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変化を受け入れることと経緯を大切にすること。バランスとアンバランスの境界線。仕事と趣味と社会と個人。
あいつとおいらはジョージとレニー




底は浅くとも、おいらは歴史おたくでもある。
昨日は大忙しだった。
チンギス・ハンの生涯を追った番組がやっていた。その後、すぐに
マチュピチュを舞台にしたクイズ番組が続く。
どちらにも興味満点ですよ。ただ、マチュピチュについては撮り溜
めた特集番組のDVDを観てから、改めてレビューすることにしよう。

と言う訳で、今日のお題は「大モンゴル帝国」。
歴史に「空前絶後」という言葉を使うのはためらいがある。しかし、
モンゴル帝国だけは、その形容が許されるのではないか。
ここで詳説はしないが、その理由は誰もが認めるところだろう。

チンギスが作り上げようとした帝国は、近代化に向けて人類を大き
く前進させた。東西の行政、技術、宗教、あらゆる文化文明を交流
さしめた。彼のお陰で後年の人々は、野蛮な古代の縛りから開放
され、より洗練された知識と文化を謳歌できた。

恐らく、世界的に技術と知識が高度化し、そのレベルが伝統文化
を大幅に凌駕した時代だったのではないか。そして両者の乖離は、
自然の摂理宜しく歩み寄ろうとしていたに違い無い。ほんの少しの
後押しがあれば、あとは怒涛の流れは奔流となって矛盾を流し去る
ことができる状況にあったのだ。
歴史は、トリガーを引く者を待っていたに違い無い。

そして、彼が現れた。
一部に、源義経が大陸に渡ってチンギス・ハンになったとの意見も
あるようだ。
面白い。
でも、今日は定説で行くことにする。

さて。今日の本題。
古代的な野蛮において、人々が強いられた犠牲がいくばくだったか。
生贄等に代表される直接的なものから、おいらにゃ想像も及ばない
恐ろしいモノもあったはずだ。モンゴル帝国をして、これらを駆逐・
払拭した功績は大きい。
しかし、そのための犠牲をどう考えればいいのだろう?
チンギスは、厳しい血の掟で規律を守らせたし、恐怖心を持たせる
為に、恐るべき惨殺・残虐にも躊躇しなかったと言う。

結論。
関連付けて考えてはならない。
彼の非道、彼の功績。別なモノなのだ。結び付けるのが好きな日本人。
戦前の朝鮮半島における日本の振る舞い、圧制もインフラ整備を事実
なんだろうが、両者を関連付ける必要はない。悪いこともやったが良い
こともやった、みたいな評価は要らないんだ。

何をやったか、何があったか。
まずはそれだけでいい。
それができないウチに評価するなんてちゃんちゃら可笑しい。

悪行を功績で相殺させようとする思考。
当事者としてモノを考えれば、違う形を取りそうだ。
評論家は要らないのだよ。

うん。もう少し整理してから書けばよかった。

不覚。


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