北がすべて終了します。自己満足でしかない、チャレンジですが、この夢を成し遂げなければー僕は先に進めないのです。
> 来月の朔の夜行で青森に向かいます。もし、その前日にお会い出来たら、真理さんから勇気を貰えそうな気がします。もし、お会い出来るならば、僕が都内まで出向きますo(^-^)o

素晴らしいことだと思うし、励ますのはいくらでもするが、責任重そうだ。
前日に会ってがっかりして傷心旅行になってしまったら申し訳ない。
「私には期待しないで、美味しいお酒を飲みましょう」と言う。

そして30日に都合が合えば会うという話になった。
しかし私の都合が悪くなったので、29日夕方、数時間飲みますかと言って川越にいた『ご近所さん』を呼び出す。

『東武』の日本酒売り場で待ち合わせ。『獺祭』が試飲をやっていて飲み比べる。
私は純米大吟醸生『三割九分』が好きだった。美味い!

店はおまかせします、とのことで『酒処 萬屋松風』にてビール、日本酒。
ここは日本酒を一合徳利で出すのだが、川越『ご近所さん』は
「これ、あらかじめ注いでおいて、冷やしてますよ」と、わけのわからないことを言う。
「そんなことする店、あるの?何のために?」
私の問いには答えず
「グラスの受け皿にどれくらいお酒を溢れさせるかで、お店を決めるんです」。
そういう店でしか飲まない、ということか?

「ナポレオンとヴェルサイユ展に行きました。ナポレオン、かっこいい!」と私。
「ナポレオンが理想の男ですか?」
「理想の男ではないなあ。理想の男は勝新!」
と言って定期入れの勝新の香典返しのテレカを見せる。

何故か定期入れの方に反応する川越『ご近所さん』。革製品が好きらしい。
「本物の皮ですか?すごくいい色になってますね」
そして、ささきもと子さんの『さくらんぼバッグ』も「本皮ですか?」
オーラ・カイリの財布を「これも皮ですよね?」と言って手に取り、鼻に押し当ててすーーーっと臭いを嗅ぐ。
うわ、勘弁して。

仕事の話など。川越ご近所さんは行政書士をやっているらしい。パートナーと事務所を構えているとか。
「仕事でもプライベートも価値観が合うことが一番大事」と川越ご近所さん。

接待について。
「接待される側の気持ちってどうなんでしょうね。何が楽しいのかと思う。あ、でも男の人にご馳走してもらうのは好きだな」
「今日はご馳走しますよ」
「わーい、わーい」
こんな気持ちか。

ご馳走になって申し訳ないと思うが、言わねばなるまい。
「やきもち焼きだと言うから他の男性の話は聞きたくないかと思うんだけど」
「いえいえ」
「なんだか盛り上がってしまって、メールで言うのもどうかと思って、会ったら言わなくちゃと思って」
「はい」
「私はお酒を飲んだり、展覧会に一緒に行ったりはできるけど、彼に言えないようなことはしませんから」
「はい。そうですよね。わかりました」

急に黙る川越『ご近所さん』。あああ。
「でも、大丈夫。きっと素敵な女性が見つかる」
「いや、僕なんかダメです。容姿も自信ないし、純朴で素朴な田舎ものだし」
「全然大丈夫ですよ!」
「いやいや、いいんです。もう。こうして会ってお話してもらって、楽しかったですから」
「また飲みましょう!」

で、時間はまだあるけど盛り下がったので店を出る。
「今日は会えて良かったです。女性とこんなふうにお話しする機会ないですから」
「良かった。自転車日本一周頑張って下さい。今日はしてくるの忘れちゃったんだけど、帰って来たら自転車柄のスカーフでお迎えします」

そして改札前の別れ際、小指を出す川越『ご近所さん』。
え?小指?何で?何の約束?
「あ、じゃあ」
と言って握手を求める川越『ご近所さん』。
しかし私は荷物とケータイで両手がふさがっていた。
「え、あ、う」などと戸惑っていたら
「あ、じゃあ」
と手を振って改札を抜けていく川越『ご近所さん』。

なんだよー、握手は拒否してないよー。指切りはできないが。

「今日は振り回したあげくご馳走していただきましてありがとうございました。
最後は握手拒否してませんからね。
気軽な飲み友達でよろしかったら今後もよろしくということで。
後に予定があり慌ただしくなってすみませんでした。
青森の旅気をつけて。美味しいお酒と食べ物楽しんで来て下さい。」

とお礼メールを送るも無反応。以来、日に何度も来ていたメールがぱったり止んだ。
やはりがっかり傷心旅行にしてしまったのかと大変申し訳なく思う。

母復活

2006-05-01 00:48:55 | 抱茎亭日乗メモ
大変だ。突如母が復活した。
昨年8月の塗装工事件(『抱茎亭日乗』2005年8月19日あたり参照)以来全く元気を失い、引きこもり状態だった母。
暖かくなれば元気になるかと思ったが、4月8日に飲んだ時も変わらず落ち込んでいて、何もやる気がしないと言っていた。
病院に行った方がいいと言ってもぐずぐず言うのも変わらず。

その後の私の留守電、メールにもやはり無反応か、と思っていたら先ほど電話がかかって来て、1時間喋りまくっていた。
近くの病院に行って、もらった薬を飲んだらしい。良い先生だったようで、救われたみたい。

それは大変良かったのだが、早速買い物ブギも復活して、電気屋に勧められるがままにサンヨーの自動洗濯乾燥機を購入、お金を払う前にどこまで値引きしてもらえるか、ネットで調べてくれと言う。
調べてみたら電気屋も家電量販店も割引やら下取りやらで価格(22万円ぐらい)はそう変わらない。

しかし、そもそも「空気で洗う」という最先端機能が母に必要なのか?
聞いてみたら「空気で洗う」機能について母は認識していない。
「空気?なにそれ。そんなの知らない。最新式だと乾燥機と一体型で除菌もできて…」
「そんなの一つ前の商品なら10万円以下であるよ!」
「そうなの?」
「やめやめ!」
「でも、もう取り付けてもらっちゃった」
「はあ?! なんだよー、もっと前に相談してよ。取り替えてもらいなよ」
「いや、もうちょっと安くしてもらえないかと思って」
「新商品だから無理なんじゃないの。まあ言うだけ言ってみたら。でも私は取り替えてもらった方がいいと思う。電気屋がちゃんと説明してくれなかったんだから」
「そうねえ」

そして、洋服ダンスのセーターとコートが虫に食われた話、大麻で逮捕されたHiroの話、宮崎学さんの話など。

更に、私がかけた電話で30分喋り、「生協で3足980円の5本指ソックスはどう思う?」って、その値段の買い物では相談するのかよ!

更に更に「箱根で1万円ぐらいの宿をネットで調べて」とか「バイオリンコンサートに行かない?」とか。
「誰が何をやるの?」
「小林研一郎っていう人。日本フィルよ」
「知らない。誰が弾くの?」
「(忘れた)っていう、体操の仲間の……(どうたらこうたら)」
「素人なの?」
「違うわよ、日本フィルの……(どうたらこうたら)」
「でも、その日はダメだ」
電話を切る。

ああ、もうこうなったら止まらない母。
どっかり落ち込むか、激しく動き回るか、極端なんだよなあ。

ひぃー、また電話だよ。
「今ね、3チャンネルに、さっき話した小林研一郎が出てるわ!」
「見てます。ああ、この人ね」
「それで体操の仲間のなんとかさんは……(どうたらこうたら)」
「今、箱根の宿調べてるんだよ」
「はいはい、じゃあよろしくね」

参った。川越『ご近所さん』が消えたと思ったら(詳しくは後ほど)、母の復活。
私、モテモテだよ。とほほ。