この本が投げかけた問題、すなわち自閉症という障害を持つ殺人事件加害者及び家族と、遺族を含む被害者への福祉のあり方、マスコミのあり方。それは社会への課題として関心を集め、自閉症への理解も進んだ。しかし状況が大きく改善したとは言えない。
社会通念上理解できない特異な殺人事件が起きると、犯人を「とにかく吊るせ、早く吊るせ」という世論・空気が作り上げられる。
本来事件が二度と起こらないように、社会の教訓とするのならば、裁判で時間をかけて事件を解明しなければならない。だが裁判員制度により裁判はますます単純化、短縮化されている。
著者は、取り調べの警察官、検察官、鑑定医に対する疑いを、「不合理だ」「解せない」「不可解」等、遠慮がちに書いている。「おそらく露骨な誘導はなかっただろう。強制もまたなかったに違いない」と述べている。
私はこの認識は誤りだと確信する。志布志事件、足利事件、厚労省村木局長冤罪事件、三井環事件、高知白バイ事件などを経て、警察・検察の取り調べがいかなるものか、裁判で警察官・検察官がどれだけ嘘をつくか、裁判所が警察・検察と一体化しているか、裁判官がどこを見て仕事をしているか、警察・検察に尻尾を振って餌をもらうマスコミのポチぶりなどは、この本が書かれた2005年当時より、自閉症への理解に比べてはるかに一般に知られることとなった。
日本の司法はかなりおかしなことになっている。裁判を教育的再生の場としたかった弁護団、著者の気持ちはわかるが、「有利不利で争うべきでなかったか」「事実関係で徹底して争う」べきだったのではないか、という反省は正しい、と思われる。
痛ましい事件を繰り返さない、予防するための福祉策を、との思いでこの本は書かれた。しかし恐らく加害者への福祉は後回しにされ、同じような事件は起こるだろう。そのような社会で生きていくために、この本は読まれるべきだ。
自閉症の人の目の前にある世界はどのように見えるのか、「こだわり」への考察は大変興味深い。レッサーパンダ帽の彼にとって女の人を「自分のものにする」とはどういう意味なのか、性的欲望と性的接触の違いなど踏み込んでいる。
なのに獄中結婚を望んだ女性の存在は、それにより裁判で彼の態度も大きな変化があったというのに、文庫版のためのあとがきでさらりと触れるだけで、文学的感傷になると避たのは残念だった。詳しく知りたかった。
社会通念上理解できない特異な殺人事件が起きると、犯人を「とにかく吊るせ、早く吊るせ」という世論・空気が作り上げられる。
本来事件が二度と起こらないように、社会の教訓とするのならば、裁判で時間をかけて事件を解明しなければならない。だが裁判員制度により裁判はますます単純化、短縮化されている。
著者は、取り調べの警察官、検察官、鑑定医に対する疑いを、「不合理だ」「解せない」「不可解」等、遠慮がちに書いている。「おそらく露骨な誘導はなかっただろう。強制もまたなかったに違いない」と述べている。
私はこの認識は誤りだと確信する。志布志事件、足利事件、厚労省村木局長冤罪事件、三井環事件、高知白バイ事件などを経て、警察・検察の取り調べがいかなるものか、裁判で警察官・検察官がどれだけ嘘をつくか、裁判所が警察・検察と一体化しているか、裁判官がどこを見て仕事をしているか、警察・検察に尻尾を振って餌をもらうマスコミのポチぶりなどは、この本が書かれた2005年当時より、自閉症への理解に比べてはるかに一般に知られることとなった。
日本の司法はかなりおかしなことになっている。裁判を教育的再生の場としたかった弁護団、著者の気持ちはわかるが、「有利不利で争うべきでなかったか」「事実関係で徹底して争う」べきだったのではないか、という反省は正しい、と思われる。
痛ましい事件を繰り返さない、予防するための福祉策を、との思いでこの本は書かれた。しかし恐らく加害者への福祉は後回しにされ、同じような事件は起こるだろう。そのような社会で生きていくために、この本は読まれるべきだ。
自閉症の人の目の前にある世界はどのように見えるのか、「こだわり」への考察は大変興味深い。レッサーパンダ帽の彼にとって女の人を「自分のものにする」とはどういう意味なのか、性的欲望と性的接触の違いなど踏み込んでいる。
なのに獄中結婚を望んだ女性の存在は、それにより裁判で彼の態度も大きな変化があったというのに、文庫版のためのあとがきでさらりと触れるだけで、文学的感傷になると避たのは残念だった。詳しく知りたかった。