仕事の調べものをしようと書棚を探っているうち、気がついたら好きな本を読み耽っていたり
画集や写真集に見入っていたり、ということはままある話で。
締め切りが翌朝に迫っていたりするときに限って、そういう衝動に駆られがちだ。
学生時代、テスト前夜に全然関係ない小説に突然着手し
徹夜で完読してしまったりする逃避行動とまったく同じ。
そして、そういう時に没頭したものに限って、
長く深く自分の中に残っていたりするから不思議だ。
一夜漬けでむりくり暗記した公式や年号なんて、すっかり忘れてしまっているのに。
今週の“逃避物件”は、こちらの写真集たち↑
左端の「桑原甲子雄写真集 東京長日」(1978年朝日ソノラマ刊)と、
中央手前「アンリ・カルティエ=ブレッソン近作集 決定的瞬間・その後」(1966年朝日新聞社刊)は
大学時代に写真の授業をとっていた時、父が膨大な蔵書の中から分けてくれたもの。
卒論でもお世話になった。私も父と同じく本に書き込む悪癖があり、所々にその痕跡が。。
中央奥は今春、東京都写真美術館で開催されていた「マグナムが撮った東京」展の図録。
右は、今夏、松涛美術館で開催されていた「大辻清司の写真」展の充実した図録。
大辻氏は、私が大学時代に受けた写真の授業の担当教授でもある。
写真への興味を深められたのは、大辻先生によるところが大きい。
彼は「実験工房」や「グラフィック集団」など、戦後の前衛美術と関わりながら写真表現を
追求した 日本の重要な作家のひとりだが、横顔が少し“ヨーダ”に似ていた(失礼!)
残念ながら、故人になられてから知ったのだが、実はうちの近所にお住まいで、
作品にもご近所風景が多々。
さて、これらの“逃避物件”には、はからずも共通点がある。
「決定的瞬間・その後」と「マグナムが撮った東京」は、当然、マグナムつながりだが、
それだけでなく、これらはいずれも撮影者が被写体に働きかけて演出することなく
撮った写真がベースになっている、ということ。(一部のモデル撮影や記念撮影は除く)
もうひとつの共通点は、これらの写真集の中には必ず
さまざまな時代の“東京”が どこか無名の街のように切り取られていること。
「なにかを見つけてハッと思ったとき、深くつきつめずに直感の命ずるまま、
ファインダーの中にその情景を切り取る」――大辻清司実験室⑨なりゆき構図 より
「私の写真を撮る態度は、基本的に対象の選択といったことにこだわらない」
――桑原甲子雄 パリから東京をかえりみる より
「彼の写真には、演出や、引き伸ばしのときのトリミングは決してない。彼のいう決定的瞬間とは、シャッターを切る瞬間に一切のものが決定していなければならぬ。その一瞬は絶対的に動かすことのできないものだ。後から手を加えることは、それを破壊することだという」
――木村伊兵衛 ブレッソン“人と作品”
ブレッソンは「忍者はだしの芸当©木村伊兵衛」で、被写体にぎりぎりまで気付かれないよう
忍足で撮影していたという。まさに報道写真家ならではのアプローチというか。
桑原甲子雄は、パリから帰国したばかりにしたためた「東京長日」の前書きで、「テーマは東京でもパリでもない。すこし気取っていえば、たとえば私という人間の、いま通り過ぎつつある生への呼び声であるといってもいい。そう願って写している気配がある」と述べている。
私が、彼らの写した写真にひどく魅かれるのは、彼らが「ハッ」とした瞬間の心の「呼び声」が
そのままシンプルに、そして「決定的」に映りこんでいるからなのだ思う。
いまは デジカメや携帯で誰でも簡便に安価に それなりの写真を撮れるけれど、
こうした「決定的」なものは、形だけ真似しても決して撮れるわけではない。
限りなく偶然に近い透明な芸術、とでもいうか。
一見なんでもないようなアングルだったり、なんでもない瞬間の動作や表情だったり。
技巧を前面に感じさせない写真に潜む、不思議な魔力に吸い寄せられ、
私はまた、開け放した書棚の前で、しばし仕事を忘れてしまうのだ。。
画集や写真集に見入っていたり、ということはままある話で。
締め切りが翌朝に迫っていたりするときに限って、そういう衝動に駆られがちだ。
学生時代、テスト前夜に全然関係ない小説に突然着手し
徹夜で完読してしまったりする逃避行動とまったく同じ。
そして、そういう時に没頭したものに限って、
長く深く自分の中に残っていたりするから不思議だ。
一夜漬けでむりくり暗記した公式や年号なんて、すっかり忘れてしまっているのに。
今週の“逃避物件”は、こちらの写真集たち↑
左端の「桑原甲子雄写真集 東京長日」(1978年朝日ソノラマ刊)と、
中央手前「アンリ・カルティエ=ブレッソン近作集 決定的瞬間・その後」(1966年朝日新聞社刊)は
大学時代に写真の授業をとっていた時、父が膨大な蔵書の中から分けてくれたもの。
卒論でもお世話になった。私も父と同じく本に書き込む悪癖があり、所々にその痕跡が。。
中央奥は今春、東京都写真美術館で開催されていた「マグナムが撮った東京」展の図録。
右は、今夏、松涛美術館で開催されていた「大辻清司の写真」展の充実した図録。
大辻氏は、私が大学時代に受けた写真の授業の担当教授でもある。
写真への興味を深められたのは、大辻先生によるところが大きい。
彼は「実験工房」や「グラフィック集団」など、戦後の前衛美術と関わりながら写真表現を
追求した 日本の重要な作家のひとりだが、横顔が少し“ヨーダ”に似ていた(失礼!)
残念ながら、故人になられてから知ったのだが、実はうちの近所にお住まいで、
作品にもご近所風景が多々。
さて、これらの“逃避物件”には、はからずも共通点がある。
「決定的瞬間・その後」と「マグナムが撮った東京」は、当然、マグナムつながりだが、
それだけでなく、これらはいずれも撮影者が被写体に働きかけて演出することなく
撮った写真がベースになっている、ということ。(一部のモデル撮影や記念撮影は除く)
もうひとつの共通点は、これらの写真集の中には必ず
さまざまな時代の“東京”が どこか無名の街のように切り取られていること。
「なにかを見つけてハッと思ったとき、深くつきつめずに直感の命ずるまま、
ファインダーの中にその情景を切り取る」――大辻清司実験室⑨なりゆき構図 より
「私の写真を撮る態度は、基本的に対象の選択といったことにこだわらない」
――桑原甲子雄 パリから東京をかえりみる より
「彼の写真には、演出や、引き伸ばしのときのトリミングは決してない。彼のいう決定的瞬間とは、シャッターを切る瞬間に一切のものが決定していなければならぬ。その一瞬は絶対的に動かすことのできないものだ。後から手を加えることは、それを破壊することだという」
――木村伊兵衛 ブレッソン“人と作品”
ブレッソンは「忍者はだしの芸当©木村伊兵衛」で、被写体にぎりぎりまで気付かれないよう
忍足で撮影していたという。まさに報道写真家ならではのアプローチというか。
桑原甲子雄は、パリから帰国したばかりにしたためた「東京長日」の前書きで、「テーマは東京でもパリでもない。すこし気取っていえば、たとえば私という人間の、いま通り過ぎつつある生への呼び声であるといってもいい。そう願って写している気配がある」と述べている。
私が、彼らの写した写真にひどく魅かれるのは、彼らが「ハッ」とした瞬間の心の「呼び声」が
そのままシンプルに、そして「決定的」に映りこんでいるからなのだ思う。
いまは デジカメや携帯で誰でも簡便に安価に それなりの写真を撮れるけれど、
こうした「決定的」なものは、形だけ真似しても決して撮れるわけではない。
限りなく偶然に近い透明な芸術、とでもいうか。
一見なんでもないようなアングルだったり、なんでもない瞬間の動作や表情だったり。
技巧を前面に感じさせない写真に潜む、不思議な魔力に吸い寄せられ、
私はまた、開け放した書棚の前で、しばし仕事を忘れてしまうのだ。。