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マリバール 文集・ギャラリー

佐藤幹夫著『自閉症裁判 レッサーパンダ帽男の「罪と罰」』

2010-12-19 13:04:12 | 文章道場
 この本が投げかけた問題、すなわち自閉症という障害を持つ殺人事件加害者及び家族と、遺族を含む被害者への福祉のあり方、マスコミのあり方。それは社会への課題として関心を集め、自閉症への理解も進んだ。しかし状況が大きく改善したとは言えない。

 社会通念上理解できない特異な殺人事件が起きると、犯人を「とにかく吊るせ、早く吊るせ」という世論・空気が作り上げられる。

 本来事件が二度と起こらないように、社会の教訓とするのならば、裁判で時間をかけて事件を解明しなければならない。だが裁判員制度により裁判はますます単純化、短縮化されている。

 著者は、取り調べの警察官、検察官、鑑定医に対する疑いを、「不合理だ」「解せない」「不可解」等、遠慮がちに書いている。「おそらく露骨な誘導はなかっただろう。強制もまたなかったに違いない」と述べている。

 私はこの認識は誤りだと確信する。志布志事件、足利事件、厚労省村木局長冤罪事件、三井環事件、高知白バイ事件などを経て、警察・検察の取り調べがいかなるものか、裁判で警察官・検察官がどれだけ嘘をつくか、裁判所が警察・検察と一体化しているか、裁判官がどこを見て仕事をしているか、警察・検察に尻尾を振って餌をもらうマスコミのポチぶりなどは、この本が書かれた2005年当時より、自閉症への理解に比べてはるかに一般に知られることとなった。

 日本の司法はかなりおかしなことになっている。裁判を教育的再生の場としたかった弁護団、著者の気持ちはわかるが、「有利不利で争うべきでなかったか」「事実関係で徹底して争う」べきだったのではないか、という反省は正しい、と思われる。

 痛ましい事件を繰り返さない、予防するための福祉策を、との思いでこの本は書かれた。しかし恐らく加害者への福祉は後回しにされ、同じような事件は起こるだろう。そのような社会で生きていくために、この本は読まれるべきだ。

 自閉症の人の目の前にある世界はどのように見えるのか、「こだわり」への考察は大変興味深い。レッサーパンダ帽の彼にとって女の人を「自分のものにする」とはどういう意味なのか、性的欲望と性的接触の違いなど踏み込んでいる。

 なのに獄中結婚を望んだ女性の存在は、それにより裁判で彼の態度も大きな変化があったというのに、文庫版のためのあとがきでさらりと触れるだけで、文学的感傷になると避たのは残念だった。詳しく知りたかった。

朝倉かすみ著『田村はまだか』

2010-11-03 01:30:22 | 文章道場
【文章道場】第1回課題『田村はまだか』書評

 井坂君、今日はお店に来てくれてホントありがとう。
「長いメールを書くから」と言いながら、途中でツイッターやってたら朝になっちまったわ。

 私、最近文章道場に行ってるって話したでしょう。
課題で本のレビューを書かなくちゃいけないんだけど、2009年吉川英治文学新人賞受賞作朝倉かすみの「田村はまだか」という本。知ってる?

 朝倉かすみは北海道出身で、この本の舞台も札幌ススキノにある小さなスナック。
店では小学校同窓会の三次会を5人でやってんの。
グダグダ飲みながら「田村はまだか」「田村遅いぞ」って、田村って男の登場を待っている。
みんな田村に会いたくて、近況を話しても思い出話をしても、田村話になっちゃって。
スナックマスターも聞くうち「田村、カモーン」の心境になる。

 まるで、先日私たちの同窓会からツイッターで続いている「井坂はどうしてる?」だよ。
「井坂会いてえなあ」ってつぶやきが並んでたんだよ。
田村の同級生らは丙午なのよ。なんと学年も私たちと同じ!

 5人のうち女子2人で一人はヱビス。
ウイスキーも焼酎も嫌いでエビスビールを飲んでいるんで、マスターが「ヱビス」と呼ぶ。
実は私もエビス党!私の店のビールも、エビスオンリーなのよ。

 で、みんなが田村を語る語る。それによると田村は小学生ながら「孤高の人」だった。
やっぱり井坂君じゃん!井坂君は大学生だけどさ。

私が「美人ロシア人娘を嫁にもらい、冷蔵庫もテーブルもテレビもないアパートで神田川、が数年前。貧乏なのではなく井坂スタイルね。北方領土をのぞむ二人旅など行きラブラブでしたよ。」とツイートしたら、みんな興味津々で
「井坂はツイッターやってないかな?」
「間違い無くやってないと思うけど、なにつぶやくかめちゃ興味ある。」
「携帯とかも持ってなさそうだね~w」
って、どんだけ孤高なの、あなた。
アハハ!という訳で井坂君へのメールという形式で課題を書くことにしたわ。

長々ごめんね。ああ眠い。

ナンパ作戦

2004-12-31 13:11:54 | 文章道場
 夏の夜、ミニスカートに赤い鼻緒の下駄を履いて酔っ払って歩いていたら、後ろから「どこに行くんですか?」と声をかけられた。「素敵だなと思って」と男性。「なんで後ろから来て素敵だってわかるんですか?」「駅の階段ですれ違って、引き返してきたんです」「ああそうなんだ」ってことで飲みに行った。

 不安はあったが楽しかったし、かなりいい気分だった。悪い人ではなかった、と思う。

 この年になって街でナンパされるとは予想外。面白かったので、今年後半のテーマを「ナンパ作戦」にしてみた。ごくたまに、電車の中などで目が釘付けになるぐらいの人に遭遇することがある。話しかけたい、ついて行きたい衝動に駆られるが、行動に移したことはない。

 今度そういう人がいたら、声をかけてみる。怪しい女だと思われたらそれまでだが、傷つくほどのことでもない。

 周りの男性に聞いてみると「ナンパしたこともない」という人が多くて驚いた。しかし「声をかけられても自分じゃないと思って無視する」恥ずかしがり屋の日本男児も「実は嬉しい」とか「話は聞いてみる」とか。

 問題は、始めになんと言って話しかけるか。ハンカチを落としてうまくいくのは相手もこちらに関心がある場合のみ。セールスや宗教の勧誘と間違われたらお終いだ。

 ナンパの夜から3週間、究極の言葉を思いつく。構えていたのにターゲットには未だ遭えず。来年は作戦実行の年としたい。

運動オンチ

2004-11-28 23:18:17 | 文章道場
 子供の頃私はデモに動員されていた。親に連れられ、握りこぶしを揚げ、何を主張しているのかわからないが、一緒に何かを叫びながら歩いた。普段は危険だからと遊ぶことを禁じられた、広い道路を大勢の人と進んでいくのが楽しかった。

 それから二十年以上の時を経て、メーデーに行かされたり、選挙応援をしたり、首相退陣を迫る座り込みをしたり、集会やパレードみたいなデモに参加したりした。政治信条があって、社会的問題を解決するために積極的に行動したわけではない。

 運動のスタイルは変わらぬオールドファッションで、格好良くはないけれど面白そう。近所の祭を見に行くようなものだ。踊り手に混じってちょっと踊ってみたりして。

 ここ数年、盗聴法、住民基本台帳法、個人情報保護法など、国家が個人の管理を強めようとする法案が次々成立した。反対する市民運動はその都度あったが成果は全く無かった。

 市民運動が歴史や制度を変えたことがあったのか。薬害エイズや北朝鮮拉致事件などの問題では市民運動がそれまでの流れを変えたかのように見えた。「命、家族を救え、守れ」というフレーズは感情に訴えることができ、わかりやすい。

 日々の個人の自由な活動が脅かされ、直接被害を受けるのは意図の見えにくい法律の方だ。しかし多くの人は、どうせなら流れを変えそうな運動に参加して、「みんなで一致団結して得た成果は大きかった」と感じたいのだろう。

ポピュリズム万歳

2004-11-15 16:11:15 | 文章道場
 康夫ちゃんは小泉、石原と同じメディア利用にたけたパフォーマンス好きのポピュリズム的政治家として見られる。しかし康夫ちゃんのパフォーマンスは選挙と権威のためではない。行政サービスのありかたを体現しているのだ。

 今や誰でも知っているのに「ガラス張りの知事室」と言い続けるしつこさ。「国政、東京ばかり見ている」という声もあるが「もうわかった」と言いたくなるほど信州信州長野長野だ。

 エリートへの反感、嫉妬を利用するのがポピュリストなら、「ポピュリズムはファシズムに繋がり、危険だ」と批判する方にも激しい嫉妬がある。独裁者!とくってかかったり苛めたり。迎合出来ない大衆を見下したり嫌悪したり。

 「『大衆迎合主義』と訳されがちなポピュリズムとは、冷静に捉えれば『判官贔屓』の精神です」と康夫ちゃんは言う。そして日本の善男善女は「小泉ワンワン君が、“弱きを挫き、強きを助ける”逆・判官贔屓な政事屋だと見抜けぬ儘なのです。いやはや」と溜息。

 康夫ちゃんの役割は古い権力、悪しき体質を壊し、「お上と下々」の意識を「サービスを提供するものと税金を払ってサービスを受けるもの」に変えることだ。当然軋轢はある。

 次は根回しもやって議会を取り込め、ポピュリズムを超えろって、そんなの無理。「何を言ったか、やったか」を重視すればいいのでは。長野ルネサンスを終えたら是非東京へ。待ってるわ、康夫ちゃん。

警察を利用する

2004-11-08 01:19:24 | 文章道場
 JRや東京メトロでは駅の貼紙でも車内放送でも「警察のご指導とご協力を頂いて、安全対策に努めてまいります」などと言っている。これは乗客よりも警察への配慮を感じて、非常に不快だ。なぜ警察にへりくだるのだろう。

 「テロの危険が高まっている。警備に行ってやる」とかなんとか言われ、見回りを有難くお迎えしているのだろうか。「会社が抱える諸問題につきましても何かとご配慮いただければ、天下りのポストもご用意できます、ハイ」なんてやり取りが聞こえそうな気さえする。

 昨今不祥事・犯罪の多い警察署ほど暴力団追放運動に熱心だという。暴力団排除を強く訴えることで警察のワルサを隠そうとする、浅ましい魂胆がみえみえだ。

 警察は人々が暴力団被害を訴えるから動くのではなく、暴力団の持つ利権を狙って動いている。

 そんなキャンペーンに協力する必要があるのか。

 仮に必要があるとしても公務員の仕事、行政サービスなのだから、後退するな、繋がりを切れと指図され、はっぱをかけられるほどのことでもない。

 「反暴力団の文化」よりむしろ「警察に頼らない文化」をつくる必要を感じる。もはや犯罪の予防や捜査で警察を頼ったり期待するのはやめた方がいい。警察の情報や手法も使えるものなら利用する、ぐらいの意識でよろしいのでは?

大統領と児童会長

2004-11-03 02:51:50 | 文章道場
 「アホでマヌケなアメリカ白人」のトップに立つブッシュと、魔法使いのおばあさんのような風貌でベトナム戦争の英雄ケリーと、どちらが勝っても面白くない。

 前回大統領選の混乱の反省から、投票システムを変更した選挙区が増えたという。

 しかし新しい電子投票機の重大な欠陥や、投票機メーカーと共和党の繋がり、黒人有権者に対する投票妨害行為などは以前から指摘されている。

 オハイオ州では有権者登録の申請用紙が薄い、などという理由で多くの申請が却下されたとか。

 この分では2000年と同じ混乱が繰り返されるだろう。

 アフガニスタンでも10月9日に大統領選挙が行われた。

 アメリカの駐アフガニスタン大使が立候補取り下げを説得して回ったとか、一人が何回も投票する不正が行われたという訴えがあった。

 神に守られた民主主義の超大国も、戦国時代に戻ってしまった最貧国も、大統領は不正の横行する選挙で選ばれる。

 私が選挙の有権者となった最初の記憶は小学校の児童会長選挙だった。同じクラスの仲の良い女子が立候補した。

 担任教師は「同じクラスだからとか友達だから、という理由で選んではいけない。何を約束したかで決めるのだ」と言った。

 友達は立派な立候補演説をし、学校初の女子児童会長となった。

 誠にキレイな選挙、清き一票であった。